「パカーン…パカーン…」 起きた時から聞こえていたがそろそろ耳障りに感じるこの音、まったく朝だというのに静かにせできないのかねぇ 朝から精進している壁打ち野郎にちょっくら、文句を入れようと玄関のドアを押す。 朝日が僕の目いっぱいに飛び込んできて一瞬、辺りが真っ白になる、しばらくすると目が慣れてきて壁打ちをしていた迷惑な奴の姿が浮かび上がった。 僕の家の向かい側は空き地がありそこで夕方になるとちっちゃい子供たちがサッカーをしたり、鬼ごっこしたり、幼少時代を謳歌している。 その空き地は朝では、コイツが独占している、というかコイツは人の迷惑というのを考えたことがないのだろうか。 「お前みたいな奴のことを馬鹿というのだろうな」 僕は馬鹿という言葉をめったに使わない、なぜなら人には得意、不得意があるからだ。 数学が得意な人がいれば、国語が得意な人がいる。人それぞれ、その人なりの思考回路を持っており、とある問題に対して正解に辿りつくのが遅い人のことを馬鹿というのは僕にとって間違っていることだと思う。また正解にたどり着けない人も馬鹿ではなく単なるあきらめの早い人か問題を解く情熱のない人だ。 だが、こいつには馬鹿としかいいようがない、毎日毎日注意してやっているのに人の話を全く聞こうとしない、馬鹿以外なにものでもない。 「お前は一度、迷惑という単語を辞書で引いてみるといい。」 パカーン…パカーン… 「おい!聞いているのか?迷惑だと言っているのだよ!」 パカーン…パカーン… 耳栓をしているのか、僕の言葉を感受出来ないようにしているのか、宇宙人でもない限りそんな器用なことができるはずもない。 次にどんな文句を投げてやろうかと考えていたとき、ボールとラケットがこちらの方向にむいているのがわかった。次の瞬間、腹のあたりに激痛が走る。 「あら、ごめんなさい。方向を誤ってしまいましたわ。」 本当に間違ってしまったかのようなしゃべり口調で駆け寄ってきて 「わざとじゃないのです…」 「どうやったら、壁打ちしている反対側の僕にボールをぶつけることができるのだよ、 ましてや、おまえは全国大会に出場するほどの腕の持ち主だろ。」 「いえ、弘法にも筆の誤りということわざがあるように私もたまには大きなミスを犯してしまいますよぉ」 「お前、何気に自分をほめていることに気づけ」 「ところで、お前学校、間に合うのか?あと少しでショートホームルーム始まるぞ」 「ええ、大丈夫です、シャワー浴びて学校に向かうだけですから、あなたは?」 「愚問だ」 といいつつも携帯で時刻を確かめる。8時、少し急がなくなくてはいけないようだ。 「8時だ、あんまり時間がないから急げ」 「すぐに準備するので家の門の前で待っていてください。」 「ああ、わかった。早くしろ。」 ボールとラケットを抱えて家へとむかっていった。 「さて僕も準備しますか。」 口いっぱいにご飯と納豆を含み、味噌汁で流し込むと今度は洗面所へ向かう。 いつも通りの手順で歯を磨きながら、これまたいつも通りの手順で顔を洗う。 タオルで顔に着いた水滴をふき取り二階へと向かうらせん階段を駆け上がる。 自室の扉を開け、クロゼットからブレザーとワイシャツを取り出すと不意に母さんの姿が思い出された、小学校1年生の入学式の朝、母さんは僕にワイシャツを着せてくれた、まだ、幼かった僕はいたずら心があり、せっかく母さんがボタンをかけてくれるのに、少し経つとボタンをはずしてはまた母さんにかけてもらっていた。 怒ればいいのに笑って何も言わずにボタンをかける母さんの姿はとても温かくてだきつきたくなった。 だが、もういない、だから思い出しても悲しくなるだけだ。 ふっ、と鏡を覗いてみると泣いてはいない、涙は流しつくした。僕の涙の貯水池はとっくの昔に枯れ果てている。 だから、泣けないのは当然のこと。 昔のことなんか考えてもどうにもならない、変えられるわけじゃないのだから。 前を向こう次のことを考えようあの日から僕はこう思うことでしか生きていけなかったのだと思う。 すべての準備が終えあいつの家へ向かう。 門の前に立つとちょうどそのとき木製のいかにも由緒正しい家の門の奥からガラガラとし引き戸が開いたような音が鳴る。 そしてコツコツと足音が近づいてきて、ちょうど人が出入りできる戸口から彼女が出てきた。 「待った?」 「恋人じゃないのだからその言い草はよしてくれ」 「なんで?」 「恋人じゃないからだ」 「…別に恋人じゃなくても、言ったりすると思うけどなぁ」 「なんかそれっぽく聞こえるよ、その言い方は」 「私と恋人の仲になりたいと思っているからそういう発想に至るわけだ」 「はぁ、言っとくけど僕は朝方に壁打ちをして騒音をたてているような常識をわかっていない奴が大っ嫌いなわけで、万が一にでもそんな人の恋人にはなりたいとは思わない。」 「じゃあさ、何でこうしていつも朝、夕と一緒に帰ってくれるわけ?」 「僕やお前の家から学校までの通学路はよく不審者が現れるだろ、朝、夕関係なしに、だからお前のところの母さんが「危ないから一緒に登下校してくれないか?家も隣近所だし」ってお願いされたのだよ。別に断る理由がなかったから、あっさり了解したさ」 「へー、それが私と一緒にいる理由?」 「ああ、そうだ」 「別に適当な理由をつけて断っちゃえばよかったじゃない。例えば、僕は夜宵のことが嫌いだから一緒に帰れません。とか」 「そんなストレートなこと言えるか、僕の体裁が壊れるだろ。」 「へー、んじゃ、君は自分の体裁を壊すほど私のこと嫌いじゃないのね。」 「………お前ものすごくプラス思考だな」 「人生は前向きに生きなきゃ損するからねぇ」 「なんか、おまえらしいな」 他愛もない話をだらだらと続けながら、学校へと向かう長い坂を下っているといつも通りの校舎が見えてきた。学校をぐるりと囲むフェンスに沿って枯れた木の枝がかすかに蠢いている。まさに冬を象徴とした景色に感慨を覚えていると、後ろからドスンと何かでどつかれた痛みを感じた。 「おはよう、陽」 この荒々しい挨拶の仕方するのは一人しか思いつかない 「いやぁー、毎回お前に挨拶するときはギャグを言っているようで笑い転げてしまいそうだわ!あはは」 ただ単に「おはよう」の最後の二文字が俺の名前と被っているだけだろ!そんなのギャグ、じゃない。ってか、挨拶するとき鞄の角で頭を打つな、毎朝、気を失いそうになる! 「おはよう若葉、今日も元気だね」 と隣の非常識な女が後ろから襲ってきた乱暴な女に挨拶する。 「おう、おっはー、夜宵!」 いまどきその挨拶は古いぞ、若葉、もう少し捻りのきいた挨拶を考えろ! 「君は普通に挨拶ができないのか?」 ニヤリと笑いながら 「あれーこの土地のでは挨拶は人の頭を鞄で叩くっていう風習ありましたけど?」 バレバレなウインクをしながら同意を夜宵に求めている、なんか古風な人間だなこいつは。 「う、うん、あった、あった。」 これまたわかりやすい嘘。 「そんな三文芝居はいいから早く学校に行こう、余裕がない」 若葉は、つまらないといった表情をして、 「あーあ、さっさと行こうこんな奴置いてきぼりにしてさ。」 ムスッとした顔で夜宵の手を引きズケズケと歩いていく。 何かしました?この僕が? 強引に引っ張られていく夜宵の困惑した表情を見ながら、繰り返される日常も意外といいものじゃねぇかと思いながら僕は校門をくぐる。
先生たちの教えも軽く受け流して、いかにして悲願の県大会突破を成し遂げようか考えていると、いつの間にか放課後になっていた。僕たちの教室は西側に建設されているため、夕方になると晴れた日にはきれいな夕日が教室中をオレンジ色で染める。窓から外を覗くとそこにはテニスコートが二面あって、男子女子が互いに一面ずつ分け合って使用している。 校舎の二階から階段を使って一階まで下り非戸口を開くとまだテニスコートには誰もいない、どうやら一番乗りらしい。 時刻はただ今午後五時、練習開始まで後一時間、少し余裕があるな。 とりあえず部室に向かうか。 テニスコートのすぐ隣には最近塗装されたばかりの二階建てのプレハブがみえた。そこが運動部の部室、男子テニス部は二階の階段近くに設置されている。これはつい先日気づいたことなのだが、男子の部室は全部二階に設置されている。これが果たしてどういう意図があってこうしているのか考えたが、わかったことが一つある、おそらくだが女子運動部の中にはスカートを部着とした団体が少なくない、そこで思春期真っ盛りの俺たちが1階からハレンチな目で見えないようにしようとする意図があると僕は思う。 生徒会と癒着している規律で縛る風紀委員のことだ、手回ししていてもおかしくはない。 まぁ、これで女性たちのサンクチュアリーは広がったわけだ。 あくまで推測だが十中八九ぼくの言っていることは間違っていない。 残念だな、猛獣たちよ!パンチラというお前らのはかない夢は無残にも風紀委員という名の保護団体によって断ち切られたわけだ。 まぁ、僕も残念なうちの一人に入るわけだが。 男子部室がなぜ二階にあるのか、というしょうもない理由を考えながらテニスウェアに着替えガサツな音を立てるステンレス製の引き戸を開けると女子コートの方でサーブの練習をしている夜宵が見えた。 ボールを程よい高さまで上げ体をくねらせしなやかなばねを作り、タイミングを見計らってジャンピングショット。思わず見とれてしまうその動き。 誰かの視線を感じたのだろうか、不意にこちらを振り向き、にっこりとほほ笑んでいる。 練習始まるまで時間あるからな夜宵の相手をしてもいいか。 女子コートまで行き、 「練習相手になってやってもいいぞ」 「………」 「あの…」 「………」 「夜宵、僕の声、聞こえてる?」 「………」 黙々とサーブをし続け、それを見続ける僕。 ん?これは無言の拒否なのか、所詮、県止まりのお前なんか練習相手にもならないという暗喩なのか!いや、前向きに考えなくては、たぶんただ単に集中しすぎて周りの音とか視界とかが、無意識に遮断されているのだろう。なんという集中力、さすが全国常連選手だ! うつむきながらベンチに向かった夜宵は、一息いれて落ち着くと徐に周囲を見渡し、視界に僕がようやく映ったのだろう、少し驚いて 「いつからいたの?」 いや、僕が驚きたいがこんなにもはっきりとした無視をされたのは初めてだからな。 「つい五分ほど前からだ」 「え、ほんとごめんなさい気がつけなくて」 ここで彼女がぼくを気がつけない理由をもう一つ思いつく。 存在感が薄い。 「私よくテニスしていると人を無視することが多いみたい…。」 僕の存在は薄くないみたいだ。 「それで、友達との関係が壊れることがあったりする。」 つくねんと膝を抱え込み、 「嫌な癖ですよねぇ」 いや、それはもう癖とかいうレベルの問題ではないと思うのだが 「どうしたらいいかなぁ」 「まぁ、そんな落ち込むことないと思うよ。ほらよくある話じゃん、集中力が極限にまで達すると脳に邪魔な情報が勝手に疎外されてく。むしろ、お前は極度の集中状態まで自分を高めていけることに誇りに思うべきだと思うけど」 「ありがとう、…でもそれじゃ陽君が邪魔な情報だったってなるけど」 論理の矛盾を生徒から指摘されたような気分。 「まぁ、細かいことは気にするな」 お前たちが、気がつくまでわざと間違っていたんだ、と自分の間違いを正当化する先生の気分を感じる。 「優しいのね」 甘く囁くように言う。 ショートヘアーが風になびく、かすかに笑ったその表情は可愛い、ああ、やっぱり僕は夜宵のことが好きなのだと改めて思う。やばい顔が火照ってきた。 「三日後だね。」 「ん、何が」 「…バレンタインデー」 その瞬間、僕の頭の中では勝手な夢物語が怒涛の展開をし、顔はますますはれ上がったのだと思う。
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