完全に勝負の付いたその場で、永井は最後の悪あがきを見せた。 「お前、そんな女と組んでいると、今に自滅するぞ。俺はそいつの両親の末路を知ってる。お前らも、今に同じ道を歩む事になるだろう」 「私の親?」礼似は思わず口をはさんだ。一樹は舌打ちをする。 「ああ、あんたは母親に瓜二つだ。その顔を俺が忘れる訳がない。あれほどの詐欺師はそうざらにはいない。しまいには人殺しまでしでかした。最も亭主の方は殺し屋だったが」 礼似の動揺を見てとった永井は、矛先を礼似に向けた。 母が人を殺した?そんな話、聞いて無い。 「でたらめ言ってんじゃないでしょううね?」礼似が動揺しながらも永井に聞く。一樹との約束など、すでに頭には無かった。 「でたらめじゃないさ。俺が自分であんたの両親に依頼したんだからな。あんたはあの親の血を受け継いでいる。このまま無事でいられる人生を送れるとは思わない。どうせろくな死に方しないぜ」 負け惜しみなのは言ってる本人も重々承知の上だろう。ろくな死に方しないのは元から覚悟の上だ。 それでも礼似は永井の言葉に動揺してしまった。 「父親が人殺しなのは知ってたわよ。このうえ母親の経歴にちょっとくらいハクが付いたって大してかわりゃしないわ。だいたい人の親に頼んでおいて自分はのうのうと生きながらえながら、子供に八つ当たりするなんてみっともないにもほどがあるわ」 礼似は永井を嘲笑った。 「八つ当たり?あんたの母親はあんたを殺すと俺に脅されて、人を殺したんだ。しかも俺が依頼した男じゃない。その女房の方を殺しちまった。あんたは天秤に掛けられたのさ。あんただってこんな世界に入った以上、いつかツケが廻ってくるぜ。その時はきっと、そいつも巻き添えさ」 永井は一樹の方を見てにやりとする。 「悪あがきもほどほどにしときな。あんたが何を言おうとあんたのしたことは消えないぜ。裏切りの代償はしっかり払ってもらうからな」そう、一樹も凄んだ。 永井は幹部達に引きずられるようにして、部屋から追い出されていった。 怒涛の幹部会が終了すると、礼似は一樹を問い詰めた。 「一樹は全部、知ってたのね。だから永井にかかわるなっていったんでしょ」 「解ってるなら聞くなよ」 「随分とお優しい配慮だけど、あんたらしくないわ。何故、永井が私の親に人殺しを頼んだ事を言わなかったの?」 「言う必要が無かったからさ。言っただろ?俺は永井に個人的な恨みがあるって」 「どんな恨みよ?」 この問いに一樹は礼似にあの視線を向けた。激しい憎悪と困惑。今は怒りも見て取れた。 「本当に聞きたいか?」 一番知りたくなかった事を知ってしまいそうだ。礼似の心に恐怖が走る。それでも真実が聞きたかった。何よりも一樹の口からそれが聞けるのは、きっと今しかない。 「聞きたいわ」礼似は覚悟を決めた。 一樹は懐から小型の銃を取り出した。 「これは俺の母親を殺した銃だ」そう言って、まるで愛しむようにそっと銃をなでた。 そしてその銃を握ると、銃口を真っ直ぐに礼似に向けた。 「この銃で俺の母親を撃ったのは、お前の母親だよ、礼似」 礼似は一樹の視線を全身で受け止める。一樹が見ているのは自分の姿だろうか?それとの過去の、自分とそっくりな母の姿だろうか? 「あの時、父親は命を狙われていた。俺からすれば自業自得だが、俺の母さんにとっては父親も大事な存在だったんだろう。あんたの母親に騙されている事に気が付いて、父に知らせに行ったのさ。その時俺達兄妹もそこにいた」 一樹の視線が緩んで遠い目に変わる。 「そこにあんたの両親が乗りこんできた。あんたの父親は俺の父親に抵抗されて殺しそこないそうになっていた。あんたの父親は銃を取り落とした」 そして視線を足元に落とすが、銃口は礼似に向けられたままだ。 「その銃をすかさず拾って、あんたの母親は父を狙ったが・・・」 一樹はあらためて礼似に視線を浴びせる。 「俺の母さんは父をかばった。当然銃弾を浴びて死んじまったよ。俺はあんたにそっくりなあんたの母親に、自分の母親を殺されたのさ。・・・ちょうどそんな姿の女に」 一樹の視線の密度が濃くなった。 「結局父親もあんたの父親に撃ち殺された。二人とも俺達には目もくれなかった。二人が車で逃げようとするのを見て、俺はとっさにガレージからブルーシートを持ち出して近道を先回りした。その道は崖の途中でしかもカーブが続いている。俺はフロントガラスに向けて、思いっきりシートを投げつけた」 軽くため息が漏れる。 「車はあっけなく転落したよ。自分でも信じられなかったくらいだ」 「一樹が私の両親を殺したの?」 礼似が聞いた。銃口を向けられているというのに、自分でも意外なくらいに穏やかな声だった。 「そうだ。あの時はお前の存在なんて知りもしなかった。思いがけず復讐をやり遂げて呆然としていただけだった。その後は小さな妹と生きるだけで精いっぱいだった。すべては済んだ事のはずだったんだ」 一樹の声に苦々しさが混じる。 「だが俺は道を外れちまった。まともな生き方なんて出来なかった。この世界に入って間もなく、永井が俺の父親を狙っていた事を知った。そのためにお前の命と天秤に掛けられたことも」 口調に怒りがにじんできた。 「それでも俺の憎しみの矛先は永井だった。あんたに同情は寄せても、怒りは湧かなかった。あんたの事なんて知りもしなかったし、俺には関係ないと思っていた」 そして、目の色全てが憎しみに彩られて、礼似を睨む。 「ところが俺はあんたの姿を見てしまった。顔も、姿かたちも、しぐさまでも母親そっくりなあんたを知ってしまった」 一樹の視線はあまりにも強すぎる。このまま視線で殺されそうなほどだ。礼似は身じろぎさえできなくなっていた。 「礼似、あんたには関係ない。頭では解っているんだ。それでも俺はあんたの姿を見ると憎まずにはいられない。 どんなに忘れようとしても、あんたの姿が頭から離れない。あんたはあの女の血をひいている。あの女と瓜二つの顔と姿をしている。髪を振り上げるしぐさまでもがそっくりだ。そしてあの女はあんたとおれの親を天秤にかけた。あの女はあんたのために俺の親を殺したんだ」 「もうやめて!」 礼似は思わず叫んでいた。一樹は銃口を向けたまま言葉を切った。 「なんで今まで私を守り続けたの?そこまで憎んでいる私を」 礼似は聞いた。声が少し上ずっていた。 「もしもお前が殺されるなら、他の誰でもない、俺の手でお前を手にかけたかった」 一樹は静かな口調で言った。 「今がまさにその時って訳ね?」 一樹は返事をしなかった。代わりに一歩ずつ礼似に近づいて来る。礼似は動けなかった。一樹の手に握られた銃より、一樹の視線にとらえられてその目を離す事が出来ない。 一樹に殺されるんなら本望だわ。 唐突に礼似はそう思った。恐怖心はなかった。これが私達の上り詰めた先にあるものだったんだと、心から納得していた。 私を憎み続けた一樹。 守り続けた一樹。 共に上り続けた一樹。 そして、苦しみ続けた一樹。 たとえ生き続けていたって、こんな男、もう二度と出会うことはないだろう。 これで私達はやっと解放されるんだわ。一樹は憎しみから。私は母の呪縛から。 礼似はありったけの優しさをこめて一樹の目を見た。一樹に最後に残す表情を苦悶のものにしたくない。そんな思いがわきあがったのだ。 一樹は礼似の目前まで来ていた。今にも銃口が礼似に触れそうなほどだ。その間、一樹はずっと礼似の目を見ていた。 不意に一樹が笑いだした。声を押し殺すようにして。いや、本当は泣いているのだろうか?瞳の表情が変わっていた。 一樹はしばらく肩を揺らしていたが、やがて銃を下ろすと 「気付いていたんだ。礼似、俺はもう、お前を殺せない」と言う。 「殺せるものならとっくにやっていたはずだ。あの乱闘の時から解ってたんだ。お前を憎めば憎むほど、俺はお前を殺せなくなるって」 そして大きく、ため息をつく。 「お前の姿を憎むほど、お前の姿が焼き付いて行く。その顔を憎むほど、お前の顔が頭から離れない。あまりにもお前は俺の中に長く居過ぎたんだ」 そう言いつつ、一樹の瞳がうつろになっていく。 「なんで私を殺せないの?私、一樹だったら殺されても恨まないわよ」 礼似ははっきりといい切った。それほどまでに一樹に惹かれている事に気付いてしまった。 「何故?何故かって?」 一樹は礼似を引き寄せ、そのまま口づけた。 「これが答えだ。礼似」 一樹はうつろな瞳のまま、礼似を見つめていた。
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