5.表と裏 「まさか、一樹がこてつ会長にこっちの世界に呼び戻されるとはね」礼似は驚き、あきれながら席についた。 「そう、言わないでくれよ。俺だってばつが悪いんだ」一樹もそう言って視線を外す。 それはそうだろう。昔、礼似が命懸けで一樹の足を洗わせたのだから。本当なら、顔を合わせたくないはずだ。 「身内が会長のお世話になったって・・・。妹さんの事?」一樹には失明した妹がいる筈だ。 「俺は他に身内はいない。妹が通っていた障害者施設が、こてつ組の会長に昔から世話になっている所なんだ。国や役所のトロい対応を待っていたら、ああいう施設はすぐに立ちいかなくなる。表向きは地元企業が協力している事になっているが、実際はその企業の名前で会長が支援しているのさ」 「通っていた・・・って、妹さん、今は?」 「結婚して、点字の翻訳やってるよ。俺がいなかった頃に妹の面倒を見ていた担当者が、妹の失明するような病状に気付けなかった事を気にしていたんだ。で、失明後も何かと妹の世話を焼いていて、訓練施設も紹介してくれた。今の仕事に就く時も色々助けてくれた。それで結局そいつと一緒になったんだ」 「その訓練施設が、会長のお世話になっていたのね?」それでは断りにくかっただろう。 途中失明は精神的にも、日常生活的にも、かなりきついと聞く。施設での訓練が、妹の今の幸せの基盤となった事は間違いないだろう。事実上、一樹の身も空いた事だし会長に協力するのも自然の流れか。 「ま…事情説明はこれでいいだろう?仕事の話に入りたいんだが」一樹が会話の内容を切り替えた。
礼似はこれまでの経緯をかいつまんで説明した。麗愛会が吸収されてから組内部に、不満の噂が頻繁に流れていた事。真柴組の後継者が襲われた事。反会長派と呼ばれるグループが形成されつつある事。大谷という男が殺し屋を集めている事。西岡という男が反会長派グループに深く関わっていそうだという事。 「やっぱり大谷が反会長派の黒幕かなって思うんだけど」最後に礼似は自分の感想を添えた。 「ありえなくはないな。あせらずじっくりと、状況判断をしながら欲に任せないやり口はいかにも古株らしい。噂の利用のしかたも巧みだ。だが、真柴の後継者を狙ったところが腑に落ちない。組長ではなく、後継者を狙うあたりは腰を据えていて大谷のやり口に似ているが、プロを使わずにのこのこと命を取りに行くのは雑すぎる。大谷はプロの殺し屋を集めているんだろう?」 言われてみればその通り。大谷らしくもない効率の悪さだ。 「西岡が、そこは暴走したとか・・・」西岡ならやりかねない。根が単純で、功をあせりそうだ。 「それはない。西岡は所詮、旗振り役だ。西岡自身も麗愛会出身組が追い出せればいいくらいの気でいるんだろう。わざわざ真柴の後継者を狙うような、まどろっこしいやり方を単純な男がする訳がない。それより、最近幹部達の地位が軽く見られているらしいな」 「幹部の数が増えたり、麗愛会出身組からも幹部入りしたりしたからね。ありがたみが薄れて見えるみたい」 「その中でも特に目立たない人物がいないか?あまり特徴がない人物というか・・・」 特徴がない。そう言う人物はなかなか頭に浮かんでこない。礼似は記憶を手繰り寄せようとする。
「田中って奴はどうだ?」少し間をおいて一樹が聞いてきた。だったら最初からそう聞いてくれればいいのに。 「礼似がすぐに思い浮かぶか試したんだ。田中はとっさに聞かれて本当に思い浮かばない地味な奴なんだな。田中はマークした方がいい。地味でも幹部になれるような奴は怖いぞ」 確かに大して目立った功績が無くとも、それなりの地位にいるのはいかにも根回しが旨そうな気がする。 「田中の人間関係はおそらく広く、浅くだろう。確認してくれ。俺は組の外での金の使い方を探ってみる」 「分かったわ。でも、田中が黒幕なんて・・・」 「組の中では地味でも、外に出た時に威圧的なら、田中が黒幕の可能性は高いと思う。安定した地位がじっくりしたやり方を取らせてはいるが、内心、組のほころびが早く出てほしいと願っているんだろう。真柴組の後継者を襲った中に組の人間はいなかったって言ったな?」 「ええ、資料や写真まで使って確認したわ」 「真柴の後継者をおそらく金で街のチンピラあたりに襲わせたのは、その程度の奴しか用意できない名前の通ってない奴だからだ。もともとは会長を脅かせれば儲けもの。ダメなら今の地位を維持するつもりが、西岡の旗振り具合が意外に功を奏して欲が出たってところだと思う。大谷にかぎつけられて、あせりもあるんだろう」
お見事。確かに筋が通っている。この世界を長年離れていたとは思えないほどだ。 「でも、よく田中をかぎつけたわね。本当は足、洗ってなかったんじゃないの?」礼似は皮肉った。 「白状すると、田中は施設にも顔を出していたんだ。トラブルの解決に会長の命令で。だが評判は最悪だった。なんでも金で解決しようとしたからな。弱者を相手にすると人間本性が出るもんさ。俺もその手の情報には耳をとがらせずにいられないしな」 「何のために足を洗ったんだか」礼似はあきれ顔になってしまう。 「足を洗ったからこそさ。外れ者と弱者の兄妹に世間なんて冷たいもんだぜ。目が見えなくて事故でも起こされちゃ困ると部屋の一つも借りられなかったり、三年務めてようやく慣れた仕事を、元請けの社員に顔が気に入らないなんてバカな理由で半強制的に辞表を書かされたり。情報集めと人間関係の掌握が出来なけりゃ、とてもじゃないが生きていけない。裏の家業よりよっぽど性質が悪いのが現実さ」 「そんな・・・」 「裏なら自分のプライドと、命さえ張ればどうにか生きていける。表じゃ下手をすれば兄妹そろって飢え死にだ。社会に認められるためなら何でもやらなきゃならない。プライドどころじゃない、どんな我慢も必要だ。現に弱者を守る施設でさえも会長の力に頼っているんだ」 「・・・・・・」 「今は、表の世の中の方がよっぽど狂ってるんだぜ」 これは反論できない。良かれと思って足を洗わせたが、高みに登る事に執念を燃やすタイプの男に、こんな人生を歩ませていたのかと思うと、さすがに胸が痛む。 「まあ、そんな顔しないでくれ。お前のあの時の判断のおかげで、妹も幸せな家庭を持てたんだ。本当に感謝してるよ。こっちの世界に戻ってきたのも、何かの縁があるんだろう。じゃ、田中の人間関係、しっかり確認してくれ」 そう言いながら一樹は席を立った。礼似はその場でしばらく呆然としていた。
真柴組に戻ったハルオは、自室に閉じこもってしまっていた。御子が呼んでも返事すらしない。 気の弱いハルオが、何かをしくじって落ち込むのは今に始まった事ではない。しかし今回はちょっと様子が違う。 いつもならしくじった内容を御子や良平に聞かせて、励ましの一つもされればけっこう立ち直っていくのだが、今日は香に抱えられるように帰って来てから、一言の口もきかずに部屋に閉じこもったのだ。 だいたいの事情は香から聞いたが、ハルオが大の苦手のナイフを握ったのは驚いたが、他に特別落ち込むほどの事があったとは正直思えない。御子は困り、香も罪悪感を感じているようだ。 「ハルオがおかしい?」帰って来た良平と、送ってきた土間がその話を聞いて顔を見合わせた。 「ひょっとして、ハルオが刃物を持って相手に挑んだのは今日が初めてだったの?」土間が御子に確認する。 「多分そうね。トコトン刃物が苦手だったから」 これは土間にも覚えがある感覚だ。初めて刃物で喧嘩に挑んだ時は、我に返ると腰が抜けたようになっていた。 そのくせ異常なまでの興奮にも襲われて、やたらと不安に襲われたのだ。 「やはり身を守る技術は必要ですね。才能がある以上やはり仕込んでみましょう」良平にはチャンスだ。 「ハルオは刃物嫌いだから、この手の心配はいらないと思っていたのに。ふた親が裏の世界の人間じゃ、結局こうなってしまうのね・・・」逆に土間は真底残念そうに言った。ところがこの会話に意外な方向から反応があった。
「ハルオさんは両親とも裏稼業だったんですか?」香が聞いてきた。 「ハルオは両親がこっちの人間で、事情があって赤ん坊の時からうちで育ったの。気が弱いから気の毒な所もあるけど、一生こっちの世界で生きる事になるんでしょうね」御子が説明する。 「・・・両親が裏の人間なら、人を切らなきゃならないんですか?」香は不満げな様子を見せた。 「あくまでも身を守るすべを教えるだけさ。身を守る道具としてハルオには刃物が向いているんだ」良平が答える。 「私がナイフなんか持たせたせいなのね」香はそう言うと、ハルオの部屋の前に行き、ドアを激しく叩いた。 「ハルオさん!あんたは刃物なんか持たなくていいわ。私の両親も裏稼業よ。父は刀使いだったけど、ろくな人間じゃなかった。だけど表で刃物なんか振り回さなくっても生きていけるじゃない。私達だって武器なんか無くても生きていけるわよ。わざわざ怖い思いする必要ないわ!」扉に向かって話しかけた。 するとドアが細く開いて、ハルオが顔をのぞかせた。 「ち・・・違うんだ。刃物が怖かったんじゃないんだ・・・」香に向かってぼそぼそと言う。 「ナ・・・ナイフを持った瞬間、む・・・無性に関口に、き・・・斬りかかりたくなったんだ。こ…興奮したんだ。だ…誰かを傷つけるかもしれない。お・・・俺、自分が怖いんだよ・・・」半べそ顔でそう言うと、ハルオはまた、ドアを閉める。 意外なセリフに香はあっけにとられてしまい、ドアに向かって立ちつくしてしまった。
香は正直、腰の抜けたハルオを見た時は軽侮の念が強かったが、今は自分の軽率な行動を悔んでいた。 父の姿から、刀使いの歯止めが効かなくなると、どんな人間性になってしまうか知っていた。ハルオは自分を守ろうとしたがために、父のようになってしまうかもしれない。人生が狂ってしまうかもしれない。 なんで実力もない癖に、素直にハルオの言う事を聞かなかったんだろう?いっぺんに後悔の念が襲って来た。 「どうしよう・・・」思わず声を出してつぶやいていた。 ふっと、人の気配がする。気がつくと横に土間が立っていた。 「香、あなたが気にすることないわ。これはハルオがいつかは乗り越えなくてはいけない事だったの」 あえて言うなら、こんな血を受け継がせた自分のせいだ。土間は心の中でそう思っていた。
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