麗愛会に入って、一樹はこの世界でも特殊な存在だと知った。 そもそも一匹オオカミ的な人間が多い世界だが、一樹はなかでも特にその要素が強いようだ。 しかしそこは礼似も同じで、似たような感覚の礼似を一樹が選んだのもうなずけるような気がする。 一樹はどこにいても、何をしても、人交わりのない男だ。そんな男は情報や、人間関係に疎く成りそうなものだが、一樹はどんなコネがあるのか、麗愛会の内部事情によく精通しているらしい。一樹と同じような野心家たちにしてみれば、一樹の存在はなかなかの脅威になっているらしかった。 そんな一樹が自分と組むためにわざわざ呼んで来た女と言う事で、礼似は一斉に組織中の注目を集める事になった。「疾風の礼似」そんなあだ名がある女。どれほどのものかと誰もがささやいた。 まずは評判の腕っ節を確かめようと、シマの喧嘩に駆り出された。礼似は喧嘩には慣れている。鉄パイプの一本もあれば、すぐにカタを付けた。 ちょっとした脅しや、とりたてなら、力と口車で難なくこなしてみせた。 しかし、大がかりな乱闘などには一樹が反対して、礼似を使わせなかった。礼似自身は出てもかまわなかったのだが 「俺はあんたにそんな事をさせるために組んだ訳じゃない」と、一蹴した。 「それに、あんたの顔があんまり知られて欲しくない。あんたに地味でいろとは言わないが、余計な所に顔を売られちゃ困る事もある。俺達には大事な仕事があるんだ」 「一樹にとって私は美人局まがいの手口のための大事なダシって訳ね」礼似が皮肉をこめて言うと 「切符だよ、あんたは。俺達が上っていくための」と、言う。 「・・・一樹が、でしょ。私は幹部なんか興味がないわ」礼似はそう否定したが 「いや、礼似は俺が上がっていく事には興味があるだろ?まあ見てろ。すぐに俺に興味を持たせてみせるよ」 と、自信をのぞかせる。そしてその言葉通り、礼似は一樹の情報力に舌を巻く事になった。 最初の標的は、隣町の麗愛会と似たような新興勢力の幹部だった。向こうも麗愛会と同じように、巨大な勢力や、古くからの地盤がある勢力には切りこみにくい。そういった事情はまったく一緒なので、隣街とはいえ油断なくけん制し合う状態が続いている、直近の脅威と言っていい関係だ。ここを叩いておけば、自分の街の勢力だけに神経を集中する事が出来る。逆に、ここにまで踏みこまれるようでは、とても組織を維持できる状態ではなくなる。 そんな微妙な位置にいる組織の幹部の内部事情を、どういう訳か一樹はかぎつけたらしい。 「多分資金の横流しだ」と、一樹は言う。 「必ず裏帳簿があるはずだ。あの男は闇金を三つ、取り仕切っている。それなのに組織の中じゃ、妙になりをひそめているらしいし、その割には羽振りがいい。絶対、組織に気付かれたくない弱みを持っている。あの男の性格からいって、まず考えられるのが横流しだろう。あんたはそれを確認してくれ。モノがある事が解れば後は簡単だ」 「どうやって接触するの?怪しまれちゃ困るじゃない」 「あいつにはちょっとした弱みがある。いや、本人は弱みだと思ってないだろうが、あいつは女の切り方が下手なんだ。つまらない恨みを買っても、気付かない節がある。そこを利用させてもらうさ」 一樹は相変わらず自信ありげに笑った。 接触を計る時は相手のテリトリーで。それは騙しのテクニックの必須項目だ。礼似もそれは解っていたが、まさか接触場所が相手のど真ん中・・・向こうの本部事務所の入ったビルの前とはさすがの礼似も思わなかった。 これで自分の身は完全に守れって言うんだからね。なんて図々しい奴。礼似は苦々しさを感じるのを通り越えて、あきれてしまった。こんなところで正体がばれたら、ひとたまりもないだろう。 しかし礼似は見た目には特別な事はしていない。かつらや、普段と違う化粧などの不自然な格好は、返って目立ってしまうものだ。 それでも、普段はおろしている髪を上げ、いつもと違う色の口紅を使い、あまり着る事のないワンピースに身を包むと、それだけで印象は大きく変わる。 「ターゲットはなかなか頭の回る奴で、裏帳簿を本部事務所の中に隠しているらしいんだ」 「組織のど真ん中に?いい度胸してるのね」 「じゃなきゃ、横流しなんかできないだろうぜ。それでも月に一度は帳簿の確認作業で置いておけない日がある。それが今日だ。おそらく昨日持ち出したモノを、今夜、またここに置きに来るはずだ。あんたにはそこを狙ってもらう」 「間違いなく、モノを持っているタイミングを狙うって訳ね」 「そう言う事だ。さあ、ここからは礼似のお手並み拝見だ。ただし、深入りはするなよ」 解ってる。そう返事をする代わりに礼似は軽く手を振り、ターゲットに向かって歩き出した。 「…名取さん。ですね」礼似はターゲットに声をかけた。 「誰だ?」名取は不審そうに礼似を見た。とっさに書類ケースを後ろに隠すようなしぐさをする。ほとんど無意識のようだ。 ビンゴ。間違いなくケースの中にモノはありそうだ。ただしここまでは一樹の計算の範囲内だが。 「聡美の友人です。って言えば、解るかしら?」そう言いながら礼似は名取を観察する。成るほどここは接触するにはここはベストな場所だったかもしれない。名取は事務所の入ったビルの方に意識を取られている。書類ケースを持つ手が何となくぎこちない。これでは礼似に不信感を持っても、冷静な判断は出来にくいだろう。こっちにも危険な場所だが、ターゲットにとってもリスクの多い場所なのだ。 「聡美?あいつとはもう切れたんだ。あいつの事で話す事はない」そう言って名取は礼似を振り切ろうとする。 「聡美があなたのところの幹部に近づいてるのを知ってる?」すかさず礼似が言った。 「どういう事だ?」 「あの子、あなたにあんまりひどい切られ方したんで、半ばやけになってるの。ある幹部と付き合い始めて、あなたの持ってる例の帳簿の事を全部ばらすって息巻いてたわ」 名取の顔色がはっきりと変わる。 「例の帳簿?なんの事か解らんが」 「とぼけたって駄目よ。あの子、あなたが思ってるほど鈍い子じゃないわよ。あなたの羽振りが急に良くなってから、態度が変わったって、いつも愚痴ってたんだから。コソコソとファイルを隠している所を見たって言ってた。どうせ、その書類ケースの中に入ってるんでしょ?」 礼似が書類ケースに目を止める。 「私なら、あの子を止められるかもよ。ばらされたら困るんじゃないの?」礼似は薄く笑う。 「・・・何が望みだ?」 「別に。私はあの子に無茶をさせたくないだけ。私自身には何の関係もない事だしね。ただ・・・」 「ただ?」 「ちょっとお小遣いがあると嬉しいんだけど」 結局のところはゆすりか。名取はとりあえずホッとした。金でカタが付くなら、ばれるよりはよっぽどいい。金額にもよるが。 「いくらだ?」 「とりあえずは十万、かな?」 「とりあえず?」 「後は私とのお付き合い次第ってとこかしら」 「俺をカモにしようっていうのか?随分度胸のいい女だな」名取は礼似を睨みつける。 「にらんだって駄目。それにこんなケチが付いたら、その帳簿も近々様子を見ながら処分するつもりでしょ?ゆすりはこれっきり。後はホントに私とお付き合い次第って事よ」そういいつつ、礼似は名取に腕を組んで見せる。 「私、あなたの要領の良さに興味があるの。聡美の後釜ってのは癪だけど、結構お互いにおいしい思いが出来るんじゃないの?」そう言って、名取の目を覗きこんだ。 名取はざっと礼似を見る。なるほどこれなら、たまの小遣い程度で、そこそこ楽しめるかもしれない。ちょうど聡美とも切れた所だし、条件は悪くない。 「解った、乗ろう。とりあえずここじゃまずい。こっちへ来てくれ」 そう言って名取は礼似を路地裏の方へ連れて行く。 すると、路地を入ってすぐの所に一樹が待ち構えていた。 「その女に手を出されちゃ困るんだがな」一樹が名取に向かって言う。 「誰だ?」名取が唖然としながら聞く。 そのすきに礼似は名取から離れ、一樹の後ろへ回った。手には腕を組んだ時にそっと取り上げておいた、書類ケースを持っている。 「お前ら・・・グルか」名取は顔を真っ赤にしている。 「女相手に油断する方が悪いんだろ?帳簿は頂いて行くぜ」一樹がそう言い終わらない内に、名取が一樹に向かって来た。 しかし一樹は難なく身をかわし、名取の顔を殴りつけた挙句、みぞおちを蹴りあげた。 名取の体が崩れ落ちると、二人はその場から離れ、タクシーで夜の街に身を消した。 手に入れた書類ケースの中には裏帳簿はもちろん、横流しにかかわったらしい人物達の、名前と携帯番号の書かれた手帳も入っていた。中には組織以外の幹部や、関係先の人物の名前も書かれており、携帯に登録する訳にはいかなかったのだろう。麗愛会はこれを使って相手の組織をおおいに攪乱させた。ほぼ、壊滅的と言っていいほどの状態だ。 一樹と礼似はこれで一気に組織の中で名を上げた。嫉妬と尊敬の入り混じった視線が常に二人には注がれた。 「上々の出来ね。一樹、あんた、大したもんだわ」礼似は称賛した。 「だから言っただろ?俺に興味を持たせるって。礼似もいい仕事をしてくれたよ。さすがに俺が見込んだだけの事はあった」 一樹の自分褒めも礼似は気にならなくなった。情報は的確で、良く集めてあった。段取りや場所選びも良かったし、腕っ節の方もなかなかのものがあった。あれだけ計算されていた行動だ。もし、礼似の身に何かがあったとしても、一樹は油断なく対処できる状態で見守っていたに違いない。 こいつは本物だ。礼似は確信した。 一樹を信用できなくても、一樹の仕事は信用できる。それは一樹も同じだろう。 初仕事がうまくいくと、二人は仕事に関しては十分に信頼関係を結ぶ事が出来た。おかげでその後の仕事はトントン拍子に進んで行く。 企業幹部の持つ極秘事項、代議士の弱み、他の組織からの情報のすっぱ抜き。二人は様々な仕事を成功させる事が出来た。そのたびに二人の評判も地位も上がっていく。 しかし、それでも礼似は一樹本人を信用する事は出来なかった。もともとの人間不信のせいもあるが、それだけではなく、一樹には何か異様な雰囲気があった。 特に、一樹が時折見せる礼似に対する視線に、礼似は尋常ではない何かを感じ取ってしまう。それが何なのか、礼似にはどうしても解らずにいた。 それでも仕事の関係と割り切ってしまえば、一樹はいい相棒だった。一樹の言ったとおりだ。 確かに礼似は、一樹に興味を覚えずにはいられなくなっていたのだから。
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