わずか1日で、日頃使った事の無い筋肉が悲鳴を上げていた。 普段は、皇后達がいる部屋で1日中酒を飲んで過ごす日々が多く、さして体を動かす事も無く、体力的には底辺にあった。
そのせいか、少し動くだけで、動悸、息切れが激しく立つのも困難なほど疲れていた。 そんな状況でもアルスは、労いの一つのかける事無く、次々と用を言い渡された。
日も高度を過ぎた頃、新たな議題から、官僚たちが集められ議会が催された。 ナッシュをはじめとした政務官が数人、それに加え、キーヴ宰相とアルスは話を行っていた。 末席には、デミトリも在籍し、話に加わっていたのだが、本人からは意見の一つも無い状況で時間だけが過ぎていった。 会議も中盤に差し掛かった頃、部屋の扉付近で、大きな声が聞こえた。
「申し訳ありません。現在、大変重要な会議を行っております。 終了するまでは誰も入れるなと陛下からおおせつかっております。 たとえ正后でいらっしゃられましても、中に入れるわけには参りません。 時を改めるか、日を改めるかしてください。」
「だまらっしゃい。火急の用件ともうしておろう。私が誰だかわかっているのか。」 「存じ上げています。ですが、通すなと命を受けています。」 「話になりませんわ。どいつもこいつも。ああーもー。」 近衛とライラ皇后であろうか?騒々しいやり取りが扉を通り越して聞こえてきた。
あまりに大きな声であった為、議会のやり取りが通らない状態になり、アルスは、ため息を付くと、デミトリに向かって、 「黙らして来い。議会の最中だ。」
デミトリは、「はい。」と一言言うと、扉を開け、外に出た。
外には、近衛とライラの言い合いが続いていたが、デミトリが出たことにより言い合いは消えた。 しかし、今度は、ライラの一方的な奇声が部屋中に響いた。 「デミトリ、あなたは、朝からどこに行っていたの?行き先も伝えずに勝手に。」 「議会の最中です。お引き取りを」 「議会?何を言っているの?」
「本日朝、出廷したのです。今は、アルス政権に加入しています。」 「なに、馬鹿なことを言ってるのです。加入ですって。何を。 あなたは、まだ、自分の立場を理解していないの? あなたは王になる存在なのよ。それが、仕えてどうするのよ?何を言っているの? 昨日のアルスの戯言を真に受けているの?
あれは戯言よ。虚言。真なることなど何一つ無い。アルスに命じられたの? そうなら、母の力であなたを自由にするわ。」
「私は、自分の意思で、アルス陛下に組する事を決めた。ザベル様もライラ様も関係ない。」 「何を言っているの?母に向かって。」
「あなたは、母ではない。どうせ、私はあなた方の策の中では殺される存在だ。」 「それは、うそよ。アルスが言った虚言だわ。デミトリ。私の顔を見て。私を信じられないの?」
部屋では、会議が小休止され、静寂を待っていた。アルスは、またため息を一つ付き、 「更にうるさくなった。」
キーヴは、扉を見ていたが、ふいにアルスの顔を見て、 「陛下、どうされるおつもりなのですか?」 「何が?」 「デミトリ兄上のことです。まさか、本気で王政に加入させるおつもりですか?」 「おや、キーヴは、気に食わないと?」 「気に入りません。」 「先に生まれたものだから?」
「違います。そんな感情など既にありません。そうではなく。 陛下は、私を政権に招いてくれたとき、能力のあるものは一人でも多く欲しいといってくださいました。 しかし、今日の兄上を見る限り、とてもそのような者には見えません。
明らかに、自分の身をただ、助けるための行為に見えてなりません。 偏見だというならそうかもしれません。しかし、私にはどうしてもそう見えて成らない。 ザベルやライラ皇后を裏切り自分の保身の為だけにここにいると見えます。そのような者を王政に入れるのは、反対です。」
「なるほど。だが、まぁ、そんなに邪険にする程の事もないだろう。宰相。 もっと大きな度量で私に頭を下げたデミトリを見てやったらどうだ。」 「陛下?」
「昨日の出来事で、こういう行動に出るとは思っていたさ。 自分の命に及ぶ危険性をいち早く気づいただけでも凄いと思わねば。あれ?今頃気づいてか?」 「だいぶ、違いませんか?陛下。」 「あれ?そうかな。はははは。」 「どうされるおつもりなのですか?陛下は。」
「まだ、策は続行中だよ。」 「え?」
「デミトリは、私の暴露によって、自分の命の危険性を察した。 だからこそ、保身の為に、私に頭を下げ、自分の地位を確立しようとした。 だが、所詮実践経験の無い人間だ。国を思い行動するものと、ただ保身の為に行動するものでは、器の差など歴然だ。 仮にも私が王になってからお前達はその政権に付いているのだ。経験の差は大きい。 短時間で自分の限界を知る。そして、おそらく、デミトリ自身が本当の決断をする。」
「本当の決断?」 「そうだ。だが、その決断後の結果は、私にも解らない。」 「何を決断するというのです?」 「生死の決断。」 「生死ですか。生にしがみついているからこそ、頭を下げたのではないのですか?」
「今は、まだ決断をしていない。仮にも王族で、私が来るまでは、次の王は自分だと思っていた人間だぞ。 まして、旧体制の代表の一人だ。高貴なるプライドを持ち合わせた人間が、そうそう折れるものか。」 「陛下は、死すべきだと。自分に逆らったからこそ、死すべきとお考えか?」
「あいつは、ただの一度も私に逆らってなどいないさ。あいつの意思ではな。」 「では、生きる望みもあると?」 「それは、あいつ次第だ。そこまでは、私も解らない。」 扉の外での会話が終わったのか、デミトリは一人、部屋の中に戻ってきた。
デミトリは、部屋の中央で、跪き、 「申し訳ありません。内々のことで、揉めました。終わりましたので、会議の続きを。」 アルスは、頬杖を付きながら、 「別にお前の事を待っていたわけじゃない。 うるさくて、会話にならぬからとめていただけだ。」 と冷たく言い放った。デミトリは、再度頭を下げ、謝罪した。
その後も、会議は続き、何度かデミトリにも会話を振ったが、頭を横に振るだけで何もいう事は無かった。
小間使いのように働く日々、会議に出ても何も言えない日々。 そんな生活が、少しの間続いた。
その後、アルスは、デミトリを呼びつけ、 「デミトリ、一応、私の傍での修練の時を終えた。これより先、官職を与え、忠実に職務全うせよ。」 といい、デミトリに官位を与えた。官位といってもたいしたことのない役職である。
だがデミトリ認められたと思い、アルスへの忠誠を示す為によく働いた。 デミトリの役職は、初日に大変な目にあった土の研究である。 土や糞にまみれ1日を過ごすというよっぽど根気が無ければ真っ当できるような代物ではなかった。 アルス王権が出来た当初から、一人の男が、ずっとこの研究を行っており、確かな成果も出していた。
デミトリは、着任早々、一日匂いに悩まされ、吐く、倒れるの繰り返しであった。 当然、他の研究者からも厳しい叱りを受けることも何度も続いた。
「アルスや、キーヴは、城の中で職務に付き、なぜ私は、このような所で。 これが、王族に対しての扱いか。これでは、命を永らえたとしても何の栄華も得れぬ。 仮にもオルバス王が実子第2皇子だというのに、誰も敬愛すらせぬ。何故だ。弟は宰相。兄は王だというのに。 何故、私はこのような不当な扱いを。」 デミトリの独り言のようなボヤキは、日を追うに連れてどんどん増えていった。
だが、本人の意識とは、違いこの土の研究は、非常に重要なものだった。 作物が正常に育ち、民達が飢えないための行動であるが故に、手の抜ける要素は無かった。
デミトリには、多きなる成果を期待するというアルスの計らいでこの役職についたのだが、本人は快く思わなかった。 まして、自分の持っている知識が何の役にも立たず、かえって邪魔になる事柄に余計な苛立ちを覚えていた。
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