伸也の呼びかけで、典弘やユキ達を食堂に招きいれた。 関係者という事で、亮兄ぃや、従業員も食堂に呼んだ。 唯一、根津だけは、勉強の邪魔をしては悪いと、呼ばなかったが、それ以外は全員食堂に集められた。
皆椅子に座り、一斉に、場に立つ伸也の顔を見る形になった。 伸也は、ペコリと一礼をすると、
「皆さんに集まっていたのは、今日の朝、一人の女性が殺されました。 昨日の雪のせいで、警察の到着が遅れ、皆様も悲しみや不安に怯えていたと思います。
不安のまま一夜を過ごすより、少しの整理をした上で床についたほうがまだ気持ちも和らぐと思い、 急ながらこの場を持っていただきました。
僕は、少し言葉遣いがまずい所があり、皆さんを不愉快に思わせるところもあるかもしれませんが、 それはご容赦ください。
まずは、今回の事件の経緯から行きましょう。
本日朝、6時ごろ倉庫を開けた従業員が、仰向けに横たわった女性を見つけました。 腹部から顔にかけて、複数の刺し傷があり、ほぼ即死とみられます。
女性の名前は、三浦友子さん。こちらにいる篠崎拓也君と同じ同級生です。 そして、今回のスキーツアーの参加者でも有る。
同様にツアーに参加された方は、ここにいるお客さん全てとなります。 まぁ、これは、当人ですから、説明する必要性も無いでしょう。
死亡推定時間は、昨夜の11時半〜12時半の間。」
その言葉に亮介が、口を開いた。 「ちょっと待て、死亡時間が変わっていないか。僕の検死では、1時から2時の間だった筈。」
伸也は、特に戸惑いも見せず 「ああ、そうでしたか?まぁ、いいでしょう。話を進めます。」
「ちょっと待てよ。時間が1時間でも違えば、大違いだ。なんでその時間か説明しろよ。」 亮兄ぃは、自分の検死とは違う時間を言われた事で、ムキになっているのが傍から見ても解った。
「わかりました。そんなに怒るとは思いませんでした。では、1時から2時でしたか。 では、死亡の1時から2時だということです。 では次に、事件の場所でもある倉庫について、話しましょう。 倉庫は、ほぼ密閉された状態ですが、小窓が一つありますが、通常はしまっているそうです。 多少空気の入れ替えのために開け閉めする事はありますが、基本的には閉めているそうですね。
窓は、成人男性が通るには少し通りづらい。 また、窓の高さは、天井に近く身を乗り出して降りるには少々梃子摺りそうです。 窓の下は、普通の地面。 今は雪が積もっていますので、飛び降りても多少は吸収できるでしょう。 夜の内に、雪がだいぶ降っていますので、仮に足跡があっても消されてしまうでしょうね。」
言葉が区切れ、一同は、確信すら得ていない言葉に浅い溜息と共に、緊張による疲れを感じた。 伸也は、皆の意見を聞くわけでもなく言葉を続けた。
「さて、ここで、一つの疑問が。なぜ、彼女は倉庫で殺されたのでしょう? あの場所は、お客にとっては死角です。 食堂の更に置くに位置した倉庫です。通常の客が、行く場所ではありません。 つまり、あの場所を知っている人というのは、限定されます。 一つの可能性は、何度も、このペンションを利用した事のある人物。 そこで、過去に宿泊経験の有る方がいないか、調べてみました。
まぁ、あいにくと、いらっしゃいませんでしたがね。 しかし、一つの可能性として、知っておいてください。」
犯人の仮説が出てきた事により、誰もが緊張を感じた。
「次に、彼女に焦点を当ててみましょう。 友子さんの死因、及び凶器の所在です。 見た方は、ご存知でしょうが、腹部から顔に掛けて、複数の刺し傷がありました。 特に顔面の刺し傷は酷く、殆ど原型を留めていません。
ここで、僕は二つの疑問がありました。 一つは、凶器、そしてもう一つは、現場の状況。
遺体を見る限り、複数の刺し傷がありました。 鋭利なものという表現をしましたが、ナイフとは違い、 どちらかというと杭のようなモノを連想するのがいいでしょう。 先端は尖っていますが、徐々に太くなる形状そういうモノで刺されたと思われます。
吸血鬼ではあるまいし、杭を刺す犯人の心境はよくわかりませんが、 とりあえず、それらしいモノを探してみましたが、 あいにくと凶器を見つける事は出来ませんでした。
まぁ、この凶器に関しては、正直どうでもいいので、ほぉっておきましょう。」
「ちょっと待てよ。どうでもいいってどういう意味だよ。彼女を殺した凶器だぞ。 血痕とか、もしかしたら指紋だって見つかる。犯人を捕まえる為の確かな物証になるんじゃないのかよ。」 典弘は、当然のように伸也の言葉に突っ込みを入れるたが、伸少しも慌てずに、
「そうですね。見つかれば、確かな証拠になるでしょう。ですが、見つからないと思います。 そんな解りやすい凶器をいつまでも隠し持っている事は無いでしょうし、 僕の読みでは既に消滅していると思っていますので。」
「消滅?」 「時間と共に消えるものを凶器として使ったという事です。」 「どういうことだ?」 「氷柱ですよ。寒い場所には、当たり前のようにあります。倉庫の窓覚えていますか? あれをあけると、丁度ペンションの屋根が舳先に見えていました。 倉庫は、日に面した位置にありませんでしたので、氷柱は出来やすい環境です。 ですが、そこに氷柱はありませんでした。 定期的に氷柱を取り除いているのかと従業員にも聞いてみましたが、そんな事は無いそうです。 そうですよね?従業員さん?」
伸也の言葉に、食堂にいた従業員は頷いていた。 「つまり、氷柱は犯行に使ったあと、湯にでも溶かしてしまえば、証拠は隠滅できます。 ですから、それを物証として探すには、少々骨が入り、 現時点で、それを見つける事はほぼ不可能です。」
伸也の言葉に、誰もが黙ってしまった。それは、俺も同じだった。 だが、それと同時に、なぜ伸也が、あの傷をつけた証拠を探さなかったかという事に納得できていた。
「言葉を続けていいでしょうか?凶器を探す事は不可能とはいいましたが、 先程言ったように、そこは正直どうでもいいのです。 確かに、死体を無残に傷つけたのは、ほっておける問題ではありません。 ですが、直接の死因がそこになければ、あれを無視して、別の証拠を探す事に躍起になったほうが言いという事です。」
「直接の死因?」 「はい。あの刺し傷は、直接の死因ではありません。死んだ後からつけたものです。 その証拠として、遺体の周りには、飛び散った血の後が無いという事です。 生きたまま、もしくは、死んだ直後ならば、あれだけの刺し傷があれば、 倉庫の中は血だらけです。ですが、血は、遺体と遺体の周りにしかなかった。
つまり、すでに死んで、死後硬直が始まっている最中にあの刺し傷がついたということです。 人間は、死ぬと血の固まりが早く、飛び散るような事はありません。 死んで少し経った後につけた傷ならば、あの状況は納得できます。 つまり、あの傷は直接の死因では無いという事です。 死因は、別に有り、それが、死んだ時間を表すということです。」
「なんで、そんな事をする意味があるのよ?」 「意味ですか。意味はいくつかあると思います。一つは、犯人の苛立ちを発散させるため。 顔面の傷は酷く原型を留めていませんでした。恨みつらみというのが溜まった結果の発散ならば、納得できる部分があります。 それと、コレが重要なのですが、死亡推定時間を誤認させるため。」
「誤認?」
「ええ、あの状況を見れば、どんな素人でもアレが直接の死因と見えます。 あの状況から逆算した時間が死因となれば、アリバイをはっきりと示せないものが多くなる。 そういう状況を意図的に作るために行った行為です。」
「なんで、そんな事を。」 「理由は簡単ですよ。うやむやにすればいいんです。 捜査が混乱し、特定が難しくなればなるほど都合がいいという事です。」
「楽しんでんのかよ。犯人は。」 「そうですね。そういう考え方もありますね。」 「じゃあ、直接の死因は別にあるってことか。」
「ええ。その通りです。」 「何よ。それは、何?」 口々にその死因を求める意見が飛び交ったので、伸也は、彼らの言葉を諌め、
「死因は、窒息死です。呼吸不全による窒息死。 それが、直接の死因です。」
皆、一様に押し黙った。死因を聞いたが、何かピンと来ないものがあった。 伸也はそれを理解したのか言葉を続けた。 「彼女の体には、ごく最近つけられた注射跡がありました。 恐らく、クロロホルムのような薬で眠らされたのでしょう。 その後に、筋肉弛緩剤のようなものを静脈注射されています。 薬が体に行き届けば、4,5分で死んでしまいます。何の抵抗も出来ず、眠ったように死に至る。 それが死因です。」
「そんな。」 「ひどい。なんで、そんなことを。」 ユキ達、女の子達は、悲痛な声をあげた。
伸也は、ふっと視線を横に向け、 「何かご意見はありますか?亮介さん。医学的意見で結構です。」 亮介は、突然振られた驚きからか背筋をビクッと震わせたが、 「検死で見つけられなかったことに対する追求か?」 と反論すると、伸也は、 「は?意見はあるかと聞きました。追求と聞こえましたか?」 「聞こえたね。二度も検死しておきながら、それを見つけられなかった事に対する追求と聞こえたよ。 でもね。最初に言ったはずだよ。俺は、まだ医者じゃないって。抜けはあるさ。」
「そうですね。意図があるにしろ、無いにしろ、抜けていたという事実は残ります。 さて、死因がはっきりした事で、一つ状況が変わります。それは、アリバイ。 以前、皆さんに聞いたアリバイは、1時から2時の出来事でした。
しかし、実際に死んだ時間は、それよりも更に前。 つまり、友子さんが部屋から出た時間11時半から12時半の間。 その時間ならば誰でも犯行は可能だと言うことです。。
ちなみに、その時間のアリバイに関しては、すでに拓也君達から確認をとっています。 皆さん、同じ部屋で、談笑をしていたと。 ですから、皆さんの無実は、拓也君や大介君が証明してくれました。
さて、残るは、僕とあなたということになります。亮介さん。 ちなみに、僕には、根津君という証明者がいます。 それに、一番最初に言ったように、知り合いでないものが犯人であるという可能性は極めて低い。
その時点で、僕や根津君が犯人である可能性は無い。」
亮介は、声を荒げた。 「だから、俺が犯人だって言うのか。アリバイがはっきりしないから、俺が犯人だとでも言うつもりか。 俺だって、彼女に会ったのは昨日が初めてだ。 そんな俺が彼女を殺さなければならない理由があるのか?」
伸也は、クスリと笑い、 「少し冷静になりましょう。あまり、イラつくとボロが出ますよ。」
その言葉に、更に亮介は苛立ちを露にしました。、 「どういう意味だ。ボロって何だよ。俺を犯人扱いか。」
見たことも無い亮兄ぃの態度に、亮兄ぃをよく知る俺やユキ、大介は驚いていた。
その間、伸也は、特に悪びれることなくクスクスと笑い、 「僕の言ったボロというのは、あなたの口ぶりですよ。 拓也君が思い信じるあなたの性格は、優しく、信頼がおけて頼りになり、兄貴のような存在。 それがあなたへのイメージだ。
先程も拓也君に怒られました。あなたを怒らせるんだからよっぽどの事を言ったのではないかと。 しかし、僕は、どう考えても、あなたが温和で、頼りになる存在には見えない。
あなた本人にも言いましたよね? 保護者の立場にありながら、なぜ、一度も拓也君達を庇うような発言をしないか。
更に言えば、平静な時は、自分を僕と言い、迷いや怒りなど感情を露にすると俺と言う。 大学生とは思えないほど、自分をコントロールできない御仁に見える。 随分と抽象的な話ですが、僕の人を見る目は確かですよ。」
「だから、何だ。それが、お、ぼ、俺が犯人だっていうのか。」 「ええ。僕は、あなたが犯人だと思っています。」
「そんな脈絡の無いことを平然と言うな。そりゃあ、検死でその注射跡を見つけられなかったのは 俺の落ち度かもしれない。 でもな、踝(くるぶし)に静脈が流れてるなんて、一介の高校生が知っているような事じゃない。 それを見つけた、お前も怪しいんじゃないのか。」
その言葉に、俺も大介もそこにいた全ての人間が、お互いに顔を見合わせ、一斉に伸也の顔を見た。 伸也は、声を押し殺したような笑いをしていたが、 ついには、大きな笑い声に代わり、伸也の笑い声が食堂を包んだ。
「頭の良い人は、どうしてもこうも言葉がうまいんでしょうね。 少しの情報で、たくさんの知識を脳に広げ、無意識に人を納得するように理路整然と話をされる。 その結果、言う必要の無いものまでひけらかす習性がある。
ところで、亮介さん。 何故、注射の跡があるのが、踝(くるぶし)だと知っているんですか? 僕は、静脈注射をしたとは言いましたが、踝にあるとは一言も言っていませんよ。
静脈は、腕にだってあります。普通、注射をしたという話をすれば、腕を連想するものです。 しかし、あなたは、はっきりと踝と言った。何故ですか? 踝に注射の跡があると知っているのは、僕と、現場に立ち会った、拓也君と大介君 それと犯人だけです。」
一瞬の沈黙が走った。皆が一斉に亮兄ぃの顔を見た。 亮兄ぃも、激しく動揺していたのか、自分でどういう顔をしているのか解っていないようだった。 そんな状況の中、伸也は、いつしか笑顔も止め、冷静でありながら厳しい顔で、
「実は、最初のころからアナタを疑っていました。 友子さんと昨日初めてあったと言われていましたが、本当にそうですか? 僕は、あなたと友子さんが、初対面で無いと思っています。 そこに関しては確信だと思っています。
つまり、あなたと友子さんは以前からの知り合いだった。 もしかしたら、少しの間付き合っていたのかもしれない。 だけど、友子さんには好きな人が出来た。 だから、別れ話を切り出され、あなたの思いと裏腹に、 半ば一方的に分かれる形になった。
未練が残ったあなたは、友子さんに会う機会を作るために、このツアーに参加。 そして、復縁を求めたが、拒否をされ、怒りに任せて、彼女を殺した。 まぁ、筋書きとしてはこんなモノですか。
亮介さんから、いくつかきっかけを与えてくれました。 第一に検死です。 通常、遺体の検死をする場合、足から見るのが順当です。 上半身よりも、異常が出にくい下半身から見るものです。しかし、あなたは、上半身だけを見て、 下半身に関しては、触る程度しか見なかった。 おかしいと思ったんです。例え医者で無いにしても、知識はあるはずです。 見逃したと考えるよりは、意図的に隠すようにそれを見なかったと考えたほうが妥当と思いました。
次に、あなた自身の発言です。 自分で言ったんですよ。あれは、友子さんの1回目の検死をした直後です。 恨みよる犯行ではないかと。彼女には恋人がいたよな?とご自分でそういったのは覚えていますね?
彼女に恋人がいるってどうして知っているんですか? 最初の自己紹介の時も、名前しか名乗っていない。 あなたは、いつ、恋人の存在を知ったんですか?
彼女の事を知らない人ならば、彼女に恋人はいるのか?と聞くのが普通です。 ですが、あなたの発言は、明らかに恋人の存在を知っている様でした。 意図的に彼氏である和彦君に疑いを向ける形を取ったのは上手だと心底思いましたが、
初対面の人が言うべき言葉としては、不適切です。 その結果、違和感を覚えました。
そして、もう一つ。最初に、倉庫の話をしたのを覚えていますか? あの倉庫の存在を知っているのは、このペンションの事を良く知っている人間。 つまり、何度も利用している人間となる。 宿泊したことが無いとならば、もう一つの可能性は、ここで働いた事の有る人物だということです。
オーナーにムリ言って、今までに働いていた事の有る人の履歴書を全て見せてもらいました。 ありましたよ。あなたの履歴書がね。
従業員だった経歴があれば、倉庫の存在を知っていてもおかしくない。 これは、オーナーに提出したあなたの履歴書です。」
そういい、一枚の紙をテーブルに置いた。
亮兄ぃは、肩を震わせ、下唇を噛んでいた。 亮兄ぃは、声を震わせ、 「そんなの全て、状況証拠じゃないか。そんな言った言わないなんてモノに証拠なんて示せない。 履歴書だって、ここで働いていたって経歴があるだけで、そんなものは証明する材料は無い。」
「ふむ。アナタの迂闊な発言を聞いた証人がこれだけいるのに、まだ惚けるんですか。 見事ですね。 確かに、凶器の氷柱も、消えてしまっていますし、証拠らしい証拠を見つけるのは難しいですねぇ。 では、こういうのは、どうでしょう。」 そういい、懐から、一つのケースを取り出し、ポケットからハンカチを取り出すと、ケースの蓋を開け、 中の物をハンカチに包むようにして、取り出した。 取り出したものは、針のついている注射器だった。
「なんで、それをお前が持っているんだ。」 亮兄ぃが、ポツリと言った言葉に誰もが反応し、視線を送った。
「先ほど、あなたが検死の為に、部屋を出ている間、あなたの荷物を調べさせていただきました。 注射器なんて、危険物ですからね。処分も難しいし、迂闊に捨てることも出来ない。 だから、絶対に持っていると思ったんです。
あなたはなかなか自分の部屋から出ませんでしたからね。出るときは皆が一堂に会している時ぐらいです。 だから、無理やり部屋を出る口実を作り、部屋を出てもらっていました。 その間に、調べさせてもらいました。 これがはっきりとした証拠です。警察が来れば、更にはっきりとしますよ。」
俺は、亮介のそばまで、歩いていき、襟首をつかみ、 「亮兄ぃ、なんでだよ。なんで、殺さなきゃいけなかったんだ。なんで、友子を殺さなきゃいけなかったんだよ。」 俺は、怒りと悲しみで、掴み掛かり、言い寄った。
「違う。あの女がいけないんだ。俺の気持ちを受け入れない。 こんなに、こんなに愛しているのに。俺の気持ちを受けれいれなかったあいつが悪いんだ。」 狂ったのか?と思える程、亮介は何度も何度も繰り返し、叫んだ。
俺は、愕然とし、掴んでいた襟首を離し、蔑むように、亮兄ぃを見続けた。 亮介は、天井を見上げたまま、変わらず”あいつがいけないんだ。”を繰り返していた。
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