6.土間の過去 華風組で幹部達に背を向け部屋を出て行った土間は、すぐに元の女組長に声を掛けられた。 「ちょっと話があります。私の部屋へ来て下さい」険しい表情だ。 土間にとっては最も頭の上がらない相手。おとなしく後について行った。 部屋に入るとすぐに「この話は組長としてではなく、私の身内、華風聡次郎として聞いて下さい」と言われた。 これは厄介だ。この人から今さら聡次郎の名が出てくるとは思っていなかった。土間は思わず身構える。 「あなたが富士子さんと付き合い始めた頃、私の主人は猛反対していました。それはあなたも知っていますね?正直なところ、あなたが富士子さんに近付いたのは主人に対する反発心からだったはず。違いますか?」 「…その通りでした」土間はいきなり痛いところを突かれて、表情を硬くする。 元女組長の夫、当時の華風組組長は妹の富士子を溺愛していたことで有名だった。 こてつ会長の泣き所が由美とこてつなら、当時の華風組長の泣き所は明らかに年の離れた妹の富士子。あの頃の富士子はそんな立ち位置にいた。 その頃の土間・・・聡次郎はまだ青年になりかけ、少年の面影が抜けきらない年周りだったが、刀の使い手として組の地位を上がり続けている真っただ中だった。 当時発足したばかりの麗愛会との小競り合いが激しくなっていた頃で、何かと小さないさかいが起こる中、聡次郎もシマをめぐる喧嘩に駆り出されては刃をふるっていた。 「血祭り聡次郎」「とことん相手をなぶり続ける華風組の鬼」そんな評判が付いて回り、組の内外から一目置かれる存在になっていた。 しかし肝心の組長が聡次郎を認めなかった。むしろその刀さばきを恐れ、聡次郎から一切の刃物を遠ざけようとさえした。 自らのよりどころとしていた才能を頭から否定された聡次郎は、組長への恨みを募らせた。 そこで聡次郎は組長の妹、富士子に言い寄り始める。当時の聡次郎は自分が女性の憧れの的になっていた事を知っていたし、何より、刀と容姿に自信を持っていた。自己主張と自己顕示欲の最も激しい年頃である。 富士子は地味でおとなしく、気のいい少女だった。その反面内証的で気の強い、頑固な面も持っていた。 正直、聡次郎にとって富士子はかなり手ごわい相手でさすがはあの組長の妹だと感心させられてばかりいた。 あの手この手を使ってもまるでなびかない。特に自分になついている幼い辰雄を使おうものなら、ますます機嫌が悪くなる。ついつい聡次郎もむきになって、むしろ喧嘩が増えてしまう始末。 ところが縁とは不思議なもので、二人の喧嘩が返って功を奏したのか、聡次郎が本気で心を開く頃には二人は恋仲になっていた。もちろん組長は大反対していたが。 「あの頃のあなたは刀さばきの天才と呼ばれ、自分の腕に酔っていた・・・と言うよりも何かに取りつかれているようでした。自分の力加減一つで相手の運命をもてあそぶ事が出来る事に陶酔しているように見えました。だから主人はあなたのする事をいちいち否定してしまった。それが若かったあなたの反発心を膨らませてしまったのでしょうね」 まったくもってその通り。あの頃は自らの技術に酔っていた。刀を振るう、あの一瞬、一瞬に至福の時間が流れている気がした。あの感覚に浸ることは、自分が万能な者になって行くような気がしていた。しかしそれも今となっては恥ずかしく、顔から火の出る思いで土間は話を聞いている。 「どれほど組の役に立とうとも、そんな不安定さと残酷さを持ったあなたと富士子さんの事を主人はどうしても許す気にはなれなかったようです」 「それは当然でしょう。組長は正しかった。その後許していただけた事の方が間違いでした。私と一緒になっていなければ富士子は今も生きていたでしょうから」土間は苦い思いをかみしめながら答える。 実際、二人が一緒になりたいと言った時、二人の交際にあんなにも反対していたにもかかわらず、組長はあっさりと結婚を認めた。意外と言えば意外。そんなものと言われればそうかもしれない。 ただ、そのまま二人が別れていれば、自分への逆恨みを富士子が受ける事もなかったはずだ。 「そういうことには運、不運もあります。・・・ましてやこんな世界ではちょっとした不運で取り返しのつかないことも起こります。富士子さんもそこは覚悟があったでしょう。あの時は運が悪かった。あなたが演奏者として立ち直りかけていた青年の手の筋を切ってしまうなんて」元組長が目を伏せる。 「運、なんかじゃありません。あれは私が自ら招いた不幸です。彼以外にも私を怨んでいたものは山ほどいたはず。富士子はそれに巻き込まれてしまったんです。彼の手は治っても演奏者としては永遠に葬られた。自ら死を選んだのも仕方のない事でしょう。彼の恋人に富士子が殺されたのも、その場で自らの胸を突いて死んだのも、すべては私が不幸を招き寄せてしまったのが原因です。私は自らの手を汚すこともなく、三人もの命を奪ってしまいました。そんな私に富士子は虫の息の中、私に生きるようにと言いました。生きて、組を守って欲しいと。だから私は未だに生きています。男を捨てる事で生き延びています。富士子との最後の約束を守るために」 しばらく二人の間に静かな時間が流れた。そして元組長が土間に聞いた。 「なぜ主人はあなたと富士子さんの事を許したと思いますか?」 「今でもそれは分りません。富士子が説き伏せたものだと思っていました。許していただかない方が良かったのですが」 「でも、結局主人はあなたを認めていましたよ。あなたは若い頃の主人に似た所がありましたから」 土間は驚いた。「認めていた?あの頃の私をですか?」 「ええ、そうです。主人はあなたが刃に魅入られて行く姿を恐れてはいましたが、あなたは力に頼るだけではない、人を納得させる何かを持っていると感じたようでした。私もそう思っています。今でもね」 元組長が土間を真っ直ぐに見る。 「あなたは今回の件で、皆を説得するのにどんな手段を使いましたか?」 そう問われて土間はあらためて考える。 確かに自分は聡次郎の名を使ってしまった。幹部を頭ごなしに否定していた。人を否定しておいて、自分は安易に簡単な道を選んでいる。もっと聞くべきこと、やるべき事があったかもしれない。 「こんな時主人だったらどうしたかしらね。・・・それから、T建設の新しい社長は良くない噂があるようです。その辺も調べて良く考えてみてください。・・・組長」 そう言って元組長は土間にほほ笑んで見せた。 その頃、さらわれた二人は手足を縛られ、物置代わりに使われている部屋の奥に置かれたロッカーの中に押し込められていた。 部屋には人の気配が感じられて、下手に騒ぐことも出来ずに二人はじっと息を押し殺していた。 「厄介な事になったな。どうするんだ?」男の一人が聞く。 「ここじゃどうにもならない、準備がいるだろう。車もいるな、すぐに用意できるか?」もう一人が聞き返す。 「俺の車じゃ、すぐに足が付く。レンタカーでも借りるしかないな。俺が借りて来るからお前、ここで見張っていてくれ。目を離すなよ」 「そっちこそ逃げんじゃねえぞ。俺達はもう一蓮托生だ」 「解ってるさ。必ず戻るからちゃんと見張っておけよ」 ドアの開く音がして、人の出て行く気配。自分達の近くに気配は無くなったが、ドアの近くで一人が見張っているのだろう。 沖は美羽に小声で話しかける。 「大丈夫か?怪我はしていないかい?」 美羽はこっくりとうなずいた。
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