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作品名:under the sky 作者:勝野 森

最終回   6


「ほう、不審庵かな」
「そうでございまする。そのとき、何か良き歌を掛軸にして持って来てはくださらぬかと御指事があったものですから、うちは己の催した連歌の会で歌われたものの中から何か思い出深い会の二三首ほど書き記して形を整えて如何にも茶室に合うよう拵えたものを持参して利休様の処へうかがったのでござりまする。利休様はお風邪をめしたのか、どうも体調がよくなかったのでしょうか青白きお顔であられましたな。それで又の日に致しましょうかとうちも言ったのですが、利休様は気にするほどのものでもないのです、とお答えられたものですから、まあそれならとうちも久しぶりの二人だけの茶会だったもので、これを外せばお忙しいお方ですから当分はないものと思い、何とも無理をしました。まずは茶室に入るなり持参の掛軸を床の間に掛けましたところ、利休様も気に入られたようでありました。それから、さっそく改まって作法どおり二人で茶の湯を始めたのでございます。利休様自らお点前なされた茶をおちょうだい致しましてな。やがて、ふたりで床の間の掛軸をながめて心落着かせていると、ふと利休様は言いました。“これは惟任様とあなた方様のお歌でありまするな”と。そうなのです。迂闊にもうちはあの愛宕山で歌われた百韻の初めの四句を何の考えも無く描いてしまったのです。まさかそれが利休様のお命を縮めることになろうとは、」
 京、葭屋町にある利休の屋敷の奥まった処にある不審庵にその日小雪が降っていた。雪は水分を多く含んで茅葺きの屋根をわずかに白く染めてはいたが大抵は留まらず溶けて流れながら茅を洗い、楚々とした軒下の砂利の上に落ちて鮮やかに輝いていた。溶水の音も木霊が囁いているようで二人の耳には心地よかった。
「どうも二月というに、皐月のお歌では可笑しゅうござります」
「仕方ありませぬ。わしがそこもとに、皐月の歌でよろしきものあれば、と頼んだのですからな。どうもその頃に三斎殿、織部殿との茶会の約事がありまして、ならばと道具たてもあれこれ思案すれどもよきもの思いつきませぬ。それで宝珠庵殿のお力を頼み入りましたのじゃ」
「ほう、そうでござりましたか。細川様古田様なれば、これはうちもしくじりました。うちの拙いものより古今集あたりのなんぞ趣のある書など持参つかまつればようございました」
「いやいや、新しき物など揃えてもてなすのがわしの考えであれば、かえって宝珠庵殿のものでなければ困るのでござるよ」
「左様なれども、うちのものでは利休様の茶会には拙すぎまする」
「何をおっしゃるか、あなた様は当代一の歌詠みであられますぞ。他に代わる者無し。宝珠庵殿のものでなければわしが困るわな。何しろ当代一を揃えてあのご仁らを黙させたい」
「うちは穴があったら入りたい」
「何を惚けたことを謂いまするか。さてさてそれでは篤と眺めましょうや。うむ、まず発句は惟任様ですな」と利休が真顔になるとそう口を開いた「“時はいま天が下しる五月かな”ですな。これは今も物議をかもしているもの。なるほど、今時分を得て面白い。ましてや三斎殿に所縁の方のお歌なれば話しの題にもなりましょうや。ついで威徳院様の脇が“水上まさる庭の夏山”となりましょうか」
「第三がうちの“花落つる池の流れをせきとめて”第四が大善院様の“風に霞を吹き送るくれ”となりまする」
「これは、まったく素晴らしい。これなれば大胆な茶会になりましょう」
「いやいやいけませぬ。利休様、うちも迂闊でございました。ご謀反人の歌などで茶会などすれば殿下に疑われましょう。これは持って帰って新たな差し障りのない物を持参しまする」  宝珠庵は自分のしたことに今更ぞっとなってしまった。
「もうあの事は昔話でござる。誰も咎めませぬて」と言いながらも利休の顔はいっそう青ざめていた「またそうあらねばなりませぬ」と何か決心の顔で言いながらも「ましてあの二人なればわしを困らせたることなし」と彼は付け足した。
「そこまで謂われなするならば、」とこれでは宝珠庵の方も消極的になってしまった。 「茶会はただ心和ませて終わるに過ぎたるものなし。されど時には鋭き刀の目利きなど話して心引き締めるも面白うござる。当世は何事も面白いのが殿下流なればこれも一興でしょう」
「と聞きますれば納得いきまする」
「つまり掛軸には“時は今 天が下しる 五月かな 水上にまさる 庭の夏山”と“花落つる 池の流れをせきとめて 風に霞を 吹き送るくれ”の二首の和歌をお書きなさったのでござりまするな」利休は話題を本筋に戻した。
「それが居士の切腹とどう関わるのだ?」如水は少し身体を前に出して宝珠庵に問うた。
「利休様はうちの句を声を出してお詠みなされ、“池の流れをせきとめて、があなた様をして謀反に加担したと疑われたのですな”とおっしゃりました。それでうちも“そのとおりです”と答え、さらに“謀反などとんでもない言い掛りで、お調べでは歌の作りと意味など説明したのですが、あまりにも後の出来事を暗示していると謂われたのです。だいたいもともと連歌師にどれほどの力があるというのですかと言訳したのですが中々わかってはもらえませなんだ」
「そうでしょうな」如水も利休も同じ事を言った。
「そうでしょうか、」時を経ても宝珠庵はまた二人に同じことを言った。
「土岐家の流れを組む惟任様が天下をとる、いう発句はこじつけと云えばこじつけになりましょうが、あなた様の上様がお亡くなりになるの意味ともとれる”花落ちる”と織田家の世を終わらせるの“池の流れをせきとめて”のほうは誰が見てもこじつけとはなりませぬな」利休はにべもなくそう言った。
「まことただの偶然にて候。そう非ずとは、それではあまりにも手厳しすぎまする」 「宝珠庵殿、威徳院様大善院様の下の句はあなた様がたの上の句に合わせただけで他意はありませぬ。だが惟任様もあなた様もどう見ても他意があるのです。ともかく、もう済んだ事ではありませぬか。世の中もすっかり変わってしまわれた。ならば尚ここで偽る事もありますまい」利休は鋭い目で宝珠庵を睨んだ。
「はたしてすっかり変わったとなりましょうや」まだ外は寒いというのに、宝珠庵はうっすらと汗をかいていた。「それにしても利休様はなぜもこうこの事について拘るのござりまするか、」
「実は、あの時、兵庫助殿にあなた様をお調べなされと進言したのはわしと有楽斎殿だったのです。われら二人があの歌に疑念を持った最初の者でしたな」
「なんと、」
「驚かれましたかな。それで今になってもまだ真のこと知りたいのでござるよ」
「驚きました」宝珠庵はそうだったのかと改めて思いあたれば、途中で兵庫助の詰問の手が緩んだのも利休が哀れんで頼んでくれたのかもしれないと勝手に判断した。この人ならそういうことも有り得るのだ。 「広瀬様は途中から詮議もゆるりとなられ、最後には気を付けたほうがいい、などとおっしゃられて終わりましたが、あれは利休様がうちを助けてくれたのではありませんぬか、」
「そのようなこともありましたかな。ただ連歌師が謀議に加担して何の得ありや、と兵庫助殿に云ったことあるかもしれませぬが、もう忘れもうした。そのようなことはともかく、さてもどうかな、」
「今思えば、」何とも利休は慈悲深いと思い、宝珠庵はついに観念して話し始めた「惟任様は上様を裏切りたくはなかったのではないでしょうか、」
「ほう、何故に」
「惟任様は常に上様直筆の書を床の間に飾り、おのが家訓にも総見院様のお陰をもって惟任家は成り立っているのだから子々孫々までご恩を忘れてはいけない、というようなことが書かれてあると聞き及びまする。このようなお方がご謀反などする訳もなし。もしするとなればよほどのお覚悟であろうし、また悩みなされたのでしょうと思われまするな。それが愛宕山の発句に現われたのでしょう。うちは本当にその日までわかりませなんだ。これには何とも驚きました。仕事柄、歌の表裏を詠み解くのが当然なれば、あの歌にはなんと恐ろしいことが含まれている事か、それをしかしなぜ惟任様はうちに知られると承知しながらお詠みなされたのか、一瞬あのお方の真意を見失いました。これなれば、知謀湧くが如きお人らしくないではありませんぬか。がそうでない。そこで深く思案してみました。この発句は高まる野心を隠しきれずに表したのでは無く、その反対に部外者のうちにわざと知らせるためにお詠みになったのではないかと判断したのです」
「その心は、」
「ご謀反は惟任様のご意志ではなかったと、」
「なぜ、」
「思い当たることこれあり、」
「ほう、どのような、」
「あいすみませぬ。まずは順序立ててお話し致しませぬと何とも混乱いたしまする」
「なるほど。まあ今日はあいにくの天気なれば、これではわしも何処にも往けぬゆえ、ゆるりと気のすむまで話していかれるがよかろう」
「ありがとうござりまする。さて惟任様ですが、あの方が望んでご謀反を起こさなかったと仮定してうちが思いまするには、あの方は誰かに頼まれたのではないでしょうか。だとしてもあの律儀なお人を動かせるお方と云えば上様をおいて他に誰がありましょうや、」
「確かに、しかし上様は自分で自分を殺せとは云わぬわ、」
「そうです。しかし、ですが、惟任様にとっては上様同様に、いやそれ以上にご命令に従わなければならないお方がいたとしたならば、」
「いたとしたならば、」利休はじっと宝珠庵を見詰めて反復した。
「いたとしたならば、」宝珠庵もまた鸚鵡返しに同じことを再三繰返した。
 少しの間、二人は沈黙していた。雨だれがいっそう響いていた。
「ここで名を云うのも恐れ多いお方よのう、」とため息まじりに利休は云った「そのおん方がなぜ日向守殿に上様を襲えと命じたのか、あなた様はなぜそう断言するのか、」
「うちは、」宝珠庵はここで一呼吸おいて、「惟任様がそのお方と上様の間に両挟みなられて、それでにっちもさっちも行かず、かと云ってどちらも裏切られず、何ともお悩みなされて、ついにどちらも立つようにとお考えなされたと思うのです」と言った。
「と云うことは、」
「ご謀反も決行するが、しかしそのことを相手にも報せるということです」
「なるほどのう、どちらも選べぬなら天に頼むしかないのか」
「それであのような発句をお詠みなされた。だからうちもその事分かり候、といういみの歌を詠みました」
「花落ちる 池の流れをせきとめて ですな」
「そうです。これはもし、座の誰かが惟任様の歌の真意をつきとめ、尚かつうちの歌の意味を解したとしてもうちが皆様のお味方であると知れるように工夫し、かつ惟任様には発句のこと理解したと伝えたかったのでござりまする」
「なるほどお歌は奥深き哉。しかしなぜそこまであなた様は読めるのか、日向守殿が上様に報せろ、とまで」
「後日ある事がありました」
「その事とは、」
「あとで話しまする。何事も順を追って話さねばうちも混乱するばかりなのでござりまする」 「さてもさても、」
「うちは山を下りてすぐさまにも上様へくだんの事、お報せしようと思ったのですが、京に戻るなり何と上様ご上洛と噂を聞けばこれ幸いと思いました」
「が、幸いではなかった。日向守殿もすでにそのことを知っていたからね。あのお方もだが。皆が前から知っていた。で、宝珠庵殿は上様にお会いなされたのですね」
「そうです。そのとき、さきほどの利休様の質問ですが、ご謀反の元締めは誰なのか、なぜうちが知っているのか、ということでしたが、それは上様から直接聞いたからなのです」
「何と、上様から聞いた」
「そうでござる」
「上様はあのお方の陰謀をご存知だった、」
利休はそこまで聞くと、腕を組むようにして考え込んでしまった。
「その後の事はさきほど如水軒様に話したことを利休様にも話しました」と、ふうっと息を吐きながら宝珠庵は言った。
「なるほど、ただ少し違うは日向守殿ご謀反のこと、すでに愛宕山でおぬしは知ったということか」如水は頷くようにそう宝珠庵に言った。
「さきほど如水軒様には山を下りてから、と申しましたがあれは偽りでございました。お許しくだされ」
「気にするな。おぬしも居士の話しでもなければ余計なことは話したくなかったのだろう。あれこれと疑われた話しなど誰もしたくはないさ。それにしても愛宕山の話しは奥が深いのう。放つ人、受ける人によほどの素養がなければあの歌が即興では成り立たなかったことになる。流石に当代一の歌詠み人の二人なればでありなん、わしならこうはいかんな」
「時世を曲げる大きな出来事にはこうした彩もあるのでしょうか」
「ある、ある、あるとも。何とも人の世は絵巻物でなければならぬのさ。それにしてもさすがに日向守殿は絵になるのう」
「上様も絵に成りまする」
「ああ、あのまま本能寺の火炎の中で散っておればのう。が、それにしても上様はあの後どうなされたのじゃろうか、」
 如水も総見院の最期は知っていても本能寺からどのように脱出して自分らの屯所までたどり着いて来たのかわからない。それをわからないほうが実際はいいのだと思いながらも彼も人の子で真相は知りたかった。
「利休様もその後上様がどうなされたかご心痛のようでしたな。でもうちには確信がありました。と云ってもそう確信したのは惟任様が山崎で負けて小栗栖でお亡くなりになって後、再び上様を探して本能寺に戻り、どうしても上様のご遺骸が見つからぬと知ったときでした」
 斎藤内蔵助は物置に閉込めた老人がその面立ちにどうにも織田家の所縁の者でないだろうかという疑いを拭い去ることが出来なかった。また宝珠庵の言い訳も疑うに十分なほどあの男にあせりが見えたのである。小野菜楽斎などという名も聞いた事がない。宝珠庵の一派ならそれなりに名が通っていて可笑しくないはずだ。まして若造ならまだしも知らぬかもしれないが、老人で歌を詠むほどの数奇者ならば内蔵助の耳に届いていないということはない。などと考えても詮無いことで、いま自分は勝者の立場にいる。勝者は何をしてもいい以上、疑わしき者はなんの躊躇もなくこれを排除すればいいのだ。損得を考えてもそれが正しいと思う。たとえ宝珠庵が云った事が間違っていないと後にわかったとしてもだからと云って誰からも責められるものではない。ただ気分的にまあ己の性格から来てると思うのだがこのまま正体も知らぬまま、しかも年寄りを殺すのも気が引けのだった。が、よくよく考えれば今はそれどころでもないほど忙しくもあったのである。このあと天下を固めるためにも次々と戦が続くであろう。そう思うとやはりここで小事に囚われている必要はないのだと思うべきだ。今は戦時下にある。細いなことは切り捨てる。それが武将として本筋だろう。もういい、ごたごたと考えるのは止めよう。よしあの老人は殺そう、そう内蔵助は決心した。
「あの年寄りを殺してしまえ」内蔵助は振返り様に自分の従者にそう言った。
 従者は黙って頷くと、まだ血糊の付いた槍を翳して二人の侍を引き連れて小屋の方へ向った。
 そこへ惟任日向守が供回りを引連れてやって来た。
「何やあるか、」と彼は内蔵助に言った。
「それが、」ここで、何も無い、と言えばそれだけで終わったのだろうが内蔵助にはまだ好奇心が残っていたのだろう「奇妙な老人を捕らえたのです」と日向守に言ってしまった。
「ほう、その者は侍か、」
「いえ宝珠庵殿と一緒にいた商ん人でしかも老人なのでござるが、なんとも面妖な顔で、どうも織田家の所縁のものではなかろうかと察せられまする」
「宝珠庵が、また何であの男が此処に、いや、うむ、」といって今更織田家所縁の者に会ってこの期に及んで嫌味のひとつも云われるのは気分のいいことではないしなどと思いながらもまた思い当たることも少しばかりあったりなどして「それなればわしが見ればわかるはず。どれ見てみよう。引き出しなされ」と言ってしまった。
 槍を持った侍らは小屋に入るとやがて右大臣家を引き摺るように引っぱり出した。  すでに右大臣家は小屋の中で日向守がやって来たことを知っていた。それがわかったときには、しまった、と臍を噛む思いであった。如何に自分が南蛮の秘薬で様相が変わったとはいえ、あの男ならきっと見抜くだろうと感じていたのだ。内蔵助ほど簡単にはいかない。まさかこうなろうとは思っていなかった。大体に於いて一軍の大将がこんな現場まで来るものではない。何をあいつは考えているのやら。それにしても何ということか金柑の前にこのような哀れな姿を晒すくらいならあの時炎の中で腹切ってくたばっていればよかったと今更後悔してももう手遅れであった。
 小屋から出る時、右大臣家は小者たちにわずかばかり抵抗した。すると彼らは乱暴にも右大臣家を日向守の前へ放り投げた。実はこうしてもらうのを彼は期待していたのだ。右大臣家はそのうっ伏して顔を挙げなかった。挙げて目が合えばすべてお仕舞いになると思ったのである。
 だが日向守はその痩せた背中を見ただけでもこの人物が誰なのかわかってしまった。いったいどのような方法を用いたのかわからないが上様は姿形を変えてしまったらしいことは間違いない。どうやら宝珠庵にあの歌の意味が理解されて何とか上様まで伝わったに違いない。辛うじて間に合ったのだろうが脱出とまで今一歩及ばなかったのか。だからこうして変わった姿の上様が今ここにいるのだと日向守は理解した。
「ご老人、驚かれたでしょう」と日向守は右大臣家の前にしゃがみ込むと自分も驚いていながらそう言った。
 すると右大臣家の肩がみるみる震えだしそれは怒りに満ちていった。今にも掴み掛かってあとはどうなろうともこの男を絞め殺してやりたい気持ちでそれは溢れていた。しかし今此処で暴れたなら周りの侍らがよってたかって野良犬のように自分を殴り殺すだろう。そうなれば恥を忍んでここまで逃げて来た意味もない。思えば愛宕山で宝珠庵にわざと謀反をほのめかせ逃げることも出来ない自分を追い詰めてここで捕まえてなお恥をかかそうとそういう策をこの男は練っていたのかもしれない。どちらにせよもうこうなれば最後まで商人として死ぬしかない。右大臣家に戻れば惨めなまま生涯の恥を晒すことになるのだ。そうした事のすべては日向守にも理解できたが彼は、
「仕方が無かったのです」と他の誰にも聞こえぬように右大臣家の耳にささやいたのである。それから立ち上がり内蔵助を見詰めると「この人は宝珠庵の知り合いでわれらの敵に非ず」と言った。
「しかし、」と内蔵助が言いかけると、
「もういいのです」と制止して右大臣家に向いて「長い間お留めしてすまなかった。もうよいゆえ、お帰りなされ 」と優しく言った。すると右大臣家がまた、
「恩知らずめ。このままで済むと思うな、」と日向守にしか聞こえない声で捨台詞を彼の顔は一切見ないでほざいたので、
「そうでしょうか」と彼もまた微笑んで答えたのあった。
 やがて日向守の周りにいた侍どもは皆忙しそうに散って行ったのだが、彼だけはいつまでもそこに佇んで右大臣家がついに一度も顔を挙げずにややよろめくようにして行ってしまった木戸の方をずうっと見ていたのである。
「うちは上様を逃がしはったのはどう考えても惟任様だと思うのです。間違っても内蔵助様が逃がす訳が無い」
 聞いている利休は黙って頷いた。それから、
「さもありましょうなあ。斎藤殿は上様を亡き者にするのがその日の仕事でしたからな。逃がす意味などどこにもない。たとえ長い付合いで大恩あるお方でもあの日御首しを挙げたなら一番手柄と成りましょう。それをみすみす捨てる理由もありませんな。この事は明智一党の御家来衆誰にも当てはまることです。でも誰かが上様を逃がした。で、もしもと考えて、それをする理由と実行出来る立場にあったものは誰かとなれば、それはもう日向守殿だけしかいないとことになりまするか。そうでなければ愛宕山の意味も無し」とため息のような返事をしたのだった。
「なぜに惟任様は決行も近付いているあの間際にうちにそのことを知らせ、上様のお耳にも届くようにしたのでしょうか。それほどなら思い留まることも出来たのではありませぬか、」 
「人の心とは悪事を行うように出来ておらぬのでしょうな。大恩ある上様を裏切れなかったに違いない。かといってさるやんごとなき御方のご命令もきかぬ訳にはいかない。悩み苦しんで両者を思えば残る方法はひとつしかない。自らが犠牲になればいい、とそう考えてあなた様を利用したのでしょう」
「事は起こさなければならない。これをどうすることも出来ないけれど、そのあと上様には逃げて貰いたかった。そして無事に逃げた上様から自分の罪を償おうとした」
「その通りだったのでしょう」
「これが本当なれば惟任様は端っから天下を望まなかったのでしょうか、」
「ありえますな。賢きお方ならあの状況で天下を取れるとは思わないでしょう。上様一人を屠ってあとのお家衆が素直に日向守殿に従いまするか、ならないでしょう、それくらいはあのお人ならば簡単にわかるはずです。その敵対する員数を比べても味方の勝ちはおぼつかない」
「されば負けると知って戦をなされたか、」
「そうでしょうな。だからあなた様を使って上様に報せようとなさった。せめて上様にだけは事の真実を伝えておきたかったのかもしれない。武士として誠に哀れなお方でした」
「本に哀れですな。悪名を背負い、揚句にあのような野伏せりなどに刺される惨めな大名らしくない御最期でござりました」
「武士として本分を貫かれたのです。誰にもわからぬ醍醐味があるいはあの人にはあったやもしれませぬて」
「汚名をきたままで、それでもいいのでしょうか、」
「名を求めず、金もいらぬ者が、望まぬ境遇に置かれてしまった時に、己が如何に成すかは武士だけでなく歌人として誉れも高いあなた様もわしのような茶人も立場は同じではないでしょうか」
「中々うちはそこまで悟れませぬ」
「そんなことはありませんよ」 「そうでしょうか、」
「そうです」ここでやっと利休は微笑んだ。
「まま、うちも大変なことに巻込まれてしまったという訳ですな」宝珠庵は大きなため息をひとつついて「それにしても上様はあれからどうなすったのでしょうな」とぼやいた。
「上様はあなた様の屋敷をお尋ねにならなかったのでしたな、」
「そうなのです」
「御逃げなされたなら頼るはあなた様だけのはず。これは如何にして、」
「元より上様はうちの家など知らぬのです」
「言われてみれば上様ほどの身分なれば歌人の屋敷など知る必要もありませぬな」
「はい、その通りで。あのときは本に大変で、無事二人で逃げ果せたなら何とも知り合いを頼って山里にでもしばらくは匿おうと考えていたのです。まさか離ればなれになるとは思いませんでした。だから金銭すらも渡せなかったのでござる」
「なるほど、やはり斎藤殿に殺されたか、」
「いやいや、それはありませぬ。うちは戻ってずいぶんとそのようなご遺体を探しましたが見つかりませなんだ。また本能寺の御坊にも埋葬された方のなか、あるいは織田家の所縁の者に間違われて殺されたものに老人はおらなかったか尋ねましたが誰も知らない、また商ん人の老人の屍骸などはひとつもなかったとのことでした」
「さても面妖な、御逃げなさったこと正しければ上様はその後どうなされたのじゃ。未だ現われぬなど有り得ぬこと、」
「御坊らに聞いた話しですが、内蔵助様たちは随分と上様のご遺骸を探しなされたようでありまするな。まま火事などで焼け焦げたものもありますれば、もうその中の一つだろうと諦めなされたようでした言っておりました。だからお逃げなされたことは間違いないのです」
「で、そのあとは、」
「わかりませぬ」
「あなた様ならどう想像しまするかの、」
「うちならば、どのようなことがあろうとも太閤様のところへ行きまする。惟任様御征伐のあと、何とも早くに太閤様は京に入られました。もし上様が京に潜んでいたとするならば、いくら呑まず喰わずでいても死ぬ事はなかったと思われまする。それほど太閤様は早かった」
「誰が想像しても当時の羽柴軍へ行くのが当り前、上様もよくよく信頼していたお方なればいっそうそうなさるでしょうな」
「”確かに、”とその時うちは利休様に頷いたのでございます」宝珠庵は如水にそう言った。「すると利休様はしばらくは黙ってしまいました。何事か感じることこれありてか、長く腕組みなどしておりましたがため息など再三つかれてのちついにお顔が見る見る変わりましたのです」
「誰が考えても上様は筑前の元へ行くとおっしゃったのか、」
「ええ」
「そりゃそうだよのう、」と如水は言いながらもどうしてそうなるのか、と違うことを二人に思ってほしかったのだが、そうはいかないのが常識で、ともかくも話しの流れが自分にも都合悪くなっている事は確かであった。
「うちもその様子を見ましてこれはただ事にあらずと感じました。やがて利休様は立ち上がるなり“これより伏見に行かねば”とおっしゃるので“何事か”と尋ねましたなら“総見院様を殺したのは太閤殿下である。”と謂われ、もう驚きましたのなんの、」
「そんな大それたことなどありましょうや、」宝珠庵は腰が抜けたのではないかと思うほど驚いて利休の顔をまじまじと見詰めたのだった。
「何故にそう思われるのです。宝珠庵殿よくよくお考えなされ、どう考えてもあの時の上様は筑前殿のところへ行くしか無かったはず。だから行ったのです。それがどうして未だに消息がわからないのでするか、」宝珠庵は初めて利休の怒った姿を見た「あの畜生め。なんとも惨いことを、あれで日向守殿を辱める立場か。もはやあのおひとは人に非らず。これ見過ごせばわしも人の道を誤ることになる」というなり利休は立ち上がった。そして口早に「宝珠庵殿、お呼びしておきながらこのような次第となりまことにすまぬことでした」と言うと茫然としている宝珠庵をじっと見詰めた。
 利休の目が、その目がいつまでも宝珠庵の目の奥に焼付いて離れない。というのもそれが余りにも高い谷から臨む深淵の底から輝く冷たい光を放っていたからである。なぜその時にその不思議な光を利休の瞳の奥に感じたのか宝珠庵にはわからなかったが、やがて幾日もしない間にこの日が利休を見た最後であったことを彼は知るのである。果たして利休は死を覚悟して太閤に会いに行ったのだろうか、彼はあの時の利休の瞳の中の冷たい光を思い出しては真実を探ろうとした。が利休の心境まではわからない。今更いくら太閤を諌めたところで遥かに帰らない過去の事である。他に恐れるもののない人間に過去をほじくり出して罵ったところで害こそあっても総見院にも利休にももう何の益も無いのだ。それを利休だとてわかっているはずなのに彼はなぜ今怒りをあらわにしなければならないのか、宝珠庵にはわからない。
 利休は躙戸を開け放って出て行った。
 そこから冬の終わりの名残りの肌を刺す冷たい風がひゅーっと入って来て宝珠庵はぞくっとして思わず炉のほうをみた。炉の炭は急な外からの風に煽られて青白い炎をあげた。利休の目の奥に見た光と同じだと彼は思った。
 外はいつの間にかみぞれから小雪に変わって何とも寒々として庭に降り積もっていた。敷石には利休の雪駄の跡がいびつになりながらはたはたと母屋へ向って付いているのを降り踊る雪の合間に宝珠庵は物語の途中で放り出された人のように惑乱した気持ちのままやり場のない両手を空に浮かせながらいつまでも眺めていたのだった。
 ひと月余り前に大和大納言が亡くなった。もうこれで太閤の草創期から彼を支えて来たものは利休の他に誰もいなくなってしまったのである。同期の如水は早くに太閤に疎んじられて今は遠く九州に追いやられている。これまで大和大納言と手を携えて太閤の暴走を何とか抑えようと試みて来たが相方を失った今は、年老いて増々横暴になる彼を諌める自信をまったく無くしてしまったといっていい利休であった。そこへこの話しが突然飛び込んで来たとき、利休を抑えていた理性が音を立てて崩壊していったのである。大納言の死は彼に大きな心労を与えてついに取り去ることができなかった。
 彼は本当に疲れていた。
 とくにこの頃はあまり寝ることもままならず、夜中になってもぼうっとしていてただ茶道具を出しては眺めばかりいた。やっとうとうとと頭も朦朧として眠れるようになると起きているのか寝ているのかわからないような狭間で何とも気味悪い悪夢を見てはハッとして意識を取り戻す有様でこれでは余計に睡眠不足となって一層彼の心を寒々とした風が通り抜けて行くような薄暗い気分にさせるのである。いったいいつ頃この心痛がはじまったのか、ということは定かでない。ただ大和大納言が亡くなったあたりから利休の耳にあまり気分の良くない噂が聞かれるようになったのが始まりかも知れない。その噂というのが、利休が名も無い茶碗を持ってきては勝手に高額の値を付けて売り捌き、大儲けをしているというものだった。これには太閤も立腹しているというものなのだが、これまでの利休ならこの程度の噂に動じるような男ではなかった。なにしろものの値打ちが変わったのである。総見院は中世の黴臭い仕来りを根底からひっくり返して新しい世の中を造ったがそれは芸術の面でも同じであった。これまで誰にも真似の出来ない優れた技術によって長い歳月をかけたものだけが逸品とされて来たのに対し、更に加えて今の時代は如何に人の目を引き付けるかという斬新さが求められているのである。舶来物が重宝がられるのは今昔を問わないがしかし今は見た事もない奇抜な物が人気を博しているのである。長い伝統だけで物の価値観が確かめられない今、利休のみが真の価値を決める達眼を持っていると自負していた。それは彼の使命であって私利私欲を肥やすものでない、ということを太閤も世間も認めていると思っていたが、今此処に於いてそれが甘い考えであった事を十分すぎるくらい彼は知ったのである。この世は小心者で満ちている。妬みや恨みを露にしてもそれを恥と思う者は誰もいないのだ。そして彼の心痛の根となった大和大納言の不幸もそこにあった。
 あれは、去る年に太閤の建造好きで大坂城を初め聚楽第や伏見城、方広寺が次々と建てられた時、紀州の山野から大量の材木が切出されてこの地の領主であった大和大納言は時勢の波に乗って大儲けしてしまった。それが兄である太閤には気に喰わず不正があったとして弟に蟄居を命じたという事件があったのである。このとき、これでは話しが違うではないのかと云う思いが大納言にはあったにちがいない。すなわち、太閤が治める京坂に隣接する奈良方面を弟に統治させたのは身内で天下を固めるためではなかったのか、たまたまその地から得た途方も無い利益も兄弟でこの国を治める要の力となるものではなかったのか、そうではないと、兄の嫉妬は大納言の思いを心底から覆すもので彼は初めて権力者の恐ろしさを知り、素朴な兄弟の絆の崩壊をこのとき感じたのである。これが大和大納言には心労となって彼の命を縮めてしまったといわれているのだ。このことが重く利休にのしかかっている。次は利休であろう、ということになるのではないか。太閤は、獲物を狩り尽くしてのち犬を食す、の故事にのっとって草創期の功労者を消そうとしているのだろうか、確かに奢れる者に諌言者はいらない。心が淀めばそこに悪い菌が溜る。世の習いか暗君は追従する側近のみを周りに集め、ついにその世間知らずの若手官僚の謀略が暗躍して、家の柱を腐らせてしまうのだが、これを黙認した太閤の浅慮も加わっていたのも事実であるが、根本的には太閤は他の者が儲けることを性分して嫌っていたのである。検地などそれなりの理由があるが農民に一銭も余分に儲けさせないというのが小心者の彼の本音なのだ。その本音をもってすれば、物の値打ちが無いものに勝手に値を付ける行為は政府の許可無く偽金を造っていると同じにしか思えなかったのだろう。とまあ理由はともかく、利休は太閤の身内でさえこの有様では、当然次は自分に成ると感じていた。もとより死など恐れるものでないが、あの男の仕打ちがどれほど自分の周りの人々を巻込んでしまうのかと思うと、関白の例もあれば心配であった。そうした想いが何とも彼の心を蝕み、だんだんと人と会うのも億劫になり、誰かの荒げる声を聞くだけで街中へ出るのも嫌になりついには人目も穏やかには見えず外出も控えるようになったのである。こうしたことに周りの者らもおかしいと気付き出して、特に高弟でもある細川三斎や古田織部などが利休に面会して、近いうち憂さ晴らしに茶会でもしましょう、などということを相談してそうなったのである。気の病など自分の心構えひとつで治ると思われた時代、鬱積された悪い気は散ずれば元の心に戻ると簡単に信じられていた世間の中で利休も体調が勝れていない事はわかっていたので、春か初夏には、と約束した。疲れているからこうなる。なら疲れをとればいい。そうではないのだ。心病は内蔵を侵す癌となんら変わらない同じ病なのだ。そう、手当が遅れれば死につながる恐ろしい病気だということを誰も理解しない。
 そしてただ三斎らは励ますために云ったのだろうが、
「居士がいなければ正道が曲がってしまう」とか「どうかしっかりしてくださいまし、居士がお元気でなければみなが心細くなるのです」など「お気を確かになさいませ。頑張れば憂いも無くなりまする」と云われるといっそう鬱陶しくなるのだった。ついにはこうした人々に相談した家人も気に障り出して遠ざけ、目付きの悪い奉公人にも暇を出したりしたのである。この世に己を理解する者のなんと少ないことか、人はみな勝手すぎて自分の都合だけで生きている。周りは妬みや恨みばかりを身体の栄養にしか出来ない狭義のものしかいない。だから身の近くには利休のことは何ともかまわない者だけを寄せ付けていた。かと云って彼は口まで閉ざして引き蘢ってしまったのかというとそうでもない。家人とも友人とも会いにくればまともに話すのである。ただ自ら積極的に話すのも行動を起こすのも嫌であった。このため己も誰も彼が心の病を患っているとは思っていなかった。ただ疲れが溜っているとしか思っていない。
 だから利休はもうどうでもいいと思った。
 すべては茶人として蘊奥修めた故に政治に大きく係わってしまったことにある。それもこれも”茶の湯”が総見院によって政治に必要な大きな道具として芸術の域を超えたものとして扱われたからである。本来茶を喫するとは、そこに地位も貧富も無い人と人が只和むだけ、という禅の境地をも味合うためのものであった。それを総見院は煩わしい身分の差を脱ぎ捨てて話し合う政治の場にしたのである。商人の市場開放を初めとしてローマ帝国に学ぶ実力能力主義を重んじた彼にとってすべての有能な者を見出す仕組みとしてこれほど重宝なものはなかったであろう。これがため、茶の湯を仕切る宗家の利休が総見院の出世と伴におのが地位も覇王の家で大きな位置占めるようになっていったのである。ついに”去喫茶”という鄙びた山寺の長閑な思想が政治的な思惑と芸術的価値観を高めた二人の男の炯眼によって卓越した時代の文化を牽引するものとなったのである。しかし彼の最大の理解者である総見院が突然倒れ、次に台頭した太閤は微妙に茶の湯に対する理解が違っていた。それでも茶の湯は政治上も重要な位置を顕然として保ち彼もまたそこに大きな地位を占めていた。こうして彼は時の流れに逆らわなかったために気に入らぬ男にも仕えてきたのだった。
 振返れば総見院が如何に素晴らしい人物であったか、真に茶の湯を理解してくれたのはあのお人のみと思うばかりである。彼の功績は決して茶の湯ばかりに留まらない。かつて鎌倉殿が公家社会から武家の天下を築きあげたように、総見院は武家社会から商家の世を造ろうとしたのだ。近くは唐天竺、遠くは南蛮国と広く交易し、やがて南蛮国と対等の文化を持つ国造りを完成させるのが彼の望みだったに違いない。多くの商人を世界中に派遣して南蛮の王のようにこの国を統治する。茶碗ひとつを手の平に乗せて総見院という人物を見ただけでも彼の壮大な夢が利休には理解できた。それは老いてただ過去を懐かしむものではない。わが道のこの国の掛替えのない庇護者にしてわが神の保護者、彼の人なくしてはこの国のこの道の発展が覚束無かったと、その恩恵を思えば総見院の早すぎる死に利休の心はいっそう病んでいった。それに代えて太閤は隣国に戦を起こし、先駆者の功をことごとく破壊しただ己の狭い野望を満足させようとこの国の民を彼の国の民も苦しめて何の利があろうか。千に一を知り一に千を眺めれば、いまや茶の湯なくして天下の御政道を語ることは出来ないのである。たとえ太閤ですらそれを無視することは出来ないのだ。ひとつの文化が深く根ざして政治の秩序を保とうとしているのに、なのにその功労者を虫けらのように己の勝手な言分で殺してしまうとは何事か。利休にはおのが道から見ただけですらもう怒りしかなかった。真の後援者を失わなければまだどれほど茶の湯の発展、いや世界を睨んだこの国の発展は、もっと信条に正せばおのが神の教義も護られるであったろうかと思いをはせれば、その反動で、太閤がこの茶文化ひとつをとっても、ただの遊びの世界に戻そうとする企みにはもう憤りしかなかった。両手からこぼれ落ちる水を見るように、総見院の、利休の夢が流れてゆく。この惜しんで限りない思いはなお彼を切なくした。そうして彼の奥底では卑しい青年の時代から太閤を知っているだけに、あの者など何ものぞ、という思いが常にあったから怒りがついに表に出てしまったといえるだろう。彼の鬱積したその思いと心労からきたストレスが撓んだ竹がその限界をこえてしまったように鈍い音を立てていま弾けていったのである。心の弾ける音を心の中で聞いたとき、庵の床を蹴るように立ち上がりながらもわずかばかりの理性は利休にも残っていたのだった。関白や大納言、遠くは如水のことなど考えれば太閤に諌言することが如何に危険に満ちていることか、へたをすれば命もない。だからどうだというのだ、という考えも利休にはあった。この時代は武士よりも肝の据わっている商人は当り前のようにいる。荒海を乗越え海賊が跋扈する大海を往来して利益を得んとしたならこの世界は生半な度胸で渡れるものではないのだ。死を恐れては何も出来ない。が、このときの利休はむしろその死を望んでいたかも知れない。生涯を懸けた茶の湯は元の凡庸に帰するかのようで、取返せぬ失望は徐々に彼の中の体液を抜取っていったのである。思えば総見院という時代の寵児がいたからこそ茶の湯は極められていったのである。きっとそれで極め尽くされたと思えば彼の死によってその感性を見ずに消え去ろうとも何の未練があるのか、わずかばかりの雑念をもってまだ野心を沸々と湧かしてももうそれは詮無いことと知るべきで、なお悶々として望まぬ終わりを見るくらいなら、いっそ今くたばったほうがどんなに仕合せだろうか、利休の心は何とも早く楽になりたいと、そればかりを願っていたのだった。その願いは終に敷石の雪駄の上に怒りとやり切れない思いを残しながらも、降る雪は消して帰らぬ者の気持ちなど知りはしないのであった。
「とおっしゃいましたから、」宝珠庵は如水に言った「これにはうちも度胆を抜かれました。あわてて留めようと思ったのですが、もはや聞く耳持たず、で利休様はそのままお出かけになり、」ここで宝珠庵は胸が詰まったのかもがくように如水を見た「何とも恐ろしい事になって、こんなことなら利休様に余計なこと、古いどうでもいい話しなどするのではなかった。これはすべてうちの責任どす。うちが愚かなばかりに大切なお人に災いをもたらしてしまった。どう償ってもあとのまつりやさかい、今更ここで何の弁解もないのです。あのあと、思い出すだけでも恐ろしくて口に出すのもおぞましい。とうとう、ついに、どうなったのか、殿下の何がこんな恐ろしい決断を下したのか、もうこれじゃあ神も仏もありゃしない。口に出さねば何事も起きぬならいっそこの舌など抜いてもかまわないと思うばかりでございます。そうなのです。誰も思っていなかったことが、雷の早さでやって来ました。それはもう数日もせぬうちのことで、いったい何処をどう押せばこんなことになるのか、耳を覆うてもなお聞こえるならいっそ耳を切り落したいご沙汰が、御切腹の沙汰が殿下より利休様におりました。ああこれでうちも連座されるであろうと思って日々恐々としていたのですが、利休様はうちのことは殿下に何も言わなかったのでしょう。以後今に至るまでなんのお咎めもありませぬ。いやいや、きっと利休様は殿下にその話の出処は誰かと問われたに違いない。が、利休様はうちを庇って黙すれば殿下も益々怒りて遂に利休様を殺そうとした。そうに違いありませぬ。うちは何ということをしでかしてしまったのか。それにしても、まったくもってあのような高潔な方にうちはとんでもないことを言ってしまった。こればかりは償のうて償いきれるものではありませぬ」こういうと宝珠庵は深く肩を落してしまった。
 宝珠庵の話しを聞き終えた如水も尋常では無くなっていた。顔の血の気が引いて青白くなったと思うとまた怒りに満ちて顔面は赤鬼のようにも変わっていくのである。
「何事ぞ、何とも莫迦げたことではないか。上様を殿下が殺すなど有り得ぬ事なり。またあっては成らぬ事なり。荒唐無稽の話しに証拠も何も無いことで、それなればただ居士のたわごとなどと言ってしらばっくれていればすむものを、如何にも事を荒立てれば余計に人はさもあらんと疑うばかりではないか。これでは自ら墓穴を掘って恥を晒して収まらず、なお人に責任負わせて恥の上塗りをするとは信じがたいお方じゃ」如水は絞り出すようにそう言い出した「そういうことかえ、そういうことで太閤殿下は罪無き居士を己の逆恨みで殺したのか。こいつあどうにもやりきれぬ。如何に天下に恐れなきものとはいえ我がままも大概にせい。くそっ、まったくなんともその事先に知っておればわしが太閤の皺首へし折ってくれたのに」
 如水は総見院の事の真相を知っているだけに太閤の怒りも、怖れもわかりすぎるくらいわかるのだが、しかし幾ら自分が天下人だからと言って何をしても許されるものではない。茶を師事しまた同宗門の木鐸としてもその理性の輝きに触れてつねづね利休居士は今が世の宝であると如水は思っていた。その敬愛の元も彼の人柄にあったと思う。比べて如水は何処か冷めた男であまり人に好かれない、というのが彼の世間での相場であった。軍師というだけで側に寄れば必ず騙されるか利用されると人は思い避けるのである。そんな如水を利休はわだかまりなく付き合ってくれた。学問好きの如水に公私にわたり多くを教えてくれた。だからわかっていても十銭の茶碗を千貫の金で買ったのは、利休の万物に対する無常観に傾倒し其の文化を敬っていたからこそである。否、利休こそ十銭の茶碗の中に千両の値を見出す目があったといえるのだ。正にこの時代の優れた文化の一翼を確かに利休は造り揚げて、なおもそれらの高度な完成を彼は期待していたのに、太閤はその貴重な珠をなんの惜し気も無く割ってしまったのである。事情も今宝珠庵から聞けば、何とも意味の無い、無益な殺生ではないか。あの人でなしが、如水はやり場の無い怒りに己を抑えることができないほどである。
 太閤は物欲の権化となり、唯物的に己を信じ、形あるのみの栄華を楽しんだが、今その足跡は人々の話題の中にしかあらず、広大な大仏も地震で倒れ、世界に名だたる巨城もやがては滅びて廃城に化す、それ物には如何に大なりとも滅びて土や風にならぬものはない。それすらもわからぬ無教養の者が天下を取れば偉大なるものが無惨に失われるというその典型がこの事件であったろう。それにしても悪なる心を持てば生き易く善なる心で生きようとすれば利休のように無理がたたるとは、己も悪に加担して来ても、自らは庇って如水はそれでも利休のことばかりは太閤の仕打ちを許せなかった。
 やがて利休の築いたものは百年千年と伝わり滅びはしないだろう。しかし太閤のものはやがて尽きて滅びて小さな博物館に今は残るだけに過ぎない。だから卓見の如水はこの大いなる師を失った本当の理由を知ったとき、あえて太閤ばかりも責めれない己もそこに組みしていた罪は生涯彼を苦しめる事になる。 そう、確かにあのとき、あの爺やが本物の総見院だと知っていても殺す意味はあったのだ。いわば総見院は迂闊にも天下取りの道から外れたのだから今更戻せも無いもので、先頭を走っていたからと云って落馬した時点から競技をやり直すことは出来ないのである。しかも、利休は真相を本当に知っていた訳ではない。彼は宝珠庵の話からその後の総見院の足取りを推理すれば、また太閤の欲深さを知っていればこそ、話の辻褄合わせが成り立つと信じただけに過ぎない。それなのに、身分が上の太閤ならば、今更何を言うか、の一言で利休を黙らせればそれで済むことで、口説く云うが何も殺すことはないのだ。むしろ殺される利休こそ、それで真実を確信したに違いない。
所詮、権力に溺れる者は権力で後世に悔いを残す過ちをするものなのだ。ただ如水にすれば、宝珠庵同様、この不吉な事件に係わっていたことは確かなので、いくら己の都合に考えても気分のいい話ではない。が、今そこから抜け出すには人のせいにするしかないのだった。
人間はみな勝手なのだ。ルイスが云うように人は生まれて来たことからして悪であると。
如水はそれを知っても俗に身を落としてそこから抜け出ようとはまだ思っていなかった。利休殺しも総見院殺しもみな太閤のせいにすればいい。関白殺しもそうだ。大和大納言も半兵衛もその命を縮めたのも皆太閤だ。己に小禄で遠く九州へ追いやったのも他国に踏み込んで罪なき民を大勢殺してしまったのも皆あいつのせい。そうさ今は怒りを露にするしかないのだ。だからここでは怒るのだ。全身全霊で本気で怒ればこそ、心中の苦虫も追い出せるかも知れない。が、それでも粘り強い泥を臓腑に塗りたくったようで、気分は簡単には晴れるものではない。どうにもならぬ。うんざりするような、重い圧迫感に悩まされて行く自分をいま彼はどうすることも出来なかった。このままでは自虐の念に負けてしまうではないか。もっと人のせいにしなければ、さもなければ総見院殺しとそれが利休殺しの遠因となった己の罪深さに押し潰されてしまうに違いない。
 もがけばもがくほど虚しくなるとわかっていても、あの尾張の田舎猿が、禿げねずみが、人たらしの女たらしのくそったれが、と思い付くだけの悪態を彼は頭の中で叫んでいた。
あいつが、あいつが、あいつめ、何でわずかばかりの怒りのために居士を殺さなければならぬのかと、如水はなおも悔しがり手に持つ井戸茶碗にぐぐっと力を無意識に、頬も真っ赤に膨らみ怒りにまかせて入れてしまった。 ピキッと鋭い響きが宝珠庵の耳に届くと背筋の寒くなる思いが彼の身体を貫いて不安にかられて声を出そうとしたがすでに遅れて間も無い。 たまらず千両の茶碗は次にぐわっと鈍い音を立てて虚しく二つに割れてしまったのである。 「あっ」と宝珠庵の驚く様もわからぬのか、如水はなぜ碗が割れたのだろうとも考えずに不思議そうに己の手を見ていた。
 碗がその指をすっと切っていた。
 老いた手のその指に血がわずかばかり盛り上がって脅すように真っ赤な色が禹の目のように見えた。  緊迫した空気が部屋の中の時間を止めてしまい、このとき宝珠庵は妙な耳鳴りがして目眩を起こしそうであった。
 如水の耳には空気の中から湧き出たような小さな虫の羽音がしてきた。その虫が彼の頬を通り過ぎるとき微かではあったが空気の乱れを感じたのである。 匂いを嗅ぎつけてきたに違いない。 一匹の蚊がやって来て血の上に止なった。 蚊が如水の血を吸い上げ始めると腹あたりが見る見る赤くなっていった。 如水はまだ茫然として蚊のなすままに見詰めて、何ともこの虫ほど哀れなものもないと思っていた。蝿ほどの素早さもなく、わざわざその存在を明らかにするような大きな羽音と立てて飛んであるく。これではもし人がその気になれば難無く叩き落とせるのだ。このさまでは千の数生を受けても生涯を全うできるものは一もあるやら、今、彼が手を打ちさえすれば虫は血を吸って余計に身体も重く動きも鈍くあれば絶対逃げ切れない運命にあるといっていい。如何に腹の子のためとはいえ、こうも危険を冒さなければならないのかと思えば、
「生あるものは命に過ぎたるものなし」と如水はその様を見てしばらくも経て落ち着き、わずかに微笑んで、余吾の太夫が笠置の岩屋で言った言葉を心なしか呟くだけだった。
 生あるものは命に過ぎたるものなし
 蚊虫だとて意味あってこの世間に居るのだ。いわんや居士ほどのものなれば、と如水はまたも悔しがった。
「だから人は罪深いのです」再び良心の置きどころとしているルイスの声が如水の耳奥でした。
「ふん」と彼は頭の中のルイスに開き直って嘯いた。
 長い間ルイスは如水に教義を伝えてきたのに、未だ理に解することをこの人は拒むところがあって彼の悩むところであった。まだこの国は弁舌をもって人を動かす時代ではない。とわかっていてもルイスは南蛮人らしく言葉に鋭さを変えないのである。
「主殺しにはあなた様も加わったのです。それが居士の死にも繋がりましたな」
 如水はこれまでの宝珠庵の話しを聞けば増々心に突刺さることばかりとなりに因果の報いも恐ろしいばかりと思えども、まったくこればかりは誰からも云われたくない心の奥底に生涯隠しておこうと思っていたのである。なのにこれをいきなり口に出されて如水は狼狽えてしまった。
「夫子よ、あれは筑前の命に従っただけじゃ」如水は言い訳したくなかったのにここにおいてはどうしようもない「居士の死は与り知らぬこと」無駄ではあったがとぼけるしかない。
「どんなに詭弁を労しようと事実は曲げれませぬ」
 相手はこちらの心の中にいるのだ。もう逃げようもないのに、
「武人は命に逆らえぬ」と如水はそれでも逆らってみた。
「己の心にも逆らえませぬか、」
「仕方ないではないか。道を歩けば蟻を踏み殺し、腹が減れば魚を獲って糧とする。蟻は知らず、魚は生きんがためなれば不足の殺生にて候なり。武士の命も然り、生きんとすれば従い、そうでなければ死ぬしかない。さても如何とするか、」
「懺悔して悔い改めなされ」
「断る」
「なぜでござりまするか。救い主はきっと許してくれまする」
「許してなどいらぬ」
「ここで意固地になってなんとなさるか。意地など何の意味も無し」
「武士は意地にて生きるなり」
「ならば武士など辞めなされ」
「わしは武士以外の道は知らず」
「ではもう一度言いまする。悔い改めなされ」
「悔い改めるものは武士に非ず」
「神を恐れぬのですか、」
「落ちて地獄の業火に焼かれまする」
「鬼となりまするか、」
「如何にも鬼となりて豊臣家を、」とここまで言いかけて如水はふと思い当たることもあってか口をつぐみ後はルイスの蒼い目を見詰めながら黙って頷いた。
 そしてそのまま宝珠庵に微笑んだ。
 宝珠庵は如水の心の中までは知らず、ただ割れた井戸茶碗を残念そうに見ていた。  やがて蚊虫は腹を赤く染めて満足そうにそこからふらりと飛び立ち、宝珠庵の前にやって来た。彼は難無くそれを両手で叩き潰した。広げた手には血が跳ねてその中で虫は砕けていた。宝珠庵はそれを哀れとは思わずただ汚いと思っただけだった。
「むごい事でござりましたな」と宝珠庵は自分の手の平を見ながらぽつりと言った。
それが利休のことであろうことは如水にもわかるのだが、それでも彼は他の事を思っていた。
 ふとその後についた宝珠庵のため息だけが夏の湿った部屋の空気に淀みながら流れてるくるのを、如水はそれを避けるように庭のほうに目をやった。
夏の終わりも近いというのに蝉時雨がざあっと降っていて、なお己の生涯のつまらなさを如水は思うばかりであった。
 ただ緑林の彼方、天は青々と晴れ上がって久遠に澄めば下に棲むものどもの思惑など知るつもりも無し。


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