7.会長、動く 「間が抜けてるわね。今のが田中かしら?」御子があきれ返った。 「まさか。その下の者だろう。ここ数日、ずっと華風組に通っていたから、華風組長と出かけた男がいて勘違いしたんだろうな」良平がのんびりと言った。出かけたのは勿論ハルオだ。 「どうする?N病院に来いって言ってたけど、行ってみる?」と、御子は聞いたが 「からかってやりたいところだが、どうせ田中は出てこないだろう。それよりも、今はハルオの方が心配だ」 「ハルオに刃物が持てるのかしら?」 「持つさ。土間さんの息子なら、持たずにいられないはずだ。それにハルオはここが好きだからな。誰かを守る手段を選ばずにはいられないのさ」 「本当は良平が仕込みたかったんでしょう?」 「それはそうだが・・・。俺が仕込めるのは技術だけだ。今回は、あの親子にしか分からない部分があるんだろう。そこを指導できるのは土間さんしかいない」 「でも、ハルオはやっぱり幸せ者よ。一番の理解者に指導してもらえるんだから」 「そうかもしれないな」 かなりややこしい事になってはいるが、本来は実の親子だ。感覚的に分かりあえる部分も多いだろう。 「なあに。精神的な事さえクリアすれば、後は俺が思いっきりしごいてやるさ。あの反射神経は面白いぞ」 「おお、怖い。厳しそうな師匠ばかりでハルオも災難ねえ」御子はそう言って笑っていたが、何か思い出したような顔をすると良平に向き直り 「ねえ、華風組を訪ねる前に、やっぱりちょっとからかいに行ってみようか?」と、聞いた。
香は華風組へと急いでいた。西岡につけた盗聴器を無事に回収すると、取り急ぎ足を向けていた。 西岡は大谷と違って、用心深さに欠けるところがあったので、マイクを付けるにも回収するにも比較的楽ではあったが、昨日今日の事なので、香も慎重に事にあたった。 この慎重さが昨日あれば、こんなことにはならなかったのに。私、誰かと組むのには合わないのかもしれない。 「誰かを巻き込んだ時の覚悟を決めて、生き抜いていくのがこの世界なの」 前に礼似さんに言われたっけ。人の命は勿論、へたをすれば人生を巻き込んで歪めてしまう世界に私はいるんだ。自分の度胸試しのための世界じゃないんだわ。分かっているつもりでどこか分かってなかった。 反省はしているが、じっと考え込んでいるのは性に合わない。自分に何が出来る訳でもないが、とにかく華風組に行ってハルオの様子を確かめずにはいられなかったのだ。 案内されて真っ直ぐに稽古場へ行ってみると、いきなり刀を持ったハルオの姿が目に飛び込んできて、香は驚かされる。硬直して動けなくなっているのが一目で分かる。 「見学だったらおとなしくしていて頂戴。下手に声をかけると、ハルオは大怪我するわ」土間が横目で香の姿を確認しながら、低い、けれどもきっぱりとした口調で言い放った。 結局ハルオは刃物を仕込まれる事になったのか。刀使いにいい印象を持たない香としては、落胆してしまう。 こんなもの持たなくったって、こっちの世界で生き抜く方法はありそうな物なのに。 しかし、目の前の二人の緊張感にのまれてしまい、香は声一つ、立てる事が出来ずにいた。
「はくしょん!」礼似は派手なくしゃみをしながら、自分の部屋へと向かっていた。 どうにか由美とこてつを自宅へ送り届けると、シャワーを浴びろと言う由美やタエの勧めを断って、礼似は自宅に着替えをする為に戻っているところだった。二人が大騒ぎをしながらこてつを洗っているのに、自分まで世話になるのは気が引けたのだ。どうせ着替えも取りに行かなければないのだし。 風邪をひいては堪らない。部屋はもうすぐそこだ。うつ向き気味に急ぎ足で歩いていると、角を曲がったところで危うく誰かとぶつかりそうになって慌てて身をよける。 「すいません、急いでいたもので」よそいきの声を上げつつ顔を上げようとすると 「礼似、どうしたの?そんなに泥まみれで」 聞きなれた声に驚いて相手の顔を見ると、御子と良平が立っていた。 「こんなところで何してるの?」礼似の方が聞き返してしまう。 「ちょっと式の前にケチをつけた連中をからかってやろうと思ってね。あんたこそ何?いい年して泥遊び?」 「ちょっとしたアクシデントがあってね。それより、良平を襲った連中、どこにいるか知ってるの?」 「それがひどく間の抜けた連中でね・・・」御子はニセ電話の一件を話した。 「その声が多少作ってはあったけれども、あの時の中心人物らしい男の声によく似ていたのよ」御子が説明した。 「あいつホントに電話したんだ。あきれた。行けばきっと西岡もいるわよ」今度は礼似が説明する番だった。 「ふーん。西岡を絞ってやるには絶好の機会かもね。良平をこっそり連れていくつもりだったんだけど、礼似、あんたも参加したい?」 「勿論よ!待ってて、五分で着替えて来るから!」そう言って礼似は矢の様に駆け出すと、すぐに息を切らせて戻ってきた。さすがに五分は無理で、七分ほどかかったが。
一樹は街の繁華街の噂話をかき集めていた。田中の金の使い方はなかなかのものがあった。 自らの見栄には一切使わないが、人脈を得るためなら糸目はつけない。いや、それは金だけではなかった。 自分よりの意見を持たせるためなら、まさしく身を惜しむ事はないらしい。交渉に、人間関係の修復に、女の世話に、かなりの汚れ仕事まで、綿密に人の世話を焼く。それは世話焼きというよりも、こまめなマメ男ぶりを発揮していると言った風情で、フットワークのよい西岡と、うまく連携がとれているらしい。 反面、明らかに自分へ組しない人間や、立場の弱そうな堅気などには、ちらちらと傲慢さをにじませる。腹の据わりが足りない。しかもそこを金で解決しようとするから、強い反感も買う。おかげで情報も集まったが、味方を作っても同じ数の敵を作っているような男だ。これでは常に気をもんで、おちおちしていられなさそうだ。 その分、金や数の力、権力ばかりが欲しくなる。これでは会長に取って代わっても、本当に腹の据わった奴にすぐにでも乗っ取られかねない。だからこそ、様々な動きが出てきて、複雑化するんだが。 身に余る黒幕を演じ切るのにおたおたしている姿が透けて見える。田中自体は大した脅威にはなりえない。問題はこの間隙を突いて、組の解体を狙うような連中の方だろう。 そう言う連中に直接手を出すことはできない。だからこそ、ここは田中達をしっかり叩いておかないといけない。 会長が舐められるような事があれば、そっちの方が厄介な事になる。 「こりゃ、会長に田中をさっさと潰してもらうのが一番だな」そう言いながら一樹はどこかへ電話をかける。
携帯の振動を感じて、こてつ会長は電話に出る。ただし、その声は低い。 「あ、あなた?来ましたよ、一ノ木さんからのお電話」電話の相手は由美だ。 「ああ、何と言っていた?」 「西の方は他の方が伺うからまだかまわないけれど、田園の方は急いで届けてほしいそうよ。早い方がいいって」 「・・・そうか。分かった。悪かったな、お前の携帯まで借りて」自分の携帯は細工や盗聴されていると思っている。 「ほんと不便だわ。あなたの携帯、故障が早く治ってもらわないと」そう言いう由美の声はどこかのんびりしていた。 「そうだな。今の仕事もめどがつきそうだ。今度、久しぶりに外食でもするか?」 そう言う意外なほど明るい夫の声に由美の心は弾んだ。 「ほんと?絶対よ。行きたいと思っていたお店があるんだから」 はしゃいだ由美の声に、会長も笑顔を見せていた。 しかし通話を切るとその表情は一転する。内線で田中を部屋に呼びつける。 「西岡が真柴組にちょっかいを出している。今も組長の養女を呼び出したらしい。お前、西岡に伝えに行け。ただでは済まんとな」会長が表情を動かさずに言った。 「西岡・・・ですか?何故私に?」田中は真底意外そうな顔をした。 「理由はない。大谷では今の西岡は言う事を聞かない。お前が行け」問答無用の口調で言う。 「分かりました」田中は頭を下げると、速やかに部屋を出ていった。 会長は田中が組を出るのを窓から確認すると、内線で緊急に幹部達を集めるように指示を出した。ただし、田中を除いてだが。
田中は組を出てしばらくしてから、西岡に電話をかけた。西岡との連絡は可能な限り避けていたが、この際仕方がない。わざわざ俺を指名したと言う事は、すでに会長にはばれているのだろう。 こうなったら真柴の養女を人質にしてでも、強引に事を運ぶ以外に手立てはない。何なら殺してもかまわないだろう。要は会長が動揺すればいいのだ。会長に不満を持つ者は多いのだから、その隙をつきたい奴はいくらでもいる。事が急にはなったが大谷も後釜を狙っているようだし、俺だって負けやしない。きっと勝機はあるはずだ。 「西岡か?真柴の養女は呼び出したか?何かあったと分かれば当然、真柴や、会長、華風も動くだろう。呼べる限りの応援を送るから、必ず真柴の養女を手中にするんだ。俺もすぐそっちに着く。分かったな?」 返事も待たずに通話を切る。これから掛けなければならない先がたくさんあるのだ。田中は次々と電話をする。 だが、何かおかしい。息のかかった街のゴロツキや、舎弟達には連絡がつくが、こてつ組の幹部達とは、直接の連絡が取れない。皆、留守電や、伝言ばかりだ。いやな予感がして、組に電話をかけると。 「大変です!今、緊急の幹部会議が開かれてます。どうやら田中さんは幹部から外されたようです」と、組に残した留守番役の男が叫んでいた。
しまった!会長に先を越されたか。いや、まだ会長を動揺させれば、寝返る奴がいるかもしれない。
田中はどっちにしろ、自分のケツに火が着いてしまった事を痛感させられていた。
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