MY BIRD
私はその鳥に足環をつける 小さな細い足にキラキラ光る銀のリング そして鳥は大空へ放たれる
陽の光にリングをきらめかせながら 鳥は一心不乱に 飛んでいくだろう まだ見ぬ希望の地へ
いつか目指す地に辿りついた時 その鳥を見た者は気付くだろうか 見知らぬ土地で 見知らぬ誰かがつけたそのリングと そこに込められた 密やかな祈り いつかきっとこの地に還っておいで 私のこの手の中に……
暗い部屋の中でテレビが青白い光を放っていた。牧子はソファーに横たわりながら、その画面をぼんやりと見つめていた。テレビの画面には若い男性の俳優が、賑やかな女性司会者を相手に他愛のないトークを繰り広げている。 趣味の話、舞台の話、最近話題になっている出演ドラマの裏話。どれも牧子にとっては既に聞いたことのある話題ばかりだった。牧子でなくとも、彼の熱心なファンであれば、たいていは知っているような当たり障りのないネタだ。
つまらない……。
牧子は溜息をつきながら手にしたリモコンのスイッチを押した。乾いた音がして画像が途切れた。昼間の放送を録画したけれど、あまり観る気にはなれない。少し前までは、彼の出演する番組は全部網羅して食い入る様に観ていたというのに……。 リモコンをテーブルの上に置き、目を閉じた。
週末の金曜日。いつもと同じように単調な仕事をこなし、疲れ果てて帰宅した。今日も一人だ。同居人は最近忙しく、なかなか顔を合わすことがない。何日顔を見ていないだろうか。 同居人……いつからお互いに同居人に成り下がったのだろうか。ほんの少し前までは恋人とも夫とも言えるくらいの密度で生活していたのに。一体私達はどうしてしまったのか。これからどうなるのか。 答えの出そうにない質問をおまじないのように繰り返している内に、牧子はそのまま眠りこんでしまった。
どのくらい眠ったのか、携帯電話の着信音で目が覚めた。慌てて携帯の入っているハンドバックを探すが暗闇の中ではなかなか見つからない。ようやくソファーの後ろに放り出してあったバックを見つけ出した時には、着信音は止まっていた。 牧子はのろのろと携帯を取り出し、不在着信のチェックをした。暗闇に慣れた目には携帯画面のにぎやかな光が眩しい。 『雅博』 画面には同居人の名前が浮かび上がっていた。牧子は少しの間考えた後、通話ボタンを押した。 呼び出し音がしばらく続き、留守電に切り替わった。感情のこもらない女性の声が語る留守のメッセージを全部聞かずに、牧子は電話を切った。 またすれ違いだ……。思わず、小さい溜息がでる。 どうせ、「今日は帰れそうにないから、先に寝ていて」なんて内容の電話だったに違いない。時計を見ると午前一時を過ぎていた。牧子が呼び出しに応じないので、もう寝てしまったと思ったのだろう。 今日は打ち上げだと言っていた。何ヶ月かの間一緒に仕事をしてきた仲間との最後の飲み会だ。電話したところで周りが騒々しいので、着信音も聞こえはしないだろう。バイブは嫌いだと言っていたし。 牧子はソファーから降り、部屋の電気をつけた。化粧も落とさず二時間もごろ寝をしてしまったらしい。 ふらふらと浴室へと向かった。シャワーでも浴びて寝なおそう。ベッドで朝までぐっすり寝よう。起きたら雅博が帰っているかもしれない……。
二人が出会ったのはもう七年ほど前の事だ。牧子は会社勤めのOLで(今もそうだが)、雅博はとある小劇団の役者だった。牧子の古くからの友人である翔子が、そこの劇団の脚本を書いていた。その翔子から誘われて公演を見に行った事があった。公演の後、彼女と食事に行ったのだがその時一緒について来たのが雅博だったのだ。 主役ではなかったが、ステージの上での雅博の存在感は主役のそれを上回っていた。牧子がそう感想を述べると、翔子はにやりと笑って、 「さすが牧。お目が高い」 と言った。彼女が言うには彼・山本雅博は逸材らしい。いずれはこんな小劇団ではなく、大きなステージを踏むに違いない。そしてますます成長するし、そうさせなくてはいけない。彼女は熱く語った。 舞台から降りると、雅博は気さくで純粋な、少年のような笑顔の若者だった。実際当時は大学生だったそうだから、四歳年上で社会人の牧子から見ればまるっきり子供だった。会社でくたびれた営業の中年のオジサンばかり見ていた牧子には、本当に新鮮な青年だった。
その日をきっかけに、牧子はたびたび劇団の公演に足を運ぶようになった。翔子から誘われた時もあったし、自分から行く時もあった。何度か翔子と雅博と三人で食事をするうちに、お互いの連絡先を交換するようになり、気がつけばなんとなく付き合うようになっていた。
雅博は舞台ではキラ星のような存在感だったが、舞台を降りて街中に入り込むとあまりにも存在感のない、どちらかというと控えめ、それもかなり地味な青年だった。身なりもあまり構わない(貧乏で構えないという実情もあったが)、極端な話、オタクといっても過言ではなかった。オタクはオタクでも演劇オタクだが。 牧子にとってはそんな雅博の存在が心の癒しだった。OLという肩書き(?)ではあったが、大人しい文学少女がそのまま大人になったような牧子は、ブランドや会社の中の噂話や、芸能人の私生活の話題にはまったく興味がない。にも関わらず、そんな話で終始する会社の昼休みは牧子にとっては苦痛だった。付き合いきれなくて、一人で昼休みに外食する事もしばしばあった。そんな風だから、「岩崎さんはちょっと変わっている。」というレッテルを貼られていた。仕事はきちんとこなしていたし担当している営業や上司からはそれなりに評価されていたので、そんな評判はたいして気にはならなかったが、女子社員仲間からは煙たがられている存在である事はわかっていた。それだけに周りに他愛のない話の出来る友人がいないというのは寂しかった。そんな時に出会ったのが雅博だったのだ。
牧子は自慢ではないが、恋愛体質ではない。どちらかというと恋愛は苦手だ。どちらかというと整っていると言われる様な容姿で、仕事に行く時はそれなりに綺麗にしているので、同じ会社の同僚から声がかからないという訳でもない。学生時代にしても彼氏がいなかった訳ではないが、「大好きだ、愛してる」なんていう印籠をこれでもかと突きつけて迫ってくるような相手は特に苦手だった。恋愛ごっこをしているだけだと、心のどこかがいつも冷めていた。 雅博は特に熱く迫ってくることもなく、気がつけば傍にいて映画の話や芝居の話をキラキラした目で語り、牧子の好きな音楽の話や、本の話を面白そうに聴いてくれていた。それでいて、雨の中ずぶ濡れになりながらも待ち合わせに遅れてきた牧子を怒りもせずにひたすら待ち続けるような、子犬のようなひたむきさがあった。 「母性本能をくすぐられるって?」 翔子にはさんざん笑われた。 「あんたみたいなタイプは、ああいう少年に弱いんだね。気をつけなよ、気がつけば『浪花恋しぐれ』みたいになってるよ。」 そう言いながらにやにやするのだ。まるでそうなるのを期待しているような口ぶりだ。 その話を雅博にすると、彼は「ひどい例えだなぁ」と苦笑していた。 「僕は『酒や酒や〜、酒持って来い!』なんて、絶対牧ちゃんにはいえないよ。怖すぎて。」 そういって屈託なく笑っていた。そういうおおらかさがまた魅力だった。
雅博が大学をなんとか卒業して、本格的に芝居に打ち込み始めて一年程たって一緒に暮らし始めた。芝居に専念するあまり、見るからに自分の身の回りに構わなくなり、小汚くなっていった。その様を見かねた牧子が、時々一人暮らしの自分の部屋に泊めていたのが、いつの間にか居ついてしまった。 深く干渉する気は毛頭なかった。逆に干渉されるのも嫌だった。でも、共に生活していれば、最低限の健康管理は手伝う事が出来るだろう。実際劇団の収入ではとても生活できないので、コンビニのバイトやら家庭教師やら副業をしない訳にもいかなかった。深夜まで働いて、芝居をしてという生活は体力的にもかなりきつそうだった。役者を志した時点で実家からは勘当されたという話は翔子から聞いていたのだ。雅博がヒモに成り下がるとか、タニマチになるとか、そういうのは論外だが、少しでも経済的な援助をしてあげたかった。そうすれば芝居にも専念できる。舞台の上に立っている雅博を観るのが楽しいのだ。 そんな軽い気持ちで始めた同居生活だった。
<2に続く>
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