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作品名:利絵子の夏 作者:高橋隆

第13回   第九話 「父の仕事」 前編
「利絵子の夏」

第九話 前編

 私はふとしたことから、父の仕事を見ることになった。
 それは、相も変わらず散歩をしていた時のこと。


「息子が、息子が……!」
 誰かの母親らしき人が、叫び声を上げていた。
 そばには、小さな男の子が横たわっていて、微動だにしない。
 真っ赤な液体が、まるで水たまりのように周囲に溢れている。
「……この地区に住んでいる以上、仕方のないことです」
 真っ黒なスーツを着た中年の男性が、母親のそばで言った。
 それは、私の父だった。
「でも、でも……!」
 倒れている男の子の母親が繰り返し叫ぶと、私の父はその母親に向かってひどく冷たい目つきを投げた。
「……あなたがそれ以上異議を唱えるなら……私たちは、あなたに対する住居、現金の供給を直ちに停止します」
 母親は、呆然としていた。
「……うそ、でしょ」
「残念ですが、本当のことです」
 二人は少しの間、無言になった。
 それから父が、
「ですが、『何もなかった』ことにすれば、あなたの住居は今まで通り確保されます。息子さんに対する見舞金もおります。それで、手を打って頂けませんか」
 母親は、言葉を失っていた。
 が、それから急に怒りの目つきをあらわにして、
「ふざけるんじゃないわよ! にんげんが一人死んでるのよ!? なのに、その事務的な言い方ってなによ!」   
「手を打って頂くことは、できませんか……」
 父とは対照的に、母親の激昂は止まらなかった。
「当たり前よ! 息子の命を返してよ! 返して!!」
 父はそれを見て、静かに胸ポケットに手を入れた。
 それから、黒く沈んだ鉄のカタマリを取り出して、
 そして、

 ___
 

 私は、その光景をじっと見つめていた。
 人間というものの儚さ、虚しさ。
 何十年かの積み重ねが、ぱっ、と散る瞬間。
 透明で綺麗な青空と、セミが鳴く声。
 そんなのどかな風景とはあまりにもアンバランスな眼前の世界。
 非日常。
 お父さんはそんな世界の中から、私を見つけて、
「……ごめん」
 と私に向かってただひとこと、ぽつりと呟いた。 
 わたしは、わたしのからだとこころが、かたかたと震えて、とまらなかった。


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