なぜ私は月を見て泣くのでしょう。 時に切なくなり、時に暖かくなり、私に向かって悲喜こもごもな姿を見せる、あの月にどうして…私は惹かれてしまうのでしょう。
満る月の姿見は、私にはとても切なくて、そして、儚いものに思えてしまう。 朔たるは、何故か私に安堵と安らぎをもたらしてくれる。 弓張りの月を見て、心がざわめいて落ち着きを無くしてしまう私は…、誰?
女は今宵も月を見ながら、そう言っては涙を流すのでした。 それまで黙って傍にいた男は、ゆっくりと口を開きました。
「かぐや、私はお前に話しておかなくては…ならないことがあります。」
男はそっと、かぐやと呼ばれた女の長く美しい黒髪を撫でながら、ポツリとそう呟きました。 その声にはどこか元気がなく、物悲しさ帯びているようでした。
「此方様。お話し…それはいったいどのようなことでしょう?」 「そのお話しと言うのは、私が先ほどまで想っていたことに関係があるのですか?」
美しいだけではなく、賢くて察しのいいかぐやと呼ばれた女は、男の語り口だけでそう感じ取ったのです。
「薄々は…お前も気付いていることでしょう。」 「そしてそのときがもう直、やって来るということも…」
男はそこまでいうと言葉に詰まりました。 かぐやと呼ばれた女は、そのとき見せた男の顔を生涯忘れないでしょう。 女はいままで、これほどまでに切なく、寂しく、そして絶望に満ちた表情を、見たことがありませんでしたから。
「此の君より産まれ出でたとのこと…」
また男がポツリと呟きました。
「ええ?」
その声はとても小さく、はっきりと聞き取ることが難しかったため、かぐやと呼ばれた女は聞き直したのです。 しかし男はそのまま話を続けるのでした。
「嘘か誠かは、私にもはっきりとはわかりません。」 「いや、きっとそのようなこと…」 「これまでは嘘に決まっていると思っていました。」 「しかし、最近のお前の様子を見ていると、もしや真なのかと…私はそう思い始めたのです。」
かぐやと呼ばれた女には、最初に言った男の言葉がよく聞き取れなかったため、男の話していることがよく掴めません。 それよりも、傍でそう話してくれる男の気持ちの辛さだけが、自分の胸さえも締め付けるほど、とても苦しいものだと感じるのでした。
「かぐや、どこにも行かないでおくれ。」
そう言って男は、しっかりと女の肩を抱き寄せるのでした。 今度はかぐやと呼ばれた女にも、はっきりと聞き取れました。 それはこれ以上にはないというほどの、切望と懇願が込められた男の言葉でした。
「いったい…今宵の此方様はどうしてしまわれたの?」 「私は決してどこへも行きはしません。」 「いつまでもずっとこうして、此方様の傍におります。」
そう言ってかぐやと呼ばれた女は、自分の肩に当てている男の手を、しっかりと握りしめました。 それは仲秋の名月が訪れる、少し前の宵のことでした。
空には下弦の月が見えています。
「はぁ…」
今宵も男はひとり、夜空を仰ぎ見ては力なく溜息をついていました。
「やはりこんな私では、お前を繋ぎ止めることなど出来なかったのですね。」
男は月に向かって寂しそうにそう呟きました。
「此方様ごめんなさいね。私は最初から何もかも分かっていたのです。」 「だから、いよいよという時が近付くと、私はああして、毎夜、月を眺めては…」 「そして今夜、とうとう十五夜がやって来ました。」 「あのお話をして後、それでも私は此方様と伴の床を頂くことが叶わず…」
女はそう言うと、ひと粒、頬に涙を流したのでした。
「あなたといつまでも、一緒に暮らしたかった。」
そう言われて男は、女をしっかりと抱き締めました。 それは、かぐやと呼ばれた女を決して放さないという、強い意思の込められたものでした。
「かぐや、どこにも行かないでおくれ。」 「私をまた独りぼっちにはしないでおくれ。」
それを聞くと、かぐやと呼ばれた女は、更に続く涙を堪えるかのように、天を仰いで言いました。
「既に…お使者がやって来ております。」 「もう、どうにもならないことなのです。」 「分かってください…私の愛おしい此方様。」 「女としての悦びが叶わなかった今、こうして月に戻るしかないのです。」 「そして再び…舞い降りた処が、此方様のもとであれば…」
かぐやと呼ばれた女はそう言い残して、男のもとから消え去ったのでした。
それから数日後、 男は、かぐやと呼んだ女の後を追うようにして、その寂しさから命を断ちました。
「月天子。……かぐや。」
それが、最後に男の残した言葉だったということです。
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