「利絵子の夏」
第八話
私は取調室のような部屋で、合いも変わらず親子丼を食べていた。 「これで、6回目くらいですね。……そのうち市役所が、無料で食事をふるまう場所という噂が広まってしまうかもしれません」 タカハラさんは苦笑していた。
私はタカハラさんに初めて会って親子丼を食べて帰ることになった後も、市役所に通い続けていた。 特に理由は無い。 ただなんとなく、その方がいいのかもしれないと感じたからだ。 タカハラさんは私が来ると毎回取調室のような殺風景な部屋に案内し、二、三の雑談を交わした後、親子丼を振る舞ってくれて、その後私は慣例のように市役所を後にしていた。 「……実は以前にも、利絵子さんのように、市役所に足を運んできた子は居ます。しかし、大抵市役所の前で数十分うろうろして引き返してしまうか、親子丼を一杯食べてもう来なくなってしまうかのどちらかです。だから、君のような子はめずらしい」 私は親子丼を黙々と食べながら、 「特に行くところもないし、それになんとなく、ここに来たほうがいいような気がしたから……」 私が言うと、タカハラさんはくすっと笑った。 「それは、ある意味では面白い考えかもしれません。私は情に流されてしまうことはあまりないのですが……」 タカハラさんは、不敵な笑みを浮かべた。 「面白そうな子には、つい、ポロっと何か重要な言葉をこぼしてしまうことがあるのです」 タカハラさんは、いやはや困った性格を持ったものです、と言って笑っていた。 私は純粋にタカハラさんを、不思議な人だと思った。 そして、少し面白そうな人だとも。
私が親子丼を食べ終わる直前、 「あなたは、どう思いますか?」 「どう、って……何がですか?」 「例えば目の前に、今すぐ死ぬことを迫られる人か、死ぬことは無いまでも、住居を失い、道端で生きなければならなくなる人がいるとします。そんな人に対して、私たちは『契約』を結びます。すると、その人は『まっとうに生きるよりも身体的な寿命は短くなるかもしれません』が、『予想出来ない何らかの出来事が身に降り懸かることがあるかもしれません』が、夏は涼しく冬は暖かい部屋、そして豪華とは言わないまでも、スーパーでお肉や野菜を買って食べられるようになります。……果たして、前者と後者、どちらがよいと思いますか?」 私は、答えることが出来なかった。 タカハラさんは続ける。 「私たちはそういうことをしているのです。……よいにせよ、悪いにせよ」 タカハラさんは、取調室にたった一つだけある窓を眺めた。 それは、美しい青空。 薄暗い取調室のような、灰色のコンクリートがかった壁でとりかこまれた部屋の中からは、一層空が美しく、輝いて見えた。 「そしてあなたは、それを善とするかそうとしないかを、早めに心の中で決める必要があります」 「……なぜですか?」 私が言うと、タカハラさんは壁にかかっている時計を見た。 「……チャンスタイムは、そろそろおしまいです。後は、自分で考えてみて下さい」 私は再び市役所を後にした。
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