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作品名:Bittersweet symphony 作者:かいた

第4回   ディナーとVousとTuの使い方について
そんなことを言い合っているうちに入り口付近のレストランが並ぶ道へ出た。そしてオムレツを作っている女の人の看板のお店が目に入った。
「あ、あの看板の店かな。何か見覚えある。うん、このエントランス、雑誌で見たやつっぽい。」
僕等はその店に入った。中は暖かく、人もまだまばらだった。人数を告げると奥の席へ通されメニューを渡される。メニューはフランス語だった。ぼくは初めて、こんなにかしまった所に入るので、メニューに書かれていることが分からなかった。
「何書いてあるか分かる?」
「これがセットになってるって意味で、ここからそれぞれ選ぶんだ。pomme・・・これがリンゴのシードル。オムレツはこれだ。意外に高いな。でっかいのかな。ワインが赤、白から選べる。」
「セットメニューのこれは何なの?」
「えっと、Agneauは子羊って意味だから、羊肉のローストだな。オムレツは二人で食おうぜ。あと、ムール貝食べたい。おれはサラダとパン頼むよ。」
「じゃあおれ、このセットメニューにするよ。」
「OK。じゃオーダーするぞ。」
彼はギャルソンに目で合図をし、何やらフランス語で話し始めた。ときどき英語も混じらせながら、指でメニューを示したりしている。
「奏太。食前酒は赤ワインでいいよな。あと、セットのコーヒーは最後?」
ぼくは話せないので頷いた。
しばらくしてワインとシードルが運ばれてきた。シードルはコーンスープでも入れるようなかわいらしい陶器のカップに入っている。
「じゃ、おれたちの出会いに乾杯、チアーズ、アヴォトゥルサンテ。」
関谷崇は勝手にそう言うと、一気に飲み干した。リンゴの炭酸飲料みたいに飲みやすい。彼はシードルを飲んでしまったので、ワインに口をつけていた。
「ところで、さっきのフランス語、ジュ、って言って自分のこと指差してたけど、ジュって自分って言う意味?」
「その通り。はじめましてってジュマペールっていうだろ?JeはI、VousはYou、IllはHe、ElleはShe。」
「へえ。ジュとヴか。」
「あ、でもフランスのYouにはもう一つTuっていうのがあって、Vousはあなたって感じだけど、Tuはお前って感じ。すごい親しいやつに使うのがTuだ。だから、おれがJeで奏太がTuって感じ?」
ぼくはその瞬間ドキリとした。どうしてだかは分からなかった。そういえば下の名前で呼ばれたのも久しぶりだったことに気づいた。ぼくは昔から自分の名前が好きではなく、苗字かあだ名で呼んでもらうことを望んだので、恋人以外で呼ばれたのは初めてだったのだ。もっとも、外国では下の名前で呼ぶことが普通なのだが、同じ日本人に呼ばれるとなるとその概念は薄れてゆく。
「そういえば、おれ、自分の名前嫌いだったんだった。変じゃない?おれの名前。」
 関谷崇はいきなり何言い出すんだという顔をしながら、ワインをぐいと飲み干した。そしてギャルソンにジェスチャーでおかわりをお願いしてから、話の続きに戻った。
「全然変じゃないけど。じゃ漢字はなんて書くの?」
「音楽を奏でるに太郎の太。」
「いい名前じゃん。おれ、お前の苗字は忘れたけど、この先別れても名前はずっと覚えてると思うぞ。ところで、お前こそおれの名前覚えてるか?」
「覚えてるよ。」
「うそつけ。お前、おれのこと名前で呼んでないだろ。絶対忘れたんだと思ってたけど。」
「覚えてるって。セキヤだろ。」
「下の名前は?」
「タカシ、だっけ。」
「おお、本当に覚えてた。忘れてたら殴ってやろうと思ったけど、許してやる。あ、メルシー。」
 彼の頼んだワインのおかわりと料理が運ばれてきた。ぼくは心の中で彼の言った、この先別れても名前はずっと覚えてるという言葉を繰り返していた。なぜだか胸のあたりが締め付けられる感じがした。
「タカシはいつまで放浪するつもりなんだ?家族とか心配してないの?大学は行かなくていいのか?」
続けざまに投げかけられた質問に対し、彼は「ん〜?」と料理を食べながらぼくに目を向ける。
「今は大学休学してるから当分はフラフラしてられるかな。一応地理のゼミをとってるから、その勉強でもあるんだ。家族は電話とかしてるし、まぁ大丈夫でしょ。」
「お金とか仕送りしてくれるの?」
「まぁ、学生だからある程度はね。自分でバイトで貯めたぶんもあるからあまり頼らないようにはしたいけど。ほら、お前も冷めないうちにこのオムレツ食えよ。ふわふわしてるけど、あんま味しないな。あ、でも放浪はしてるけど、NPOでボランティアしながら転々としてるから、やってる間はタダで滞在できるんだぜ。」
ぼくは名物だというオムレツを食べてみた。確かに味はあまりしないが、薄味が好きなぼくにはちょうどよかった。それに卵のフワフワとした食感は初めてのものだったので気に入った。関谷崇は少し塩を振りかけてその部分を自分で食べ、ぼくはその反対側の卵をすくって飲み込むと話の続きに戻った。彼は届いたムール貝に手を伸ばしている。
「ボランティアしてるのか?」
「うん。ワークキャンプっていって、木植えたり、建物を修復したり、海亀の産卵を手助けしたり、仕事は各国いろいろ種類があるんだけど、登録費だけで宿代も食費も補助してくれるんだ。世の中のためになって、自分も旅ができて一石二鳥じゃない?」
「偉いんだか、ちゃっかりしてるんだかわからないな。でも、なんだかすごい。じゃあイギリスでやってきたのか?フランスではやるの?」
「イギリスでは木を植えてきた。楽しかったよ。参加する人もさまざまでさ、高校生からオバサンまでいたな。国籍も日本人はおれともう一人24歳の女の子がいて、あとはセルビア人、韓国人、カナダ人、ドイツ人、スイス人がいたな。あ、あと地元のイギリス人もか。みんなで学校の屋根裏部屋に一緒に暮らすんだ。休みの日は、村の偉い人がアクティビティでどっか連れて行ってくれて、すごい満喫した。まあ、気難しい奴もいたけど、2週間一緒に仕事やったり、メシ食ったりすれば仲良くなったよ。ワークキャンプ終わった後は、知り合った奴と一緒にイギリスを旅行したしな。」
「日本人の女の子もいたのか。男だけじゃないんだ。」
「結構女の子が多いぜ。外国ではボランティアが教育に組み込まれてるから年齢層低いし、ドイツの16歳の女の子もいたよ。でも見た目は大人っぽいから始め20歳くらいかと思ったけど。ジーナって名前でな、目が青くて、ふわふわの金髪でかわいかったんだよ。外国人の娘って、積極的でいいよな。なあ、奏太はどんなのがタイプ?」
 『タイプ』
 この人生の中で何度となく聞かれたことがある言葉だが、ぼくにはこれといった具体的なタイプがいないのだ。告白されてつきあったことは何回かあるが、その誰ともしっくりいかなかった。女の子を見てかわいいと思ったことはもちろんあるが、何か法則性があるわけでもなく、普通に思うだけだ。でも一緒にいたい人、と思い浮かべたらこれ以外はないだろう。
「強いていうなら、おれのことをわかってくれる人?おれは自分でも自覚してるけど、すごい難しい人間だから、そのことを全部わかってくれたうえで一緒にいてもらえると、すごい嬉しいな。」
タカシはうんうんとあいづちをうった。
「わかる。おれもそうかも。価値観は違くてもしょうがないけど、批判しないで全部受け入れてくれるやつがいいよな。でも何か、真面目に答えてくれちゃったから、さっきの16歳の女の子が何だとか、おれがすごい節操ないみたいな感じになってないか?あ、おかわりください。」
 タカシがかなり酔っ払っているのがわかる。目尻が下がり、大きな声がさらにでかくなり、ジェスチャーも日本人らしからぬオーバーアクションになってきた。クラスに1人はいる、不良なんだけど先生とは仲のいい無邪気な高校生といった感じだ。でも、夕飯時なので満席になり、まわりもにぎやかになっていた。ぼくの声を聞き取るのに、タカシが身を乗り出すくらいだ。(タカシの声はでかいので聞こえる。)タカシは自分の分のご飯を食べ終えてしまったので、ワインばかり飲んでいる。ぼくはセットメニューにしたので前菜、サラダ、ライス、スープ、そして子羊のローストのメインディッシュというボリュームのある食事だ。それに加えてオムレツとムール貝もあるのだから、ローストはまだ半分以上残っているし、サラダとスープはギャルソンが持ってきてくれた位置のまま置かれている。ただでさえ少食なのに、さらにデザートとコーヒーもついているのだからワインを飲んでいる余裕はない。
「タカシ、おれの食べないか?こんなに量が多いなんて思わなくて、食べきれないかも。」
「お前ほっそいからな。いいよ、食べてやるよ。」
タカシはひょいひょいとサラダを食べ、前菜のフォアグラを口に入れた。ぼくが食べる分を少しずつ残し、ほとんどのメニューをたいらげたが、子羊のローストだけは手付かずだった。
「タカシ、羊嫌い?遠慮しなくていいよ。」
「おれ、ベジタリアンだから、肉は食べないことにしてるんだ。」
「へ?肉、食べれないの?食べ盛りなのに?」
「そう。肉と魚は食べないって決めてるんだ。」
「肉食べないで、生きていけるのか?栄養足りるのか?お前のこの肉は何から出来てるんだ?」
ぼくのその言葉を聞いて、タカシは笑った。
「驚きすぎでしょ。肉なんか食べなくたって生きていけるし、そんな不思議に思うの日本人だけだよ。アメリカだってイギリスだって、ベジタリアン用のレストランがあるし、外国には、魚・肉はおろか、卵も牛乳も小麦も摂らないビーガンっていう人もいるんだぜ。でもおれらと同じように元気いっぱいで、肌もつやつやで、健康なんだ。それにはびっくりしたけどな。でも肉って宗教上では食べない方が多いくらいだし、そもそもエコじゃないから食べなくてもいいんじゃないかって思うようになっただけなんだ。」
ぼくは自分より年下の人間が、しっかり自分の世界を持っていることに驚いた。これでも自分はクリエイティブな仕事をするのに見合う人間になろうと、人よりもしっかりしていたつもりだし、自分の考えを固めていたつもりだった。でも肉を食べることに何の疑問も持つことはなかった。ましてやエコの視点で食を考えることなんてない。
「あ、でも、タカシ、フォアグラって鳥の肝臓だったような。それは平気なのか?」
タカシは顔を歪めた。
「え?そうなの?おれ、何かの卵かと思ってた。」
「卵、ではないでしょう。どうみても。」
ぼくは笑い、タカシが残した少しずつを自分の口へ運んだ。ある程度少なくなったので、食後のデザートとコーヒーが運ばれてきた。デザートはバニラアイスがのったボリュームのあるショコラケーキだった。
ぼくは一口食べただけで腹に重いパンチを打ち込まれたようになり、食べる気がしなくなった。タカシももうお腹がいっぱいのようで、ワインを飲む回数が減ってきていた。それに反比例して、タカシはますます饒舌になり、自分が大学のゼミで行った、石垣島での水質調査の苦労話を話している。
「その、おれらが観測したデータと沖縄県庁のデータが少し異なっていてさ、底原川の中流では窒素負荷量が19KgN/haだったのに対し・・・。おい奏太。寝てるのか?」
ぼくが少し目をつぶっていたのでタカシはそれに気づいたらしかった。
「だって何言ってるんだか全然わかんないんだ。そしたら眠くなってきた。お腹いっぱいになったし、朝早かったからかも。」
「何言ってるかわからない?お前は正直な奴だな。じゃ、そろそろおれたちの愛の巣へ戻ろうか。でも、もう食わないのか?」
 タカシはアイスが溶けかかったケーキや、飲みかけのスープを見た。コーヒーは何とか飲めたものの、結局ケーキは一口食べただけだったし、彼が少しずつ残してくれた他の食事を食べきることはできなかった。ぼくは急におそってきた眠気を取り除くことができず、彼への返答もそのままにうつらうつらしていた。コーヒーのカフェインに即効性はないのだろうか。
 目を閉じたその先からカチャカチャと音が聞こえる。近いようで遠い金属音。ぼくはやっとまどろみから脱出する。
「タカシ・・・」
「よし、もう行くか。」
タカシは口をもぐもぐさせながら席を立った。ぼくは少し眩暈を感じながらも会計をするために財布を探す。皿を見ると、残っているものは溶けたバニラアイスだけだった。
 ぼくは溶けた液体をスプーンですくってなめてみた。眠気が少し覚めた気がした。


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