2.拾われた子猫 結局映画をあきらめたうえ、何故か真柴組に少女を連れ帰り、組中の視線を集めながら御子は少女に食事を取らせていた。組長はまだ帰っていない。少女は猛烈な勢いで食べている。 「あなた、名前は?」食事に専念する少女に御子が聞く。 「みう。美しいに羽って字」美羽は口いっぱいに頬張りながら答える。 「苗字は?」御子は辛抱ずよく聞く。 「忘れた。・・・おかわり!」美羽は目の前に居るハルオに元気いっぱいに茶碗を差し出す。 「おっおい、もうよッ四杯目だぞ。はっ腹を壊すんじゃないのか?」ハルオが聞く。 「平気よ。あたし食べためるのには慣れてるから。その代わり三、四日水だけで過ごせちゃうんだ。食べられる時に食べておかなくちゃ。・・・くれるの?くれないの?」 「食べさせてやって」 御子の一言で、ハルオはおかわりをよそってやる。すると美羽はひったくるように茶碗を受け取り、また猛烈な勢いで食べ始めた。 少しは落ち着いたのか美羽は周りをぐるりと見回すと「なんだあ。やくざの家って言うからすっごい所かと思ったら、随分ちんけなんだな」と、食べるだけ食べておいて勝手な事を言う。 すっかり食事を平らげると「じゃ、あたし帰るね」と言って席を立った。 「帰るって何処へ?」御子が疑わしそうに聞く。 「いいじゃん、何処でも。大丈夫、明日学校にはちゃんと行くから。文句と苦情は学校に言っといて。警察に言ったって大して取り合わないと思うよ。じゃあね」出て行こうとする美羽に 「だめよ、今日はここに泊まりなさい」と、御子は命令した。美羽はキョトンとしている。 「家に帰らなくていいの?」美羽が聞いた。 「今日のところはいいわ。明日はちゃんと学校へ行くこと。そのバッグの中にあるロッカーのカギ、制服とかそこに置いているんでしょう?取って来てあげるからこっちによこしなさい」 美羽は少し戸惑うそぶりを見せたが、「結構鋭いんだな」と言いつつ、鍵を渡した。 「とりあえず食器を洗ってお風呂に入りなさい。ハルオ、悪いけどこの子にお風呂の場所を教えてやって。・・・ちょっと、あんた達!いつまで覗いてんのよ!」柱の陰から好奇心むき出しで覗く組員達を御子は怒鳴りつけた。 「おばさん変わってるね。ここもずいぶん変わってるけど。いいの?あたしみたいなのにかかわると、ろくなこと、ないかもよ」こそこそと退散する組員達を横目に、食器を洗いながら美羽が聞いてくる。 もう十分にろくな事になってない。御子はそう思いながらも口にはしないでおいた。あんまり口を開くと、この子のペースに巻き込まれてしまう。 「まあ、いいか。ここにはあのイケメンさんもいるし。おばさん、あたしのことしっかり見はっておかないと、あたしが夜這いをかけちゃうぞ。・・・で、お風呂、何処?」 沸騰寸前になっている御子をしり目に、美羽はハルオを連れて出て行った。 「ネグレクト?養育放棄とか言うやつか?」真柴組長が聞いた。 「ええ、多分」御子が答える。 風呂から出た美羽は開口一番「くたびれた!」といって、御子のベッドで寝いってしまった。 そのあと帰って来た組長に、御子は事情を説明している。 「あの子のイメージが入って来た時、真っ先に空腹。それから深い孤独感が強く伝わってきたの。多分ちゃんと食べていなかったんでしょう。それから痛みと恐怖、大人への絶対的な軽侮。もしかしたら身的虐待もあったかもしれない。何よりも人と暮らしたイメージが湧かないのよ。まるで野良猫だわ」 「それでついつい、連れて来たという訳か。お前が連れてくるのだからよっぽどの事とは思うが。・・・ただ、ここは保護施設ではないぞ」 「・・・すいません、相談もせずに。軽率でした」さすがに御子も素直に謝った。 「それでこれからどうする?」組長が御子に聞いてくる。 「もちろん、学校や関係各所には連絡します。でも、あの子こういうことにはすっかり慣れているみたい。一時保護されても同じことを繰り返すでしょうね。親もあの子を金ずるにしているみたいだし。あまりにも大人への信用がなさすぎる。怨む気も、怒る気力もうせ果てているって言うのか・・・。何とか感情を取り戻して上げられればいいのに」 御子はため息をついた。組長は黙って話を聞いている。 話だけ聞けばその筋の家の会話には聞こえない。まるでどこかの教育施設での会話の様である。 「感情を吐き出させるのが第一だな」 「おそらく・・・。あのままじゃ、何をされても心に届くことはないでしょうね。明るくしていてもあれじゃ死人と変わらない。せめて自分の感情に気付いてほしい。あの子のこれからの事を考えるのはそれからだわ」御子は途中からひとり言のようになってつぶやいた。 「それならば・・・。物は試しだ。やって見るか」組長はそう言いながらひざをたたいた。 翌日、仲居の休憩室で、礼似は御子の話を聞いて笑い転げていた。 「ばかねえ。黙ってデートを楽しんでおけばよかったのに。それで御子、アンタ一晩中その子の事見張っていたの?」礼似がからかった。 「礼似、やめなさいよ」土間がいさめる。 「だって御子がきりきり舞いさせられるなんてよっぽどだわ。残念!私もその場に居たかった!」礼似はまだ笑っている。しかし御子は真顔で答えた。 「どうしても放っておけなかったのよ。年はずっと幼いけど、出会った頃の礼似によく似ているんだもの」 「私に?」礼似も笑うのをやめた。 「極度の人間不信、相手の急所を突いて自分を覗かせまいとする激しい自己防衛。昔のあんたにそっくりじゃないの」 「そうだったかしら?」礼似はとぼけた。 「それで真柴組長には何か考えがあるのね?」土間が聞いた。 「ええ、よくわからないけれど美羽をこてつ会長の家に向かわせたみたい。上手くすれば奥様が何とかしてくれるかもしれないって」御子が答える。 「あそこは別次元だからね。何が起きても不思議じゃないわ。・・・おっと、時間だわ」礼似が慌てて席を立った。 「何?礼似、早退?どうかしたの?」御子が聞く。 「礼似には今週中はこてつ組の仕事があるのよね」土間が代りに答える。 「こてつ組の?」 「ちょっとね。ホテルで清掃員のアルバイトをして来るわ」そう言って礼似はそそくさと出て行ってしまった。
3.子猫のお使い 「ふう、一段落したわね。一服しましょ」小柄な年配の女性が言う。 「はい、あ、お茶、入れますね」礼似がお茶の準備をする。 ここは市街地中心部にあるシティホテル。この街の観光拠点にはうってつけのホテルだ。このホテル、実はこてつ組が後ろ盾になって采配を振るっている。酒や食材の入手先。クリーニングや清掃、施設の管理業務先と、その分野は多岐にわたっていた。 しかし今は吸収した元の麗愛会組幹部と、こてつ組幹部との間に激しい競争が起こっている。このホテルの経営方針を巡っては、日々、小さな小競り合いが続いていた。双方それなりに言い分があり、どちらも理にかなった意見なのだから、最後は結果の出た方に軍配が上がり、こてつ組の主権を握って行くのだろうが、今はまだどちらとも言えない状況だ。 それはそれで仕方が無いのだが、こういう時にはそのすきに漬け込む者が出てくるのが相場で、その手の事は末端の者への影響になって表れる事が多い。今回はホテルの下請けの清掃会社の様子を調べるように、礼似は命を受けていた。期間は一週間。礼似が臨時のアルバイトとしてその清掃会社に雇われてから、三日立っていた。 「じゃあ、本当は今の人数では一人足りないんですね」礼似が女性に聞く。 「そうなの。それでも今はあんたがいてくれるから何とかなっているけど、来週ちゃんと雇ってくれるかどうか。まったくあの社長のケチさには付ける薬が無いんだから。始業時間三十分前にシーツを剥いだり、ゴミをまとめたり、細かい事をやっておいてるでしょ?帰りは帰りで同じくらい雑用に追われているし」 一人就業前後に三十分。一日一時間。ここは常に八人いた従業員を今は七人で回しているという。事前に書類は調べつくしたが、そんな記述は何処にも無かったし、人件費分が浮いた事実もなさそうだ。 こりゃ、面接の時にあった、あのケチ社長のピンはねが濃厚だな。ギャンブル好きの噂もあったし、叩けばほこりが出てきそうだ。ばかねえ。こんなことで信用落としたらすぐ契約切られちゃうのに。従業員も気の毒だわ。下の者に言ってちょっときつく締めあげておこうかしら。 礼似はそんな事を考えていたのだが・・・。 「あら、沖君。今日はもう上がり?」女性が警備員姿の男性に声をかけた。 「はい、お先に失礼します」沖と呼ばれたその男性があいさつをする。 「待って、帰るなら宴会係の前田さんの所へ寄ってね。バイキングで残ったケーキがあるって。奥さんと食べなさいね」 「またですか?なんか悪いなあ。ここのパテシエのケーキですよね。前田さん、ちゃんとバイキングに出してるんでしょうね」沖は笑いながらも恐縮している。 「いいのよ、お偉いさん達のパーティーなんて食べ物はお飾りみたいなものなんでしょ。誰かが食べなきゃ捨てるだけなんだから」 「じゃあ、遠慮なく貰って帰りますよ。じゃ、また明日」 「お疲れ様。前田さんによろしくね」女性も会釈を返した。 沖が出て行くと「あの沖さんって人、私たちの仕事も時々手伝ってくれますよね」と、女性に話しかけた。 「…いい人なんだけどね。かわいそうに、先月中学生の娘さんを事故で亡くしたばかりなの」 「まあ…。気の毒に」 「本当に気の毒。結婚後もなかなか授からなかった一粒種の娘さんだったの。そりゃあ可愛がっていてね。だから夫婦そろってひどい落ち込みようだったのよ。今はああしているけど、気持ちが立て直せるまでまだまだ時間がかかるでしょうね。だからみんな彼の事は気遣っているのよ」 礼似は御子が話していた美羽の事を思い出した。手中の珠のように育てられた少女が命を奪われ、野良猫の様に放り出された少女が感情を押し殺して生きているなんて。世の中うまくいかないものね。 礼似はいつになくしみじみとしてしまった。 「ここで・・・いいのかな」 こてつ家の大きな門前で、美羽は戸惑っていた。 随分大きな屋敷だ。作りは社会科見学で目にした武家屋敷にそっくりで、一見個人の住宅には見えなかった。 門から庭を覗いて見るが、庭も大きくて立派そうだ。 真柴組長に菓子折を持たされ、ここへ届けるように言われた時は「こういうのを一宿一飯の恩義って言うんでしょ」と、軽くふざけながら気軽に引き受けたが、こんな屋敷だとは思ってもみなかった。 恐る恐る門をくぐり、立派な引き戸の玄関前に立ったが、呼び鈴の場所が解らない。仕方なく引き戸に手をかけてみるとするすると戸が開いてしまう。 「随分、不用心な家だな」 半ばあきれながらも美羽は玄関の中に入った。 すると、いきなり度肝を抜かれた。 玄関の正面には大きな角を生やした鹿の首が掛けられていた。 その下には様々なはく製や、焼き物、大きな壺や巨大な木の彫り物などが所狭しと並んでいた。 「ここ、博物館じゃないよね」美羽は思わずつぶやいた。 その瞬間、目の前にあったはく製が動いたような気がして、美羽は悲鳴をあげそうになったのだが・・・ はく製じゃない。なにこれ?たぬき? それは良く見ると柴犬だった。床に根付きそうなほどどっしりと座って、丸い身体の上になんともユーモラスな満面の笑みが乗っている。この姿にみの笠と酒瓶を添えたら信楽焼の狸にそっくりだ。 本来、箸が転がってもおかしい年頃。さっきまでの緊張の裏返しか、美羽は思わず笑い出してしまった。玄関に明るく美羽の笑い声が響く。 「面白い子」美羽は笑いながら柴犬をなでてやる。すると 「どなた?」と声をかけられ、自分の目の前に品の良い女性が立っている事に気が付いた。由美である。 「あ、あの、あたし・・・」とっさの事に美羽はどぎまぎした。 「あたし、真柴さんに頼まれてお使いにきました。これ、どうぞ」 美羽は両手を突き出すようにして菓子折を差し出した。 由美は少し驚いた顔をしたが、すぐににっこりとほほ笑むと菓子折を受け取る。 「それは御苦労さま。せっかくだから上がってジュースでも飲んでちょうだい。タエさん。ジュースの用意をして」と、奥の方に向かって声をかける。 「どうしたの?早く上がって」 笑顔の由美に促されて、美羽は魂でも抜かれたかのように屋敷の奥に入っていった。
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