9.土間、奮闘中 数日後、華風組では今度の件で誰が責任を取るのかと緊張した空気が流れていた。 土間があれほど反対したT建設の社長が、誘拐、監禁の罪で逮捕され、欠陥リフォームも彼の指示があったことが明らかになったのだ。 当然改修工事の件はT建設以外を使うように通達され、幹部達の面目は丸つぶれ。土間が今後T建設の扱いをどうするのか、幹部達はどう責任を取らされるのかと、誰もが事の成り行きをかたずをのんで見守っていた。 ずらりと幹部の居並ぶ中、ついに土間が現れた。しかし土間は上座へ移動することなく、最も下座にひざをついた。 「このたびは私、組長として皆様にお詫びしなければならない事がございます」 この一言目に、一同は軽くどよめいた。 「今度の件、私の調べの甘さからT建設の社長の問題をを見落としておりました。うちにはT建設との古いつながりがあります。幹部の皆様には従業員達との突っ込んだ話も出来たはずでした。それを私のかたくなな態度がもとで、せっかくの機会を失ってしまいました。皆様にも個人のお付き合いも御座いましたでしょう。親しい従業員や、そのご家族の心配もおありになったはずにもかかわらず、この頑固者のためにT建設が存続の危機に立たされたのは、この土間の不徳の致すところで御座います。あなた方に罪は御座いません。T建設は必ず再建させます」 土間の言葉に誰もが耳を傾けていた。咳一つ聞こえてこない。 「私は組長と言う役柄を間違えていたようでございます。私は昔、二度と刃を握るまいと誓いました。しかし思うに、心の刃はずっと握りしめていたようでございます。私は正義を振りかざし、仁義を忘れておりました。私たちは警察官でも裁判官でも御座いません。ましてやただの商売人でもありません。・・・人の義理に寄り添って生きている者たちでございます。未だに未熟な私にはそれが解っておりませんでした」 土間は全員の顔を見渡した。 「このようなまだまだ未熟な組長でございます。間違った判断や心の狭さが露呈することも多いでしょうが、それでもあえてお願い致します。どんなに意見を戦わせる事になってもかまいません。遠慮は御無用。皆様の力で、私を組長としてよろしくお導き下さい」 そして土間は深々と頭を下げた。 そう、自分に足りなかったもの。それは素直な謙虚さだった。 本気で心を開かなければ、相手も心を開けない。昔、富士子が教えてくれたこと。 再び顔を上げた土間は、皆の視線が暖かいものに変わっている事に気が付いた。 「やっぱりあなたは良い組長になれそうですね」元組長がにこやかに話しかけた。 「いいえ、ご指導していただいたおかげです。頭を冷やしていただきありがとうございました」土間は頭を下げる。 「誰もが突然親分肌になれる訳ではないわ。実はね、主人もこんな感じだったの」 「え?」 「私や富士子さんが色々言ってね、その中から悩みながらも主人は答えを見つけて行ったの」 「・・・そうだったんですか」 「あなたもまだまだこれからよ。この組を良い組にしましょうね。組長」 そう言われて、やはりこの人には一生頭が上がらない。と、土間は思った。 それからしばらくしたある日の仲居の休息所で、礼似と御子は気の抜けた気分を味わっていた。 「で、美羽はその後どうなるの?」礼似が聞いた。 「わき腹のあざが決定的な証拠って事で、親は書類送検。美羽は施設に入る事になったわ」御子が答える。 「やっぱりそれがいいんでしょうね。あーあ。後味悪いなあ」礼似がうんざりした声を上げる。 「でも、沖夫婦がこれからの美羽を支えてくれるかも」 「でも、あの夫婦も実の娘を無くしたばかりじゃないの。気持ちはそうそう切り替わらないわよ」 「それは美羽も同じよ。実の親から受けた心の傷がそう簡単に癒えるとも思えない。でも前よりずっと前向きな気持ちになってる。あの夫婦にもきっと美羽の存在が意味を持ってくると思う。あの時沖さんは命懸けで美羽を守ろうとしたんだからね」 「沖さんが先々その気になっても、両親が親権を手放さなかったら・・・」 「戸籍だけが親子じゃないわよ。今度の件はお互いに支えになったはずだし、それに・・・」 「それに?」 「沖さんさえその気になってくれれば、うちで親に交渉するわよ。いろーんな手を使ってね」 「・・・それって脅しをかけるっていうんじゃないの?」礼似があきれながら言う。 「別にうちは教育施設じゃありませんから。むしろ、こっちが本業」 「真柴組って、あんた達の代で看板掛け替えるかと思ったけど、どうやらそうでもなさそうね」礼似が笑いながら言う。 「大事な看板、そう簡単に下ろしてたまるもんですか」御子もつられて笑ってしまう。 二人で笑いあった後、御子が寂しそうに言う。 「土間は忙しくなりそうね。やっぱり仲居は辞めるのかしら?」 「仕方ないわよね。組長がそうそう組を開けるのはやっぱり・・・」礼似がそう言いかけた時、いきなり部屋のドアが開いた。 「ああ、どうやら間にあったわね。さあ、仕事仕事」と、土間がバタバタと入ってきた。 「土間?仲居は辞めるんじゃ無かったの?」驚いた礼似が聞く。 「誰がそんな事言ったの?あんな連中と膝つき合わせていたら、頭にカビが生えるんだってば!まったく、仲居とドマンナの仕事が無かったら、やってられないわ。組長なんて!」と、おなじみのセリフを言っている。 「…また幹部ともめてるの?」御子があきれて聞く。 「もめてるんじゃないわ。意見が合わないだけよ。こっちだって遠慮なんかしないわ。トコトン話を詰めてやる。でも今は仕事よ!仕事!」 礼似と御子は顔を見合わせると「元組長さんも、当分苦労させられそうね」と、こっそり笑いあったのである。
完
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