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作品名:トロイメライ 作者:zanpang

第20回   新学期
 十月になり、彗太たちの通う大学では冬学期がはじまった。といっても、外の気温はようやく秋に差し掛かった様子で、九月の大阪は夏と言ってしまってもよかった。彗太も先日、やっと部屋の扇風機を片付けたところである。ついでに衣替えもして、今日は気に入っている秋物のジャケットを着て部屋を出た。
 「あっ、摂津くんおはよぉ」
 「泉、おはよ」
 一階におりてきたところで、彼よりも一足早く大学に出かけようとしていた泉と出くわした。
 「その上着、新しく買うたん?かわええな〜」
 「か、かわいいかぁ…?」
 そう言う泉は一年中、いつでもどこでもジャージである。何枚か持っているようだが、たまに二日連続同じものを着ていると思われる時がある。この間までたくしあげていたジャージのズボンの裾が下がっているのを見て、もう秋だなぁと彗太は思った。
 「待って摂津、一緒に学校行こー」
 常人よりも体温が高いらしい祥司は、まだ半袖の変な柄のTシャツを着ている。逆に、彼に引き連れられて二階からおりてきた土居は、はやくも薄手のマフラーかストールのようなものを首に巻いていた。夏の間、祥司に冷房の効いた部屋に居座られたせいか、休み前よりも少し痩せたようだった。
 「あれ、ジョナは?」
 一階の玄関先で、土居はきょろきょろとあたりを見渡した。すると、『サザンポート』と毛筆で書かれた半紙を貼った一階のジョナの部屋から、本人が巨大な水槽を抱えて出てきた。
 「あ、みなさんおはようございます」
 「え、ちょ、ジョナ、何それ」
 「はい、実験で使うお魚です。夏の間学校に置いとくと面倒見られへんから、うちに連れてきましたんです」
 ジョナはさらりと言うと、背中で部屋のドアを閉めた。中がどうなっているのか、実はまだ彗太は見たことがない。
 「この寮って、ペット可なの・・・?」土居が小声で彗太に訊いた。
 「さあ・・・ていうか、あれはペット?なのか?」
 ふたりがこそこそ話していると、同じく一階に住む大和があくびをしながら、自室からのそのそと出てきた。彼はもともと少し巻き毛だが、そこにさらに寝癖が加わって鳥の巣のようになっている。どうも今起きたところらしい。
 「ふわぁ・・・眠いわー。こんな朝早うから、みんなしてどっか行くん?」
 「学校だっつーの」
 「ああ、もうそんな時期かぁ。ほんなら行ってらっしゃい」
 大和に送り出されて、彗太は結局、他の住人らと五人揃って大学に向かった。
 「何か、小学生の集団登校みたいやなぁ」
 「『しゅーだんとーこー』って何ですか?」泉のひとり言をジョナが聞き返した。
 「えーっと、集団登校とは、集団で登校すること」
 「泉・・・お前文学部だろ」
 泉のあんまりな回答を受けて、結局土居と彗太が、彼に一から丁寧に説明した。ジョナはそれを聞いて「なるほど」と、一人うなずきながら感心していた。しかし背の高い彼が歩くたびに、頭上で水槽の水面が揺れるので、実は彼以外の全員が、彼の一挙手一投足にびくびくしている。
 「ほんなら、摂津が六年生の班長で、泉が副班長やな」祥司が言った。「で、俺と土居くんが五年生。ジョナはー、えーと、帰国子女?」
 「五年生以下がいねーじゃねーか」
 「それは・・・うーん、少子化の影響で」
 そんな馬鹿話をしているうちに、一同は大学に着いた。正門前で別れる時に、泉が思い出したように手を挙げた。
 「なあなあ、うちひとつ提案あんねんけど。せっかくやから、今日みんなで一緒に食堂でお昼ごはん食べへん?みんな、今日はガイダンスだけやろ?」
 「いいけど、今日学食やってんのか?」
 彗太がそう言うと、泉は「確認済み」と得意げに答えた。
 「今日から九州フェアやるらしくてなー。今週は、長崎ちゃんぽんと皿うどんのセットの特別メニューらしいねん」
 「あ、それ俺も見た見た」祥司が話にのってきた。「デザートが、カステラかびわゼリーのどっちかから選べんねんやろ?普通はカステラやんなー」
 「え?俺だったらびわゼリー選ぶけど・・・」土居がぼそりと言った。
 「ちゃんぽん?サラうどん?何でっか、それ」
 「まあ、食ったらわかるって」彗太は水槽のガラス越しに、ジョナにそう言った。
 十二時過ぎに食堂の入っている学生会館前に集合する約束をして、五人はそのまま各学部の建物のほうへ向かって別れた。彗太は土居と一緒に薬学部棟へ歩いた。中庭のいちょう並木はもうすっかり黄葉して、足元には黄白色をした銀杏の実が転がっていた。

 正午過ぎ、泉以外の男性陣は食堂の前で彼女を待っていた。
 「あいつ、言いだしっぺのくせに、何してんだ」
 彗太はいらいらと時計を見た。時計の針は、もう十二時の二十分を指している。
 「まあまあ、きっとガイダンスが長引いてはるんですよ」
 「それでなくても佐野さん、もともとちょっとルーズな人だしね」土居がぴしゃりと言った。
 「あっ、来た来た、来たでぇ。おーい、泉〜!」
 遠くに泉の姿を見つけた祥司が、大声で彼女の名を呼びながら、両手を上にあげて横に振った。その様子に、周囲にいた学生らが目を留める。
 「ばか、お前がやるとでかくて目立つからやめろって」
 「ん?あれ、泉のやつ、誰か女の子連れ取るで」
 祥司は眼鏡のフレームを持って掛けなおした。そう言われて、彗太たちもそちらに目をやった。確かに、泉はひとりの女子学生の手を引いて―というよりは引きずって―こちらに歩いてきていた。
 「おまたせー。いやぁ、先生らの話が長くってな、かなわんわ。はい、お土産!」
 そう言うと泉は『彼女』の背中を押した。
 「スペシャルゲスト、鶴見千鶴ちゃんでーす」
 「なっ・・・」
 「ち、千鶴ちゃん」
 彗太たちを前に、『千鶴』は無言のまま立っていた。たぶん、半強制的に泉に連れてこられたのだろう。ガイダンスで配られた資料を手に、半分呆然としている。
 「うわぁー!この子か!俺、実ははじめて見るんやけど!うわ、むっちゃかわいいやん!ちっちゃいなー!」
 祥司は興奮しながら『彼女』のまわりをぐるぐると回った。
 「ばかっ、びっくりしてんだろ」
 彗太は祥司を『千鶴』から引き剥がした。『彼女』は固まっていた。たぶん、『彼女』の周りにこんな人間はいないのだろう。
 「はじめまして、お会いできてうれしいです。理学部生物科のジョナサン・サザンポートいいます。はるばるカナダからやって来ました。ジョナって呼んでしもうてください」
 ジョナは、縦に長い身体を丁寧に折り曲げて自己紹介をした。続いて泉が、隣にいる祥司を指差した。
 「この眼鏡のでかいのが森祥司で、えーと、自分工学部やったっけ?まあ、ええわ。鶴見さん、あとのふたりは知ってるんやんな?」
 「うん」土居が答えた。「ええと、久しぶり、千鶴ちゃん」
 「久しぶり」
 ようやく『千鶴』は一言しゃべった。
 「ほな、さっそく行こー」
 泉が先導して、『千鶴』を含めた六人は学生食堂に向かった。ちょうど昼時ということもあって、食堂の中は学生や教師で溢れかえっていた。
 「そうやなぁ、三人は席確保、残りの三人は列に並ぶってことにせぇへん?」
 「俺とこいつが並ぶから、あとは席のほう頼む」
 彗太は泉らの意見は聞かずに、『千鶴』を連れてさっさとその場を離れた。何よりもまず、『彼女』に聞かなければならないことがあった。
 「・・・おい!」他の四人から離れたところで、彗太は小声になって言った。「どうなってんだよ、千!」
 「へぇ、よく俺だってわかったね」
 千はようやくいつもの調子でしゃべった。
 「わかったね、じゃねーよ。それより何だ、その頭」
 彗太は彼の髪を指した。長かった髪は、肩の上の長さにまでばっさりと切られていた。
 「暑かったから切ったんだけど。変?」
 「べっ、別に変とかじゃなくてだな・・・」
 正直、彗太は動揺していた。今の千の髪型は、十年前の千鶴の髪型とほぼ同じだった。違いはそれよりも少し長めということと、前髪を横に分けているということぐらいで、彗太は、成長した千鶴が突然目の前に現れたような錯覚に襲われた。
 「何かあったのか?」
 順番待ちの列に並びながら、彗太が心配そうにそう訊くと、千は困ったような顔をした。
 「みんな同じこと訊くんだよね。どうしたの、って。何でかな?彗太は髪を切るのに特別な理由がいる?」
 「じゃあ、ほんとに何でもないんだな」
 「何もないよ。・・・久しぶり、彗太」千は微笑んだ。
 久しぶり、と彗太も返した。ほぼ一ヶ月半ぶりだろうか。結局、長崎に帰省する日に梅田のバスターミナルで別れて以来、一度も会っていなかったし、互いに連絡も取り合わなかった。彗太は何度かメールをしようと思ったのだが、もしつるに戻っていたら、と思うと怖くてできなかった。千の話からするに、どうも彼女は彗太を毛嫌いしているようなので、これ以上心証を悪くするような真似はしたくなかった。
 「つるは?」
 嫌われているのはわかっているが、彗太は彼女の動向を尋ねた。彗太の問いに、千は首を横に振った。
 「全然音沙汰なし、まったく」
 千はため息をつき、手を軽く胸に当てた。『そこ』につるがいるのだと、彗太は漠然と思った。
 「で・・・元気にしてたか?」
 「俺が?つるが?」
 「あぁ、うん、両方」
 「じゃあ、元気」
 たわいもない会話だが、おそらくふたりの間でしか通じない会話だ。千は声の音量を少し抑えて言った。
 「つるのやつ、あの後も全然出てくる気配がないんだ。もうかれこれ三ヶ月以上か・・・いくら彗太に会いたくないからって、わがままにもほどがある」
 「やっぱ、俺のせいか?」
 「そうだと思うけど・・・でも、つるのこと悪く思わないであげて。あの子はちょっと、打たれ弱いだけだから」
 「別に悪くは思ってねーよ」
 彗太がつるに会ったのはほんの数回だが、優しく親切な、いい子だったように思う。だから本当は、直接『本人』に会って十年前の約束のことを謝りたかった。注文待ちの列がじりじりと短くなっていく。
 「そういや、なんで今日、泉のやつに連れてこられたんだ?」
 彗太は千に訊いた。
 「なんでって、俺が訊きたいくらいだけど・・・とにかく、ガイダンスが終わったあと、佐野先輩が突然『一緒にごはん食べよー』って俺のところに来たんだ。俺もまさか彗太がいるとは思ってなかった」
 「まぁな…悪いな、変な奴らばっかで」
 「ううん。土居くんとか、みんな同じ寮に住んでるの?」
 「うん。土居くんは隣の部屋で、ジョナ以外は全員二階に住んでる」
 千はふうんと言った。
 「それはそうと彗太、俺のこと、みんなの前で『千』って呼んじゃだめだよ。話がややこしくなるから」
 「ああ、うん。なら何て呼べばいい?」
 「千鶴のことは何て呼んでたの?」
 「千鶴?鶴子って呼んでたけど」
 「つる子?」
 「鶴ばあんとこの子だから、鶴子」
 鶴ばあ、という言葉が出た瞬間、千の表情が硬直した。少なくとも彗太はそう思った。
 「どうかしたのか?」
 「いや・・・別に」
 千は口をつぐんだ。少し様子がおかしい。彗太は首をひねらせた。
 「そういえば千、鶴ばあが亡くなったの知ってるか?もう三年くらい前だけど。お前、お通夜の日来てなかっただろ」
 「ああ・・・」
 「あ、もしかして葬式には出てたのか?」
 「いや、出てない。俺たちは・・・その、だめだから」
 「?」
 千は、それ以上話したくないというように、首を軽く横に振った。そうこうするうちに、彗太たちのところに注文の順番がまわってきた。
 「おばちゃん、ちゃんぽん・皿うどんセット六つ」
 「はいよー。デザートは?カステラ?ゼリー?」
 「あ、やべ、訊くの忘れてた」
 「あの、それぞれ三つずつでお願いします」
 千は声音を『千鶴』の高さに変えて、そう答えた。
 「俺が適当に決めたけど、よかった?」
 「いいけど・・・ていうか」
 「ていうか、何?」
 「お前、声変わりすぎだろ。そっちが地声なのか?」
 彗太が言った。千は普段、『千鶴』でいるときよりもいくらか低く、ハスキーな声で話す。もちろん嫌ではないが、彗太は前からそのギャップが少しばかり気になっていた。その言葉に、指摘された千は少しむっとした顔をした。
 「地声って・・・なんだか俺がわざと声変えてるみたいじゃないか。まあ、確かにそうと言えばそうなんだけど。だって、他の人の前でこんな風に、『俺』のままで話すことなんてできないし。いいだろ、彗太の前ぐらい」
 「あ・・・うん」
 「俺、先に清算済ませてくる」
 千が向こうのレジで全員分をまとめて支払っている間に、注文したセットのうち、出来上がったいくつかがカウンターに運ばれてきた。
 「千ー、先行ってるぞ」
 「ゆき?」
 「へっ?うわっ!土居く・・・」
 振り向くと、後ろに不審そうな顔をした土居が立っていた。
 「何でここに」
 「何でって、ふたりだけで六人分運ぶの、大変だろうなと思って来たんだけど・・・ゆきって誰?」
 「あっ、何でもないない!手伝ってくれてありがとな!」
 彗太は土居の疑問を、適当に笑って誤魔化した。彼はまだ怪訝そうな様子だったが、それ以上は聞かずに、ちゃんぽんと皿うどんの乗ったトレーを手に取った。
 「というかこれ、ほんとにちゃんぽんと皿うどんの『セット』なんだ。俺どっちか一方だと思ってた。これじゃむしろ『ダブル』なような・・・」
 その予想外のボリュームを前に、土居はひとりごちた。これに限らず、この大学の学食は基本的に量が多いことで有名だった。
 「俺は、得でいいと思うけど。どっちも好きだし」
 「摂津くん、よくばりなんだ」
 「うーん、まあ、そうとも言う」
 彗太もトレーを持った。その時、レジで清算を済ませた千鶴が戻ってきた。
 「ゆ・・・じゃない、鶴子。残りのふたつ、頼むな」
 「あ・・・はい」
 鶴子、そう呼んだのは久しぶりだった。千は一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに『千鶴』に戻って、ふたりを手伝いに来た土居に笑顔で礼を述べた。


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