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作品名:純情回顧第4章 夢路を辿りて 作者:天野久遠

第3回   第3話 うつろな愛は消えて
 それから数日後のことだった。
 光彦はいつものようにコーヒーを片手に、古いステレオで音楽を聴いていたが、その日は珍しくCDではなく、彼がいつまでも残しておいたレコードだった。

 そのレコードは、彼が高校時代にある処で聴かせてもらったもので、その時はじめてカーリー・サイモンというシンガーを知り、それ以来光彦は、カーリー・サイモンのレコードを集めるようになり、絵を描くことに疲れると、気分転換のためにと、幾枚もある彼女のレコードを並べ、そのジャケットを眺めながら曲を聴き、コーヒーを飲む癖が付いたようであった。
そしていま彼が耳にしている曲が、その頃よく聴いていた“You're So Vain”、日本タイトルで『うつろな愛』という、ローリング・ストーンズのボーカル、ミック・ジャガーがバック・コーラスで参加して話題となった曲だった。

 あの頃はフロイドにイーグルス、それにベンソンなどもよく聴いたものだが、と、そんなことを思いながら光彦が、箱から取り出したタバコに火を付けようとしたその時であった。外でけたたましくブレーキの音がすると、店の前に見知らぬ外車が停まったのだった。
するとその車からはひとりの女性が下りて来て、光彦の店の看板を確かめるようにしながら、飛び込んで来るように扉を開けると、そのまま急ぎ足で店の中に入って叫んだのだった。
 「すみません!こちらにワトソン紙のスケッチ・ブックと水彩画材一式、置いてませんか?」
 「はい、いらっしゃいませ。」
 「どちらもありますけど、どのような水彩画材がお要りでしょうか?」
 光彦がそう答えながら、店の奥に置いてあったスケッチ・ブックを数冊持って店の中へと姿を表すと、そこには、光彦よりも年上であろう女性が、キョロキョロしながら立っていた。

 その女性はカールさせた髪を亜麻色に染め、所々に朱色のメッシュを施し、黒ブチのサングラスを掛け、麻っぽいビビッドなピンクのサマーセーターにジーンズという、年の割にはかなり派手目でカジュアルな格好をしていたが、それでも、そんな格好など一向に気にならないほど、溌溂とした感じの女性で、どことなく光彦が知っていた女性に似ている。その女性は彼の店の奥に掛けてあった、今では3枚となった絵の中にいた。

 光彦は「やけに派手なファッションの女性だな」と思いながら、ゆっくりとその女性に近付いて行くと、彼女に持っていたスケッチ・ブックを見せながら言った。
 「水彩画材といっても多くないですが、そちらの奥のコーナーの方にございます。」
 「それとスケッチ・ブックの方は、いまココには、この4種類のサイズしかありませんが…」
 「そうねぇ。スケッチ・ブックは、これとこれでいいわ。」
 「じゃあ水彩画材を少し見せてもらうわね。」
 「それと…」
 その女性はそこで言葉を止めると、店の隅に置いてあった古いサンスイのスピーカーを見て話した。
 「へぇー、まだこんな古いスピーカーが残ってたんだ。」
 「それにとっても懐かしい曲。」
 「これカーリー・サイモンの“No Secrets”ね、私もよく聴いたわ。」
 彼女は本当に懐かしそうに言うと、掛けていたサングラスを外し、軽く髪の毛を掻き揚げると、その外したサングラスで髪の毛を、額の少し上のほうで留め、光彦の方を振り向いた。

 光彦はその女性の顔を見てドキッとした。するとその女性の方も驚いたような表情をして言った。
 「あれ?光彦…くん?」
 「もしかしてあなた、光彦くんじゃない?」
 「うん。」
 「元気だった?こんなところで会うなんて。」
 「雅代さんも元気だった?あれから…」
 光彦がそれより先の言葉に迷ったとき、雅代は「なに?」と言いたげな顔をして少し頭を傾げたが、すぐにあの頃のような笑顔に変わった。
 「そうね、もう何十年。」
 「私は本当のおばあちゃんになっちゃったし、光彦くんも頭、真っ白ね。」
 「光彦くん、ずっと此処でお店やってたの?全然気がつかなかったわ。」
 「もう20年くらいかな、この店。会社を辞めるとすぐに始めたから。」
 「そうなの。私はあの後、少して引っ越したんだけど、何故か娘がこっちへ住んでる人と結婚しちゃってね。」
 「それからまた、ちょくちょくやって来てたのよ。」
 光彦はそんな話しを聞きながら、彼女が水彩画材一式を、曾孫の誕生日に贈るものだと知って、つくづく自分たちも年を取ったのだと思いつつも、今もまだあの頃の気持ちは、自分の中に残っていることを感じていた。

 だからだろう。光彦は雅代のその後のことや、あの旦那のことを尋ねたく仕方がなかったが、母から聞いたあの最後のことを、再び雅代に思い出させてしまうのは偲びなく、迷った先に見つけた言葉、そんな喉まで出掛かっていた言葉を飲み込んでいた。
ふたりはお互いに、その頃のことには触れないような会話をして、雅代が必要としていたものを買い揃えた時、はじめて、奥に掛けていた絵を見て言った。
 「あれ、わたしね。何だかとても寂しそう。」
 「うん。本当に…ごめんなさい。あのときボクが…」
 光彦がそこまで言ったとき、雅代は光彦の唇に軽く手をやって小さく首を振った。
 「いつまでも、ああして寂しくしていても何だからねぇ。」
 「あれ、よければ私にくれないかな、大事にするから。あっ!お金もちゃんと払うわ。」
 雅代は光彦の気持ちを察したように、少し戯けて言ったのだった。光彦にもそのことが良く分かっていた。

 光彦はその絵を包むと、店の外に置いてあった雅代の車の後部座席に、そっと乗せたのだった。
 「無理言ったみたいだけど、ありがとね。」
 「だけど、いつまでも過去を引きずってちゃいけないんだぞ、ボク。」
 「じゃあ、また、いつか寄るかもね。」
 「うん。」
 雅代はあの頃のような喋り方でそう話して、車の窓越しから体を乗り出すと、光彦の頬に軽くキスをして車を走らせて行ったのだった。


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