彼女が現れたのは、昼休みになってすぐだった。
「劇に興味はない?」 初めまして、の挨拶もなく、まっすぐに私に向かってきてそう言い放った。ショートヘアの彼女は、目が大きくて、ハツラツとした雰囲気だ。
「はい?」それ以外の返事が思いつかなかった。 「今度の文化祭で、ウチの学年は、劇とお化け屋敷とファッションショーやるの。 で、私は、劇のほうの責任者」
彼女は、私がぽかんとしているのにもかまわず、話を続けていく。彼女の隣にいる友人らしき子は、申し訳なさそうな笑顔を私に向けている。こちらの彼女は、ロングヘアですらりとした落ち着いた子だ。対照的な二人ね。
「ていうか、この子がやりたいって言い出して、無理やり、劇を候補にいれたんだけどね」
友人は、こそっと私に言った。もちろん、隣にいる『責任者』にも聞こえてただろうけど、彼女はまったく気にする様子もなく、私に期待の目を向けている。
「どう?」 「……どう、て」私も、苦笑いするしかできない。「考えてみるわ」
とりあえず、その場は流そう、と私は席を立ち上がった。しかし、彼女はあきらめる様子もなく、台本を押し付けてきた。
「読んでみて」 「え」 「ちょっと、アンリ」
さすがにこれには、友人が耐えかねて口をはさんだ。そう、ショートヘアの子はアンリっていう名前なのね。
「なによ、コトミ。いいじゃない。せっかく、ウチに転校してきたんだし。楽しんでもらわなきゃ」 「そう言うと聞こえはいいけど……」
アンリって子、悪い子ではないみたい。二人の様子を見ていて、それは分かった。でも、だからといって、劇に参加するのがいいアイディアかどうかは分からない。確かに、文化祭には興味あるし、参加できたら楽しいだろうけど。
「ね、どう? 神崎さん」
私の名前は知ってるのね。転校生はすぐに有名になる。もう慣れた。
「どうって、初めまして、もしてないのよ?」 「あ……」二人は、唖然とした。夢中で気づいていなかったみたいね。 「ごめんね! そうだよねぇ」台本をもちながら、あはは、と照れ笑い。 「私は、アンリ。近江アンリよ。初めまして」 「私は、町田コトミ。よろしくね」隣の子も、すかさず付け加えた。
うん、これがもっともな順序よね。私はやっとすっきりした気分になった。
「神崎カヤです」
私がそういうと、二人はにやっとした。
「知ってるよ〜ん」 「噂どおりの美人」 「え……」
それを言われて、ずきっとした。これ、いつもと一緒だ。また、今までみたいなことを繰り返すの? 急に、二人の笑顔が怖くなった。
「あの、ごめんなさい。お昼、買いに行かなきゃ」
私は、あわてて二人の横を通り過ぎ、教室からでようとした。それに驚いたのは、近江さんだ。
「ちょっとまって! せめて、台本だけでも読んでみて」 「え……」振り返ると同時に、胸には近江さんの台本がおしつけられた。 「ね、読んでみて!」
近江さんはそう言って、町田さんと一緒に教室から出て行った。
「……」
私の手元には、台本が残った。これって、どういうことになるのかしら。読んで、感想次第できめていいってことかな。まさか、これ受け取ったから参加決定ってわけじゃ…ないよね。 すぐに返しに行くべきか迷っていると、「神崎さん」と後ろから呼びかけられた。 今度は誰? 振り返ると、今朝も話しかけてきた加原くんだ。だらっとした制服の着方は、きっと彼なりのおしゃれね。
「お昼、どうするの?」 「売店」これもいつものこと。とりあえず、つくり笑顔でしのぐ。 「売店? せっかくなら、近くの…」 「お昼に外出るのは校則違反でしょ?」 「え? そんな、堅いこと…」校則、という言葉に一瞬、身をこわばらせた。 「初日だから。問題おこしたくないの」早口で言って、教室をでようとする。 「じゃ、屋上で」
なかなかしぶとい。私は振り返って、台本を彼に見せた。
「これ、読まなきゃいけないから」 「へ……」
これは有効だったみたいね。私は、台本に心の中でお礼を言って、教室を出た。確か、売店は下駄箱の前だったよね。周りの視線が集まってるのを感じつつ、なるべく目立たないように廊下の端を歩く。今度の学校は、前よりも新しい。校舎はよく掃除されているし、窓は透き通っているみたいにきれい。
「あれが、転校生?」
ふと、誰かがささやくのが聞こえた。分かってる。いつものこと。私はそう思いつつも、自然とため息がでた。 私のわがままで繰り返している転校。これくらい、我慢しなきゃ。両親は、私の新しい制服をみるのが楽しい、なんて言ってくれるけど…無理して明るくふるまっているのはなんとなく分かる。 ストーカー…両親は、そう結論付けた。今までの学校での騒動は、私のストーカーが引き起こしたこと。私が気に病む必要はない。でも…本当は? ふと、足をとめた。上履きに目を落とす。
「あの電話……」
上履きを取りに戻ったときのことを思い出す。偶然聞いてしまった母の電話。今まで聞いたことのないような母の口調だった。 『ストーカーってことにしてる』という母の言葉を頭の中で繰り返してみる。どういうこと? お母さんは、何か知っている? 今までの事件を引き起こしてきた人物を? いつのまにか強く握り締めていた台本は、変に折れ曲がっていた。
「……」
よれてしまった台本をじっと見つめた。これ、見覚えある。私の教科書。 気づくと、台本が私の涙でぬれていた。
「うそ」
周りにばれないように、コンタクトがずれたかのように目をおさえ、トイレにかけこんだ。 ばたん、と個室のドアをしめると、深く深呼吸をした。台本は、もう「ありがとう」の一言で近江さんに返せる状態じゃなくなっていた。 まだ自分が気にしていることに驚いた。両親の権力は、それを『嫌がらせ』でとめた。でも、『嫌がらせ』は止まらなかった。誰がしているのか、はっきりとは分からなかったから。その子が、襲われるまで……
「あの子にばれたらって、どういうことなの?」
私は、確信していた。あのお母さんの言葉を聞けば、誰でも予想はつく。お母さんは、真相を知ってる。それよりも……
「何を隠しているの?」
私は天井をみあげた。新しいはずの校舎で、なぜか天井だけはきれいではなかった。
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