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作品名:MY BIRD 作者:高遠響

第3回   3
クランクインしてから雅博は家を空けがちになった。ロケで地方に出かける事が多くなったからだ。最初の頃はメールが日に何度か届いたが、だんだん回数も減っていき日に一度あるか無いかの状態になった。
 寂しくは思ったが、牧子は心配していなかった。彼の事だ。現場の雰囲気にも馴染み、芝居に没頭しているのだろう。便りのないのは元気な証拠だ。
 牧子の推測通り、ロケを終えて帰ってきた雅博は活き活きした表情で現場での色々な話をしてくれた。牧子は話の内容よりも楽しそうに喋る雅博の顔を見るのが楽しかった。映画の撮影は一年近くかかった。公開はまだまだ先になるそうだ。映画というのは思いのほか時間がかかるらしい。

 雅博の元へ来るオファーは日毎に増えていった。テレビの連続ドラマに出演したことから巷での認知度も上がった。雑誌の取材やトーク番組の出演なども入るようになってきた。
 テレビや雑誌を目にする度、牧子は誇らしい思いがした。世間が気付く前ずっと前から彼の魅力を知っているのだ。そしてその新星は私の傍らにいる。それはちょっとした優越感だった。が、それと同時に何か心の中に違和感を感じるようになってきた。
 一緒に過ごす時間はどんどん少なくなってきている。オフの日には今までは家にいることが多かった雅博だが、最近はよく外出するようになった。仕事を通じて仲良くなった同世代の俳優達と飲みに行くことが増えた。お互いの舞台を観に行くことも多い。友人と称する人物が結構名の通った俳優であることも少なくなかった。少しずつ彼の周りに今までとは違う人種が増えてきている。その中で雅博自身も今までにない自信を身につけてきているようだ。それは眩しくもあり、羨ましくも思えた。
 それに比べて、牧子は相変わらず、朝出勤し、終日事務仕事をこなし、くだらない昼休みを過ごし、買い物をして帰宅する、そんなかわり映えのしない一日を繰り返していた。家に帰っても雅博の「おかえり」という明るい声を聞くこともほとんどなかった。
 どんどん雅博が遠くへ行ってしまうような、そんな気がした。
 
「そう。で、置いてけぼりを食って寂しいわけだ」
 遊びにきた翔子がテーブルの上に無造作に置いてあった雑誌をパラパラとめくりながら言った。牧子はそれには答えず、コーヒーカップに湯を注いだ。
「昔言ったでしょ?『浪花恋しぐれ』みたいになるで〜って。いいじゃん、糟糠の妻ってヤツでさ。結構多いよ、この業界の奥さん方って。……まぁ、売れてきた頃に離婚するパターンも少なくないけど。」
 売れっ子脚本家というのに相変わらず見た目も中身も飾りっけのない女である。牧子は苦笑いした。
「縁起でもないからやめてよ。第一、私は妻ではありませんから。離婚もないっつうの。」
「アホだね〜。あんたみたいなのを世間では内縁の妻っていうのよ。ベタベタの演歌の世界だよ。あぁ、やだやだ、泥臭いわね〜、まったく」
 翔子のずけずけとした物言いは昔からだが、何故か腹が立たない。
翔子はコーヒーカップを手に取ると、一口飲んで顔をしかめた。熱すぎたらしい。
「牧、なんで籍入れないのよ。あんた達もうだいぶ長いでしょう? そろそろ籍くらいいれれば? あの子も……って、歳でもないか。雅もいい大人だし、そこそこ稼ぐようになったし、いいんじゃないの? それとも、子供出来てからとか思ってんの?」
 牧子は首を振った。
「そういうんじゃないのよ。」
 言葉を探しながら、自分のマグカップに湯を注ぐ。
「籍を入れるとか結婚するとか、あんまり意味ないかなって気もするし。それよりも、無理やり縛り付けるような気がして。……自分でもよくわからない。」
 牧子の脳裏に何年か前の光景が甦った。不安に揺れていた雅博は既にどこにも見当たらない。あの頃と状況は随分変わっている。そう、確実に立場は逆転していた。
 翔子が言うように、置いて行かれないように結婚という鎖をつけるのも、確かに一つの手段だろう。そうしたからといって、周りは牧子を責める事はない。当の雅博も恐らく甘んじて鎖に繋がれるだろう。年齢的な事を考えれば世間的には正当な手段だ。
 だが、そうすることで失うものがあるのではないか。それが何かはわからない。法律というつながりを持つ事で、精神的なつながりが希薄にならないか、雅博の可能性を束縛するのではないか。そんな事を考え出したらきりがなかった。
 それに、籍を入れたからと言って今の自分のもやもやした気持ちが吹っ切れる訳ではない事は確かだった。取り残されているという事実は、どうあがいたところで変わらないのだから。
 答えは出そうにない。
 翔子の隣に座ると牧子はコーヒーをすすった。翔子も黙ったまま雑誌のページをめくる。読んでないのは明らかだった。しばらくしておもむろに口を開く。
「ねぇ、牧、下手の考え休むに似たりっていうんだよ。雅に気を使いすぎてるんじゃない? もっとぶつければいいんだよ、色々と。大丈夫。あの子はあれで包容力あるから。あんたはだいたい、昔からものわかりが良すぎる。それも問題だと思うよ」
 翔子の口調はだんだん説教じみてきた。牧子は顔をしかめて翔子の口を手で押さえる真似をした。
「わかったって。もういいよ、その話は」
 翔子は肩をすくめた。
 翔子との会話はそれから長く心の中に残っていた。いつまでも直らないさかむけのように、いつもわずかな痛みを感じさせる。そんな残り方だった。


 あれからしばらく経つが、生活の方は相変わらずだった。雅博の姿を見る機会は家の中よりも、テレビや雑誌の中の方が多いくらいだ。
 そして今夜も雅博はいない。打ち上げに出かけている。きっと朝になってから、寝不足でぼーっとした顔で帰ってきて、そのままベッドに倒れこむ。そして芝居の稽古の時間ぎりぎりまで死んだように眠り込むのだろう。
 すれ違いの日々。雅博の体温を忘れてしまいそうだ。これじゃ一人暮らしと変わらない。
 牧子はシャワーを浴びながら、同居人のことを考えた。涙はでなかったが、無性に寂しく、虚しかった。
 消えてしまいそうな自分の肩を抱きしめながら、シャワーの下で立ち尽くしていた。


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