10.因縁 翌日、礼似は早速会長の部屋へ直行した。今度ばかりは言いたいことが山ほどある。言わずにはいられない気分だ。昨日の一暴れでも発散しきれないほどだ。 バタンと派手な音を立てて扉を開けると、会長はしっかりと待ち構えていた様子。「来た来た」と、目が語っている。 「会長、お話があるんですけど。ちょっといいですか?」息もつかずに聞いてくる礼似に 「かまわんよ。いや、今回の件はご苦労だった」会長はわざとのんびりした口調で答える。 冗談じゃない。ご苦労の一言でかたづけられてはたまらない。ここははっきり言わないと。口を開きかけた礼似に会長は先制攻撃を浴びせて来た。 「ついでと言ってはなんだが、今後、一樹との連絡役はお前にやってもらうからな」 ちょっと待った。それをいの一番に断ろうと思っていたのに! 「一樹を使うのは今回限りじゃないんですか?」 「そんな無責任な事は出来んよ。足を洗った人間をわざわざ連れ戻しておいて、もう用はないと切り捨てるわけにもいかんだろう。そもそもが掟破りなやり方だった」 そうだ。この世界では足を洗った人間にかかわりを持つのはご法度なはず。今回は完全に会長の掟破りだ。
「連れ戻した以上、それなりに責任は取る。それが最初からの約束だった。もっといえば連絡役がお前になるのも条件のうちだった。一樹にはそれを承知で戻ってもらった。了解したか?」 「出来ません!よりにもよってなんで私が・・・」 「一樹とはいろいろ因縁があるようだな」会長が言葉をひったくる。やっぱり知ってるんじゃないの! 「礼似、田中は何故、ああまで派手に自滅をしたのだと思うか?」会長はいきなり話題を変えた。 「話をそらさないでください」 「そらしてはいない。田中の自滅はこの世界での力のありようを見誤ったからだ。金と暴力と権力。それも必要な時もあるが、ここではもっと必要とされる物がある。義理と因縁だ。これは人の感情を揺るがす。それはいつか、人の信念となる。金の貸し借りは簡単に切れるが、感情の貸し借りはそうはいかない。本当に深い恨みや罪悪感、恩義と言った物は、時にどんな権力をも超える力を持つものだ」 確かにここは顔を張る世界だ。金や脅しにいちいち屈していたら生きてはいかれない。そんな虚勢を張った隙を狙うには、人の感情を動かし、動揺を誘うのが一番の武器だろう。と、同時にそこを狙われないように余計な恨みは買わず、むしろ貸しを作った方が本物の人脈で身を守る事が出来るのだろう。威厳もつく。田中の人脈は広く浅いものだった。尻尾はつかみにくかったが、つかんでしまえばその先はもろい。だから簡単に自滅した。 「お前は一樹に貸しがあるな?」足を洗わせた事を言っているのだろう。 「私にだって一樹に借りがあります」 礼似は本来一樹に殺されてもおかしくない。一樹も命を投げ出す事にためらいが無い男だ。よくまあ、二人とも生きていたものだと思うほど二人の因縁は深い。しかも一樹は過去への執着心が強いタイプで、執念深い事も知っている。案外情が深い事も。だから今更近づきたくなかった。
「悪いが私はお前達の因縁を利用させてもらう」会長は悪びれることなく言った。
「こてつ組は大きくなった。・・・やや、大きくなりすぎた。組織が巨大化すると人間関係がどうしても希薄になってしまう。それが今回の事態を招いた。私は今回の件で幹部を断罪しない。むしろこれを利用して貸しを作ろうと思う。しかし以前のように信用するのは難しくなる」 甘い所を見せれば、本当なら付け込まれて借りが出来てしまうはず。そこを貸しにする事が出来るのはこの人の技量があるからだろう。言葉はあっさりしているが、自分の能力を礼似に見せつけているのだ。 「私には安心して使える部下がどうしても必要だ。今度の件でようやく側近たちは信用できるようになった。土間や御子も信用している。しかし二人はこの組の人間ではない。土間は華風組長。御子も次代を継ぐだろう。二人とも最後は組に骨をうずめるのだろう。お前はどうだ?礼似」 「私だってこの世界でしか生きられませんよ」いまさら何を?礼似はそんな顔をする。 「この世界で、だろう?この組ではない。お前も元は麗愛会の人間だ。しかも帰属意識が薄い。それはお前の長所でもあるが、私にとって使いにくいところでもあった。だから私はお前を縛らせてもらう。香と一樹を使って」 さしずめ二人は私の自由を奪う人質か。特に一樹は会長に恩がある。香だってまだまだ半人前だ。 「この際、利用しようって訳ですね。随分綺麗なやり方ですこと」嫌みの一つも言わずにはいられない。 「そう言うな。お前は私に大きな貸しを三つも作ったんだ。香を引き受け、一樹を受け入れ、由美も守ってくれている。どうだね?私の首根っこを殆んど抑えている気分は?」会長が笑う。 違う。抑えられたのは多分、自分の方だ。香や一樹は勿論、土間や御子にもこの人がいなければ出会うことはできなかった。家族を持たず、社会に戻れず、何処にも居所を持たなかった自分に、この人は友情と居場所を提供してくれた。自由こそ失ったが、もう自分はこのしがらみから逃れることはできないだろう。 流石は代々に渡ってこの街の裏の歴史を背負って来た人物だわ。それでも礼似は鮮やかな笑顔を作って見せる。 「最高の気分です」このくらい言わなくちゃ、まるで道化師だわ。
ハルオはしょげかえっていた。昨日の意気揚々とした気分は香の言葉ですっかり吹き飛んでしまった。 「私を守ってくれた事も、約束を守ってくれた事も、感謝しているわ。でもね、悪いけど私、刀使いって、大っきらいなの。いろんな武器を持つ人の中でも、一番嫌い。最低な私の父親と同じ道を歩いているんだもの。あんたや良平さんや土間さんが刀やドスを持つのは否定しないけど、私の近くにいてほしくないの。分かった?」 自分が刃物を握れる様になったのは香のおかげだと感謝の言葉を述べたとたんに、肝心の香の返事がこれでは、ハルオとしては立つ瀬がない。それにもう自分は決めてしまった。どれほどの後悔に襲われようとも、一生刃を持ってこの組を守り続けると。ハルオは早速後悔に襲われているのだった。畜生。やっぱり刃物は嫌いだ!
香は香でムカムカしていた。自分は礼似さんと境遇が似ていると思っていたが、どうもハルオとも似ているようだ。刃物が嫌いで、天涯孤独で、ふた親が裏世界の人間で。だけど決定的な違いがある。 ハルオは自分の両親の事で悩む環境で育っていない。だからあんなにお人好しなんだわ。 親の事に悩まず、最初からあきらめがついて、真柴組の人たちに守られて・・・。ゆったりと育った感じ。 なのに、こっちで生きるための技術や技能は私よりもずっと上だなんて。羨ましいし、悔しい。 要は、香はハルオの育った環境と恵まれた才能に嫉妬していたのである。しかもその嫉妬心を自覚しているので、余計に悔しくてならないのだ。あんな奴、近づかないに限るわ。冗談じゃない!
「いいんですか?土間さん。ハルオに会うのをやめて」良平は華風組で若い者達にドスさばきを披露した後、このままハルオに稽古をつけないかと誘って見たのだが、土間はもうハルオに会わないと言う。 「ええ、あの子は刀よりも短刀の方が向いているし、変に長く関わって素性がばれても困るし。それに私も情が移るといけないから」無理をしているのが透けて見える。まるで、犬か猫の子の話のようだ。 「ドスさばきは良平の方が上なんだから、あの子の仕込みは任せるわ。ただこれだけは守らせて」 「人は斬ってはいけない。間違っても刺してはいけない。でしたね」良平が続けた。 「良平にもこの呪文は届いた様ね」土間は満足そうに笑う。 「そりゃそうよ。良平は身体を失う事の苦しさをよく知ってるんだから」御子が稽古場にひょっこり顔を出した。 「なんだ?土間さんに用事でもあったのか?」 「違うわ。迎えに来たのよ。そろそろ帰る頃かと思って」 「…ガキじゃあるまいし」良平をつけ狙う者は今、とりあえずはいない。昨日の実戦で義足にもほとんど慣れた。 「いいじゃない。時間が出来たからせっかく来てあげたのに」御子がむくれて見せる。 当面の危機が去って、ようやく二人とも新婚気分に浸る事が出来たらしい。 「はいはい。人の組の稽古場で痴話喧嘩なんてしないでくれる?さっさと帰った、帰った」土間はくっくと笑いながら二人を稽古場から追い立てた。
「はい、今回の報酬だそうよ。経費も込みね」礼似は一樹に封筒を渡した。 以前に待ち合わせた店で、礼似は一樹と会っていた。今日も店の中は混んでざわついている。 「たしかに。・・・来年甥っ子が小学校に上がるんだ。準備金に出来るな」一樹が中身を確認した。 「妹さんは承知しているの?こっちの世界に戻った事」ふと気になって礼似は尋ねた。 「先に感づいていたよ。会長からの連絡を受けた時には、殆んど確信していたようだ。一緒に暮らしている訳でもないのに、視力を失ってから妙にカンが良くなってるんだ。隠しちゃおけないさ」 「どうしてもこの世界から縁の切れない人なのね。どうするの?こてつ組の組員になるの?」 「いや、俺が頼まれたのは情報屋としての仕事だ。これからも依頼があれば会長の仕事をするが、組員にはならない。かえって動きにくくなるからな。男の一人身だ。どうにでもなる」 えっ?まだ一人だったの?そう言えばそういう話はしたことがなかった。過去が過去だから籍は入れなくても、パートナーくらいいると思った。・・・人の事は言えないが。 それとも、こっちに戻るために堅気の女と別れたのかもしれない。何せこいつは極度に過去にこだわるタイプ。ややこしい事になりたくない。距離を置かなくては。 「そう・・・。なら、また何かあったら顔を合わせなきゃね。会わないのがいちばん平和だけど」 「そうだな」 「じゃあ、また何かあった時に」そう言って礼似は席を立つ。長居は無用。さっさと退散しよう。 「上着の左内ポケット」 「え?」一樹の言葉に行きかけた足を止め、思わず振り返る。 「今も持ち続けているんだな。その銃」 しまった。気付かれていた。二人の因縁の象徴のような銃。肌身離さず持ち歩き続けて今では習慣になっている。 逆を返せば、これをいつも持ち歩くほど、昔の事を礼似もどこかで意識していたのだ。 一樹に嘘やごまかしはきかない。御子に出会うまではこいつが唯一、嘘をつく必要のない相手だった。 「この銃で人を撃った事はないわ。今じゃ、ただのお守りよ」礼似は正直に答えた。こいつにすぐばれるような嘘をついても仕方が無いのだ。 「お守りか。やっぱりその銃はお前に持たせて正解だったんだな。俺を撃ってはくれなかったが、お前の身は守っているらしい」一樹は懐かしそうに言う。 そう、本当に懐かしい。一樹はこれで「俺を撃て」と言ったっけ。それももう、遠い昔話だ。 一樹も変わった。過去にこだわって憎しみと苦悩に振り回された頃の姿はない。しっかりと今を生きている。 礼似自身も変わっている。御子の前で私は嘘をつく必要が無い。だって彼女は千里眼を持っている。それにもう、御子が力を使わなくても私は嘘はつかないだろう。土間に対してだってそうだ。 過去に引っ掛っていたのは私の方か。一樹の懐かしげな言葉に礼似は安心感を得た。
もう、あんな苦しい思いはする必要、なくなったんだわ。
「そうね。抜群の効き目があるお守りみたい。一樹のお母さんが守ってくれているのかもね」 私の母はこの銃で一樹の母を撃ち殺した。それでも、彼女が守ってくれているような気さえする。あんな苦悩を乗り越える事の出来た男の母親だ。強く優しい人だったに違いない。 「そう言ってくれるのか、お前が」一樹がホッとしたように言う。 「勿論よ」礼似も笑顔で答えられた。 「じゃあ、またね」 そう言って礼似は店を後にした。 会長は私の因縁を利用すると言った。でも、それも悪くない。 こんなしがらみの中で生きていくのも悪くない。 礼似はそう思いながら家路をたどっていった。
完
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