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作品名:こてつ物語2 作者:yuki

第3回   3
3.子猫、大いに泣く
「さあ、氷が解けない内に遠慮なくどうぞ」そう言いながら由美がジュースを進めた。
「はい・・・ありがとう・・・」と美羽はうなずいたが、正直驚いた。
 見ず知らずの女の子が突然訪れて、ジュースを進めるのだからてっきり市販品だと思っていたら、しぼりたてのオレンジジュースが出て来た。横にホームメイドのマドレーヌまで添えられている。
「実はね。さっきから少し浮き浮きしているの。この家にあなたみたいなお嬢さんが訪ねてくるなんて何年ぶりかしら?訪ねて下さるのは私より上の男性客ばかりなのよ。だから嬉しいわ。遠慮なくくつろいでね」
 知らない家に来ていきなりくつろげと言われても・・・。
 美羽はそう思ったが、目の前で本当に嬉しそうにされるとなかなかそうも言えなくなる。すっかり自分のペースを崩されてしまった。横ではさっきの柴犬が笑っている。
(変な家だなあ)
 そう思いながらも美羽は由美の顔を見てぼんやりと考える。
 上品で優しそうな感じの人だ。やわらかいしぐさ、優しげな声。周りを包むふんわりとした空気。テレビドラマのお母さん役で出てくる感じの人。
 
 ふいに、自分の母親を思い出した。
 普段は思い出すどころか、目の前に居ても顔なんて見てやしないのに。
 怒りであからむ顔。狂気じみた瞳。いきなり飛んで来るグラスや灰皿。どなり声。「あんたは父親にそっくりだ」と言うお決まりの台詞。あたしだって好きで似た訳じゃない・・・。
 突然、鼻の奥がツンとした。涙がにじむのが解る。
 やだ、まずい、みっともない。
 頭ではそう思うものの、涙がたまって行くのが解る。我慢しようと意識すると余計にたまるみたいだ。涙のこらえ方を忘れてしまったのだろうか?そう言えば泣きたくなる事なんてもうずいぶん無かった気がする。
 この家に来てから、すっかりなにかがおかしくなってしまった。
 ついにぽたぽたと熱い水滴がひざに落ちる。こてつが横にすり寄ってくる。生きた動物の持つ暖かなぬくもり。
 爽やかなオレンジと、甘いマドレーヌの香り。庭から吹く心地よい風。火照る頬に心地いい。
 気が付くと美羽は由美に抱き締められていた。暖かな胸のぬくもり・・・
(もう我慢できない)
 そう思った途端に、美羽は号泣した。大きな声でワンワンと泣いている。

 部屋に入ってきたタエがその姿を唖然と見つめていた。

 結局美羽はこてつ家で、由美の話をただ聞いただけで何も語ることなく真柴組へと戻った。
 話と言っても特別な事は何もなかった。
 花の話。鳥の話。庭の池のコイや、亀の話。散歩中に吹く風の事。木漏れ日のぬくもり。そんな話ばかりだ。
 最後にこてつの相手をさせてもらい「またいつでもいらっしゃい。今度はこてつと散歩をしましょうね」と言われて送りだされたのである。
 あれはいったい何だったんだろう?美羽には訳が解らなかった。
 ただ、帰りの足が少し軽く感じたのと、出迎えた真柴組長の満足げな顔だけが印象に残っていた。

「ただいま。今日は警察に行ったんだっけ?」
「おかえりなさい。ええ、行って来たわ。・・・あら?その箱。ケーキ?」
「ああ、また前田さんがとっておいてくれた。食後に食べよう。・・・どうした?」妻は戸惑った様子だ。
「それが・・・私もパート先でこれ貰っちゃって。頂きものだからって」
 見るとテーブルの上にはタルトが置かれている。二人で顔を見合わせる。どうやら二人とも仕事先で気を使われているらしい。
 何となく二人で笑いあって、「このくらいなら食べられるだろう。夕飯は軽めにしよう」と、沖が言うと妻も「そうね」と言いながら、ケーキとタルトを仏前に供えた。
 娘の事故死から一カ月とちょっと。時期、四十九日を迎えてしまうが実感はなかった。
 この家の中にも娘の気配が強く残されている。食事時に娘がいない事に強い違和感を感じながら、何とかそれに慣れようとしている。そんな日々が続いている。
 
「・・・それじゃ、結局あの車は盗難車だったのか」警察の説明を聞いてきた妻の話に沖は相槌を打った。
「ええ、しかも指紋は拭きとられ、カーナビやステレオは盗まれ、タイヤまで外されていたって。さらには消火剤が車内にまかれていたそうよ」
「消火剤?」
「指紋や、乗っていた人間の痕跡を消す手段なんですって。おそらく初めから車の盗難を狙ったプロの犯行だろうって。慌てて逃げる時に引いたんじゃないかって言われたわ」そう答えながら妻の顔が曇る。
「そうか・・・。それじゃ、捕まるまでまだ時間がかかりそうだな」沖もつい、ため息が出た。
「そうね。もちろん全力を尽くすって言ってくれていたけど、時間はかかるでしょうね」
 娘を引いた犯人が捕まらないかもしれない。そんな考えはたとえ頭をよぎっても口に出したくはなかった。

 食事が終わると「じゃあ、頂いたお菓子を食べましょうか」妻が食器を下げ始める。
「そうだな。何か入れてくれ」そう言いながら沖も洋菓子の箱を手に取る。
「紅茶がいいわよね。ダージリンでいい?」と聞く妻に
「いや、ティーパックで十分だろう?二人だけだし」と答えた時、急に妻が手を止めた。みれば妻の手元にはカップが三つ並んでいる。慌ててカップをしまい込む。
「じゃあ、ティーパックで」と言う妻に「うん」と答えながら、沖はしまい込まれた娘のカップを見つめていた。


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