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作品名:こてつ物語4 作者:yuki

第9回   9
9.威厳
N病院の駐車場に向かう途中で、土間はハルオにドスを渡した。
「これは私が初めて喧嘩に出た時に使ったドスなの。これをあんたに渡すから、しっかり身を守りなさい。まずは自分を守れなくちゃ、誰も守れないんだからね」
ハルオは恐る恐る受け取った。
「私があんたに言いたい事は一つだけ。これで決して人を斬らないで。この教えは私の師匠だった人が、私を信じて繰り返し教え続けてくれた事なの。私もあんたを信じてる。あんたは人を斬ったりは出来ない。だからこそ、あんたにこのドスを使ってほしいの」
「お、俺にも、斬れるとは、お、思いません」
ハルオの言葉に土間は返事の代わりにほほ笑んで見せる。横で香は不満げに「ふん」と、鼻を鳴らした。

着いて見ると乱闘はこう着状態に陥っていた。しかし助っ人の集団が到着したと見ると、一時ひるんだ反会長派が息を吹き返すように挑んでくる。勝負は殆んど決っている。反会長派に未来はない。しかし、だからこそ追い込まれた外れ者達はあきらめずに向かってくる。万策尽きた時におとなしく引っ込む事が出来る連中なら、こんなことにはなってはいなかったのだろう。勢いはますます増してくる。それはいっそ輝くようだ。
未来が無い事を田中達は分かっている。これを最後の花道にするつもりで全力で戦いに挑んでいる。迎え撃つ会長も、ここで手を緩めようものなら、味方もすぐに裏切りだす事を知っている。実質の勝負はついているにもかかわらず、乱闘は一層激しさを増していた。

ハルオは生まれて初めて自らの手でドスと呼ばれる短刀の鞘を引き抜いた。まだ、全身に震えが走る。
今までだって喧嘩にも、乱闘にも参加してきた。相手をかく乱させ、引っ掻き回し、最後には逃げのびて来た。
だが今日は初めて自分で挑んで行く喧嘩だ。人を傷つけずに自らの身を守る事が出来るだろうか?
さっき土間に教わったばかりの構えを取る。完全に付け焼刃だ。ただし、間合いや感覚は今までの経験で身体が知っている。相手を傷つけたくない。たとえどんな相手であろうとも。
すると目の前に香が出て来た。あまりに露骨なかばわれ方に、ハルオは一瞬がっかりしかけたが
「ハルオさん。さっき土間さんと約束したわね。人を斬らないって」香が聞いてくる。
「私もハルオさんに人は斬って欲しくない。本当は人を斬る人間なんてこの世にいてほしくない。だからぎりぎりまで手を出さないで。簡単に人に刃物を向けないで」
香から、さっきまでの不満げな空気が消えていた。香は自分が刃物で立ち向かえるようになるまでを見届けてくれていた。・・・今、一番信頼していいのは香かもしれない。
「わ、分かりました。でも、お、俺、香さんを、ま、守りますよ。い、嫌だって言っても」
「分かってるわよ」香が背を向けたまま、くすりと笑った気がした。
混乱の中へと足を踏み入れていく。前には香、後ろには土間。女二人に守られているが、不思議と屈辱感はない。
それはハルオが得た自信が、ハルオを冷静にさせているせいだ。二人には俺を守る技量がある。そして俺も二人を守る事が出来そうだ。ただ、その時に誰にも傷を負わせるような真似はしたくない。二人もそれを望んでいない。
だから二人とも俺を守ろうとしてくれているんだ。この期待に応えたい。

田中は不利な形勢を逆転させるわずかな希望を探していた。本当にただでは済まないのは西岡ではなく自分だ。
西岡は、受け持っていた企業を奪われて、力も権限も失うかもしれないが、もともとがコバンザメタイプだ。
騒ぎが終息すれば多少のそしりを受けようとも、いつの間にか鼻を聞かせて次にのし上がる事を夢見る者に、見出される事だろう。それは利用され続ける事でもあるのだが、常に一定のポジションが確保できると言う事でもある。自らの居場所を与えられ続けるのだから、ある意味得な性分だ。
だが自分はそうはいかない。どんなに欲深いと言われようとも、三日天下と言われようとも、高い場所からの景色を一度は拝みたい。きっとそういう風に生まれついているのだろう。社会から外れて生きて来てしまった以上、誰もが見る事の出来ない景色を見るためにはここで挑戦するしかないのだ。
人は誰でも欲を持っているのだから、欲望を極める事を夢見る人生を最上として何が悪い。
田中の追いつめられた心情は、より、自らを肯定することへと傾いていく。このままでは終われない。
降りた車の近くに会長と真柴組長がいる。取り囲むように数人の幹部の姿。上着の懐にしまった銃を意識する。自分には遠距離から狙いを定めるほどの腕はない。当然防弾着も着用しているだろう。狙うなら手足、あるいは頭で仕留めるか。そのためには近づく必要がある。
幹部達の結束感は、このところ自分の裏工作で緩んできたはずだ。本気でかかれば俺にはまだチャンスがあるんじゃないか?
田中はゆっくりと会長たちの方へと歩を進めていく。

香は木刀を握りしめ、相手の出方を待った。後ろにはハルオがドスを持ってかまえている。背中に視線を感じる。香と、その周辺の敵を、あの尾行で見せた広い視野を捕らえる能力で見据えているに違いない。
現れた新手に血気にはやった敵が襲いかかってくるが、香は容赦なく木刀で撃ちつけていく。いつもなら無駄な力を使うことなく強く打つ事が出来る手首の柔軟性や、木刀を振り下ろすタイミングなどが両親の血を思い出させて、苦々しく思いながら喧嘩をしなければならないのだが、今はハルオを気にかけているのでジレンマに陥る余裕が無かった。ひたすら目の前の相手をハルオに近づけたくない一心だ。
それでも、香がよけた相手がそのままハルオに向かって行ったりしている。ハルオはそれをすばしっこく器用によけ続けている。ドスを向ける様子はまだない。香はホッとしたり、その律義さにいらいらしたりする。
こんな律儀者に敵の相手なんかさせたくない。人を斬らないために自分が斬られそうじゃないの。
香はハルオに向かおうとする相手に、つい、深追いをしてしまう。相手のナイフに木刀を跳ねあげられてしまった。
ハルオが初めて香の前に出る。相手のナイフをドスでしっかりと受け止める。それを見た香が低い位置から相手を足でけり上げた。
「む、無理しないで、く、ください」ハルオはこんな時でもつっかえて言う。
「そっちこそ。私をかばう暇があったら斬りつけるフリだけでもしたらどう?」
「い、嫌だって言っても、ま、守るって、言いましたから」
どうやらこの「守る」には二つの意味があるらしい。「香の身を守る」意味と「人を斬らない約束を守る」と言う意味。
「あんたってどうしようもないわね」
香はハルオを「あんた」呼ばわりするのがすっかり板についてしまったようだ。

田中が近づくと、当然こてつ組の幹部達は、会長の前に立ちはだかった。田中は銃を取り出して言う。
「どけ、無駄な弾は使いたくない。俺は今、人生を賭けてるんだ」
人垣は動く気配が無い。田中はさらに言う。
「お前達、本当にこのまま会長の下にいるだけでいいのか?時代は変わっていくと言うのに、一人の男の懐の中に収まっているような人生でかまわないと言うのか?もっと大きな流れを作ってみようとは思わないのか?」
幹部達の目を見る。
「この辺で大きな波を立ててみようじゃないか」不敵に笑って見せる。
しかし人垣は微動だにしない。視線をそらす事はあっても、身体は避ける気配が無い。何故だ?
田中は怪訝な顔で幹部達を見つめる。すると、真柴組長が幹部達の後ろに立った。
「田中、会長を見てみろ」
そう言われて田中はこてつ会長に視線を移した。会長はこっちを真っ直ぐ睨んでいる。突然感じる威圧感。
田中は会長に見据えられる。全身が硬直する。圧倒される。

「大きな波?お前の人生程度ではせいぜい波打ち際の水しぶき程度のものだ。確かに時代は変わっていく。それが歴史になる。こてつ組は戦前、戦後のこの街の裏の歴史を担い続けて来た。必要悪としての歴史だ。お前如きの人生では及びもしない大河の歴史だ。こてつ組の長になるには、この街の負の歴史を背負い、担う器が必要だ。お前にそれが背負えると人が判断すると思うのか?」真柴組長はとうとうと語る。
「こてつ組の長は、現会長だけが務める事が出来る長だ。お前なんぞとは威厳が違う」冷やかに言う。
「裏の社会は、表の社会からこぼれ落ちた者たちで作られた社会だ。それゆえに闇も深く、濃い。その濃厚な社会をうわべの力や、金なんぞで支配できると思っているような、底の浅い奴には誰も任せようなどとは考えんよ。少なくともお前の器ではまるで足りない。腰ぎんちゃくから卒業できたぐらいで、調子に乗り過ぎたな」
会長の視線に射すくめられた田中から、真柴組長はそっと銃を取り上げた。
「この先の人生はお前が決めろ。ただし二度とこの地は踏ませない。あきらめるなら何処ででものたれ死ねばいい。気がいを見せるならどこかの街で泥の真下から這い上がってみろ」田中を睨みつけたまま、会長はそう言った。
「これがお前に贈る事が出来るはなむけの言葉だ」そう、締めくくる。
「去れ」
会長にそう言われて、田中はふらふらといずこかに歩いて行く。終焉を迎えつつある乱闘に、誰もかれもが疲れ果て、田中が立ち去る姿を気に留める者はいなかった。
誰かが通報したのか、遠くにパトカーのサイレンが聞こえる。当然だ。目の前は病院なのだから。
会長たちは車で去っていく。他の者たちも急いで立ち去って行く。あきらめた者、そして西岡のように、ここで捕まり、みそぎを行う以外にこの世界に残る方法が無い者達だけが、その場にたたずんでいた。

無事に約束を果たして意気揚々としたハルオと、やや仏頂面の香を連れて、土間、礼似、御子と良平も一旦真柴組へと向かって行った。詳しい経緯を聞こうと、一樹も連れていく。
「で、この人はどういう知りあいな訳?」御子の質問に礼似は心を無にする方法はないものかと嘆いた。


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