朝。 刃霧は眠りから覚め、布団から起き上がった。軽く背伸びをし、窓越しに立った。 窓を開け、朝の色町を一望した後、ゆっくりと振り返り、窓の手すりに腰掛け、
「どーも、おはよう。」
と、誰もいないはずの部屋に向かって挨拶をした。 刃霧の眼前には、女が二人、足を上に向けて、宙吊りにされていた。
1人は年若く20代前半の女性。もう1人の女は、宿屋の女将だった。 女二人は、長い間宙吊りにされていたのであろう顔も真っ青になり、表情も虚ろな状態だった。 刃霧は、足を組み、組んだ足の上に肘を置き、頬杖をつく形で女達を見た。
「布を切っても構わないが、もうしばらく俺との会話にそのまま付き合ってもらおうか。」 女達は顔が青くなりながらも悲痛の声をあげていた。
「了解と受け取ろうか。別に俺は、お前達がこのまま死ぬことに躊躇いはない。 一度でも俺に刃を見せたものは誰であろうが手加減はしない。 殺すのではなく痺れか、睡眠薬だったんだろうが薬物を使うべきではないな。 なに、俺の質問に答えてくれればいい。それだけだ。」
女達は、力一杯頷き、早く解いて欲しいという表情をしているのが何となくでも理解できた。 「急かすなよ。ゆっくりいこうじゃないか。」 「うー、うー。」 言葉にならない叫びを女性二人は、繰り返した。
刃霧は、2人を諌めるように身振りで諭すと 「何、質問は一つだ。ここは、色町という名前の盗賊だろ。 一つ違うのは、村を襲うのではなく、来た村人や、旅人を根こそぎ剥ぐというところかな。」
女は、刃霧の言葉に、ショックが隠し切れなかった。正直、真実を得ていたからだ。刃霧の言葉に、ただ頷いた。 「やっぱり、じゃあ、殺されても文句は言えないよな。」 そういうと、立ち上がり、布団の裏に隠してあった小刀を女2人に向けた。
解放を望んでいた二人だったが、刃物を突きつけられたことで、死による解放だとは思わなかったのか、声も出せずに ただ、青ざめた顔がより一層の色を落とした顔で、見上げていた。
刃霧は、女達に近寄ると足に巻きついた布を切った。ドスンと音と共に、女二人は床にひれ伏した。 「疑問が解消されたことで、俺の用は済んだ。出て行っていいぜ。」
女達は、下がった血を戻る事で、眩暈から来る気持ち悪さを感じながらも刃霧に詰め寄った。 「な、なんなのよ。」 「なんなのって言われてもね。別に深い考えは無いよ。この時代、色街なんて珍しい話でもないだろうしね。 さっきも言ったように疑問があっただけさ。確証があった訳ではない。色町の不要なまでのしつこさと、女将の椀にもった毒物でそうではないかという疑問が生れただけだ。ああ、あと、風呂場や、部屋の中での女将以外の気配とかね。」
「気配?」 「ああ、俺は、そういうのが解るんだ。殺気のようなものがね。俺に向けられたものは解るんだよ。 そいつに殺す気があるのかとか、その者が持つ殺意の度合いとか、それに付随する力の強さとか。 あんたの顔を見たのは今が初めてだが、あんたのことは、風呂に入る少し前から気づいていた。 まぁ、疑問を決定付けたのは、女将の言動と行動だがね。」
「?」 「女将が俺の部屋に入った時、まず確認したのがお椀の中身だ。空になっているのを確認してから俺の顔を見た。 普通の宿屋なら客の顔を先に見るだろう。 満足したかどうかを顔で判断する。だが、そうではなかった。 後は、俺が眠いというや否や直ぐに膳を下げ、布団を敷き、その場を去った。
それと同時に部屋にいた気配も消えた。それが理由さ。 ああ、後は助けた理由か。別にいいんじゃないか。盗賊とはいったが、これもあんた達が生きるための術だとしたら別におかしなことじゃない。女という武器を使っただけに過ぎない。
力で勝てないなら、知恵で勝つしかないだろうからな。まぁ、若ければ、体の一つも使えるだろうが、女将ではそれも無理そうだ。 生きるための武器ならば仕方の無いことだ。色町があるという噂だけばらまいておけば、それを聞いてくる男は後を発たない。 馬鹿な奴を利用したところで痛む心もあるまい。それがわかってやっているならな。」
「?」 「俺は、正義を傘に着るつもりはない。偽善者でも無いが、ただ、覚えておいた方がいい。中には俺のような奴もいる。 たまたまここに来ただけで、女遊びをするつもりもない。そんなモノが同じ目に会えば、怒りを感じて相手を殺すことだってある。 十分に相手を見て行動することだ。」
「ふん、結局は説教かい。」 「違うね。戒めさ。」 「戒め?」 「命が助かったことがお前らにとって良いことか悪いことかは解らん。だが、そう何度も助かるなんてことは無いって事さ。 世の中には死ぬことよりも辛いことはいくらでもある。 それをお前らは体験したから、この道を取ったのかもしれない。 だが付け入る隙はいくらでもあるってことを覚えておいたほうがいい。 お前らよりも知恵があり、そして力があれば難なくここを侵略し、統治してしまえばいい。
お前達は、ただ働くだけ働かされ、甘い汁は全てその統治された人間に根こそぎ取られる。そういう方法もあるってことさ。 今回は、お前達にとって教訓というものを教えてやっただけさ。 助けられたことに対する疑問ではなく、何故失敗したかを考えることに時間をあてな。」
「よく言うよ。」 「そうだな。だが、女の武器は時に力よりも知力よりも上回る力があると今回は見せ付けられた。俺もまだまだだな。 さて、飯は出るのかい。できれば、毒の入っていない飯がいいな。」
「すぐ用意させてもらうよ。ああ、そういえば、何故、毒が入っていると気づいたのかい。」 「俺は、町に入るのは随分久しくてな。それまでは山の中をいつも行動していた。 食べるものがないと草や木の実を食べることが多くてな。知らず知らずのうちにそういう知識が身についた。 椀の中に混入していた草がどういったものかとかね。」
「あんた、一体何者なのさ。」 「困ったな。名前を言うと、大概、出てけ!って言われるからあまり言いたくないんだが。」 「?」 「まぁ、いいか。俺は刃霧。旅人さ。」 「刃霧!あの、あの刃霧です・・か?」 「あのか、どのか、わからんが、刃霧だよ。」
名を聞いた途端、何も言えずに血色の戻った顔が再度青くなり、黙って座り込んでしまった。 「真っ当な反応だな。さっき、命を取る必要がないって言ったの忘れた?」 「!」 「お前達の命に興味はない。何者か言われたから名前を言っただけで、特にそれ以上のことはない。 それで、飯は出してくれるのかい。」
「は、はい。ただいま。」 女将は、体のふらつきを抑えつつ下に下りて行き、急ぎ、膳を持ってきた。 刃霧は、女将や女の見てる前で食事にありついた。 「うん、うまい。昨日も毒が入っていなければ食えたのに、勿体無い事をしたな。」 刃霧はおいしそうに、椀の汁を吸い、食べ物を食べた。
食事を済ませ、甲冑を身に付けると、女将に別れをいい、宿を出た。
昨日、入鹿と別れた場所に行くと、そこに入鹿は立っていた。 しかし、その横には数人の女が手に武器を持ち、入鹿の喉元に刀を突きつけていた。
「どうした?随分と楽しそうだな。」 「いや、あの、ほ、ほら、連れがいるってのは確かだろ。なっ、だからその物騒なものを収めてくれよ。」 入鹿はしどろもどろになりながら刀を突き立てている女に叫んだ。 刃霧は、しれっとした顔で入鹿に近づき、 「何やってるんだ。お前も騙し取られた口・・という訳でもなさそうだな。」 刃霧が溜息交じりながら、言うと、入鹿のそばにいた女がふいに口を開いた。
「こいつは、店中の酒や食べ物を食べ尽くしちまったんだ。払うものが無い以上、代わりの者に払ってもらうのが常套だろ。」 「食べ尽くした?」 「夜中に入ってきて、朝まで飲みつづけたんだ。当然だろ。」 「お前、アホだろ。」
「いやぁ、上等な女の注ぐ酒は格別でな。時間を忘れて飲んでいたら朝になってしまった。 なっ、こちらにいらっしゃる刃霧様がどかんと足りない分を金を払ってくれる。ちょっと待ってな。」 と入鹿は、わざと皆がいる前で刃霧の名前の口にした。
そばにいた女達は刃霧の名前を聞いた途端、背筋が凍る思いをし、その場を少し離れた。 「なんだって、刃霧。」 「この人刃霧なのかい。」 「あれ、しまった。言っちまった。わははは悪い、悪い。」 入鹿の豪快な笑いとは対照的に、そばにいた数人の女達は肩を寄せ合い、いきなり死に直面した驚きと恐怖に硬直していた。
刃霧は、冷淡な顔で、入鹿と女達を見、刀を持ち帰ると、少し独特な居合で、 刀を抜き去ると、矛先を入鹿の喉元に突きつけた。
「確信犯か。入鹿。覚えておくべきだな。俺は利用されるのは大嫌いだということを。 俺の名前をわざと語ったな。貴様のその言動は己の命を縮める行為だと知れ。 このまま貴様を殺しても俺は困らない。だが、女達が困る。それは女達に対し、申し訳がない。 さっさと払うものを払いな。盗賊からせしめた金が有る筈だ。」
「わ、わかった。払うから払うから刀を引いてくれ。」 「金を出してからだ。」 「わ、わかった。」 入鹿は、懐から金の入った袋を出すと地面に落とした。 「金が入った袋だ。それが全財産だ。だから、もう刀をしまってくれよ。悪かった。もう二度と名前を語ったりしない。」 入鹿の悲痛な叫びを聞き、刃霧は刀を引き、鞘に収めた。 「最初からそうしていればいいんだ。人の金をあてにするのは筋違いだ。」
女は、入鹿の懐から落ちた袋を拾い上げ、中身を見たが、 「足りないよ。まだ足りない。」 「・・・・・・・・、お前、いくら分飲んだんだ。」 「さぁ?」 「丁稚奉公でもしたらどうだ?入鹿!」 「勘弁してくれよ。飲んだけど、これで払いきれないほどでは無い筈だぜ。」 「ふん、色町料金が加算されているんだよ。」
「色町料金!?」 入鹿の問いに刃霧は、簡潔に掻い摘んでこの町の事を話した。 入鹿は、その事実にただ驚き、カモにされた事実に腹が立ってきていた。 「じゃあ、真っ当な金額なら、この袋で十分お釣りがくるってことじゃないか。お前、金返せ。」
「ふざけんじゃないわよ。あんたは、酒も女もこの世に無い楽しみを味わっただろう。当然の見返りさ。 調子に乗ったのはあんただろ。」
「ふざけんな。殺すぞ。お前ら。」 「やってごらん。そうなれば、真っ先にお上の世話になるよ。」 「盗賊まがいの行為は、お上の世話にならないのか?」 入鹿と、若い女達が往来で、口喧嘩をしていると、遠くから1人の老婆が近づいてきた。 老婆は、入鹿達の側に来ると、その場を一喝した。
「おやめ、天下の往来でみっともない。」 「なんだ、婆ぁ。」 「長(おさ)!、申し訳ありません。」 「長?」 長と呼ばれた老婆は、刃霧が昨晩泊まった宿屋の女将だった。
「ほう、あんたが、この町で一番偉い奴だったとはね。」 女将は、刃霧に一礼すると、女達に向って叫んだ。 「不足分は、貰う必要は無い。足りなかった分は、われらの授業料じゃ。気にする必要は無い。」 「授業料?何ですかそれは?」
「昨晩、私は、こちらの刃霧さんのお世話になった。正直、命の危機にさらされ、色街そのものを失うところだった。 だが、命は失われず、今こうしてここに立っていられる。 その時に、この町の弱点を指摘された。女が集団で生きぬくことは決して楽ではない事を教えてもらった。 非力なものが集まり、事を成すにはそれだけの心構えをし、知略を使わなければ、終りじゃ。 それを教えてもらった授業料じゃ。」
「男に負けたと言うつもりですか?」 「違う。負けたのは、刃霧さんだ。」 「・・・・・・。」
「私たちは、これからも同じ事をして生きていかなければならぬ。今回のことは私にとっていい戒めとなった。 それに、ほれ、その坊主殿がもし、力付くでどうにかしようとしたらお前達はただ殺されて終りだ。 相手の怒りに油を注いでも良いことはない。やり方を改める必要はあるようじゃよ。」
刃霧は、ただ黙っていた。入鹿は、金を払わなくてよい事に喜びを感じていた。 「儂、金を払わなくていいってことだよな。なっ、なっ。」 「さぁな、ここの長がそういうのだからそうなんだろうな。だが、俺としては、なんとしても払って欲しいものだが。」 「話を戻すなよ。」
「さて、話が終わったなら、俺達はここを離れていいか。後はお前達の問題だろ。」 「はい、大変、お世話になりました。」 「なに、こちらこそ。汁はうまかった。あんたの宿にはまた寄らせてもらう。久しぶりに、いい気分で町から出れる。 大概いつも厄介者払いだからな。はははは。 ああ、そうだ、最後に一つだけ言わせてくれ。女としてプライドを持ち生きるのは悪いことじゃない。 今までそうしていきたのだろう。だがな、あんた達は、相手に対し少なくとも多少の礼儀を残しな。 怨恨だけ残しても長生きは出来ないぜ。
俺なら、この町の戦意を失わせるだけなら5分もあれば出来る。 やり方は、至って簡単だ。5分間の間、徹底的に目に付く女を斬り殺す。
一番残虐な方法で、そしてそれを他の者達に見せつける。 あとは、女将の喉下に剣を突き立て降伏を勧告する。それで終りだ。
ここで、俺の取る行動を連想しな。相手を選ばずに殺せる人間だということを相手の脳に植え付けさせる。 その後、頭を抑え、抑止力を付ける。
腹を何箇所か斬られ、頭を掴まれた蛇はのたうちまわり自滅する道しか辿れない。
そういう方法をすればたった一人でもここを抑えられるということさ。 頭を抑えられることを拒む蛇は毒を吐き、自分の頭に近づけさせない。その毒に、なる何かを作ればいい。 それは、あんた達で考えな。」
刃霧は、言うだけ言うと、そのまま町を後にした。
刃霧は振り返らなかったが、町の長は深々と頭を下げそれを見送った。入鹿は、刃霧の後ろを歩きながら、 「なぁ、何故、あんなお節介を焼いたんだ。まぁ、儂もお前さんのことをよく解っているわけじゃぁないが、なんとなくお前さんらしくないと思ったんだが。」 「あいつらの生き抜く意味というやつを肌で感じただけさ。生き方なんてのは、人によって違う。 農民をするもの商人をするもの、盗賊をするものだっている。
俺は、悪いことをやっている奴を否定するつもりは無い。俺だって、ある意味、似たような事をやっているのだからな。 ただ、あのままでは、近いうちに死ぬ可能性があるなら多少でも助言をくれてやった方がいいと思っただけさ。女には甘いのかな。」
「なるほど。ふむ。刃霧の違う一面が見れたということか。」 色町をほどなく離れた時、ふと刃霧は足を止め、色町のあった方を振り返った。 『俺には似つかわしくない行動か!』 刃霧は、また歩み始めた。
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