まだ太陽が昇りきらない頃、女性の甲高い叫び声で俺は目を覚ました。 その叫び声は一階から聞こえ、二階に居た全員の耳に入った。
ゴキブリを見た程度とは思えない甲高い声に、何事かと思い、飛び起きた俺は、 一階に駆け下り、声のしたであろう食堂のさらにその奥に進むと、 尻込みをついて青白い顔で体を震わせる女性を見つけた。
俺は、女性に駆け寄り、 「どうしたんですか?」と尋ねると 女性は、真っ青な顔でこちらを見つつ、震わせながら部屋を指差した。
指の指される方向に目をやり、部屋を覗き見た。 部屋には、整頓されながらも山積みになっている箱が見えたが、 それ以上に気の引くモノが床に有るのを見つけた。
恐る恐るその気の引くモノに近づき、覗き見た。 それを人と認識するには、少しの時間を要した。
思わず、仰け反り、声を上げた。 「うゎっ。し、死んでいるのか?」 俺は一気に血の気が引くのが解った。 それでも勇気を振り絞り、顔を見ようと身を乗り出し、横たわる死体の顔の付近を覗き込んだ。
顔であった付近は、原型を留めていなかった。 どうすれば、ここまで出きるのかと思うほどグチャグチャになっており、 個人を特定するのは非常に厳しい状況だった。
あまりの酷さに目も眩む思いだった。それに加え、唾を飲み込むことも出来ず、胃がムカムカし、逆流し、 口から押し出ようと掻き分けて来るのが解った。 押し留める力も無く、そのまま感情に任せて吐き出そうとした時、 誰かに、服の襟首を掴まれ、部屋の脇に押し出された。 俺は、背後の人物を確認する間もなく、部屋の隅に座り込み、人目も憚らず嘔吐してしまった。
救いだったのは、胃の中のものは殆ど消化されていたので口から出てきたのは胃液ぐらいだったって事だが、 口の中の違和感に落ち着くまでに少しの時間がかかった。
胃液と唾液でベチョベチョになった口を、袖で拭い、もう一度死体を見ようと振り返ると、 1人の男が死体に屈み、シゲシゲと見ているのが視認で来た。
「黒男だ。」俺は思わず、心の中で叫んだ。 俺の襟首を掴み、部屋の隅に追いやったのもこの男のようだった。 死体に俺の胃液を掻けなかったのは幸いだったかもしれない。
部屋の周りには、二階から降りてきた友人達や従業員達が集まっていた。
「拓也。どうしたんだ?」
俺を見つけた大介達は、身を乗り出すように顔だけ出し、呼びかけた。 俺は、口の中に残った胃液の苦い味を噛み締めながら、 「人が死んでる。」
俺の声が聞こえたモノ達の悲鳴が辺りを賑わせた。 「誰が、死んだんだ。」 「わからない。顔が、ぐちゃぐちゃで、誰か判断できないんだ。」
その声に、更に煽るような悲鳴が、周りを賑わせた。 大介は、恐る恐るだが、部屋の中に入ってきて、俺がやったように、死体の顔を覗き込んだ。 さすがの大介も、目を背け、 「ひどい」と声を漏らしたが、嘔吐をこらえ、死体の服の確認をしていた。 一通り死体の周囲を見た後、少しその場で考え込んでいたが、
「もしかして、友子じゃないか?」と、小声でポツリと言った。
その声に、俺が反応し、 「友子?まさか。」 俺は立ち上がり、改めて、残酷に横たわった死体を見た。 俺の声が聞こえたのか、部屋の外に居たモノ達も恐る恐る、死体が見れる位置まで体を動かした。 だが、凝視できるわけも無く、見るや否や、声を出して泣く者や、その場で嘔吐するものも少なくなかった。
大介は、悲鳴でざわつく周りと反して、冷静な声で 「皆、一度、食堂に集まろう。誰がいて、誰がいないか確認しないか。 そうすれば、これが誰なのかもはっきりする。」 俺は、大介の言葉に同意して、嘔吐しているものや、蹲り泣いている奴らを抱きかかえ、 皆を食堂に連れていった。
俺と大介は手分けして、二階の部屋に行き、誰も残っていないことを順番に確認して回った。 その後、食堂に戻ると、中には、ユキ達のすすり泣く声が部屋中に響いた。
俺は、グッと腹に力を入れ、 「点呼をするから、名前を呼ばれたら返事をしてくれ。従業員の人は、いない人がいないか、確認して教えてくれ。」 そういい、順に名前を呼んだ。皆泣きながら、か細い声で返事をする者、 手を上げて存在していることを示す者。といた。 淡い期待を抱きつつも最後に、友子の名を呼んだ。 だが、返事が返って来ることは無かった。 その状況に、すすり泣く声がいっそう強まった。
俺は、倉庫で死んだのが、友子であることが間違いないと思った。 そして、非常にやるせない気持ちになった。
「何で、こんな事に。」 俺は、悲観と共に憤りすら感じた。 そんな中、大介が、ふと周りを見渡した後、 「なぁ、拓也。彼がいないぞ。」 「彼?」 「ほら、お前が黒男って言っていた彼だよ。」
俺は、大介の言葉に、改めて食堂を見回したが、確かにここにいなかった。 だが、ついさっき、顔を見ている。 「まさか、逃げた。ちょっと探してくる。」 俺は、焦りと苛立ちが混ざりつつ、食堂を出ると、一気に階段を駆け上り、 2階にある部屋を一つずつ見直したが、黒男の姿は無かった。
階段を下りながら、どこに行ったのか考えていると、1人の従業員と角の所でぶつかった。
「あっ、ごめんなさい。」 「こちらこそ。」 従業員は、俺に軽く謝罪すると、倉庫に向かって駆けて行った。 俺は、その様子を見て、従業員の後をつけるように倉庫に向かうと、 例の黒男が死体の前で立っているのが見えた。
目の前にいた従業員が、声を上げるよりも先に、 「お前、何やってんだよ。食堂に来いっていったろう。何、勝手なことしてんだよ。」 友子が死んだ苛立ちからか、感情を抑止することも無く声を荒げ、八つ当たりのようにまくし立てた。
だが、俺の怒りは完全に空を切った。 黒男は、俺の言葉の一切を無視し、従業員に顔ごと視線を向けると、
「どうでしたか?」 と尋ねた。 従業員は、俺の怒りを感じ取っていたので、発言に躊躇したが、黒男の変わらない視線に、 「警察に連絡しました。でも、昨日の雪で、ここまでの道が遮断され、早くても今日の夜か、明日になるのではとの事です。」
「そうですか。それでは、少し時間がかかりそうですね。」 黒男は、その場に立ち、外を見ていたが、 ふっと、後ろを振り返り、俺と従業員に正面向くと、
「二度寝する気分には慣れませんし、お腹がすいたのでご飯にしましょう。」 俺は、この呆れる位に傍若無人で、厚顔無恥な男の言葉に、更なる怒りを感じ、 思わず男の襟首を掴み、
「てめぇ、自分が何言ってるのか解ってるのか。人が死んでんだぞ。 それを、何他人事みたいに言ってる。ふざけんな。」 先ほどの言葉を無視された事も加えて、目の前で唾を吐きかけるように、男に向けて叫んだ。 もう一声ムカつく言葉があれば本気で殴ったかもしれない。 男は、冷静な顔のまま、静かに俺の手を離し、浅い溜息を一つ付くと
「他人事ですよ。。あなたにとってご友人でも、私にとっては他人です。当然の反応でしょ? それに対し、あなたの怒りを共有しろというのは可笑しくありませんか?」
「そうだけど、言い方ってもんがあるだろう。」 「言い方、言っている意味がよく解りませんが、なるほど。そういうものですか。」
この無神経極まりない男を殴ってやろうかと思っているとき、 背後から声が聞こえた。
「ここにいたのか。」 その声のする方に視線を向けると、大介が立っていた。 「まったく、飛び出すや否やどこにいったかと思えば。全く。心配かけるなよ。」 大介が俺を本気で心配している声に、俺も少し心を落ち着かせることが出来た。 大介は、黒男に視線を向けると、 「何をしていたのですか?全員食堂に集まるようにと声を掛けた筈です。 心落ち着かない状況で焦りを生んでいる状態です。仮に、無関係であっても従ってください。」 大介の言葉に、黒男は、
「なるほど。確かに。あなたの言うことの方が的を得ている。ふむ。確かに。 それは、すいませんでした。先に警察を呼ぶほうが優先度は高いと思いまして、 警察を呼んでもらうようにお願いしていました。大丈夫でしたか?」
「ええ、身元は解りましたから。」 大介は、落ち込んだ声ながらもはっきりそう答えた。 「そうですか。ご友人だったのですか?」 「はい。俺達の昔からの友達です。」 「なるほど。」
「なんで、こんな事に。。。」 「さぁ、何ででしょうね。 人が人を殺す理由も殺したいと思う気持ちも僕にはわかりませんね。」 「俺だってわからないよ。」
大介と黒男がそんな会話をしている中、この男の発言で治まった怒りに更に火がついた。 「なんだよ、お前。大介の事は的を得ていて、俺のは理解できないってどういうことだよ。。 なんか、むかつく。くそぉ。犯人も、この黒男もむかつく。
決めた。 おい、大介。決めたぞ。 俺は、友子を殺した犯人を捕まえてやる。 捕まえて、友子の無念を晴らしてやる。」 大介は、俺の唐突な発言に少し、唖然とした。 だが、少し間を置いた後、
「拓也。お前の言いたことはわかるけど、無理だよ。 今わかっているのは、友子が誰かに殺されたって事だけで、誰がやったかも、いつやったかも、わからないんだぜ。どうやって見つけるんだよ。」 大介の冷静な答えに俺は、ムキになり、 「アリバイとか、トリックとかいろいろ見つけてやるよ。」
「そんな事、素人の俺たちが出来るわけ無いだろう。」 「出来るとか出来ないじゃないよ。やるんだ。友子の無念を晴らすんだ。 俺たちがさ。なぁ、大介。」 「拓也。。。」
大介は、俺の支離滅裂なゴリ押しに、反論する事も無く押し黙ってしまった。 大介が静かになったのを見てか、今度は黒男が口を挟んできた。
「大介君でしたっけ?彼の言うとおりです。素人が手を出す事ではありません。 警察にまかせるべきです。推理ゲームをやっているわけではないのですよ。」
黒男の言葉で、俺は更に感情的になり、 「そんな事はわかっている。あんたは、無関係なんだろ。だったら、シャシャリ出てくるな。 俺はダチが殺されたんだ。ほっとけるかよ。 警察に全てを任せて終わりなんて出来るか!!」 俺は言いたい事を感情に任せて吐き捨てるように言った事で、胸のむかつきが少し減った気分になった。
黒男は、俺の文句にも感情的にならず、極めて冷静な声で、 「ご友人が殺されたのは、残念だとは思います。 ですが、冷静に物事を見ることが出来ますか? ご友人を殺めたのが、あなたのご友人であっても同じことができますか?」
「はぁ?」
「あくまでも僕の推測に過ぎませんが、友子さんでしたか?強盗の類によって突発的に殺されたわけではないと思います。 顔見知りによる犯行であることが極めて高い。
となれば、昨日今日会った私や、従業員が犯人であるよりも、 あなた達の誰かと考える方が自然です。
友人のために犯人を見つけたいと思う気持ちは、とても素晴らしいと思いますが、 その結果、あなたのご友人を警察に引き渡すことにもなる。それが、あなたに出来ますか?」
「何言ってる。どうして、顔見知りの犯行だって言うんだよ。」 俺は半ばヤケになり、食ってかかった。
「どうして、顔見知りでないと言えるのかと聞きたいところですが、先にこちらから言いましょう。 第一に、友子さんに争った形跡がない。 顔見知りでないならば、抵抗はあって然るべき。 ですが、指にも爪にもそれは見受けられない。 第二に、殺され方。」
「殺され方?」 「強盗の類ならば、こんなに何箇所も刺すことは有り得ない。 強盗は、お金や金品を奪って逃げるのが基本です。 対象が死んでいるのに関わらず何度も刺すのは、そこに怨恨が有ったと考えるべきです。 それらから見ても、犯人は、友子さんを知っている方と考えるほうが自然です。
嫌な奴だと思っていたのに、この短時間で冷静に状況を判断したこの男に正直びっくりした。 ただ、それを鵜呑みに出きるほど単純ではない。 「じゃあ、友子を殺したのは顔見知りで、俺達の中の誰かっていうのかよ。」 「可能性の問題です。ですが、極めて高いといわざるを得ない。 その状況の中、あなたはそれを冷静に裁くことが出来ますか? 相手が自分にとって尊敬できる人もしくは愛する人だったらどうしますか? お友達を大切にするあなたの考えは素晴らしいと思いますが、それは、同時に そのお友達に死刑執行をするのです。 感情を優先するあなたにそれが出きるとは思えないのですが、いかがですか?」
俺は、愕然とした。ショックのあまり、言葉を失い、現場からスゴスゴと身を引いた。 倉庫から出て、さっきの黒男の言葉を反芻していた。 「どうすりゃいいんだよ。友子を殺した奴は許せない。なんで、死んでしまったかも解らない。 なのに、俺は、何もしてやれないのかよ。。。。」
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