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作品名:Bittersweet symphony 作者:かいた

第1回   孤独と音楽製作の苦悩について
孤独と音楽製作の苦悩について

 まだ朝霧で空が晴れない中、その湿りを帯びた空気と緑の匂いのする道を進んでゆく。『孤独な散歩者の夢想』というタイトルが似合いそうな情景。晩年のルソーはこんな中、想いにふけっていたのだろうか。ぼくも確かに一人だし、夢のまどろみの中を彷徨っているような感覚に陥る。コンクリートで舗装された道は真直ぐに伸びていて、見えるか見えないかの果てで曲がっており、あの曲がり角はかなり遠そうに見えた。しかし今とは違う景色が待っている、そう思う度、僕の足は自然とまた速くなる。
 足元に目を落とせば、真ん中を走る橙色の車線が走っている。それはところどころ掠れていて、ペンキを点々と溢した様だった。道の両脇に植えられているマリーゴールドのような、山吹色とでもいうのだろうか、ちょうど同じ色だ。マリーゴールドの花弁をあの曲がり角まで落としたのなら、一体どれほどの花が必要になるのだろうか。両手いっぱいに抱えた花弁が、歩くたびに一つ一つ腕の中をすり抜けてゆく。花で作られた境界線で人や車がすれ違う。そんなメルヘンがこの世界のどこかであってほしい。日本とは違うこの土地でそんな夢見心地な事がどんどん浮かんでは消えていた。
 マリーゴールドが咲き誇る少し後ろにはスギ林があり、空を突き抜けそうに規則正しく並んでいる。この規則正しさは人の手によるものだろう。こんな一日に何人通るか分からない辺鄙(へんぴ)な土地でも、きちんと手入れされていて、心和ませてくれる。孤独を紛らわせてくれるだけの大量な橙色の花はどこかから種が飛んできて自然繁殖してしまっただけかもしれないが、実際のところは分からない。
 道の果てから少し顔をあげると、朝靄の先に、大きな山が見えてきた。それは寒色系の絵の具を総動員して、細かな陰影を表している。そしてアクリル絵の具のようにどことなくのっぺりしていて遠近感を失いそうだ。
 薄暗い雲の隙間から朝日が射してきた。朝の幕開けは『Bittersweet symphony』を聴いたときのようにぼくの心と歩みをふわふわとさせる瞬間だ。この浮遊感は荘厳で、輝いて、神秘的なあのストリングスのリフレインを思い出させる。それと同時に思うのが、『Bittersweet symphony』はThe Verbの代表曲であるにもかかわらず、The Rolling Stonesのミック・ジャガーとキース・リチャードのものになってしまったということ。そしてそれを教えてくれた人のこと。

 苦くて甘い響きのなかでぼくは昔を想う。自分は孤独なのだと気づいたあの頃のことを。

 ある二月、ぼくは強い孤独に耐えていた。今考えてみれば二月だけじゃないかもしれない、もうずっとだった。とても寒くて深々と凍えそうな夜は、余計に辛く感じたのかもしれない。
 『孤独』 
 ぼくは一生懸命そこから抜け出すことだけを考え、じたばたしていた。このままでは辛すぎてどうにかなってしまいそうだったので、色々とやってはみたのだが、何かを始めるときはまた余計に孤独を感じてしまう。そこに馴染めない違和感が孤独を浮き彫りにさせるせいか、そんな日が三日続くと逆につらいばかりだった。あの頃のぼくは乗り越えることもそれ以上耐えることさえできなかったのだ。そしてそれを打ち明けれる人間なんてまわりに誰もいなかった。
 表に出てみれば、人々は皆幸せそうだった。みんなにはお金があって、友達がいて、愛する人がいる。自分が愛する人に愛されているのだ。それを当たり前のことのように過ごしている人々の何と無神経なこと。
 何故ぼくにはそんな当り前の事が出来ないのだろう。愛する人がいないのだろう。愛してくれる人がいないのだろう。たった一人だけでいい。ぼくが辛い時そっと側にいてくれる、そんな誰かがいてくれれば少しは救われるのに。
 孤独だと自覚したのはいつからだろう。覚えている限りでは二十歳の頃だろうか。ぼくは専門学校からインターンで入った音楽会社に勤めていた。好きな仕事についたとはいえ、とてつもなく忙しい毎日に疲れて、夢と現実とのギャップに戸惑いを感じていた。それと同時に、音楽を作るという仕事に就いたせいか、自分の想像力がこのまま尽きてゆく事に不安を感じていた。音楽製作というのは作っても作っても、また新しいものを作らなければいけない、生み出さなければいけないプレッシャーが常につきまとう仕事だった。しかもクオリティを下げてはいけないし、むしろ上がっていくのが当然のことなのだ。ぼくが一番違和感を感じたのは、商業音楽製作者とクリエイターは違うということだった。ぼくが作らなければいけない商業音楽はあくまで引き立て役で、CMや映画やゲームの後ろで流れるBGMがその例だ。それは当然のごとくそのイメージに合わせて製作されなくてはならない。時間も決められているので、その制限の中で自分の個性をどうやって出せばいいか常に頭を悩ませていた。担当の人から曲を聴かされて、それと似たようなのをお願いされることもある。商業音楽で個性なんて必要ないという人もいる。でも好きな仕事に就いたからには、自分が最高のものを創りたかったし、みんなに聴かせるからには右から左へ抜けるようなありきたりの音楽を創りたくはなかった。音楽はぼくの唯一誇れる自己表現だったし、未来への可能性を秘めているものだった。大切なものなのにどうしても妥協なんてできなかったのだ。
 ぼくはいつも会社に行くのが怖かった。今日こそは何も作れなくなっているのではないかと怯える毎日だった。ぼくの苦悩も知らずにみんなは才能があると思っている。しかしそのせいでいつしか弱みを見せれなくなっていた自分に気づいたのだ。プライドが高いことは自分でも自覚している。それが結果的に自分の首を絞めてしまうこともわかっている。挑戦し続けるにはまだ未熟な自分がそこにいたのにもかかわらず、ぼくはどんどんそうやって自分を追い詰めていった。
 ストックしてあるアイディアが何もなくなったとき、自分が望んだ世界で見放されていくのが怖かったから、傷つかない前に一度大きな休息をとればいい。そう思って憧れだったアイルランドに足を向けたのは入社してから一年がたったころだった。そしてぼくは同僚にそんな苦悩を打ち明けることもせず逃げ出すように会社を辞めた。
 外国の空は日本の空と全然違っていた。もくもくとした雲に覆われた空は、高いビルが無いぶんとても広く見え、遥か東の方では、雲の切れ間から琥珀色の光の筋が漏れていた。雲の切れ間から光が射すときは、神々が宴を開いているとき。そんな神話があった気がする。とにかくギリシア神話だかケルト神話だか分からないが、神様が葡萄酒を杯片手に、陽気に舞を見物している、それらしい場面が頭に浮かんだ。
 ぼくはこんな空、日本のどこででも見た事はなかったし、それ以前に空を見上げた記憶さえ思い出せなかった。ぼくはその時初めて、こんなきれいな空があれば誰かと一緒に見たいと思ったのだ。そして、その人になら、このつらい気持ちをわかってもらいたいと思った。音楽に興味がなくても、製作する楽しさに同調してもらえなくても構わない。一人でがんばることがどんなに意味のないことかわかったから、自分も一人でがんばる誰かのために存在したいと心から思った。

 その後ぼくには好きな人ができた。ある日、ぼくは空が蒼から桃色のグラデーションになりかけたとき、橋のてっぺんから真直ぐ伸びる道を見下ろした。左にある教会や右にある二階建ての住居の何気ない風景が不思議なものに感じた。アフリカのサバンナで見る燃えるような真っ赤な夕日。橋の下には水面が反射して直視できないほど眩しく、風がいつまでもザワザワと吹いて鳴り止まない、体が持っていかれそうなそんな感覚。そんな時、隣りにきみがいてくれたらどんなに良かったかと思い、反射的に電話をかけ、刻々と変わりゆく空の色を僕の拙い表現力で伝えてゆく。きみは優しくそれを聞き届けていた。今思えば動画や写真を送れば何とでもなる。でもぼくはきっと、きみが側にいるのを感じたかったんだろう。きみの声が聞きたかったんだ。
 その夜、きみと過ごしたとき、初めてぼくは自分の弱さを打ち明けた。それとは別に大切なことも。


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