4.親子 ハルオの稽古はそれからは順調に進んで行った。もともと素質があるうえに、経験も豊富なので動きに機転が利く。御子の指示を聞いてから、とっさに動きを変えたりするので、二人は翻弄されながらの稽古になった。 時にはどっちが稽古されているのか分からない程だ。 しかし、ここまで力を発揮しながらも、ハルオの表情はさえない。むしろ自分への不満を膨らませてさえいるようだ。 「こ。こて先の、う、動きだけ、う、うまくなって、ぜ、全然、強くなった、き、気がしない」 返って精神的には落ち込む一方のようで、逆効果になってしまう。これには困ってしまった。 「刃物嫌いで変に強情なのは土間によく似ているわ。この際、土間に励ましてもらおうかしら?」ついに御子が音をあげた。 「そうしたいのは山々だが・・・。土間さんが承知してくれるか?」良平が尋ねる。 そこも問題だ。土間は自分が親である事がバレるのを嫌って、極端なほどハルオを避けている。 実の親子なのだからハルオが気にならないはずはない。だが、土間は明らかにハルオの話を耳にする事を避け続けている。御子が名前を出そうとするだけで、さっさとその場を離れるほどだ。心配でどうしようもないと公言しているのと同じだ。 最初に稽古をつけた身近な存在として、もっと気軽に接してくれればいいのだが、積もった時間があまりに長過ぎて、かえって普通に接する事が出来なくなっているのかもしれない。
「いっそ親子の名乗りを上げればどうかしら?」御子は古い言い回しをした。 「普通の親子ならそれでいいだろうが・・・。あの二人だと、どうだろうな」良平は首をひねる。 同じ街の組長が、実は自分の実の親で、しかも見た目は女性にもかかわらず、刃物を握りたくないばかりに、性を変えた元男性の父親だった・・・。これはハルオに受け入れられる事実だろうか? そもそもそれをハルオに知られる事を、土間が耐えられるだろうか? 「土間って、あれで結構、ナイーブなのよねえ。追いつめられるのに弱いっていうか」 御子はため息をつくが、それはそうだろう。そうでなければ性を変えてまで生き方を変えようとは普通思わない。 「ハルオだって、あの姿の人を父と呼べってのは、かなりきつくないか?」 キツイ。それはもう、かなりの無理がある。 「いっそ、母親って事で名乗らせたら?なにしろ、見た目は女性なんだから」 これこそまさに嘘も方便だろうと御子は思ったのだが 「それで、華風組の組長になった経緯をどう説明する?ハルオを手放さざる負えなかった事情もだ。つまらない嘘をついても、つじつまはすぐに合わなくなる。二人とも返って傷つくぞ」 「そっかあ・・・。血のつながった親子なのにねえ」 御子にしてみれば、血のつながりのある親が、身近な所で心から心配してくれるというのは、それだけで羨ましい限りなのだが、世の中うまくいかないものだ。 「何にしても、土間が逃げ回っているようじゃ、どうしようもないわねえ」 「組が違う以上、無理に接触を計るのも不自然だしな。土間さんがたまにハルオの指導をしてくれれば、少しは親しくなる機会もあるんだろうが」 それはおそらく土間が拒絶するだろう。 「親子そろって不器用なんだから・・・。困ったものね」 ハルオの苦悩を一番理解できるはずの土間の不器用さに、御子はつい愚痴が出た。
「そんなの、土間にガツンと言ってやればいいじゃない。あんた、親なんだから、こういう時に助けてやんなさいって」礼似は簡単に言い放った。やっぱりなー、と御子はがっかりする。 あまりあてにはできないが、礼似にも聞いて見ようと御子は礼似の部屋を訪れていた。 「こういうことはデリケートな事なの。ましてあの二人は精神的に不器用なんだから」 「不器用も何も、気になってるくせに土間がハルオから逃げ回るからうまくいかないんでしょ?いっそ全部バラしてハルオに言いたい事を言わせちゃえば?お互いすっきりさせればいいじゃない」 「言うだけ言ったからって、すっきりするとは限らないじゃない」 んー。礼似には感覚的に理解しにくい世界だったかなあ。御子は質問を変えてみる。 「じゃあ、礼似がハルオだったら土間に文句がある?」 「文句はともかく、言いたい事はあるでしょ?なんで自分のために父親のままでいなかったのか、自分を手放さずに守る方法をもっと考えられなかったのか、組を出る気は無かったのか、どんな状況でも自分を育ててほしかった、とか」 「で、それを言った後はどうする?」 「は?」 「言いたい事を言った後よ。元父親の女性で、組を一つしょって立っている土間を自分の親として認めて受け入れられる?それとも突っぱねる?」 「・・・多分ピンとこないだろうなあ」 「でしょ?ハルオだってそうよ。いきなり親が現れるだけでも動揺するのに、こんなこんがらがった話を聞かされたら、事実として受け止められないわ。で、そういう親から、いきなり指導を受けようって気にもなれないんじゃない?」 「と、言うより、稽古どころじゃないか・・・」女姿の父親をまじまじと見てしまいそうだ。 「土間だって好きで逃げ回ってる訳じゃない。ハルオを育ててやれなかった負い目もあるだろうし、華風組の問題に巻き込みたくもないだろうし、女の姿で名乗る羽目になれば男をやめた事にも、ちょっとは後悔があるのかも」 「でも、自分で選んだんじゃない」 「選ばざるを得ない部分もあったかもしれないでしょ?他人には分からないわよ。そんな土間に親の責任を振りかざして、ハルオを見てくれなんて言えないわ」 そうかしら?土間ってそんなに弱いかしら?確かに「いつ死んでもいい」みたいなところはもってるから、あぶなっかしいのは確かだけど・・・
「香、あんたも聞いてたんでしょ?この話はこてつ組は勿論、華風組や、真柴組の人間にも秘密だからね。もちろんハルオにも」御子が台所でコーヒーの準備をしているいる香に声をかけた。 聞いてたも何も、すぐ横で堂々と会話をされたら、いやでも耳に入る。かかわりたくないと思えば思うほど、どうしてこう、ハルオの話が私の周りには付いて回るんだろう? 「解ってます。誰にも言いませんよ」 って、言うよりも、本当にこれ以上かかわりたくない。なまじ、あの二人がどんな顔して真剣を握りあっていたか見てしまっているだけに、その光景が目から離れなくなっている。 それなのに、これ以上かかわったら、なにか、逃れようのない物にでも捕まりそうな気がしてしまう。 聞かなかった事にしよう。 香はそう思いながら、無心になるべくカップを睨みつけながら真剣にコーヒーを注いで行った。
人通りの激しい駅前の表通りから、ビルの隙間をわずかに入ったところで、関口は男から書類を受け取った。 「これが真柴組のハルオを調べた資料です。こんな奴調べてどうするんですか?関口さん」 関口が懇意にしている情報屋の男は怪訝そうな顔をして尋ねた。 「いや・・・。こいつ、意外と厄介者になるかもしれない気がしたんだ。勘が働いてな」 渡された資料を丹念に目で追って行く。 「常に千里眼や良平の使いっぱしりに近いことをしているな。実働隊としての能力は高そうな奴だ。大きな乱闘に出ても、傷一つ負った事がないのか・・・。乳児の時から組にいたんだな」 関口はハルオの経歴をざっと確認する。乳児の頃に組に預けられて、地元の高校までを出ていた。 「真柴はそういう人間も多いですよ。捨て子や施設上りの人間も積極的に受け入れていますから」 「しかし乳飲み子の時からいるのは珍しいだろう。真柴の組長の亡き妻が育てたんだろうが、彼女の子ではないはずだ。確か子供は産まなかったはずだ。こいつの両親は調べたのか?」 「それが・・・。不思議とハルオの両親は、いくら調べても情報が出てこないんですよ」 「出てこない?誰かが情報を抑えているってことか?」 「おそらく・・・。なにか、訳ありの子だったんですかね?」 組に預けられるような赤ん坊なら、それなりの訳があって当然だ。しかし情報が出てこないとなると事情が変わる。 この世界で情報を抑えなければならない程の訳ならば、これは意外と勘が当たったのかもしれない。 「そうだろうな。悪いがハルオが生まれた頃に真柴夫妻の周辺で、出産した子供について調べてくれ。どこかで真柴に預けられた子供に辿り着くはずだ」 「それはかまいませんが・・・。こいつ、そんなに気にするほどの奴ですかね?」 情報屋の男は、まだ懐疑的だ。 「あいつが刃物を握った瞬間に、何か普通ではない感じがあった。あいつは何かを持っている。厄介な刀使いになる前に、つぶす必要があるかもしれない。よく調べ直してくれ。頼んだぞ」 関口は懐から追加の調査料を男に手渡した。男はそれを確認すると、すっと雑踏の中に身を消していった。
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