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作品名:こてつ物語5 作者:yuki

第1回   1
1.苛立ち
「あれ?土間さん、またいらしてたんですか?」
クラブドマンナの店の奥、従業員控室のさらに奥まった所に小さな事務室がある。そこで土間はパソコンの表示を見ながら電卓をたたいていた。その前にはノートや印刷された各種リストが広げられている。
「どうしても気になってね。この季節から年末年始にかけては書き入れ時だもの。ここで気を緩めるわけにはいかないわ」土間は日頃店を任せている実質上のママに資料から目を外すことなく答えた。
華風組の組長となってからは、仲居の仕事もそれまでの半分に、「ドマンナ」の経営は信頼を寄せている、現在ママ同然となっている従業員に任せる時間が長くなっていた。
だが、ここ最近、土間は「ドマンナ」の様子を見に来ることが多くなっている。少し前は組長の仕事がうまく回らずストレスがたまる頃に顔を出していたのだが、最近はそういう訳でもなさそうだ。
土間はほとんど無意識に、銀のシガレットケースから出したタバコをくわえ、ライターの火を付けようとしてその手を止めた。
「事務所は禁煙だったかしら?」
「いえ、うちはまだです。勤務中は従業員は吸わせないようにしていますが」
「そう・・・、ちょっと吸わせてもらうわ。最近は安心して吸えるところがすっかり減っちゃって」土間はホッとしたようにタバコに火をつけた。
「うちでも禁煙席を設けましたからねえ。時代の流れです」
「その禁煙席の利用状況はどう?」
「おおむね好評ですね。うちは女性の固定客も多いですから。今後は席の数も増やして、時間制限の枠も広げようかと思っています」
「吸う人と吸わない人の距離感が難しいわね。空調機器も新しい物に変えた方がいいかしら?」
「そうしていただけると助かります。あの・・・、土間さん、最近タバコの量、増えてませんか?」
あまり意識はしていなかったが、そういえば増えたかもしれない。今日も稽古中にやや息が切れた。
「そうかもしれないわね」
「差し出がましいかもしれませんけど、身体によくありませんよ。組でも吸ってらっしゃるんでしょう?」
身体に悪いか。嗜好品はたいてい身体に悪い。命をさらしておいて日常の体調に気をつけるなんて何だか間の抜けている気もするが、身体が動かないのはもっと困る。酒は飲みやすい環境から離れればコントロールしやすいが、タバコは持ち歩く事が出来る分、つい、手が伸びてしまう。
「ありがとう。気を付けるわ。吸うと落ち着けるものだから、つい」
「なにか、気にかかってることでもあるんですか?このところ店にもよく顔を出してますし」
気にかかるか・・・。いや、気にかけてはいけない事だ。あの子に自分がかかわってもいい事なんて一つもない。
土間は頭に浮かぶハルオの姿を無理やり心から追い出した。
「何でもないわ。店を放ってばかりいると心配になるだけ。気にしないで」
そういうと土間はまた、パソコンの画面に集中した。

そのハルオの事で良平は悩んでいた。ハルオを仕込むのがどうもうまくいかないのである。
ハルオの性格も気質も十分に理解している。刃物嫌いは相変わらずだが、全くの臆病者かと言えばそんな訳ではない。無理に相手に向かっては行かないだけで、冷静に状況を見極める判断力など、優れているくらいだ。
反射神経もいい、すばしっこさもある。逃げや尾行が得意なだけあって、持久力もなかなかだ。
だからこそ是非、仕込んでみたいと常々思ってはいたのだが、いざやってみると、ハルオの能力を引っ張り出せている実感がない。ハルオを本気にさせられないのだ。
ハルオはむやみな怒りや衝動で動くタイプではない。どもりが出るのは極端に相手に気負ってしまうからで、相手の事が見えなくなるほどの感情に駆られた時は、どもる事は無くなっている。日ごろはむしろ冷静な方だろう。
こういう奴を本気にさせるのは・・・意外に難しかったんだな。
ハルオは決して不真面目ではない。苦手な事にも真面目に取り組む事が出来る。
しかし、その生真面目さが邪魔をして、ハルオの動きに制限がかかっているような、そんな印象がぬぐえない。
土間さんは俺を指導者タイプかもしれないと言ったが、才能を見抜く目を持つのと、実際に指導するのとでは天と地ほどの違いがあるようだ。どうすればハルオに本気で向かってこさせることが出来るのだろう?
攻撃は最大の防御。言葉で言うのはたやすいが、これを身体で理解してもらうためには本気でかかってもらうしかない。なまじ逃れるのが極端に上手いだけに、先立ってしかけていく必要性を理解させにくいのだ。
顔見知りの俺が相手では、ハルオは本気になれないのだろうか?やはり土間さんにあのまま指導を続けてもらった方が良かったんじゃないか?ハルオの才能を本当に引き出せない自分に良平はやや、苛立ってしまう。

勿論その苛立ちはハルオにも伝わっていた。しかもそれが自分への自信喪失につながってしまうのが、ハルオらしいところ。ハルオ自身は真剣だ。決して手を抜いたり、いい加減な気持ちでやっているつもりはない。
思い切って向かえといわれれば、本当に正面切って真っ直ぐ向かってくる。これでよけられなければ、馬鹿だ。
持ち味の反射神経は全く生かされる事がない。何せ身体が、相手が避けてくれることを前提に動いている。
ハルオ向けに木刀を短刀のサイズに切って持たせているので、動きは軽快で、良平が向かって行っても物の見事にかわされてしまう。あまり喧嘩の稽古にはなっていないのが現実だ。
本当なら電光石火の良平を、軽々とかわしてしまうこと自体が、たいしたことなのだが・・・
それで完全に身の安全が図れるのなら、それはそれで越したことはないが、何せ喧嘩には遠慮もルールもない。
相手が命懸けで立ち向かった時に、どんな突発事態が起こるか分からない。刃物を手にした以上は、常にそこを頭に入れておく必要がある。命の危機が迫った時の最低限の攻撃態勢は身体にたたき込みたい。
刃物嫌いのハルオにドスを毎日持たせるのも負担が重そうだ。そんな事を考えてしまう良平にも甘いところがある。おかげで稽古は遅々として進む気配が無かった。

「こんにちは」
明るい声がして倉田は振り返った。作業中の手がとまる。
「おや、また来てくれたのかい?」倉田は顔をのぞかせている香に機嫌よく答えてやった。
「今日は私が炊事当番だったの。で、煮物のおすそ分け」香はトートバッグを掲げて見せる。
「いつも悪いな。一人だと出来合いの物ばかりになるから助かるよ」倉田は道具を手放して、身体の誇りをはらいながら、仕事場から座敷へと上がる。香は勝手知ったる様子で台所へ向かった。
「私もつい、作り過ぎるから。二人分ってまだ慣れなくて。私の味付けじゃ、濃いかもしれないけど」そういいながらタッパーに入っている煮物を小鍋に移しかえる。
香と倉田では祖父と孫ほどの年の差があるのだから、味の好みはかなり違うはずだが、倉田は時折香が持ってくる料理に注文をつけたことは無い。
「礼似さんといるんだったな。彼氏の一人も作れば、そういうことはすぐに慣れるだろうに。爺さん相手に食べさせてばかりじゃつまらんだろう?」
「倉田さんぐらいの年の人って、二言目にはそういう話に持って行くのね。そういうのはね、今時はセクハラって言われるんだから」香は口をとがらせた。
「そう年寄りをいじめないでくれよ。こんな心配されるのも若いうちだ。俺なんか、茶飲み友達の婆さんさえ、誰にも紹介されることは無いぞ」
そう倉田が言うと二人は一緒に笑いあった。

あの騒動以来、香は時々倉田の工房を訪れるようになった。奇妙なしがらみがもとで、かかわりあった二人だが、父親を早く失い、母親は服役を繰り返した揚句姿を消してしまった香にとって、祖父のような年周りの倉田はいつの間にか心の落ち着ける存在になっていた。
「ねえ、倉田さんは足を洗う時には、すぐにやめられた?不安になったりしなかった?」香が真面目な口調になって聞いてきた。
「なんだ?足を洗いたいなら、早い方がいいぞ。時間ってものは意外と速く過ぎるもんだ。そういうことは早ければ早いほどいい」倉田も促すような口調になる。
「違うの。私がすぐに足を洗いたいって訳じゃないの。ただ、ハルオさんが私がきっかけで人生変わっちゃいそうだから・・・。刃物が嫌いな人に、結局私が刃物を握らせたんだもの。生まれた時から組で育つと、もう、足は洗えないものかしら?」
「環境に影響は受けるだろうが・・・。最後は本人次第だろう。実際堅気の世界も厳しいもんだ。そこに残り続ける意味と理由がなけりゃ、すぐに挫折しちまう」
ハルオは真柴組の事を、自分の唯一無二の家庭だと思って暮らしている。そこから足を洗うのは難しいのだろう。
「どうして人を殺す道具を持たないと、自分や仲間の身を守れないのかしら」香はため息交じりに言った。
「そこがこの稼業の因果な所だ。相手から身を守るために武器を持つ。その武器から身を守ろうと、相手もさらに武器を手にする。なんでそんな事になるかと言えば、結局は見栄と欲さ。顔を張ったり、シマを取りあったり。全てはそれが原因だ。世の中の戦争だって、きっかけはそう変わりゃしない。国や地域の見栄や、市民の欲から起こっている。堅気の世界だって欲望に変わりはない。いわば人間の本能さ」
「でも、堅気なら普通の人は武器なんていらないわよ」
「道具ばかりが武器じゃない。金や権力だって立派な武器だ。情報や、人心の操作だって武器になる。世間体って奴だ。堅気はそういうものをうまくすりぬけなければ生きていけない。そのために自分の居場所を作って知恵を絞るのさ。それがうまくいかない奴らが、こんな世界に流れて来るんだ。この世界は世の中の縮図かもしれない」
「どっちが本当に正しいのかしら・・・?」
「俺は綺麗事は言えない。若いあんたには辛いだろうが、見る角度が違うだけで、どっちも正しいとは言い切れない。ただ、手足や命は失ってしまえば取り返しがつかない。だから俺は、若いあんた達には足を洗う事を勧めるのさ。押しつけることはできないがね」
そう言って倉田は、香が入れてくれたお茶を、ずずっと飲み干した。


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