五
「ミカド、みかど、帝」か、如水はがざついて毛もまばらになった頭皮の下の水晶のように輝く脳を素早く動かして考え込んでいた。帝が本能寺のすべての謎を解く鍵だとしたら、その仮定を信じて鍵を回せばまったくこれまでの疑問の蔵はきしみながらも開いて何もかも納得がいくのであった。つまりは帝と覇王の確執が、 フロイスがかつて右大臣家に始めて謁見した時、恐れもなくこう訊ねた。 「この国の王は二人いるのでしょうか?」 このとき、右大臣家はやや不快な顔を見せて、 「この国の王は予以外にはおらぬ」と言ったがここで彼は南蛮から見ればこの国はそのようになるのか、と気付いた。 確かに天皇はこの国が古代に於いて国体らしきものを持ってから今日に至るまで綿々と続き、傀儡だけとなったが国家の形である王とその内閣を維持しているのは確かである。これでは誤解されるのも無理はないとこの時右大臣家は思い、フロイスには、 「おのれが国でも王が民に向かって戴冠する時には教会の大司教が主催して天王から地上の王として禅譲があるであろう。実は我が国のスメラミコトも汝の国の大司教と同じくこの国の神々を祀る大神主にすぎないのじゃ。よって予が王となるにもスメラミコトを使った神の信託がいる」と説明しながらも右大臣家自身このような前時代の弊害としかいえない形式には嫌悪を感じていた。たとえば叡山や南都の僧院のように中世からの権力を嵩にきて搾取する非生産階級など、彼から見れば村人に人身御供を強要する山奥の怪物にしかみえなかったのである。これらはだから去る年にみな焼き滅ぼした。焼討ちは悪弊を完璧に清浄する意味であったがこの時代の民意はまだ急激な変革を望まず、ただ彼をして神仏を信じぬ魔王として恐れただけだった。しかし右大臣家はこの国の近代化は南蛮国を範とすべきだという信念を持っていたから改革の手を緩める気は無かった。それが次の改革である天皇家の問題なのだ。 如水がフロイスから“二人の王”の話を聞いたとき、この話はこれで終わらないな、と直感したのだが、それが安土城が築城されたときに誰もが理解した。右大臣家は城の天主閣を南蛮のカテドラルに擬し、尚も吹抜けとしてその中に神仏儒の神々や君子を祀った。さらに天主閣の側には回廊でむすんだ京の御所紫辰殿そっくりの建造物も建てた。右大臣家はここに天皇を行幸させて住まわせ、自らは天主閣の二階に居住してここを訪れた外国の謁見客に対し、すべての神々に護られた日本国の王は天皇を階下に見おろして座すればおのずとこの国の真の王者は誰なのか、見てわかるようにしたのである。さらに右大臣家は誤解を受け易い天皇の閣僚組織である公家衆を根絶やしにするつもりであった。彼らと天皇を離すことによって彼らが代々続く各地の有力者による官位取得の根回し料の恩恵が受けれなくなる。彼らが平安の昔からおのが身の為に謀議に明暮れていたのもそのためであった。これも合理主義の右大臣家には勘の触るところである。こうした裏の利権を剥奪してしまえば彼らも収入の源を断たれて後は枯れるしかない。右大臣家から見れば彼らも仏教の大聖山に安穏と座していた叡山の僧侶とその眷属らと何ら変わらない。新時代に於いて額に汗して生きんと望まぬ者は誰も安住の地への約束は反古にされるのだというのが南蛮気触れの右大臣家の思うところであった。これに対し公家衆側は何とかそうした考えを改めてもらおうとして何度も安土へ通い右大臣家に位攻めをしてみたが、自分が廃止しようとする制度に甘んじる訳もなく、すべてこれまで断ってきたが天皇を安土へ行幸さしめるための必要な官位として右大臣右大将だけは受けた。が、これも方便でその事終われば何の未練もなく捨てるつもりでいたことがこの日に公家衆もわかった。すなわち本能寺に於いて彼は公家衆を通して天皇に対しこの二つの官位を返上したのである。厳密に云えば織田氏は本能寺の変の時点では無冠であった。そう古臭い官位などすべて打ち壊して新たな制度を造る構想が右大臣家(?)にはある。その象徴が安土城であった。だから正親町天皇の使者として公家衆が訪れる度に安土城は鮮明に彼らの未来に暗雲をもたらすことを如実にしめし見上げれば息苦しくなるほどであったろう。 長い年月、天皇は遷都はもとより行幸さえも喜ばなかった。因習にこだわり千年も住着いた古都を捨てれば大きな災いに遭遇すると彼らは代々信じてきたからである。行幸は不吉なのである。それがこの度のものはもっとはっきりと形になって、たとえどれほど安土が綺羅びやかな新興都市であってもそこに行けば幽閉されるようなものであることは正親町天皇にも感じるのだ。まして側近の公家衆の大半を失っては何の帝か、まるで羽をもがれた鳥にも等しいではないか。その打ちし枯れた身なりを想像するだけで悪寒が走るのである。まま幽閉は大袈裟だとしても天皇家のたとえ傀儡の組織であってもそれが解体されてしまえば帝はただの宮司どころか禰宣同然であった。捨てられる公家衆はもっと深刻であろうか、彼らは喰う術もなく、ただ後は加茂川に身を投げるしかないことだろうと思えばまさに一国の滅びる様に似ていると天皇は思った。そう国体を失えばここはもう日本国ではない。まこと恐るべきことに右大臣家は何もかも根底からひっくり返してこの国を変えようとしているのだった。 やがて右大臣家は筑前の要請により毛利攻めのため安土を発ち途中京に現れ、宿舎本能寺に主だった公家衆を集めるとその先触れの実行におよんだ。まず前記にあるごとく無冠の王を宣言して形式の主従関係を精算したのである。これがまさに朝廷への離縁であり、事実上の宣戦布告であり最後通牒であった。それから手始めに彼らの大きな収入源である暦の製作権利をはく奪することを決定したのである。この時代、暦は単に一年の日割りを決めるものではない。農耕民族の年中行事を左右する政治的にも大きな意味合いのものであった。右大臣家はあるいは南蛮文化に合わせる暦を自ら製作する意図もあったかもしれない。どちらにせよ彼らはこれを取り上げられては生活が成り立たないのは決定的であった。すべてはこの後に右大臣家が中国地方を制覇して戻る時、十万の大軍を京都に引き連れてその圧倒的武力を背景に行使されることが彼ら呼びつけて本能寺で宣言したのである。天皇にも公家衆にも最早一刻の猶予もなかった。彼らは容赦もなく巨大な権力によって追詰められた。もう彼らが生残る手段は一つしかない。こうして崖っぷちに立たされ切羽詰まった中でやれることは他にない。恐れ臆していたかねてよりあった覇王の暗殺計画はこうして本気で浮上した。時間は無い。彼らは血眼になって実行の候補者を選び説得させた。時は図らずも暗殺者に幸運をもたらし、緊迫した状況下であのたった一日だけの機会の中で行われたのである。わずか数秒の思考の中で如水はそう結論付けた。“そういうことだったのか”すべて読めた。彼はその総見院にとって不運な一日を語り始めた宝珠庵の顔を改めてじっと見詰めながらさらに往時を忍んだのある。 その日その頃。天正十年六月二日未明。 宝珠庵は薦められるままに本能寺の奥のさほど身分の高く無い者らの宿泊する部屋でうつらうつらと寝ているのか起きているのかわからない狭間でぼんやりと布団の中で落着きがなかった。自分が運命の悪戯によって見つけた砂の一粒の手掛かりがやがて大岩のような災いになって身に降り掛かるようでまんじりとしないのである。 寝ているのか寝ていないのかどうともつかない彷徨う中で宝珠庵はもう夜も明ける頃だろうかと思う頃、何とも重苦しい空気に圧せられるようでもがくようにしてはっきりと目を開けた。 外ではすでに音も無く京の街に侵入してきた明智軍がこの本能寺を幾重にも取囲み、押出す寸前であった。彼ら二万の兵の必殺の思いは凄まじくて、血走った眼を剥いてぎらつく刀槍を翳しながら歩き廻る極悪謀反も恐れぬ露な姿は誰も人の顔をしておらず、まるで百年前からこの京に蔓延る鬼どもが今現在ついに形を見せてなお夜行しているかのようであった。まさに寺を囲む強わ者共は例えて言うもおぞましく、その熱気を帯びた生臭い人気は水無月の湿った京の蒸すような夜風に溶込んで無気味な匂いを吐き散らしながら蠢く大蛇のように気味悪くぬるぬると獲物を求めてとぐろを巻きながら赤い二本の細い舌をちょろりょろと出しては丸い妖しい眼から残忍な光を放っていたのである。この妖気がすべての空気を圧縮して異常な歴史の裂目に噴出し、新たな時代を作ろうとするその寸前、濃厚で異常なそれは本能寺そのものを押し潰すかのように陽炎のごとく揺れてやがてすべてを呑込む津波のように遠く海鳴りを響かせながらついに天地をひっくり返すがごとく迫ってきたのだった。 織田方は誰もが油断していた。 この京周辺に彼らの敵が存在することなど有り得なかったからである。門を警護するものはおらず、最初に異変に気付いた者は宿直の侍だったが、それはすでに明智勢の先駆けが塀を乗越えて境内に侵入した後だったのである。 間もおかず門は破られた。先を争うように軍勢がなだれ込むと寺を取囲む兵達も一斉に鬨の声を張り上げた。途方もない殺意がうねりをあげて本能寺に押し寄せたと言っていい。これには、まるで大きな地震が起きたかのように寺に住していたものらは襖を震わす振動に驚いて誰もが飛び跳ねるように起きたのである。 こうして人殺しが始まった。 「怒鳴る声、悲鳴、鎗の石突で雨戸を破る音、鉄砲も次々と鳴りました。まことに物怪の足音も無き静かなる京の夜は突然喧騒として、有りえべかざる事が起きたとうちも感じ、寝床よりはや起き上がると着物を羽織るもそこそこに急ぎ上様を探しました」と宝珠庵は語った。 二万の軍勢に対し千にも満たない味方では戦にもならず呑込まれるように撲殺れたと言っていいだろう。宝珠庵が起き上がったときにはもう騒然として敵味方の入り組む混乱状態が目前に迫っていたのだった。彼は訳もわからず騒音と硝煙の立ち込める廊下とは反対の奥へ奥へと走った。己の心臓はもうすでに頭のてっぺんで脈打ち走っているのか転んでいるのか分らない状態だった。周りでは、宛もなく右往左往する人々がぶつかり合っても誰も誰かを助けようなどとは考えずただ己の命の安泰を求めて駆けずり回っても何処にもそんなものはないのだった。だから、 「上様は何処か?」と行き会う相手の襟首を掴んで怒鳴っても誰も答えるものはいなかった。 が、そうこうしている内に幸いにも廊下で黒人の小姓弥助に会ったのである。宝珠庵は手真似で上様は何処かと訊ねたら、彼は盛んに奥の部屋を示し、 「ハラきりハラきり」と闇に余りにも目立つ大きな目玉をひんむいて叫びながら「おい松井様、わし、ここ、死ぬか」とため口まじりにいきなりすがって来たので宝珠庵はやや落着き、 「今夜の敵は多すぎる。だから身に寸鉄も帯びてはいかん。その脇差も捨てよ」と言って弥助の腰の小刀を鞘ごととって捨てた。それがやけに大きな音をたてて板敷きの廊下に転がって行くのを弥助はぼんやり見ているので「しっかりせんか」と宝珠庵は怒鳴りつけ「お前なら武器さえなければきっと見逃してもらえるのじゃ」と説明すると理解したのか彼は大きく頭を下げて後ふらつきながら何処かへ行ってしまった。 ああ、あいつもはるばる異国から来てとんだ災難だ、と宝珠庵は我身も忘れて弥助を気の毒に思ったが気が付けばそれどころでない。それよりも上様なのだ。弥助の言葉を聞くと、危機が目の前に迫り時もなければ最早手後れであったかと宝珠庵はまこと残念であったと心の隅で思いながらそれでも諦め切れない気持ちで足も宙に浮いているかのようにふらつきながらやっと目指す部屋の前に来た。そこには小姓頭の蘭丸が松明を持って襖の前で端座していた。あるいはというわずかな希望がそのとき宝珠庵に湧いた。 「上様はまだ御無事でしょうか、」と乾く喉を絞って宝珠庵が訊ねたら蘭丸は黙って頷いた。何とそれは、とほっとする間も惜しんで彼は「早まってはなりませぬ。他に逃れる道もありますれば、」さらに続けて叫けんだ。 それが中の右大臣家にも聞こえたらしい。 「木魚か、入れ」という声が聞こえてきた。 木魚とは宝珠庵の頭の形を云う。彼の頭は異形で後頭部が引っ張られたように高く平らなのである。産まれ落ちるとき産婆が狭い産道で引っ掛かっている赤子を無理に引き出したせいでそのような形になったと思われる。右大臣家は渾名を付ける名人であった。彼の頭が僧侶の使う木魚そっくりなので思い付くまま渾名としたのである。宝珠庵という雅号も頭の形から名乗ったもので、彼はその大きく髪も引いてしまっている坊主頭を如水に向けながら、 「と、言いますので、うちも中へ入りまして時もなきゆえ急ぎ説明いたしました」と語っている。 「ほう」如水は宝珠庵の説明の生々しさに当時の緊迫した本能寺の中を思い浮かべて、己も味わった殺戮の場を振り返って感じ入るばかりであった。「何を説明したのかえ?」と彼はまた静かに言う。 「こうもなることあらんとて初めから思いましてうちはあの日上様にお目通り願ったのでござりまする」 「さても?」 「うちは懐よりギヤマンの小瓶を取り出し、上様に言いました」 右大臣家は青白い顔で白い寝巻き姿のまま手には刺刀を握って端座していた。 「これは南蛮渡来の秘薬にて、呑めばたちまち二十は歳が老けてしまいまする。もとより敵を貶めようとする毒薬なれば命の保証も出来ませぬ。また元の姿に戻る薬もありませぬ。しかし万事は急すでござりますればお試しなさるかおハラを召されるかもはや時はありませぬ」右大臣家はその話を聞くと刺刀をいきなり畳にブスリと刺してから小瓶を受け取った。が何も言わずそれを見詰めているばかりだった。 「もし老人に変身できれば、出入りの商ん人にでも化け敵を誤魔化して逃げる道これあり、いかがなされまするか」宝珠庵は段々と外の喧騒が凄まじく背中に聞こえて来て気が気でなかった。 「これを飲めば予が誰かわからなくなるのか?」 「御意」 「それで生延びてどうなる?」 「先のことなどわかりませぬ。しかし漢の高祖は何度項羽に追われても決して諦めませんでした。ある時は逃走の馬車からわが子を突き落としても逃げたと申すではありませぬか。王者は生きていてこそ王、死んではただの人なり。また王の命は王一人のものに有らず、百万の民の命も左右するものにて候。だからどんな困難も耐えに耐えて命を長らえるのが王の肝心の勤めと申しまする」と宝珠庵はすがるように泪を流しながら哀訴した。 「小賢しいことを、」と言いながらも右大臣家は瓶から目を離さなかった。 「上様は不死身の王であられまする。この難事、振返ればさほどの事に有らず。ささ、今一度ご決断を」 乱世の覇王は常に大事を懐に入れて生きなければならない。が、もはや迷っている猶予などないのだ。宝珠庵は右大臣家がどう判断するのか、もう説得の言葉も尽きてあとは息を止めて見詰めるばかりだった。 いま部屋の向こうではたった一人の男を護るためかあるいは殺すためかに別れた死闘が繰り広げられいるに違いない。その敵を怒鳴る声ばかりか荒々しい息遣いまでもが聞くまいと努力すればするほど宝珠庵の耳に聞こえて来る。鋭い鉄と鉄のぶつかり合う音に混じって血飛沫の音さえ間近でうなり、もうあと一呼吸もすればそこの襖を蹴破って武者どもが飛び込んで来そうなのだ。 何とも恐ろし何とも恐ろし、宝珠庵は目をつぶりただひたすら“南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏”と腹の中で念仏を唱えているのだが、座る膝元が宙に浮いているようで尾てい骨の辺りにむずむずと不安が集中して来て何とも一刻も早くこの場から右大臣家などほっといて逃げたい気持ちでもう我慢の限界であった。 「腹切っても毒で死んでも同じなれば、糸ほどの生きる道あれば君子はこれを選ばむ。まずもってここで朽ちるは口惜し、」と彼はつぶやくように言った。 「その通りでございます」 「是非も為し」と叫ぶように言うと右大臣家は立上がり「蘭丸よ、火を放て」と廊下に控える者に命じた。 「かしこまって候」と障子の向こうから蘭丸の押殺した悲痛な返事があった。 たちまち障子が真っ赤になりだし、めらめら炎が駆け巡り煙りが立ち込めた。と、まだ周囲に火を着けるのか森蘭丸の駆出す足音がどんどん遠のいて行くのが宝珠庵にもわかった。 「人間五十年とは、よく云うたものよ、」二ヤリと不敵な笑みを浮かべてそう言いながら右大臣家は宝珠庵を見詰め、一気に瓶の薬をあおった。 「あっ、」 「不味い、のう」と言うなり右大臣家は小瓶を炎に向けて投付け、そのままばったりと倒れて畳の上で苦しそうにのたうちもがきだした。 「上様っ」宝珠庵は叫びながら駆け寄ったが、そのとき右大臣家はがあっと吐いた。 さらに掻きむしる胸ばかりとわいわず全身から寝巻きもビショ濡れになるくらいの汗を噴出していたのである。そうこうするうちついに煙りがこの部屋にも霞のように立ち込め、炎はめらめらと音を立てて天井をヤモリの群れのように這い出した。「早すぎる。飲むのが早すぎまする」宝珠庵は泣き出しそうな声で叫ぶと意識の無くなりそうな右大臣家の両腕を引きずってまだ炎のこない隣の部屋へ逃げようとした。 古い寺ほど、といっても再建されて四十年に満たないのだが、火の回りが早い。部材がよく乾燥しているからなのだ。しかし京の各寺院は首都にあって内乱が絶えないせいかよく燃える。例外はほぼない。本能寺は特にそうだ、と云ってしまえば気の毒なのだが、なにせ能の字にヒが二つも入っているからと思う人も後世にはいたらしい。ついに能の右半分のヒを消して去るに替えてしまった、ということもあったのである。 燃える本能寺。 まるで首を切られた鶏が部屋の中をたうつように血は、火炎は飛び散りついには音を立てて風を呼び、宝珠庵と、彼が助けようとする右大臣家に襲い掛かろうとしていた。熱風はごうとしてあばれまわり、襖の豪華な絵など惜し気も無く呑込んで跡形も残さず次々と喰い潰す。周りの景色が熱で大きく歪んだと思うときしみ出して、やがて轟音と共に天井が落ちれば彼らの叫びなど何処にも届かなかった。 「それからは夢中でどうなったかよう覚えておらぬのです」宝珠庵はやや溜息まじりに如水を見て「上様はやがて苦しみから解かれたのか、もうろうとしていました。お顔を見ると頭はすでに白くなり汗がすっかりお肉を削いだのかお身体もお顔も痩せて皺だらけでした。うちはそれでもこのままではまずいと思い絹の豪奢ば濡れた寝巻きを剥がして捨て、髷もほどいて茶筅に商ん人らしく結い直しました。それから下帯ひとつの上様を抱えて小者らのいる部屋へ逃げ込み誰かに町人の着物を譲り受けて着替えさせ、戦の終わるのを待って隠れていたのでござりまする」とここまで語った。 「ううむ」と如水はここまで聞くとさすがに信じられぬ顔で驚きながら、さてもしてはと唸ってしまった。 これはとんでもないことを聞いてしまった。なんということか、くそっ 「やがて周りが落着いたらしく敵に見つけられたうちらは境内に押し出され、ひとりひとり面通しのうえ解き放されたのでござりまするが、出口の処に惟任様の家老内蔵助様がおられましてうちを見るなり鎗を差し伸べて足留めし“何と宝珠庵ではないか、”と驚いたように見まして“おぬしも居たのか”と訊ねましたので“上様が連歌を催すと言いなされまして、夕べより詰めておりました”と仕方なく嘘を言いますれば、すると内蔵助様は“さきほど虚白軒殿が千文字を携えて通りて昨日は茶会であったと言うとったがのう”と疑うのでこれにはひやりとなさりましたな」 「嘘は難しい」と如水は笑いながら「特に斉藤内蔵助は知恵者じゃからのう。ま、今ここに無事にいるということはそれでも巧く誤魔化せたということか」と言った。 「うちは確かに巧くいったのでござりまするが、問題は上様でござりました」 「ん、何とした?」 「それが何ともいやはや、内蔵助様が上様を見詰め、“老人、名は何と申すか?”と訊ねなされたところ上様はこともあろうに“陪者が何をほざくか”といつもの癇気を起こされまして、それでも呟くようにおっしゃったものですから内蔵助様も“今、何と言うた?”と再度問い質され、お顔も一寸ほど近付きて“己は誰ぞに似ておるのう。ん?もしや織田家の所縁の者か”と、もううちは身体の血が全部足指に下がる思いでした」 「まずいなあそれは、また上様に於いては一瞬にして天下人からいきなり民の老夫になれというのも思えば無理な話よのう」 「まったく左様で。貴人というものは品格までは隠せないものなのでしょうな」 「うむ。して?」 「内蔵助様は“怪しき奴め、ちとこっちへ来い”などと言いまして、鎗の石突で上様を小突くようにしたのです。家来衆も聞き付けてどっと集まったものですから、うちは咄嗟に“この者は同郷大和の商ん人にてまたうちの連歌の仲間でもあり怪しいものではありませぬ”と言いました。すると内蔵助様は、“ほう、名は?”とさらに詰問なさるので常日頃から頭をかすめる万葉集からとって“小野菜楽斉と申します”と適当に答えましたら“さても何処かで聞いたような”と内蔵助様はお笑いなられてすぐにも“青丹よし寧楽の京師は、かえ”と詠みなされたのでうちは冷水を浴びたようにどきりとしました。“まま号はそうなりましょうや”とかろうじて答えて上様を見ましたところ、上様はなぜかへらへらと笑っておりました。“まあよい。怪しくなければ調べて後解き放されるであろう”とまたも内蔵助様はおっしゃり飽くまでも慎重でした」 「上様のご遺体がまだ見つかっていない以上、あのご仁なら抜かりはないて、」 「確かにそうなのです。まったく知恵者は難しゅうござる」と言いながら如水を上目に見た「もう、うちもこれで観念してしまいまして候。それでも泣きそうな顔で上様を見ましたら“宝珠庵殿、えろう心配をかけましたな。わしはもう大丈夫だから”と言ってこの芝居に乗りまして頬笑んでくれたのでございます。それでうちも負けず“あんたはんは田舎者やさかい、言葉に気いつけなされ。安んじょう斉藤様の云うこと聞いて正直に答えなされば無事返してもらえまするからの”とやっとの思いで言いました。上様はそいで、うんうんと頷かれて、ほんに優しい目で、うちに感謝しているぞと言いたげでした。それから内蔵助さまの家来に囲まれて連れて行かれ、あとは焼け残った納戸に押し込められてしまったのでござります。うちはまだまだ上様をかばって言い訳すれば良かったのでしょうが、なにせ殺気だったお侍ばかりでとうとう恐くなりましてもう“行って良し”と内蔵助様に言われるままに逃げ帰りました。どうにも後腐れの悪い心持ちでしたな。家に返りましても悶々として眠れずぼんやりしている間に世の中はあれよあれよというまに変わられまして驚くばかりでござりまする。後日山崎でのご合戦で太閤殿下が見事に勝ちましたので、これ幸いなり。さればと逸る気持ちもそこそこにそれで本能寺の納戸へ駆け付けて見ました。が、もう誰もおらず、また老夫となりし上様の御遺体も側には有りませなんだので、そこいらのお寺も周り、このような風体の老人を葬らなかったかと訊ねてもそれらしい人はどうも殺されておらず、これなれば上様もきっと御無事であられると思いました。そしてついに殿下の軍勢が都に入りましたので、上様もきっとお訪ねになるだろうと信じ、さもあればやがて噂も聞こえてこようと、ただ心待ちにしていたのですが、どうもなんとも一向に話は聞こえてきませぬ。ならばやはり上様は何処ぞでお亡くなりになられたのだろうかと思い、ついにはその話も私めも忘れ、なんともこれは人に話せるものにあらずと思ったのです」と宝珠庵はその団子鼻を指で擦り、大きな目を伏せて厚い唇をふうっと溜息を付くように閉じた。 「ほう、なぜ人に話せぬと思ったのじゃ」如水はそう言いながら尚も鋭い目付きで宝珠庵の太い眉毛の下を見ていた。 「あの秘薬は毒にも似て候。もしや内蔵助様に上様の正体を見破られなくとも、毒の作用がまた出て、もっと醜くなって死んだのなら、他人もうちが後から当時の上様の姿見を言って尋ねても当然わからず、これではうちが上様を殺したも同然で、殿下や他の織田家の皆様にこの仕儀知れたらどんなお仕置きに合うかと思えば恐ろしうて、しばらくは寝付きも悪うございましたな。そのあとも、あの納屋へ連れて行かれたとき、何ぞ敵に対しもっと気の効いた言い訳をして上様を庇わなかったのが、あとあと悔やまれて己の勇気の無さがはずかしくもあり、だからもうこのことは封印して決して誰にも語るまいとも思ったのでござりまする」 「ふむ、まことにそれもおぬしの災難よのう」 「まったくあの後、上様はどうなされたのでしょうな?内蔵助様も山崎合戦の翌日捕らえられて打首となりました。だからもう誰も上様のことを知る者はおりませぬ」と宝珠庵の嘆く姿を見れば、如水も目の前の男がその後の上様のことを知っているのだとも言ってやりたいけれども、まさかの冗談にもならぬ話であって、 「まこと不思議な話でなんとも信じがたい」と惚けるしかないのである。 「やはりそう思いまするか」 「いやいや、おぬしの話を信ぜぬと言うのでは無い。あまりにも不思議で中々心に入れ難いのじゃあ」 「それはそうでありまするな。ゆえにうちは誰も信ぜぬ話と先におことわりの言葉を入れたのでありまする」 「ああ、わかった、もう信じよう。が、上様はなんぞ内蔵助の手から逃れてもあの時は都も不穏であった。もし無事に逃げおおせても身なりもよければその後盗賊に会おうてもおかしくはなし、ま、人知れず殺され密か埋められても不思議は無いほど当時の都は治安も悪かった。まもなく筑前率いる織田家の軍勢が入って、これでやっと都も落ち着いたさかいのう」と如水はしらじらしくもそのように言うしかなかった。 「そうであれば、うちのしたことは徒労でありましたか。むしろ上様に苦痛と不名誉を与えてしまったのかも知れませぬな」 「上様は本能寺でお亡くなりなされた。それでいいではないか。宝珠庵がいくら後悔しても時を逆しまには戻せぬしのう」 あの老人を殺害したことは、今でも如水は悪いことをしたとは思っておらず、生半に生き延びようとした上様のほうが間違っているのだと何度も繰り返し自分の心に刻み込んだ。英雄は英雄らしく死んでこそ英雄なのだ。自分ならきっと潔く死んだに違い無い。そうとも。しかも、第一、あのとき殺せと命じたのは太閤なのだから。そうさ、何と云ってもあいつが一番悪いのだ。太閤が一番の悪さ、帝でも惟任でも俺でもない。あいつなのだ。 如水はまるで茶の子も食べないでお茶を飲んだような苦い思いでたまらず茶室の外を見た。宝珠庵も連れてそちらを見ると、開け放された戸外の向こうで先ほどの四五人の小姓たちが相撲をとって遊んでいた。田舎の城勤めは暢気なものなのか、と彼はつい微笑んでしまった。こうしたことも如水の人材教育のひとつのやり方なのかもしれないと思っていたら、 「ようもこのクソ暑い中、相撲などとるものだ」と呆れたように如水が言うものだから、 「いやいやこれも如水軒様のお教えかと思いましたぞ。さすが御家の侍衆が世に聞こえたつわものなるはこうして休まぬ鍛錬から来ているのですな。京に戻ればいい土産話しになりますると思うたのですが、違いまするか」と宝珠庵は皮肉を込めて言った。 「アホくさ。第一、小姓の仕事はじっと控えて待つもの。あやつらは仕事を放り投げて遊んでいるのじゃ。これでは先が思いやられる」と言いながらも如水は笑っていた。 「子供は疲れを知らぬというか、まあまあよう動きまするな。これじゃあおべべも汚れましょうに」 子供たちはもろ肩脱いで着物など腰に縛ってある程度なのだがそれでも芝生に投げられれば汚れるだろうと宝珠庵は思うけれど、子供などいつの時代でも服の汚れなど気にするものはいない。 「べべなど、ありゃ、どうもいかん。あの子は同じ技で二度も投げられておるわ」そう言うと如水は子供らに向って「こらあ万助、同じ手に二度もかかるなっ」と叫んだ。 殿様に指摘された子はさすがに驚き緊張してこちらを振り返りさっと一礼してからまた投げられた子に挑んだがやはり同じ腰投げにやられてしまった。子供たちはどっと囃したが万助はよほど悔しいのか芝生に伏したまま中々起きようとしなかった。「あかん、」如水はおでこをぺたりと叩いてそれから照れくさそうに宝珠庵を見てまた笑った。 「あの子は中々起きませぬな。おやおや子供らがみな寄って来て慰めているというのにすっかりすねてしまったらしい」 如水もただニコニコ笑って見ているだけでもう子供らには何も言わなかった。あとは、子供は子供らで考えて何とかすればいい。彼はよほどのことがない限り、子供らにうるさく言う事はなかった。そして出来るだけ躾けよりも自由に遊ばせることを奨励させていたのである。そこが黒田家は他の武家と違っていた。生涯を軍師として過ごした如水は柔軟な知恵は自由な環境から育つと信じていたのだ。自分も幼少の頃、そうしたことを遊びの中で発想し考え覚えたと今も信じている。 やはり怒りもせずに子供たちに力比べを自由にさせているのはそこに如水の深慮があるに違いないと宝珠庵は納得した。そう思うと、 「それがどうも、うちも失敗を繰り返しましてな」とまた話しを続けたいのか、彼は真顔になると如水に向ってそう言い出した「二度あることは三度あると申しましょうか」とまあ、宝珠庵は何を思ったのか違うことを言い始めたのである。 「ほう、それが先ほどから匂わせている事、何にやら居士の切腹と関係あったというのでござるな」如水も今までの頭を、本能寺の話しをいっさい切替えるようにそう言った。 「さすがに如水軒様は先読みが巧みにてござりまするな」宝珠庵は驚きもせず、こうした男と話す楽しさを味わっていた「そうなのでございます。私めも何年も忘れていた事、いえいえ思い出しても決して人には話すまいと誓った事でしたのに、それがあんな事でうっかり漏らしてしまいました。それも一番話してはいけないお方にでした」 「それでは話が見えぬて」と言いながら如水は横目でちらりと子供らの方を見た。 子供らはまだそのままで万助は泣いているらしい。 「おおい誰ぞ、お茶をもて、」と如水はいきなり子供らに向って怒鳴った。 するとすねていた万助がぴょんと跳ね起きるなりさきほど外へ出した風炉の方へ向って駆けて行った。他の子供らも慌てるように彼のあとを追った。やがて万助は諸肌のままよそよそしく茶を如水の前に差し出した。次の小姓も同じものを宝珠庵に差し出したのを見てから如水は、 「万助、裸で客の前へ出るは失礼であろう」と苦い顔で言った。万助ははっとして肩をほそめ、またも泣きそうな顔をしたので彼はすかさず「さても駆けっこは万助が一番であったな」と変化するように笑って言った。それから宝珠庵に向い「この子は太ひょうえの甥っこなのじゃ」と紹介したのである。 万助はパッと顔を赤らめた。 「ほう、それはそれは、」宝珠庵は嬉しそうに笑いながら懐から袋を出し中から小粒をとって「これであとから何かみなで買って食べなされ。万助殿一番槍のご褒美ですぞ」と褒めるようにして彼の小さな手に渡した。 万助は困ったように如水の方を見たのだが、如水が頷くと満面喜んで宝珠庵に黙礼するなりいさんで出て行った。 外に出た小姓らはまた元気を取り戻した。それにしてもこんな子供にも手を抜かない如水に宝珠庵は感心するばかりであった。 「たあいもない」子供たちがわっと万助に絡み付いて何か奢ってもらおうとしているのだろう。その後ろ姿を見ながら如水は「さっきの泣いた雀は何処へ飛んで行ったやら、」と笑った。「さてもさても何を話していたやら忘れてしもうた」苦笑しながら如水は宝珠庵を見た。 「何ぞ利休居士のことでござったなあ。またも摩訶不思議な話しであったか、」 「いえいえ摩訶不思議ではありませぬ。ただこれも長い間秘して黙して誰にも語らなかったことでござりまする。それがどうもうちも年で気が緩んでしもうたのか、はたまた掛かり合った人々も皆お亡くなりなってもう誰にも気兼ねも無しと思うてしもうたのか、どうにも決して語らず地獄までも持って行こうと当時は堅く誓うていたのにどうしたものか、如水軒様ならかまうものかと思うてしもうたのですな」 「いやいや宝珠庵よ、わしもおぬしも出家隠居の身なればすでに方外の者なり。さすれば此処は地獄も極楽も変わらず。なら忌憚なく語るべし」 「それも方便でするな」 「そうじゃよ。ささ、早う語れ、」 「まあまあ今話しますれば、」と言いながらも宝珠庵はそばのお茶を取って今度はろくに碗など見もしないでぐっと呑んだ。が、この碗の肌触りの良さに感心し、やはりこれも名物かもしれないと想像しながら「あれはいつの日でしたかな。うちは利休様の茶室に呼ばれましたと思いなされ」と語りながらも不安であった。
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