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作品名:こてつ物語4 作者:yuki

第2回   2
2.ハルオ
「気をつけて行ってらっしゃい」
由美はいつものように夫をこてつとともに見送った。いつも通りの朝の風景だ。
だが、由美は浮かない顔をする。どうも最近、夫の様子がよくない気がする。別に体調が悪そうだとか、憔悴して見えるとか、そんな訳ではないのだけれど・・・。
昨夜も夫があまり好みでないのは分かっていても、せっかくの旬だからと作った料理を、味も解らずに食べているようだったり、飲みごろの暖かさに入れたお茶に気付かぬまま手を付けずに冷ましてしまったり。
小さな事だけれども、引っかかる事が続いている。
何か気になって上の空でいるというよりも、激しい緊張感から解放されて、放心しているような感じを受けるのだ。
「よほど仕事が大変なのかしら?仕事の愚痴は一切言わない人だから、かえって心配だわ」こてつに話しかける。
こんな時ほどもどかしい事はない。何せ夫は自分が夫の仕事の事に触れるのを、極端に嫌うのだ。
自分が知って何か役に立てる訳でもないのだろうが、ねぎらう言葉に実感を込めてあげたい。それとなくでも分かっていてあげたい。そうは思うが、肝心の夫が何も話してはくれない。
「真柴さんなら、何か聞いていないかしら?」
由美はひとり言をつぶやくと、真柴を訪ねてみようかという気になった。

香はハルオにいきなり靴屋に連れてこられた。これから尾行だというのに、なんで買い物なんか?そんな顔の香にはお構いなしに、ハルオは香の靴を選ぶ。
「は、履き心地を、た、確かめてください」
ハルオに言われて靴に足を通す。ピッタリだ。
「なんで靴を買うんです?スニーカーぐらいなら自分で持ってますよ」香は怪訝な顔をした。
「く、靴底の柔らかい物を、は、履いてほしいんです。あ、足音もしないし、いざという時にもすぐに駆け出せます」
確かにこの靴は、底が柔らかくてフィット感がいい。店のリノリウム張りの床でさえ、独特の「キュッ」という音さえ立てない。これなら気配なく、素早く行動しやすいだろう。
「それからこれ、羽織って下さい」そう言って、ハルオは薄手のパーカーを渡してきた。
「そんなに寒くはないわよ」そう言う香に
「い、印象が変わるんです。上着を脱いだり、着たりすると。そ、その服はリバーシブルになってます。顔をあまり見せたくなければ、フードが役に立ちます。お、同じ人間につけられている事を気付かれにくくて、べ、便利なんです。そ、それから、ケータイにクレジット機能、ついてますか?」
「ついてない、です。でも、なんで?」
「だ、だったら、小銭を用意しましょう。急に電車やバスに乗ったり、自販機で物を買うふりをしたり、み、店でレジの時間がかかり過ぎないようにできます。ど、どこをどう歩くか、わ、分かりませんから」
なるほどね。これはプロだわ。香はハルオを少し、見直した。
用意周到な事前の準備。そのくせ、考え方は臨機応変に対応する事を念頭に置いているらしい。
それに買い物中のわずかな説明で、その必要性を伝えられるのも、ハルオの優秀さの証明だ。どもってはいるが、分かりやすい。こいつ、意外と甘く見れないかも。

いざ尾行を始めると、ハルオは意外なほど大谷に近付かない。大谷が車で移動するときは、香のバイクにおっかなびっくりの様子で後ろに乗って固まっていたが、歩いて後をつける時には、結構な距離を置いている。
香なら不安になる距離だが
「し、視野を広く取れた方がいいんです。つ、次の動きが読めます。見通しがいい所で、無理に近づく必要、な、ないですから」
言われてみると、見通しの良し悪しで距離感が結構違う。それに黙ってそそくさと歩いて、近づくかと思えば、離れる時は香に話しかけて、歩をゆるめる。動きが自然で無駄がない。誰かとの会話に聞き耳を立てたい時は、わざとケータイを鳴らし、電話に出ているふりをして
「ちょ、ちょっと、別行動します。自然に向こうへ歩いていて下さい」
小声でそう言うと、いかにも電話で呼び出されたとばかりに香に軽く手を振って離れ、気がつくと大谷の近くに身を潜めている。そして、いつの間にか香の元に戻っていて驚かされる。しかも気配を感じさせないのだ。
しっかり私も小道具にされてるじゃない。大したもんだわ。
その日の尾行を終える頃には、香はハルオの印象を訂正せざる負えなくなっていた。

「だいぶ慣れてきたみたいね」土間は良平の義足を見ながら言った。
「後は踏み出す瞬間のバランスだけですね」良平も義足に色々な方向に重心をかけながら答えた。
華風組の稽古場で、良平は土間を相手に木刀を振るいながら、新しい義足を使いこなす訓練をしていた。
今度の義足は普通に歩行するときには、程よい具合に簡単なロックがかかる仕組みになっている。以前よりずっと安定感が増しているので、普段の動きで無駄な消耗をせずに済むようになった。
反面、ロックを外すと、人間の関節では到底あり得ない可動性が可能になる。あらゆる方向に自由自在に関節部分が動かせるのだ。
勿論それを使いこなすには、かなりのバランス感覚と、柔軟なしなやかさが身体に求められるのだが、このところの訓練のおかげで、良平も、かなり使いこなせるようになっていた。
「たしかにロックを外した直後の不安定感が残っているみたいね。当然だけど」土間も良平の感想に同意する。
「普段の安定がいいだけに、感覚の落差を感じるんだ。これは慣れるしかないです。せっかくのいい機能ですし」
素人には用のない、こんな義足を作れるのは倉田しかいないだけに、良平が倉田の作る義足へ寄せる信頼は厚いものがあった。
「このまま訓練を積めば使いこなせそうです。ここの稽古場を使わせてもらえるのは本当に助かります」
真柴組だと小さな庭先で訓練するしかなくなってしまう。それでは効率が悪いだろうと、土間が気を利かせたのだ。
「いいのよ。私もいい稽古になるわ。それより今度、うちの若い者に良平のドスさばきを見せてやってくれる?きっといい勉強になるから」
「そのくらい、お安い御用です。義足が使いこなせるようなら、さっそくにでもお見せしますよ」良平も請け負った。
「本当はハルオにも、憶えてほしいんですがね」良平は土間の顔色を見ながら言う。

良平はハルオが土間の息子である事を御子から聞いていた。本来、御子はその手の話を人にしない性質だが、なまじ本人がその気になれば良平の心を読む事が出来るために、二人の間に秘密を作らないというのが、暗黙の了承となってしまっている。良平からすれば御子が気にしすぎるように思えるが、これは御子にしか分からない感覚なのだろう。御子が納得できるのならと、そこはあえて触れずにいる。
土間の方でも、この話は良平には伝わっているものとしてとらえているようだ。
「ハルオは刃物が苦手なのよね。こういう事は向き不向きがあるんだから、無理強いする事もないでしょう」
土間も本音はハルオに刃物を持たせたくはないらしい。本人も、つい、この間まで刀を手にしなかったぐらいだ。刃物に対する恐怖心は親譲りなのだろうか?
「でも、ハルオのすばしっこさと反射神経は並はずれたものがありますよ。動体視力も悪くない。仕込めばかなり行けると思うんですが」おそらくそこも親譲りだろう。そう思いながら良平は突っ込んでみるが
「だけど、喧嘩に使うにはそれだけじゃね。やっぱりそれなりの度胸と冷静さがないと。人を傷つける道具なんて持たないに越した事はないんだから」刀使いとは思えない言葉が土間からはすぐに飛び出す。
「しかし、もったいないなあ」良平はつい、愚痴が出た。やはり仕込んでみたい気はあるのだ。
「良平は指導者タイプなのかもね。大丈夫よ。ハルオでなくたって、いい弟子にきっと巡り合えるから」土間はそう言って良平の視線をさらりとかわした。

「これは、大変お待たせしました」御子は自宅部分の玄関先で、由美の突然の来訪に驚いていた。
「ちょっと仕事の手が離せなかったもので。だいぶお待ちになったんじゃないですか?」御子はつい、うろたえた。
「いいえ、気になさらないで。こてつの散歩のついでに寄ってみただけなんですから。真柴さんは自営業だったのかしら?」由美はこてつと共に、のんびりとした笑顔で聞いてくる。
「え?あ、あの、いえ、そのう・・・」ああ、余計な事、言わなきゃよかった。昨日だったら礼似がいて、口先三寸で何とかなったのに。御子は必死で笑顔でごまかそうとする。こう言うのは得意じゃないのよね。
「どんなお仕事なのかしら?」由美がにこやかに尋ねた。
ああ、ほら、きたあ。どうしよう。当たり障りのないところって・・・
「まあ、相談を受けたり、仲介をしたり、色々取りまとめたり・・・」うん。この辺なら無難。嘘って訳でもないし。
「コンサルタントのお仕事なんですか」由美は納得顔で言う。
「ええ、まあ、そんな感じで。はははは」もう限界だあ。誰か助けて。
御子の祈りが通じたのか、タイミング良く、いや、帰って来た組長にとっては悪く、真柴組長が帰って来た。
「これは、突然お伺いして申し訳ありません。実は主人の仕事の事で何かお聞きになっている事はないかと思いまして」由美は組長にとって最悪の質問をぶつけて来た。
「いや、私も仕事の話はお互いした事がないんですよ。あくまでも個人的な付き合いですのでね。それよりも、この間の式で、娘夫婦が妻の写真に細工を施してくれまして」組長も必死で話をそらす。
「まあ。それでしたら私が御子さん達から、ご相談を受けたんですの」由美もその話にノッてきた。
助かった。今度礼似にうまい嘘のつき方をレクチャーしてもらわなくちゃ。御子は胸をなでおろした。
それにしても、奥様が心配するなんて、よほど会長も参っているらしい。おそらく反会長派の件に気がついたのだろう。これはぐずぐずしていられないかもしれない。
御子の不安通り、こてつ会長は、悩みの真っ只中にいたのである。


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