4.沖の衝撃 「だから何故今T建設を使う必要があるの?」土間は幹部達にかみついていた。 「あそこは代々華風組が仕切ってきたところです。あそこを使うのが今までの慣例です」幹部は言い切った。 「いくら慣例でも今回は引いてもらうべきでしょう?あれだけの騒ぎを起こしたんだから。相手はホテル、客商売なのよ。信用にかかわるじゃないの」 華風組の幹部達を集めての会議。土間はいい加減いらいらしていた。 「いい?あのホテルの後ろ盾はこてつ組なのよ。傘下のうちが適当なやっつけ仕事をさせる訳にはいかないの。T建設はこの間のひどい欠陥リフォームで訴えられたばかりじゃないの。いくら内部の人間を入れ替えたからって、しばらくはもっと地道な仕事をさせるべきでしょう。実績を積めばまた大きな仕事を回すこともできるけど、今はまだ早すぎる。T建設は使いません!」土間も負けずに言い切った。 「T建設とは長い付き合いがあります。こんな時に外野の声をもみ消して昔馴染みの会社に義理立てするのが私たちの役目です!」 「いくらそうでも今度ばかりは目に余るから言っているのよ!」 土間と幹部との間に目には見えない花火が散る。ここは是が非でも押し通さなくてはならない。土間は腹をくくった。 「組長として命を下します。T建設は使いません。どうしてもというなら私を組長の座から引きずり落としてからにしなさい。あんた達にその度胸があればだけどね」 言うだけ言うと、土間は席を立って部屋を出て行った。 あれから美羽は真柴組から学校へ通い、帰りがけ、由美と一緒にこてつの散歩へ出るようになった。生意気な態度は相変わらずだが、こてつの前では素直にはしゃぎ、こてつも美羽になついているらしい。 そんな様子を由美も楽しんでいるらしい。 御子はしばらく美羽の好きなようにさせてやることにした。せっかく心が和らいでいるのなら、あせらずにゆっくり心が開けるようになるまで見守る事にしたのである。 そんな訳でその日も美羽は由美と一緒にこてつを散歩させていたのだが、道の端で花束をたむける夫婦の姿が目に入った。その花束に向かってこてつがどんどんリードを引っ張って行ってしまう。 「ダメだよ、こてつ。邪魔しちゃだめだってば」リードを持たせてもらっていた美羽がこてつに話しかけるが、こてつは足を止めない。 とうとう花束の前に座り込んで、臭いをかぎ始めてしまう。 「すいません、お邪魔してしまって」後から追い付いた由美が急いで謝る。 「いいえ、元気なワンちゃんですね。男の子ですか」妻らしき女性が聞いてくる。 「ええ、この子、意外と力があって・・・本当にすいません。失礼ですけど、こちらはどなたかの・・・」由美が路上の花を見て口ごもる。 「ここは私達の娘の事故現場なんです。先月ひき逃げにあってしまって。実は今、目撃者を探しているんです。先月の今頃、この辺で不審な車を運転している人を見かけませんでしたか?」夫らしき男性がすがるような目で聞いてきたが、由美には記憶にない。美羽も首を横に振っていた。 「…そうですか。もし何か思い出したら、警察かこの番号に連絡してください」と言って手作りらしいチラシを手渡すと、妻を伴って去ろうとした。そして思い出したように、 「親子でお散歩ですか?いいですね」と、少し寂しげに言った。 「いえ、この子は散歩に付き合ってくれている子で・・・」と、由美は説明しようとしたが、男性の耳にはもう入っていないようだ。羨ましげな視線を投げかけると、妻と共に信号機の向こう側へと去って行った。 沖は深夜勤務明けの疲労感に包まれながら、帰り支度をしていた。ホテルはチェックアウト目前の時間帯。客も従業員もあわただしさが漂っている。 帰る前にフロアのゴミを出しておこうか。今が一番忙しい時間だろうから、ひと手間省けるだけでも違うだろう。 もうすっかり習慣になっているゴミの始末を今日も手伝って、指定されている場所へと運んで行く。いつも何かと気を使ってくれている人たちへの心づかいである。 ところが今は使われていない、物置代わりの部屋の扉が何故かわずかに開いている。何やら人の話し声も聞こえて来た。 今朝の見回りでは何の異常もなかったのだが。 声の方へ行こうとして、今自分は私服で無線を持っていない事を思い出した。 個人の荷物や携帯電話もロッカーにしまったままだ。 これで何かあったら妻子を泣かせるな。 そんな縁起でもない事が頭をよぎると同時に、その娘がすでにこの世に居ない事を思い出してしまう。 沖はやや無謀な気持ちになって、声のする方へと向かって行った。 「だからこっちにまでかかわられても困るんだよ」男の低い声が聞こえる。 「そうでなくても、今度の改修工事をうちが・・・T建設が取りこぼせば当分大きな仕事は入らないんだ。なのにこの間の欠陥リフォームで華風組がいい顔をしないんだよ」 「そんな冷たい事をいわないでくれよ。こっちは逃げ切れるかどうかの瀬戸際だってのに」別の男が情けない声をだす。 「そもそも俺が盗んだ車を売った金が無かったら、T建設はとっくにつぶれていたじゃねえか。アンタ、親父さんの会社なんて継がない方が良かったんだよ」 「仕方ないだろ。親父が急に死んじまったんだから」 「どうせあの欠陥リフォームだって、俺からの金が入らなくなって、無理な真似した挙句の事だろう?だったら全く関係が無いとは言えないじゃないか。それを一部の従業員だけ入れ替えて自分は知らぬ存ぜぬじゃ、ずるいぜ。なあ、当面の逃走資金でいいんだよ。逃げきったら倍にして返すぜ。用立ててくれよ。俺だってまさか人を引くなんて思ってなかったんだよ」 「中学生のガキだって言ったな。こういう時の警察はしつこいぜ。子ども一人引き殺してるんだからな」 ここまで聞いて沖は体に冷や水を浴びたように感じた。 こいつが俺の娘を殺したのか。しかもとことん逃げるつもりで金の無心をしている。すっかり沖は逆上してしまった。 「お前が娘を殺したのか!」何も考える間もなく、沖はひき逃げ犯達の前に姿を現した。 「何だ?てめえ?」 男二人の視線にさらされて、沖はようやく我に帰った。 大の男二人を相手に丸腰で、携帯一つ持っていない自分。しかもここは裏口に近く人気のない場所だ。 沖は慌てて外へ向かって駆け出した。
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