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作品名:トロイメライ 作者:zanpang

第21回   トロイメライ
 このごろ、駅や電車などで修学旅行生をよく見かける。今乗ってきた彼らは中学生だろうか、全員手にUSJの袋を提げている。彗太は友人らと天王寺駅で別れたあと、大阪環状線に乗って帰宅の途についていた。新今宮にある温泉施設に行ったのはよかったのだが、久々のプールではしゃぎすぎて、彗太はすっかり疲れてしまった。彼は席に座って少しまどろみながら、他にも席は空いているのに、全員立ったまま楽しそうに話している中学生らを見ていた。懐かしいな、と彗太は思った。彼も中学の修学旅行で大阪・京都・奈良を訪れ、当時開業したばかりのUSJにも行った。もっとも、彗太の場合は中学三年の春だったが。
 (もう、何年前だ?)
 彗太は頭の中で指を折った。中学最後の一年、高校の三年、浪人した一年、それから大学生になってからの一年半、合わせると六年以上になる。あれからもうそんなに経つのか、と彗太は感慨深くなった。
 「こら、男子!何ばしよっと!」
 班長らしき女子生徒が、電車のつり革にぶら下がって遊びはじめた他の男子生徒らを叱った。彼らも九州から来たのだろうか、さっきから聞こえてくるお国言葉に、彗太は微笑ましくなった。自分も彼らと同じように、一日中USJで遊んだあと、家族へのお土産を持って、興奮冷めやらぬまま「汽車」に乗ってホテルへ帰った。あの頃は、同じところを回り続ける「汽車」に乗ることが楽しくて仕方なかったのに、今はその揺れが眠くてしょうがない。彗太はつい目を閉じた。

 「内回り?外回り?俺らどっちに乗るんだっけ」
 「まあ、どっちでもよか。この汽車ぐるぐるしとるだけだから、いつかは着くって」
 どこかで聞いたことのある声だった。ふと目を開けてみると、さきほどの詰襟・セーラーの学生服の彼らではなく、紺のブレザーを来た中学生らが集まって話していた。みな一様にUSJの買い物袋を手に持っている。そのなかに、六年前の自分がいた。夢を見ているのだ、と彗太はすぐに気づいた。
 「摂津、何買ったんだっけ」
 「えーと、弟にぬいぐるみと、お菓子と、あと弟のTシャツ」
 「弟のばっかりかよ!」
 「摂津くん、奈良でも弟くんに鹿のおもちゃ買ってたよね」
 「べ、別にいーだろ」
 その当時、弟の門馬はまだ、前の年に生まれたばかりの赤ん坊だった。年の離れた弟が彗太はかわいくて仕方がなくて、どこかに行くたびに彼へのお土産を探してしまっていた。同じ班のメンバーらにからかわれながら、他の生徒より一回り大きな袋を提げた中学生の彗太は、彼らとともに「汽車」を降りた。
 場面が突然、長崎へ帰るバスの中に切り替わった。大学生の彗太もいつの間にか、環状線の車内からバスの中へ移動していた。バスは往路の喧騒からは考えられないくらい静かで、遊び疲れた生徒らは、隣に座った友人と互いに肩をあずけながら眠っていた。一番後ろの座席に座った中学三年生の彗太は、バスの揺れに少しうとうとしながら、お土産の入った袋の中を見ていた。自分は何を買ったのだろう、大人の彗太は昔の記憶を辿った。確か、最初に訪れた京都では文野にがま口財布を選び、次に行った奈良で門馬のために鹿のおもちゃを購入し、最後に寄った大阪で門馬に菓子とTシャツ、それから守に赤福を買った。本当は、守からは「釣り鐘まんじゅう」なるものを頼まれていたのだが、見つけきらず、代わりに以前好きだと言っていた赤福にした。彗太はその袋を大事そうに抱えて、他の生徒らと同じように幸せそうな顔でいつの間にか眠りについていた。それを見ていた今の彗太は、このまま時間が止まってしまえばいいのにと思った。
 また場面が転換した。今度は病院の一室だった。白い壁に白い家具、いたって特徴のない部屋が、窓から差す西日ですべてオレンジ色に染まっていた。彗太はすぐに、ここがどこなのかがわかった。個室の中では、ベッドに横たわる守と、その隣に修学旅行から帰ってきたばかりの彗太が椅子に座っていた。
 「父さん、これお土産」
 「うわぁ、赤福だ。ありがとう」
 守は横になったまま、嬉しそうにピンク色の包装紙に包まれた箱を高々と上げた。
 「ところで、修学旅行は楽しかったかい?」
 「うん。水族館とかUSJとか面白かった。でも、父さんが言ってたまんじゅうが見つからなくて」
 「いいよいいよ。本当にありがとう、彗太」
 守はにこにこと笑ったが、少し痩せてこけた頬が悲しかった。彗太の背が伸びたからだろうか、大きかった父は、ベッドに横たわってなぜか小さく見えた。
 「そうだ、天王寺には行った?」守が言った。
 「天王寺?何それ」
 「大阪にある駅。近くに動物園があって、父さんが大学生の頃よく文ちゃん・・・お母さんと遊びに行ってたんだよ」
 「へぇ」
 母からも一度聞いたことがあったが、両親は学生時代を過ごした大阪で出会ったらしい。ただし、ふたりとも息子に馴れ初めを語るのが恥ずかしいのか、詳しいことは彗太もよく知らなかった。
 「それで、帰りによく四天王寺のほうまで歩いていって、途中で買った釣り鐘まんじゅうを食べながら帰ったんだ。懐かしいな」
 「ああ、じゃあその天王寺に行けばあったんだ。釣り鐘まんじゅう」
 「たぶんね。でも、買ってきたらたぶん、文ちゃん怒るだろうな」
 「母さんが?何で?」
 「彼女、あれ嫌いだから。食感が苦手なんだと」
 守はその時を思い出したように笑った。いつもわざわざ遠回りして菓子を買いに行く守と、デート中、しかも自分が嫌いな菓子を買いに付き合わされる文野。父の隣で若い頃の母が愚痴をこぼしている場面が、彗太にも想像できた。
 「門馬が大きくなったら、一度みんなで大阪に旅行してみるのもいいかもね」
 そう父は言った。中三の彗太はそれに「うん」と答えていたが、それを見つめる今の彗太は、父がどんな心境でこの言葉を述べたのか、今なら少しわかる気がした。あの日、小学六年生の夏に倒れて以来、もともと身体の弱かった守はさらに病気がちになり、病院に入院することもしばしばだった。毎日のように描いていた絵は月に数枚に減り、家族そろって旅行に出かけることもなくなった。前の年に門馬が生まれてしばらくは守も体調がよく、家で幼いわが子の面倒をみていたが、このごろはまた体調を崩すことが多かった。守は軽く咳込んだ。
 「父さん、大丈夫?」
 「大丈夫、へいき。ありがとう彗太」
 彼は咳込みながらも、背中を撫でる彗太に笑って礼を言った。それが収まったあと、守は唐突にこんなことを言った。
 「・・・お母さんと門馬のこと、よろしく頼むよ」
 「は?」
 「彗太は長生きして、ちゃんとお母さんのこと支えてあげるんだよ。お母さん、しっかりしてるように見えて、結構泣き虫だから」
 「何言ってるんだよ」
 「門馬はまだ小さいけど、父さんがいなくなっても、彗太が父さんのかわりに色々教えてあげて」
 「やめろって、そんなこと言ったら・・・」
 「全部彗太に押し付けて、ごめんな」
 「ばか!謝るな!」
 彗太は叫んだ。突如、目の前が真っ暗になった。今の彗太が目を閉じたのだ。いや、目はさっきからずっと閉じている。彗太はまぶたを開いて続きを見るのが怖かった。はやく目を覚ましてこの悪夢から抜け出したいのに、彗太はずっと暗闇の中に立っていた。真っ暗な闇の中、彗太は、自分が六年前の自分なのか、それとも今の自分なのかわからなくなっていた。
 「・・・彗太?」
 突然肩を叩かれて、彗太は目を覚ました。冷や汗をかいた額に、天井で回っている扇風機の風が冷たい。見上げると、目の前に千が立っていた。
 「ゆ、き・・・」
 「居眠り?」千は笑って、彗太の隣に座った。それからまだ少し湿っている彗太の頭を見て「どこかに泳ぎに行ったの?」と訊いた。
 「あ・・・うん。スパ・ワールド」
 「そっか」
 千はそう言うと、振り返って窓の外を見た。外はいつの間にか暗くなっていた。自分はいったい、どのくらい眠っていたのだろうか。
 「お前は、どこかに出かけてたのか?」
 「別に・・・あ、これ食べる?」
 千は手に持ったビニール袋の中から、人形焼のようなものを取り出した。
 「釣り鐘まんじゅうっていうんだ。おいしいよ」
 ああ、これか、と彗太は思った。少々わかりづらいが、確かに釣り鐘の形をしている。彼は手にしたそれを見つめた。守が言っていたのはこれだったのだ。
 「どうしたの、彗太・・・」
 「何でもない」
 彗太は釣り鐘をひとつ口の中に放り込んだ。少し固く弾力のある食感は、母と同様、彗太もあまり好きにはなれなかったが、横に座る千はそれをおいしそうに食べていた。 彗太はその様子を見てなぜか安心した。まだ生きている、と心の中で誰かが言った。


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