10.勲章 香を病院に連れていくと、ハルオは外に出ると言って、その場を離れた。御子が後を追うようにと促す。 「私と顔を合わせにくくて、離れたんでしょう。私だって顔のあわせようがないわ」土間はためらった。 「香の事でショックを受けているはずよ。そばにいてあげればいいじゃない。何にも話さなくてもいいから」 そう言われると、やはりじっとしてもいられない。土間はハルオのあとを追った。
ハルオは土間の姿に気が付くと、以外にも、自分から土間に話しかけて来た。 「あ、あなたが、お、俺を手放したのは、こ、こういう事があるからなんですね?」真っ直ぐに土間を見る。 「お、俺が絡まなきゃ、か、香さんはこんな目には、あ、あわなかった。あ、あなたの時は、お、俺がそういう目に、あ、あう可能性があった。そ、そうですね?」 「・・・ええ」 「お、俺の母親は、ど、どうなったんですか?」 土間は辛い目の色をして、遠い思い出をたどる。 「私への逆恨みから、刺殺されたわ。華風組の血筋としてではなく、全くの逆恨み。憎い男の女って事だけで殺されてしまったの。私が死なせたも同然よ」 二人はそのまま黙りこんだ。ハルオは自分に課せられている運命を理解するために。土間はハルオに与えてしまった運命に懺悔するために。 「ま、前にあなたは言いましたね。は、刃物を握ったからと言って、だ、大事な人を守りきれるとは、か、限らないって。お、俺は香さんを守りきれませんでした。こ、これからも大事な人を、き、傷つけるかもしれない。お、俺達が俺の母親を、う、失ったみたいに」 「そうね。いつか、また、私達はつけ狙われるかもしれない」 また、訪れる沈黙の時間。 「お、俺は・・・強くならなきゃいけない。俺を守ってくれた人たちのために」ハルオは自分に言い聞かせるように言った。 「か、香さんは、お、俺のせいであんな目にあったのに、あそこまでこらえてくれた。お、俺の納得できる行動を取れと言ってくれた。お、俺は強くならなきゃいけないんだ」 そして視線を土間に向ける。強い目の色が宿る。 「お、俺、あなたを追い越したい。あ、あなたは俺をあの時守ってくれた。俺に刃物を持つ勇気もくれた。命懸けで俺の恐怖心をぬぐい取ってくれようとしている。俺、あなたを追い越したいんです」ハルオはきっぱりと言った。 やはりこの子は強い。私とは違う。愛する人を傷つけられても、その人がハルオを信じている限り、決してゆれたりはしない。信じてもらえる自分をハルオ自身が信じている。 「追い越せるわ。あんたはきっと私を追い越せる。腕だけではなく、いろんな事を追い越していけるわ」土間はほほ笑んだ。 「あ、あなたに、そういってもらえて、こ、光栄です。あ、あなたは俺の、も、目標ですから。お、親だか、し、師匠だか、ほ、他の組の、く、組長だか、どれだっていいんです。あ、あなたは、ただ、目標なんです」 目標。目指すべきもの。超えるべきもの。 ハルオ、私の方こそ光栄よ。あんたにそんな風にいってもらえて。 「ありがとう。・・・でも、簡単には追い抜かせないわよ。これでも組をしょって立つ身なんだから。私の稽古はまだ必要かしら?」 「い、いえ。結構です。お、俺は俺なりに克服してみます。りょ、良平や御子と、腕を磨きます。い、今まで、ありがとうございました」そういってハルオは頭を下げた。 「お礼はまだ早いわ。これからもあんたを見守るから。ハルオが私を追い抜くまではね」 これで、やっと一つ。私はハルオに、親らしい事を、師匠らしい事を、してやる事が出来たのだろうか・・・?
香が治療を終える頃、バタバタと処置室の前に駆け込んできた人物がいた。倉田だ。良平は立ち上がって倉田に詫びた。 「倉田さん。申し訳ない。香に気が回らずに、怪我をさせてしまった。俺達の失態です」 「いや、あんた達のせいじゃないのは分かってる。出来ればあの子には足を洗ってほしかったが、それをさせられなかったのは俺だ。とても強制はできなかった。俺たちみたいな後ろ暗い人間には、どうする事も出来ないさ」 倉田は深く息を突いた。走ってきたせいばかりではないだろう。 すると香が処置室から出て来た。治療は終えたようだ。頬のガーゼや、腕の包帯が痛々しい。倉田は悲しげな顔で香を見ていた。 「香。お前さん、とうとうこんな目にまであっちまったか・・・」 そういう倉田に、香は笑顔を見せて言い返した。 「倉田さん。もっと私を褒めてくれない?私、負けなかったわよ。あいつらの持つ見栄にも、欲にも、脅しにも。人を傷つける道具にもね。みんなに助けてもらうまで、とうとう折れなかったんだから」そう言って胸を張った。 「この傷は私の勲章よ。私みたいな折れない人間が一人でも増えていけば、ちょっとは世の中もマシになるってものじゃないの?私は本能なんかに振り回されないわよ」 おそらくはカラ元気だろう。後で鏡を見れば、やはりショックは受けるのだろう。それでもここで、香は自分のプライドがどこにあるのかを宣言した。あの危機的な状況の時でさえも、「心の愛きょう」で勝負すると言った。 「ああ、そうだな。お前さんの言うとおりだ。俺達はあきらめちゃいけないんだ。あんたみたいな娘が一人でもいる限り。えらいぞ。よくやった。よく頑張ったな」そういいながら、香の頭を子供のようになでてやった。香はくすぐったそうな顔をしながら、礼似、御子、良平の顔を見回した。みんな暖かい目をしてくれていた。 「土間さんとハルオさんは?」二人がいない事に気付いた香が聞いた。 「二人とも外に出たわ。うまく話が出来ればいいんだけど」御子が心配そうに言う。ハルオにも土間にも急な展開だっただけに、二人の精神状態が心配だった。
そんな話をしているうちに二人は戻ってきた。香の姿を見て、ハルオは足を止める。罪悪感が表情に表れている。 それを見た香はつかつかとハルオの前に歩いて行った。 「あ、あの。そ、その。か、香さ・・・」しどろもどろになったハルオを香は睨みつけた。 「ちょっと!あんたのせいでひどい目にあったじゃないの!」香はストレートにハルオを怒鳴りつけた。 「す、すいません・・・」ハルオは消え入りそうな声で謝る。 「ごめんなさい、香。私達のせいでこんな目にあわせて・・・」土間が慌てて謝るが 「土間さんは関係ありません!私はハルオさんに話してるんです。口を挟まないでください!」 関係ない事は無いのだが、香の勢いに土間は思わず口をつぐんだ。 「こうなったら、あんたには責任とってもらいますからね!」 「責任?!」土間とハルオが同時に声をあげる。それって・・・ 「当面は私の家事当番は、あんたがやる事。何かあったら礼似さんのアシスタント業務もね。当然でしょう?私、けが人なんだから。怪我の保証はしっかりしてもらわないと」 「は・・・あ・・・」ハルオは内心のがっかり加減が顔に出た。すかさず香は続ける。 「それから、私の怪我が良くなったら、私に護身術を教える事。あんたにはこれから稽古に付き合ってもらうわ」 「お、俺にって・・・。俺、ま、まだ半人前ですよ。そ、それに香さんが、は、刃物を持つなんて」 「誰が刃物を持つっていった?私は刃物使いが大っきらいなの!そんなもの持たなくったって、身を守る方法は教えられるでしょう?出来るの?出来ないの?」香は一方的にまくしたてる。 「か、香さんは、お、俺が、ちゃんと守りますから」 「冗談!四六時中私を追っかけまわすつもり?そんなのまるでストーカーじゃない。自分の身くらい自分で守るわよ。あんた私を馬鹿にしてんの?」 「そ、そんなこと、ぜ、絶対にありません!」殆んど反射的にハルオが答える。 「だったら、今から私達の部屋のお風呂を洗って沸かして頂戴ね。あ、部屋に行く途中で買い物もするから、荷物持ちもお願い。病院と警察の後始末は、礼似さん達がうまくやってくれるでしょ。ああ、傷が痛む。帰るからさっさとついて来てよ」そういいながら香はハルオを連れて帰っていく。土間は頭を抱えてしまった。
「土間、大丈夫?」思わず礼似が声をかけた。 「ああ、あれは私の血筋だわ。気の強いはねっかえりの娘に、まるっきり振り回されるのは。私の若い頃にそっくり。これは相当根深い事になりそうだわ・・・」 「香もあの気性だからね。ハルオは相当こき使われそうね」礼似も唖然としている。 「ハルオに稽古を付き合わせるって・・・。こりゃあ、うちの組もしばらく賑やかになりそうだな」良平はやや面白がっている。人に教える事は自分が上達する早道にもなるだろう。これは楽しみだ。 「賑やか程度で済めばいいけどね」二人の様子を見て、御子は香がハルオを怒鳴り散らす姿が想像できてしまった。どうやら土間も同じらしく、御子と土間は目を合わせて軽いため息をつく。 「なあに。若い時はあの位の元気があった方がいいもんだ。ああいう子たちと付き合うと、こっちも若返った気分になれるってもんさ」どうやら倉田が一番ほほえましく思っているようだ。 こっちはあの二人に、しばらく気をもむ事になりそうだと、土間、礼似、御子は倉田ののんきさを羨ましく思ったのだった。
完
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