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作品名:MY BIRD 作者:高遠響

最終回   5
 翌日は雨が降った。冷たい雨だった。母は日曜まして雨にも関わらず仕事だと言い、バタバタと準備をしていた。
「お母さん、私今日帰るわ」
「そう。当分居ててもいいのよ。ご飯作ってくれれば」
「私が作ったら駄目ダシばかりするくせに。……仕事、そうそうサボれないしね。気分的にもちょっと落ち着いたし」
「そう」
 牧子も母もそれ以上何も言わなかった。
 母が出かけた後、牧子は家の中を片付けた。布団を干したいが生憎の雨だ。たたんで居間に置いておくことにした。
落ち着いた、などと母には言ったがもしかしたらすぐにまた帰ってきてしまうかもしれない。自信はない。まだ心のざわめきは完全に治まった訳ではないのだ。でも、いつまでも実家でこもっているというのも気が引けた。このままではいけない。バッグ一つで帰ってきたので荷物らしい荷物はない。着替えだってたくさんは無いし、そう、家に帰る理由はいくらでもある。母が帰ってきたらすぐに帰ろう。そう思った。

 三時を過ぎても母は帰らなかった。あまり遅くなっても明日がつらい。そろそろ帰らなくてはならない時間だった。母の携帯に電話をしようかと思った時だった。
 家の電話が鳴った。一瞬躊躇した後、ゆっくりと受話器をとった。
「はい、岩崎です」
「あ、岩崎さんの娘さん?」
 電話の向こうから甲高い女性の声が聞こえた。知らない声だ。
「はい。失礼ですが?」
「私、柏木と言います。『まんぷく亭』の。えっと、岩崎さんの職場の同僚です」
 母のパート先の人らしかった。随分慌ただしい声だ。
「すみません、母はまだ帰ってないんです。もう帰ってくるとは思うんですけど」
「そのお母さんなんですけどね、仕事の途中で事故っちゃったらしくて」
「え?」
「今会社に連絡が来たとこなんですよ。単車で宅配してるんですけど、どうも車とやっちゃったらしくて。警察から連絡が来てね、今、会社の者が病院に向かったんです。で、娘さんが帰省してるって、昨日聞いてたから連絡をと思って」
「どこの病院なんですか!」
 牧子は病院の名前と電話番号をその辺の紙に慌てて書きとめた。
「すぐに行きます。どうもありがとうございました」
 電話を切ると急に震えが襲ってきた。その場に思わずしゃがみこむ。落ち着け、落ち着け。次に何をしたらいい? あえて声を出して自分自身に問いかける。
 電話台の扉を開け、黄色の分厚い電話帳を出す。聞いた病院の名前を探し、住所を調べた。その住所を控え、今度はタクシー会社を捜す。
 何度も深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、慎重にタクシー会社の番号を押した。指がプルプルと震えていた。タクシーは十五分ほどかかるとの事だった。
 牧子は椅子に座り込んだ。悪い考えばかりが頭に浮かぶ。それを必死で振り払いながら、しなければならない事を考える。
「そうだ、保険証……」
 母が貴重品をしまっているはずの仏間へ走る。仏壇の引き出しを開け、母の保健証を探し出し、バッグに入れた。
 家の表に出ると、そわそわとタクシーの到着を待つ。ちょうど十五分でタクシーがやってきた。それに飛び乗った。
 病院までは二十分ほどの道のりだったが、これほど長く感じた二十分は今まで無かっただろう。牧子は蒼白な顔で窓の外を見つめた。

 病院に着くと受付にかけこむ。
「すみません、先ほど救急で運ばれたと思うんですけど、岩崎です」
 受付嬢は電話で確認を取る。
「岩崎法子様ですね。整形外科病棟にいらっしゃいますので、そちらの詰め所でお待ちください」
 牧子は小走りに外科病棟に向かった。詰め所に駆け込み、さっきと同じセリフを近くでカルテを書いていた看護師に言った。
「あぁ、岩崎さんですね。えーっと、ご家族ですか? じゃ、こちらへ」
 看護師は牧子を病室に案内した。
「鎖骨と足と骨折してますけど、大丈夫、命に別状はありませんから」
 病室の扉をそっと開け、中を覗き込む。
「岩崎さーん、ご家族ですよ。いい?」
 牧子は中に入った。
 ベッドに病衣に着替えた母が横たわっていた。牧子の姿を見て右手を上げた。頬に貼られた大きなガーゼが痛々しいが、思った以上に元気だ。
「何やってんのよ……」
 牧子は椅子に座りながら、つぶやくように言った。思わず涙声になる。
「交差点でさ、右折の車にぶつけられたのよ。携帯しながら曲がってくるんだもの。ひどいよねぇ。死ぬかと思った」
 かすれた声ではあったが、ぶつぶつと文句をたれる。これだけ文句が言えたら心配はなさそうだった。一気に緊張が解け、牧子は布団の上に突っ伏した。
 しばらくしてから主治医がやってきて怪我の状態の説明をしていった。全治三ヶ月程度と告げられた。左の脛骨(すね)の骨折はギプス固定、左の鎖骨の骨折は明日手術をするそうだ。手術の内容について詳しく説明をされたが、牧子の頭には入ってこなかった。
「牧子、明日着替えとか入院にいる物、持ってきてくれる?……せっかく帰るつもりしてたのに、悪いわね」
 母の言葉に無言で肩をすくめた。

 消灯になり、牧子は病院を後にした。行きと同様にタクシーで家に辿りつくと、どっと疲れを感じた。コーヒーを作り、椅子に倒れこむように座る。頭は痺れたように真っ白で何も考えられなかった。マグカップを両手で包み込みゆっくりと熱い液体を口に流し込む。味もわからなかった。
「……どうしよう、連絡」
 何も考えていなかったはずだが、いつのまにか雅博にこの事をどう連絡すべきか考えていたらしい。無意識に口をついて出た言葉に、改めて考えた。
 明日が手術だから、少なくとも一週間は入院するだろう。その後も一人放っておいてよいものかどうか。鎖骨を折るという事がどれくらい不自由なものかいまひとつピンと来ないというのが正直なところだが、それに加えて足にギプスをはめている。思い通りに動ける訳はない。いつ帰宅できるか思いつかなかった。
「どうしたものか……。」
 バッグを開け、携帯電話を取り出した。バッテリーが切れかけていた。家を飛び出してから三日充電していないのだから当たり前だ。メールにしても通話にしても途中で切れてしまうかもしれない。
 牧子は時計を見た。時計は十時を指している。夜の公演が終わってまだばたばたしている頃だろう。連絡したところで繋がることはない。
 バッグから手帳を出し、余白に携帯のアドレス帳からいくつかの電話番号を控えた。翔子、自分の会社、そして雅博のマネージャーの携帯番号。雅博の番号は頭に入っているので写す必要はない。
 その手帳を手に、固定電話の受話器を取る。牧子はしばらく考えてからマネージャーの電話番号を押した。
 長く呼び出し音が続き、ようやく中年の男が電話に出た。
「もしもし?」
「博多さんですか?……岩崎です」
「あ、牧ちゃん? ちょ、ちょっと待って」
 電話の向こうでガサガサとせわしく移動している気配がした。
「ごめんごめん、ちょっとざわざわしてたもんだから」
「夜の部、終わったとこですよね?」
「うん。アイツまだ楽屋に戻ってないよ。カーテンコールが長くてね。いやあ、大阪はお客さんが熱くていいね。ところで、牧ちゃん、家出したって? アイツ心配してたよ」
「えぇ、まぁ」
 牧子はばつが悪くなって、言葉を濁した。
「それはそれとして、あの、報告しておきたいことがあって」
「なに? なに? 怖いなぁ」
 博多の声が笑っていた。
「いえ、その、今実家にいるんですけど。実家の母が入院しちゃったんです。事故っちゃって。……で、しばらく帰れないので」
「事故! 大丈夫なの?」
「えぇ、骨折して。明日手術ですけど、命がどうこうとか、そういうのではないので」
「そうかぁ。大変だな、そりゃ。……で、連絡はどうしようか。いつもの携帯でいいの?」
「それが、携帯のバッテリーが切れそうなんで。これ実家からなんです」
「道理で知らない番号な訳だ。OK。この電話番号、一応登録させてもらうよ。この番号で牧ちゃんに連絡とれるんだね?」
「はい。でも日中は病院なので。一応、病院の番号、いいですか?」
 牧子は病院の名前と電話番号を博多に告げた。
「もし急な用事が出来たら、整形外科につないでもらってください。……でも、あの、雅博には伝えなくても結構です。公演中だし、余計な心配かけるのもなんだし。一応、という事で」
 博多が雅博に伝言したからと言って、彼が連絡を取ろうと思うかどうかはわからない。なんといっても喧嘩(それも一方的に牧子の側に非があると自分でも思う)の後である。それに加えて公演の最中だ。雅博の頭は芝居の事で一杯のはずだ。
 博多に丁重に礼をいい、電話を切った。受話器を置いたまま、しばらく動けない。
細い糸をぷつりと自分の手で切ってしまったような、そんな気がした。このまま波にさらわれて沖に流されていくように、どんどん遠ざかっていってしまうのかもしれない。
「……なるようにしか、ならないよ」
 自分にそう言い聞かせるしか出来なかった。

 翌朝少し早いめに牧子は家を出た。病院にたどり着くと母がちょうど手術室に向かう前だった。点滴をされながらストレッチャーに載せられた母を見ると、急に不安が増した。それを顔に出さないように明るい表情を作って、母に手を振った。
母が連れて行かれた後、年配の看護師に軽く肩をたたかれる。
「大丈夫よ、心配ないから」
 よほどわざとらしい笑顔だったのだろう。雅博のように役者にはとてもなれそうになかった。
 母がいない間に、牧子はベッドの隣にある小灯台に着替えを移していった。それが終わると、売店に向かい、洗面道具などこまごました物を買い揃える。暇つぶしの雑誌でも買おうかと平積みされた雑誌類を眺めると、例の写真週刊誌が目に付いた。牧子は眉をひそめた。週末の顛末が思い出される。一連の事は思い出したくなかった。結局、雑誌を買う意欲を無くし、必要な物だけを買うと病室に上がった。
買ったものをまた、小灯台に収めていくとあっという間に小灯台は満タンとなった。やる事がなくなったので、仕方なくパイプ椅子に腰を下ろし大きな溜息を一つつくと、窓の外に目をやった。
 母のベッドは四人部屋の窓際だった。昨日はそんなところに気が回らなかったが、この病棟は四階なので外の景色がよく見えた。
 病院の周りは意外に緑がたくさんあった。緑の木々もあれば、もう既に赤や黄色に色づく木々も混じっている。
病院の敷地の隣には大きな池が見えた。池には水鳥が軌跡を残しながら水面を滑っていた。
窓は事故防止のためか大きく開かないようになっていたが、空気を入れ替えられる程度は押し開ける事が出来る。そっと窓を開けると少し冷たい空気がすうっと吹き込んできた。見晴らしはいいが窓際だけに朝夕は少し寒いかもしれない。そう思い、窓を閉める。悪くない景色だ。母も自分も少しは気がまぎれるだろう。

 昼を過ぎて母が病室に戻ってきた。麻酔の効いている間は平気そうな顔をしていたが、だんだん顔をしかめながら痛みを訴えるようになってきた。夕食が運ばれてくる頃にはピークだったようで、ほとんど夕食には手をつけなかった。
「ちょっとでも食べておいたら?痛み止めも飲めないよ。明日からリハビリも始まるとか言ってたよ。最近は早くから動かすのね」
「牧子、代わりに食べて」
「それはないでしょ」
 めちゃくちゃな事をいうものだ。母はそういいながら少しだけ食事に箸をつけた。
 母の様子が気にかかったが、消灯時間に病院を出た。こんな生活が当分続くのかと思うと少し気が重くなった。

 母の回復は順調と言えた。翌日の午前中はまだ痛みを訴えていたが食事もちゃんと食べたようだった。午後には病室に理学療法士が訪れ簡単なリハビリに取り組んでいた。鎖骨には金具が入っているので緩やかになら動かしても支障はないらしい。入院自体は一週間ほどになりそうだった。
 水曜日になると牧子も少し精神的に余裕が出てきて、これまでよりも遅い時間に家を出た。母の顔を見たのは昼食前だった。
 ベッドの上での食事は嫌だという母のため、詰め所前のホールに食事を持って移動した。母の食欲は旺盛で、二日前の様子が嘘のようだった。
「ちゃんと食べないと骨がひっつかないじゃない。牛乳とか小魚とか、買ってきてよ」
「食べ過ぎるとコレステロール上がるんじゃないの?」
 二人の会話が聞こえたのか、詰め所でカルテを書いていた若いナースが吹き出した。
 母の食事が終わってから、牧子は最上階の食堂に一人向かった。エレベーターを降りると大きな窓が目の前に広がっていた。
 母の病室から見るよりも更に開けた眺望だ。秋の空の蒼さが目にしみる。下を見ると病室から見えていた池の形がよくわかった。
 目の前を不意に大きな鳥が横切った。鳥は池に向かっていき、水の上に降りていった。どこかから渡ってきた鴨だろうか。もうそんな季節なのか……と改めて感じる。緑の少ない都会に長くいると、季節の移り変わりにもだんだん無頓着になっているようだった。
 牧子は硝子に額をつけ、池の上に目をこらした。たくさんの水鳥が見えた。皆どこからかやってきて、春が来るとまた何処かへ飛び立っていく。今ここに来ている鳥達はやはり来年の冬にここに帰ってくるのだろうか。
 夏のツバメ達もそうだ。いつの間にか街から姿を消していた。今頃どこか暖かい国で飛び交っているのだろう。また次の夏には日本に帰ってくるけれど、同じ鳥が帰ってきているのだろうか。そんな事がふと気になる。専門家ならわかるのだろうが、牧子にそんな術はない。牧子はすっかり鳥達に心奪われていた。
 どのくらいそうしていたのか。 
「何かおもしろいものでもありますか?」
 不意に声を掛けられ、びっくりした。いつの間にか隣に人が立っていたのに少しも気がつかなかった。その人物を見上げて更に驚く。
「雅博!」
 大阪にいるはずの雅博が牧子の隣に立っていた。いつものように優しい屈託の無い笑顔を浮かべて。
「なんで?仕事はどうしたの!」
「今日、休演日なんだ。今朝の始発の新幹線でこっちに帰ってきた。すぐに帰らなきゃいけないけど、どうしても気になって」
 なにか言葉を返したかった。色々な言葉が一度にこみ上げ、結局何も出てこない。胸が痛かった。
 牧子はそっと手を伸ばし、雅博のセーターの袖を握り締めた。そして額を胸に押し付ける。雅博の手が優しく肩にかかった。
「すぐに来れなくて悪かったね」
 牧子は無言で首を横に振った。恋しくて欲しくてたまらなかった手の温もりに、ここしばらくの胸のつかえがゆっくりと溶けていくようだった。これほど幸せな気持ちになったことはなかった。このまま全てが止まってしまえばいい。心からそう願った。 



 母の足のギプスがとれ、鎖骨の二度目の手術が済んだのは暦が変わってしばらくした頃だった。最初の一ヶ月ほど牧子は実家に留まって母の手伝いをしていたが、母は「まだ介護なんていらないわ! 寝たきりじゃないんだから、大丈夫よ!」と言い張るので、それ以後は自宅に帰り、仕事の休みごとに帰省して母の様子を見た。年末は少し早めに休みを取り実家に帰った。母と一緒に年末年始を過ごすのは本当に久しぶりだった。
 雅博は相変わらず忙しく家にいない事が多かったが、牧子は自分でも不思議なほど落ち着いていた。今までの混乱した気持ちはなんだったのかと首を傾げたくなるほどだ。憑き物がおちるとはこういう気持ちなのだろう。

 年明けに二人で外出をした。久しぶりのデートらしいデートだ。雅博が出演した映画が封切られたのでそれを観に行った。
「招待券もあるのに」
 と、雅博は言ってくれたのだが牧子はちゃんとお金を払って観たかった。
「興行成績に貢献します。ま、微々たるものだけどね」
 牧子はそういって笑った。
 二人で映画を観てから食事をし、ぶらぶらと街を散策する。いつかの週刊誌の事もあったので少し不安もあったのだが、雅博は相変わらず街に出ると風景に溶け込んでしまい、普通の青年そのものでほとんど人目を引くことが無かった。時々、振り返る人がいないでもないが、それ以上の事はなかった。
「それっていいのか悪いのか……」
「いいんだよ、それで」
 首をかしげる牧子の手を取り、自分のコートのポケットに入れる。
「こんな事も出来るし」
 少し照れたような笑顔だった。
 宝飾店の前でふと牧子は足を止めた。有名なブランドの店などではなく、若い子が普段身につけるようなカジュアルな店だ。
「指輪? 買おうか?」
 雅博がいたずらっ子のような表情で覗き込む。牧子は笑いながら首を振った。
「そうじゃなくて、ピアス見たいの」
 二人は中に入った。雅博はピアスにはあまり興味が無いらしく、指輪やネックレスといった物を見ている。その光景があまりにも似合わないので思わず牧子は笑ってしまった。 
 牧子はピアスの陳列を見て回った。普段使うようなちょっとした石のついたピアスを二つほど手にした。
 ふと、一角に目が留まった。ピアスではなく、小さな銀色のイヤカフ。小さな羽根が彫りこまれている。上品なデザインだった。牧子はそのイヤカフに吸い寄せられるように手を伸ばした。
 店を出ると二人はカフェに入った。屋外のテラスにいくつかテーブルが有るお洒落な店だった。二人は外の席についた。
 冬の穏やかな陽の光は柔らかく世界を包み込み、思ったよりも暖かい。夕方までにはまだ時間が少しあった。
「何買ったの?」
 雅博が聞いたので、牧子はバッグから小さな紙袋を出し中身を出した。小さなピアスが二組とイヤカフが一つ出てきた。
「これは?」
 雅博がイヤカフを指差す。牧子はそれを摘むと、雅博の耳に手を伸ばした。
「僕の?」
「穴開いてないでしょ」
 耳の縁に銀色のイヤカフをつける。雅博はくすぐったそうに首をすくめた。
 髪に隠れて目立たないが、少し印象が変わった。
「う〜ん、こんなの初めてつけた。似合ってるの? ほんとに?」
 雅博は笑いながらうなずく牧子からコンパクトの鏡を見せられ、半信半疑で覗き込む。
「どうなんだ、これって」
 悩む雅博の耳に光るイヤカフを牧子は目を細めながら見つめた。
 病院の窓から毎日のように眺めた池の風景を思い出す。水面から羽ばたきながら飛び立つ鳥の姿と目の前の愛しい青年の姿が重なった。
 渡り鳥の足には時々小さな足環がつけられている。研究者が調査をするためにつけたモノだそうだ。ここを飛び立った鳥がどこに飛んでいくのか見守るために。そしてちゃんと帰ってきたかを見届けるために。

 そう。このイヤカフは私の祈りであり、おまじない。
 貴方がちゃんと行きたい処に辿り着きますように。
 私の元に無事に帰ってきますように。
 そして
 いつも私とどこかで繋がっていますように。

 鳩がテラスの上をテコテコと歩いていた。それを見ながら二人で他愛のない話をし、微笑を交わす。やがて、優しい金色の陽だまりの中で二人の影が少しずつ長くなっていく……。



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