「よし、今日はこれでおしまいにしてデートしようか。」 その日は早く切り上げた。いつもならこれから勉強会が始まる時間だった。僕はかおりに食事をご馳走しようと思い、すこししゃれた店を予約していた。車を走らせて行きつけの店に入った。 「わぁ、すてきなお店ですね。」 9時を少し回った店内には、すでに食事を終えて帰ろうとする客が何組かいた。大きな窓と暗めの照明。あちこちから聞こえるささやき声や時折聞こえる男女の笑い声。かおりはこれまでにあまりこういった店に入ったことがなかったようだ。 「お腹すいただろう。おいしいものを食べよう。」 飲み物を注文し、ラストオーダーが近かったので手早く何品か食事をお願いした。 かおりはキールを注文し、運ばれた料理をおいしいおいしいと無邪気に楽しんでいた。男の喜ばせ方を承知しているかのような振る舞いだった。 「今日はいつもと雰囲気が違いますね。」 一通り食べ終わり、空いたグラスが手持ち無沙汰になってきた。 「次、何飲む?」 「カクテル、名前は聞いたことあるけど、そんなに多くの種類を飲んだことないです。こんなお店にも来るチャンスがあんまりなかったし。」 「そっか。じゃあ、どんなのが飲みたい?甘いの?フルーティーなの?しっかりしたお酒らしいやつ?」 「じゃ今度は甘くないお酒がいいな。」 「マティーニを頼んであげるよ。」 かおりは酒をそれほど飲まないが弱くはないと聞いていたのでショートカクテルを勧めた。やはり彼女はマティーニを飲んだことがなく、ピンに刺さったオリーブをかじるタイミングも教えた。グラスに運ぶ彼女の唇が妙に艶かしく見えた。僕はマティーニを飲む女性を眺めるのが好きだった。この夜、彼女は一段と魅力的に見えた。
かおりは一見すると多くの経験を積んだ女に見えた。実際の年齢よりも5つくらい上でも通用するだろう。それは彼女が落ち着いた雰囲気を持っていることが大きかった。しかしその容姿にかかわらず、内面はとても繊細で、幼さを併せ持っていた。母親はかおりが幼少の時に離婚しており彼女は父親を知らない。女手ひとつで育てられ、大学も奨学金とアルバイトで自立して卒業した。社会的には自立できている一方で、かおりは自分を磨く時間を失っていたようだ。時折見える幼さがその証拠だ。年上の男性に憧れていたが、好きになる男には相手にされず、また好きでもない男と付き合ったりもしていた。 「今付き合ってる人は、物足りないんですよね。」 この言葉がすべてを物語っていた。
店を出て深夜のドライブに出た。休日の夜だったが車は比較的少なかった。目的地は決まっていたが彼女には伝えず、会話を楽しんでいた。 「僕のことをどう思ってる?」 「どうなんでしょうね?」 彼女は意地悪い上目遣いで僕の方を見た。僕に気があるのか?いやあるに違いない。きっと彼女がこれまでに出会ったどのタイプでもない男がここにいる。上司であり、妻子を持った歳の離れた男だ。距離をおいて当然であるが、彼女の好奇心はそれを抑えることができてない。僕は彼女のその返答で確信した。しばらく車を走らせ埠頭に着いた。 「この町に住んで4年になるけど、ここに来たのは初めて。」 4月末の夜は心地よい。港は夏の予感をさせるに十分な暖かさがあり、時折吹く風が人肌を恋しくする。車を止めて二人で岸壁まで歩いた。ベンチがいくつかありすでに何組かの恋人たちが肩を寄り添い波の音を楽しんでいた。 「座ろうか。」 彼女を先に座らせ、少し距離を置いて後から僕は座った。彼女の将来のこと、これからの仕事のこと。いろいろ話した。タバコが吸いたくなって風上にいた僕は腰を上げて風下に回りタバコに火をつけた。そして彼女の正面に立ちこういった。 「タバコ、嫌いだろ?」 「うん」 「そうだと思った。でもタバコを吸う男を好きになってどうする?」 「ふふ」 彼女はまた上目遣いに微笑み、そして意地悪な戯言も少し余裕で受け入れることができるようになっていた。 「隣に座ってもいい?」 再び僕は尋ねて、返事を待たずに彼女のすぐ脇に座った。横顔がいつもよりも近くにある。遠くの灯台をみつめる透きとおった瞳が印象的だった。 「寒くないかい?手を出してごらん。」 上着に入れていた彼女の手を両手でしっかりと包んだ。彼女の心を読みたかった。手のひらは温かかったが指先は少し冷たかった。 「指先が冷たいね。大丈夫?」 「少し冷え性ですからね。でも大丈夫。」 彼女の柔らかい髪に左手で触れた。そして肩に手を回し少し強く引き寄せた。抵抗することはなかった。 「僕が仮に君と付き合っても妻とは別れられないよ。」 冗談でそういった。しかし、かおりの成長する過程を共有したいと強く感じた。僕の投げかける言葉にどんな風に返してくるのか?いったいかおりはどんなことを考えているのか?僕の元で素直になって何でも話をしてくれるかおりが欲しくなった。 かおりは知性と美しさを併せ持つにもかかわらず、そのことに気づいていない。自分を客観視できないくらい忙しく、厳しい現実で生きてきた彼女にそんな余裕はなかったのだろう。問題は、彼女にその才能を気づかせる男が回りにいなかったことだ。彼女には何の落ち度もない。はじめに感じた彼女の気丈さと幼さの同居する言い表せない独特な魅力は理解できた気がした。しかし理解できたと同時に僕はすでにゴールのない迷路に迷い込んでしまっていた。 「そろそろ帰ろうか。明日も早いしね。」 僕が腕を差し出したら、かおりは無邪気に腕を組んできた。今までの女性にはない居心地の良さを感じた。 「腕を組むのうまいね。」 「ふふ」 またかおりは意味ありげに微笑んだ。
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