2、妹分 会長の部屋を出ると、土間はため息交じりに言った。 「会長も人が悪いわ。私が古い幹部とそりが合わないのを承知の上で言ってるんだから」 「でも、華風組は名刀ぞろいで有名だからね。その倉田って人とも、付き合いが長いんでしょう?」と、礼似が聞いてきた。 「ええ、華風組ではずっとお世話になっていたらしいわ。一流の職人だって聞いていたから。昔はあの刃を見るだけでも心が躍ったものよ。私が組に入って二、三年で砥ぎの仕事から身を引いてしまったけれど、あれほどの人はめったにいないでしょうね」 「それじゃあ、組長の土間が調べない訳にいかないでしょ。それにしても私に面倒見させる若い奴って・・・」 礼似がそう言いかけた時、若い女性が目の前にやってきた。ぺこり、と言った感じに頭を下げる。 「礼似さんですね?初めまして。私、香です。会長に礼似さんの手伝いをするように言われました」 「え?あなた?女の子なの?」礼似は面食らった。 「いけませんか?礼似さんも女ですよね」 「会長が若い奴って言ったから・・・」 「若いですよ私、二十一です。前から礼似さんの噂は聞いていて、是非、礼似さんの下で働かせてもらいたくて、ずっと会長の周りにくっついてたんです」 「くっついてたって・・・」 「それはもう、会長の部屋の前から、車に乗り込むまで、トイレの前だってくっついてました。中に入ろうとしたら、さすがに怒鳴られましたけど」 礼似は唖然とした。なんて度胸の持ち主だろう。あの会長にくっついて、トイレの中まで追っかけた?ちょっと普通の神経ではない。横で土間が笑いをこらえて苦しげに震えている。 「で、ずーっと礼似さんの弟・・・じゃなくて、妹分にしてほしいとお願いしてたんです。やっと念願かなって許可が下りたって訳です。これからよろしくお願いします」香はあらためて頭を下げた。 なるほど、何故あの時会長が、一瞬顔をゆがませたのかが解った。笑いをこらえていたのだ。これは、ていのいい厄介払いと言う訳か。・・・確かに会長は人が悪い。 それに、何だかこの子は自分と同じような匂いがする。 嫌な予感がするわね。これは。 「これから護衛に出かけるんですよね。移動はバイクですか?」 「大した距離でもないのに、いちいちバイクに乗らないわよ」 「なーんだ。がっかり」まるで行楽気分の香が言う。 「じゃあ、あんたも乗るの?」 「もちろんです!だから礼似さんに憧れてるんじゃないですか!年寄りの護衛じゃ乗る機会はなさそうだなあ。ま、いいか。せっかく妹分にしてもらったんだし」 「ちょっと、妹分にするなんて一言も言ってないわよ」 「会長から許可は貰ってますもん。たった今から妹分です。じゃあ行きましょうか。倉田ってお爺さんのところに」 そう言って香は元気よく歩きだした。今は完全に笑い出してしまった土間をしり目に、礼似は後を追って行った。 一方、御子と良平はあいさつ回りに忙しい。今日は由美の元を訪れていた。 「先日はこてつ君を連れ回したうえに、ろくろく挨拶も出来ずに、大変失礼いたしました」御子が頭を下げる。 「そんなこと気にしなくていいのに。こちらが婚約者の方?」由美が良平に視線を向けた。 「初めまして。良平と言います。以後、お見知り置きを」良平も挨拶する。 「今は式の準備で忙しい時でしょう?ごめんなさいね。うちの主人、私が主人の仕事がらみで冠婚葬祭に出席するのをとても嫌がるの。本当は私も行きたいのだけど・・・」 御子と良平は、こっそり視線を合わせる。それはそうだ。こんな席に出られたら、会長の職業が一発でバレてしまう。 その上、由美の顔も知れ渡り、由美の危険も一層増してしまうだろう。間違っても会長が由美を出席させるはずがなかった。 「御子さんは主人のお友達の真柴さんの娘さんになったんだから、個人的なお付き合いも深いのに、本当に頑固な人で・・・」 まずい、あまりこの話を引っ張りたくない。そんな気持ちで御子は、急いで話題を変えた。 「あの、こてつ君は今、どうしてます?庭で遊んでいるのかしら?」 「あら、こてつならすぐそこで寝ているわよ」 「え?」 確かにこてつは御子のすぐわきの足元に寝ていた。・・・かなり変わった寝姿で。 「あ、あのう。こてつ君って、いつもこの姿で寝ているんですか?」 御子が思わず聞いたのも当然で、こてつは普通の犬の寝姿ではなかった。 まず、犬があまりやるとは思えない・・・それだけリラックスしているのだろうが、お腹を上に向け、仰向けに寝ていた。その下にはこてつにぴったりサイズに作られたと思われる、クッションが敷かれ、さながらベビー布団に寝かされた赤ん坊のようだ。さらにそのお腹の上にはタオルまで掛けてあった。 しかも、犬なら多少なりとも身体をよじるなどしそうなものだが、こてつは顎を上に向け、前足を揃え、後ろ足は完全に開ききった状態のまま、真っ直ぐにそろえられている。いや、この寝姿全体が、まさに真っ直ぐに行儀のよい(?)状態である。 苦しくはないのだろうか?と二人は一瞬心配したが、よく見るとこてつはすやすやと寝息を立てている。さらにはにっこりと・・・この犬にはこの表現がとてもしっくりくる・・・にっこりと笑って眠っていた。 これは本当に柴犬なのだろうか?御子と良平がまじまじと見つめていると、由美が 「かわいいでしょう?この子の寝顔を見ていると、時々、私、この子を産んだんじゃないかって、思えるときがあるのよ」と、顔中を崩して笑っていた。 こてつのあまりに人間臭い寝姿に、二人は返事をする気もうせて、「ははは・・・」と笑って見せるしかなかった。 それでも御子は何とか気力を引き出して、由美に切り出した。 「あの、ごあいさつのついでと言っては何なんですが、ちょっと、お願いがあるんです・・・」 「あんた、なんでこてつ組に入ったの?」 とりあえず礼似は聞いて見た。こんな世界に入る者はあまり過去を話したがらない者も多い。返事は期待していなかったが、香はあっけらかんと答えた。 「一言でいえば勢いかな?父親もこの世界だったし、母親もスリだったし。中学の時暴走族に入って礼似さんの伝説を聞いたんですよ。高校も行く気はなかったのに親に無理やり入れられてね。家出は繰り返したけど一応卒業したんですよ。結構我慢強いでしょう?」 どこが?と思いつつも礼似は黙る。さっさとやめた自分が言える義理ではない。 「それで就職はしたけれど、やっぱり居心地悪くてね。とっととやめて流れてるうちに、こてつ組の門をたたいたって訳」香の話を聞き終えて、礼似は確認した。 「…大体はホントだと思うけどね。二、三割は嘘が混じってるでしょ。親がこの世界っていうのは嘘ね。高校も自分で行ったから、かろうじて卒業までこぎつけたんでしょう?」 香は真顔になった。 「へえ…。嘘つくだけじゃなく、人の嘘も見抜けるんだ。さすがですね。確かに父親はこの世界じゃないわ。・・・その方がましだったけど」香の表情が一瞬揺らぐ。 「別に経歴調査しようってんじゃないからかまわないわよ。何だか見当がついたし。まったく会長も人が悪いわ。あんたも私の過去なんかに共感したら、この先苦労が絶えないわよ」 そう、香の過去は礼似の過去に、瓜二つと言っていいほど似ているのだ。だから香は礼似に憧れて、会長は礼似にこの娘を任せたのである。 しかも環境がそうさせたのだろうか?この娘も天性のうそつきだ。多分ここに来る前は、詐欺師まがいの事をやっていたに違いない。自分と同じように。 嫌な予感は的中する物なのよね。礼似はため息をつく。 「今更過去はどうでもいいわ。私と仕事をするなら、私に嘘はつかない事。私を信用しろとは言わないけど、私の仕事は信用してもらうわよ。じゃなけりゃ妹分にはできない」 「じゃ、妹分として認めてもらえるんですね」 「とりあえずはね。私はあんたを信用するわ。これからは詐欺はダメよ。もちろん美人局も」 「私、そこまではやってません。ちょっと大げさにセールストークしただけです。自慢じゃないけど、援交だってしなかったんだから」 確かに自慢することではない。しかし、自分も人に説教できる立場じゃない。何とも面倒な娘を押しつけられたものである。 それでも彼女の自分に対する憧れは本物のようだし、それほど人間がひねくれているとも思えない。嘘は必死さの表れでもある。本当にひねてしまえば、嘘なんてつく必要はないのだろう。嘘は自分を守るための盾である事を礼似は良く知っていた。この娘も嘘と強がりを差し引けば、いたって普通の娘に違いないのだ。 仕方がない。しばらく面倒を見るしかないか。会長がほくそ笑む顔が見えるようだと思いながらも、礼似は香と行動を共にする事にした。
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