青い地球。昔、ユーリン・ガガーリンは宇宙から見下ろした場所で感動と共にそんな言葉を発した。 しかし、それも過去のこと。 もし、同じ事をした奴がいて、ここを同じように青い地球と詠う奴はいるだろうか?俺は思わない。 ここはそんな綺麗な惑星ではないだろう。 泥と血にまみれ、欲にまみれた薄汚い惑星(ホシ)に見えるだろう。
今俺は、そんな薄汚い惑星(ホシ)の大地に立っている。 空を飛ぶことも出来ず、底辺とも呼べる大地を踏みしめ右往左往するしか出来ない輩なのだから。
他へと逃げることも叶わない。ある事件をきっかけにこの大地は変革した。 あれは、誰も忘れることは出来ない。忘れることは罪となり、未来永劫その事件を教訓に生きなければいけないのだから。
「時の大罪」 その事件の名はそう呼ばれている。 今を生きるものならば赤子でも知っている事だ。
21世紀、地球に、黒の星が降りそそぐ。 この世が無くなるという予言をしたものが昔いた。 しかし、その予言も外れ、それを誰もが忘れ、平穏に生きていた。
俺がいた日本という国では、栄華という言葉が過ぎるほど、文明が高くなり、無いものは無いというほど物が多く出回っていた。 飢えで苦しむ者や、貧困にあえぐ者など殆どいない。例え、苦しい生活であっても、それで死にいたるような事は無かった。
俺は平々凡々とその時を生きていた。特に生きることに深い考えも無い。 日々が過ぎていくことに何の喜びも感謝もすることはなかった。 俺に限らず、殆どの者がそうであったに違いない。
そんな時だった。何の前触れも無く、それは、突然起きた。
突如、大地震と呼んでも足りないほどの超大規模な地震が起きた。 震源地の特定が全く出来なかった。後から考えれば、複数の箇所から突然起きたとしか思えなかった。 下から突き上げ、左右に揺れ、異常なほどの地震が起きた。誰もそれに抗う事もできず、地震という災厄に巻き込まれた。 だが、災厄はそれだけに留まらなかった。地震の揺れとほぼ同時に空から無数の隕石が降り注いだ。
一昼夜続いた。それだけで十分な時間だった。 その後、まるで計ったかのように、地震も流星もピタリと止み、まるで、何事も無かったかのように、静寂な時間が過ぎた。
その間に、大量の生物が、地震と隕石群により、死滅し、大地に高くそびえた建造物は崩され瓦礫の山と化していった。 最高潮にまで達した文明は、たった1日にして、全てを無に返されると思える光景が周りを写した。
これほどの大災害をあとにして、俺は生き残ってしまった。 全く、いや大した怪我も無く。 むろん、俺だけではない、あれほどの大災害であり、大量の生物が死滅したにも関わらず、全滅という言葉には程遠かった。 それだけ、地球という惑星(ホシ)には、大量の生物が溢れ返っていたのだ。
地球には、文化も文明も無くなり、ただ、何も無い大地のみ広がっているだけだった。
「時の大罪」という一つの事件が起きてから数年の月日が経っていた。 経っている筈である。
しかし、月日が経っているという自覚があまりにも感じられなかった。 あの日から何かが違っていた。説明の出来ない事が多かった。あまりにも不思議で、不明快な事が続いていた。 地震や隕石の落下などという事件で、「時の大罪」なんて言葉は決してつかない。 付く理由が別にあるのだ。
まず、俺の事から話そう。 俺は、あの事件が起きる前、40歳も半ばまで過ぎ、髪も白髪が混じり、中肉中背、メガネ無しの生活などありえなかった。 だがあの災厄が終わった時、どうみても18歳前後、髪も黒々と艶があり、若かりし頃のあの時を思い直すような姿だった。
それだけではない、視力も当時の如く完全に戻っていた。 精神年齢は不変のまま、肉体年齢は、完全に俺の人生の全盛期に戻っていたのである。
さすがにこの自体には驚いた。月日が経ち、歳を重ねるのではなく逆に若返ってしまったのだから。 むろん、それだけではない。俺自身だけではなく、他の生き残った人たちも皆、同じようになっていた。
歳が若くなったことは、不幸中の幸いかもしれなかった。 こんな事態を生き抜くのに、年寄りのままではそれだけ死の確率があがる。 若いほど、体力が多く色々とメリットが多いとさえ思った。 だが、何故若返ったのかという理由だけは皆目不明だった。
異変はそれだけでは無かった。 今までの文明の象徴とも呼べる機械を作る技術、生活に余裕をもたらす知識の記憶が徐々に薄れていったのだ。 最初は、使い方や直し方などの知識を完全に覚えている。だが、日を跨ぐと知識がぼんやりとしか覚えていない。 そして次の日には、思い出すのも至難となっている。 記憶の経過は随分と大袈裟に言ったが、この言葉が一番わかりやすい表現だった。
我々人間は生きるこ懸命にならなければならなくなったのである。 生活が一変し、意味も無く生きることが意味の無い時代がここに幕開けしたのである。
月日は随分と経っていた。 少なくともあの時から5年という月日は経っていた筈である。 しかし、歳は逆に若返り、あの時の状態から随分と状況も変わっていた。
最初は戸惑いを見せていた人達も次第に落ち着きを取り戻し、生きる為に行動をし始めた。 長い年月をかけて培われた文明という知識は失われ、人が自ら動かなければならない状態に戻った。
時代は、過去の歴史から考えると、室町時代に似ているのかもしれない。 「時の大罪」の起きる前には、あったであろう生活を潤す機器、何よりも早く移動が出来た乗り物など悉く使用できず、 それを作る技術も知識も誰も持ち得なかったのである。 人々は、昔に戻り、木を使い、家を建て、土地を耕し、畑を作り、実を作り、育て食べた。
事件により、他国との干渉が全く出来なくなり、自分たちのことで精一杯になった者達は、今日を生き、明日に繋げることだけが大事だったのだ。 そういう意味では、今はとても平和でのどかな時代に戻ったと言える。 しかし、いつの時代も平和という言葉は長くは続かない。 時代が荒廃したことで人の心もすさみ、法が無に返されたことで、統治という言葉もなくなった。 人は野望を持ち、欲望のまま生きることを望むものも事実、増えていった。
事件が起きた後、ある区分別人種が出来ていった。 権力者と、一般人、賊、そして流浪者である。
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