題名:under the sky
作:勝野(かつの) 森(しん)
一
「どう思うか?」と、筑前はどういう訳か小袖の裾を端折って帯びに差し込み泥棒みたいな格好で、さきほどから庭の柴の垣根をわずかにこじ開けて向こうの、門の中すぐ脇にある番所のほうを覗いていたのだがどうにも思案にくれてそう言った。 「のう、のう、どう思うか?」どうにもせっかちな筑前は前問との間もおかずにまた同じことを言った。 さっきは声が小さくて聞こえなかったのかな?筑前は隣で己と同じような柴垣に屈む官兵衛のほうへちらりと向きなおり、ふん、と小さく鼻を鳴らして憎憎しげに彼をみた。 官兵衛はその言葉が聞こえなかったかのように無視した。ただ筑前同様、黙ったまま垣根の隙間から目だけを出して思慮深けに、向こうにいるひとりの、着ている物は汚れてはいるが品のいい老人を、一点の見落としもないように喰い入るように見つめていた。 柴垣は宿所の離れの部屋を囲むように植えられている。 日本家屋の面白さは十分でない敷地に大屋敷を建てているような錯覚を訪問する者に与える様に工夫されていることだ。仕掛けは簡単で、入口から入ると各部屋脇の廊下をぐるっと歩かされる。客には随分と奥へ案内されたように思わせながらも実は廊下が屋敷を一巡して遠回りにまた入口近くの部屋に続いているだけにすぎないのである。直線では隣の部屋になるのに直には主のところへは案内させずかえって狭い敷地の外郭をいちいち歩かせることによって広い敷地に屋敷はあると客を錯覚させる。こうすることによって狭い敷地でも大屋敷の威厳を保つことができるのだ。この様式は京都などの土地のないところで発展し、いま羽柴軍らが駐留する京都郊外でもその様式は変わらない。だから二人は奥座敷にいながら庭に出て垣根越に入口の訪問客を覗いているのであった。 さて二人の目の先では、屋敷の入口に短い槍を持って立っている具足を着けた門衛の小者に連れられて番所まで入って来ている老いた商人風の男が、責任者の小頭へ堂々と恐れもなくはげしく噛み付いていた。老商人は上背もあり、無理に伸ばした姿勢に威厳もただよってか、小頭風情ではどちらが町人でどちらが武士か見分けがつかないほどである。それで侍者が我らに報告して密かに品定めをしてほしいと願ったのか、と二人は老人を見て納得していた。 官兵衛はぴくりとも動かなかった。 その姿は大和絵の武者が敵を山中から望むように馬手を翳し、片膝も折って前に邪魔な太刀をぐっと後ろに引き回して弓手に握れば、思慮深く落着いてきっと一文字に結ぶ口も美しく如何にも策士の風情があった。が、今の筑前には元より見慣れた仕草ではあってもこうして天下をほぼ手中に収めつつある今の時期から見ればこの官兵衛の態度こそ高慢で知恵をひけらかす奴に見えて鼻持ちならないのである。 「かんひょうえっ、われあ聞いておるのか、わしはあれをどうおもうのかとおまさんに問うておるのじゃ、さっさと答えぬか」と筑前は己の声が外に漏れることを怖れて押し殺しながらも語気を強め、苛立つように言った。 こういう無視する態度が一番頭にくるのだ。まったくいまいましい、オレを何とするか、というところで何とか筑前は気分を抑えたがそれはこの男の性格で根に持つほどではない。しかし言われた者はそんなことは思わないだろう。何も無駄に敵をつくることもないのだが、確かにこの時期の筑前には驕りが徐々に表面に現れ出した。 と、わかっていても官兵衛にはここ数日の凄まじい時代の変換に、いちいちこれまで培ってきた己の生き様を変えてたまるかと言う意地もある。日替わりで替わる権力者に顔色を見ながら子犬のように媚びる気は官兵衛には端っからないのだ。誰が天下を取ろうと俺は誰憚ることない天下の軍師だという自負が若い頃から彼にはある。そのうぬぼれが伊丹で己の命を危うくしたがそれでもそのことを今でも後悔などしていない。 だから手に入れてもいない天下人になったと呆けているちんけな小者の耳障りな言い回しに、けっ、と唾を吐く思いが胸倉に湧いて来て、なにを言いやがると官兵衛は間もなく出世すること間違いない筑前の今の言葉使いがわかっていても腹がたった。 理屈を言えばである。 わしと筑前の立場は何か、上様が生きていた時代までは確かに成り行き上彼に使えていたとはいえ、元々わしは上様から寄騎として応援のため毛利討伐の羽柴軍に参加したにすぎない。だから上様の前では、ふたりは直臣であり同格なのである。それがこの前、山崎で上様の仇の日向守を討った途端に、この男は豹変したように、もう自分が天下を取ったような気分でいる。如何に主君のあだ討ちの功労者であっても織田家の中では筑前の地位は譜代の柴田や丹羽より格下なのだ。それを弁えて天下取りに挑むならまだしもこの男はすでに短い期間とはいえ先の天下人日向守を倒した自分がそのまま次代の天下人の座に坐れると勘違いでもしているようなのだ。織田家の家法を無視することは到底できないのにこいつは何を考えているのやら。こうして、この痴れ者めがと官兵衛は腹を立てるのだ。振り返っても山崎の合戦とて、自分が率先して姫路城を筑前に提供しなければこうも早く謀反征討軍を京へ昇らすことは出来なかったはず。また各地にいる武将への広報宣伝を進言しなければ、いやいや何もかもが、わしが協力しなければ、ああも易々と日向守を倒せはしなかったのだ。この先だとて同じこと。このような時期にもう有頂天になっているようでは豪傑のひしめく今の織田家をまとめることも覚束ないだろう。周りをよく見よ、羽柴軍だけで天下を取れると思っているのか莫迦たれが。これからが慎重に動かなければならないのに、そのためにはオヌシにはまだワシが必要なのだ。そんなこともわからでか、この恩知らずの尾張の田舎猿が、言うこと欠いて何を血迷うたか「さっさと答えよ」だと、応さ、答えてやろうではないか、 「違いまするな」と官兵衛は筑前の顔も見ずに語気も荒れて素っ気無く言った。 「そうじゃろうか?」今度は筑前が官兵衛の顔色をうかがって、彼は素早く相手の表情を読み取る才能の持ち主だけに、何をこの播州の瘡頭は素っ気ないのかと、意味もわからず、それでも気遣うように自信なさそうにつぶやくのみだった。 「確かに声は上様の声に似てますな。しかれど物真似なれば傀儡師には雑作もないことでござれば、あれが上様とはどうして言えましょうや、第一、あまりにも歳が違いまするぞ」と官兵衛はいま見ている観察とここしばらくの世情のあれこれまとめてもそう答えるしかない。 「ふむ」と筑前は己の顔をひねりつ、「確かに歳は違う。しかとしてどうも違うなどと簡単に言い切れない何かがあの爺っさにはある気がするのだが、そうは見えぬかの?」とまたひねり顔で問えば、 「さても気になさることとは、あの爺やの品格でござるか?」と官兵衛も答えた。 「応さ、どうもただの爺っさではあるまいて。ああも雑兵どもも脅えておりゃあ肝がちぎゃあせんかの」 「さても上様にあと二十も歳を足せば、あのようなお顔立ちになりまするか」 「かもなあ。ううむ、やはりわからぬ。それでおまさんに訊いておるのじゃ」 官兵衛はあきれたように筑前を見た。 たまには独りで物事を考えたらどうなのかとここで言ってやりたい気分となった。が、それを抑える理性はまだ残っている。ただこの人はどうもこうも、いつでもひとの意見を取り入れてはそれをあたかも自分が思い付いたように後で他人に話すから嫌なのだ。これまでもこの男のずる賢さに辟易して、まぁ、そう思うのであるが、官兵衛にしても知恵を無用に誇示するという悪癖があるので、こうと分かっていながらその癖を利用されてつい筑前に巧く乗せられてしまうのでもある。どうにも本当の知恵くらべでは筑前のほうが一枚上手であった。故に今日の位置に二人はいるのかもしれない。 この二人、仲が悪いようで良く、また仲が良いようで悪いので、まあ世間ではこういうのを馬が合うというのかもしれない。が、仲良しこよしも実はここまでかもしれないといえる。と云うのもこの些細な事があってからふたりは互いを牽制するようになった。共にひとつの夢を追いかけてきた青春時代は今おわろうとしている。そう、野望と冒険に満ちた二人の人生は間もなく頂点を極めようとしていた。手を携え苦楽を同じくしてきたこれまでは、何をやっても機略縦横の痛快なことばかりだったが、これより後は権謀術数、策略と陰謀に満ちた後半生に二人は入っていく。その手始めがこのささやかな事件であったろう。織田家の一武将であった時代と違い、いま二人の前には途方もなく大きな権力の富、天下という世界が見えてきたのだ。野望の最高峰に立とうとするとき、最早友情だの仲間だのという楽しくも甘い考えは受け入れられない。食物連鎖の頂点に立つ者は過酷な弱肉強食の規定を守らなければならない。舞台は大きくなりすぎたのだ。二人は分岐点に立ちこれより先は袂を分かち、それぞれがそれぞれの人生を構築してゆくしかないのである。それは方や傲慢で華麗な人生、方や地味で深慮遠謀の人生であった。合いあわぬ人生を互いに選んだことは、この大舞台となった現実社会で、やがて何処かでぶつかるのかもしれない。 「まず殿よ、」と、いつもながらこれだけは使いたくない敬語で話し出しながら官兵衛は柴垣の穴をもとに戻した。それから筑前を見てそばへ寄った。ついで彼の袖を引くと部屋へ戻るよう促して自らも歩きながら会話を続けた。「ようく頭を冷やされて考えなされ、上様は本能寺で一万三千の惟任様の軍に取り囲まれたのですぞ。それをわずか百の手勢でどう逃げ通せるというのです。策を立てるも何も圧倒的に数が違いまする。こんなこと寺の小坊主の手足にの指を数えるまでもありませぬ。ま、例えて言うなら、五分でも大げさすぎる厚さの瓶で漏れない水を五寸の厚さの瓶に入れたようなものですぞ。まさに蟻の這い出る隙間どころか空気をも漏らさぬ鉄壁の包囲陣を織田家第一の知将と云われた惟任様なら抜かりなく、難無く布いたに違いありますまい。さすれば上様には万に一つも脱出の機会など無いと見るのが正しいでしょう。となれば間違いなく上様は本能寺でお亡くなりになられましたのじゃ。そうではありませぬか」 林のように広い大きな庭の中を歩きながら二人は奥座敷に向った。 歩く官兵衛の目はこの庭に誰か潜んでいないか確かめるのに怠りなくクルクルと廻らして休み無かった。誰もいない。それでも声は低かった。 「がのう、上様の御首しは日向も見ておらぬというではないか。それが気になるわ」筑前も合わせる様に声を低くした。 「上様は奥に篭り火を放って紅蓮の炎の中で御腹を召されたと聞きまする。これは如何にも上様らしく、この世に影すらも残されず御逝きなされた。お見事に、あっぱれとも、なんとも彼の御仁なればこそでありまするなあ。そうではないのですか」 「如何にも」と、筑前は見てもいない亡き主人の最期を想い描いた。さぞや無念であったろう。あとわずかで天下に武を布き終えるときが、目の前まで来ていきなり身内の謀反であった。誰もが想像すらしていなかった出来事が突然起きたのである。筑前も訃報を耳にしたときは信じられなかった。ましてや右大臣家の一番信任篤い日向守が張本人であるとはまったく思いの外の話だったのである。青天の霹靂などというものではない衝撃。絶対に起こらない事が絶対起こさない男によって起きたのだ。しかし浮世の恐ろしさはどうだろう。悲哀は裏に喜楽を秘めている。この事件、誰もが唖然として途方にくれているとき、ここでいち早く正気を取戻し次の天下人は誰がなるかと想像したときに大きな機会が降って沸いたように己らの前にもあると知った男がいる。果を転じて福に出来る。喪にうなだれるは一秒。官兵衛は吹き出る野心を、主を失って茫然としている筑前に伝えた。筑前とて腹の中では考えていないことではなかったが、この急きたてる速さは官兵衛の方が先だった。それでも筑前はこいつに遅れまじと時代の奔馬に跳び乗って走りに走って今日を迎えたといっていい。あれよあれよの間であった。世の中はまさに何が起きるかわからない。ただ右大臣家の災難は、わが身にもあることだと思えばここで迷うことの恐ろしさもあるのだった。あの門中の老人は誰なのか。もし老人が言うように本物の右大臣家ならばこのあとどうすればいいのか。非礼をわびてここに祭りあげ、再度仕切り直しとなって供に天下を望むか。それでもいいが、では、しかしここまでの自分の努力はどうなるのか。日向守との戦いだとて決して簡単なものではなかった。危うい場面もあって運のよさで勝ったといっても大げさではないのだ。それに代えてどうだろうか。右大臣家が戻ったとしてこれからも今まで通り使えていくなら、またあの恐ろしい雷に会うような緊張の日々を強いられるのだ。日向守とてそれがあったから、あの男、丹波の領地を召し上げられてまだ手に入らぬ長門周防を貰ったとてそれが破格の出世であっても紙に描いた餅を貰ったに過ぎないと思ったろう。右大臣家は日向守ならそのくらいの不を負ってでも中国打倒を簡単にやってのけると信じていたのだろうが、実際にやるほうは生き死にの問題なのだということを分かっていないのだ。敵地を切り取ることは机上の遊びじゃない。筑前もそうして織田軍団の中で頭角を現してきたがあんな思いはもう嫌だった。正直、右大臣家が亡くなったと聞いたとき、一番にほっとしたのはその緊張から永遠に解放されたと思ったからである。情けない話だがもう二度と命懸けの緊張感は御免なのだ。人の能力を見抜きながらもさらにその能力をわずかに超える仕事を宛がって来る右大臣家とは、どこまでも恐ろしい人なのである。再び組んで仕事をする相手ではないのだ。少年のように若い頃ならまだしも、壮年期に入った筑前には己一人で切り回せるほうがどれほど楽か。恩ある人でも奇人との付き合いはこれにて御免こうむりたい。正直、それが彼のこのときの本音であった。 それでもまだうじうじと筑前は悩んでいたが、このような人情的な悩みなどこれより先は意味もなく人の同情にも値しないとここは思うべきで、現実を見据えるのが本当なのだ。すなわち、ただ己の欲望を全うするほうが楽だと信じたいのであると考えればいま一生一度のこの好機を見逃す莫迦もないものだ。筑前でなくとも誰もがそう思うだろう。ここにいる官兵衛だって同じにちがいない。 それにしても、と思う。 右大臣家はどのようにしてあの混乱の中を生きていたのだ。ありえぬ奇跡があったのだろうか。確かに、確かにそうなのだ。だいたい日向の謀反だとて有得ぬことであった。だから有得ぬことが再び起きて右大臣家は炎の本能寺から生延びたとしたら。有得る話ではないか。そうかもしれない。そうでないかもしれない。いや、どうも違うな。奇跡は二度も続けて起きやしないだろう。やはりこいつは偽者なのだ。もしこの男を担いで右大臣家だとして、後それが偽者だとばれれば、あだ討ち第一の功労も何も吹っ飛んで自分は世間の物笑いに落ちてしまうだろう。これはどう見てもどう転んでもあの男を右大臣家と認める訳にはいかないのだ。そうだろう官兵衛、と筑前は無理にも己に納得しこう嘯くしかない。 ここで心も決まってしまえば筑前は、門の老人の姿を脳裏に描きつつも「そうなれば、あの上様を騙る不とどき者をどうするか」と呼吸を十秒ほど止めてからきっぱり言った。 が、まだ本当は決心していない筑前であった。ただここでは官兵衛になめられてたまるか、という思いがはっきりした口調を求めていたのである。 だいたい主殺しなどよほどの気違いでもなければやれるものではないのだ。 主殺しか、思うだけでも冷汗が出ると筑前は感じた。餓鬼の頃から鍛えた図太い神経は自分にもあるはずだが、こいつばかりは己の信じる神様を足で踏みつけるようなものだろう。氏神を捨てれば心の拠り所も無いも同然。彼の不安はまさにそうなのだ。右大臣家亡きあとは今までと違い何から何まで自分の判断でやらねばならい事になる。そうした自信はあるにせよ。間違えた場合の対処を思うとこれも恐ろしい話ではあった。これまでは右大臣家の命ずるままにその課題をやり遂げるだけですんだがこれからはそうはいかない。これも難しい。だが気持ちの整理もつかずぐずぐずといつまでも気になるのが主殺しであった。時は戦国とはいえ、この時代これより罪深いことはないのである。当然いま世間が日向守に対する主殺しの人非人の非難の声の沸きあがる様はまことにおぞましく筑前にとって、あれは自分でなくて良かったと思わせるほどだった。ところがどうだ。その想像さえしていなかったお鉢が自分のほうへ回ってくるとは。果たして主殺しを己は平然と出来るのか?いったい日向守はどのような神経でこれを成し遂げたのか。筑前から見ても尋常でない決断があったと思うのだが。よほどの事情が無い限りあのような倫理を逸する決断は出来ないはずだ。まして日向守は己と違って当代一の学者でもある。そうした知恵者は押しなべて屁理屈を積重ねた倫理観が強く主殺しという一番不正義なことをするはずがないのだ。それでも行うならよほど自分を納得させるものが日向にあったのではないか。それは何か、野人の己には分からないことだが、この学問好きの官兵衛ならきっと分かることなのだろう。しかし今更日向の事情を官兵衛から聞いたとてどうしようもないことだし、今の自分には何の役にも立たないだろうと思う。日向と自分とではまるで立場が違うのだ。しかしこれから行う事は日向と同じ主殺しかよ。何とも皮肉な話だ。主の仇を討った男が本当の主殺しになるなどあまりにも芝居掛かって信じたくも無い。そうとも信じられるか、こんな話。莫迦らしい。アホくさい。誰が信じるものか。いやいやよくよく考えれば、やはりあれは偽者よ。そうとも偽者ならば偽者を罰するのは天下を牛耳ろうとする自分には当たり前のことではないか。筑前は集中力を酷使してそのことだけで頭を埋め尽くそうとしてみた。 庭を抜けて奥座敷まで戻った二人は濡縁に腰掛けたまましばらくは黙っていた。 官兵衛も考えていた。が、その考えは筑前より小さい。 ここで、もしあの老爺が本物の右大臣家ならば「あの御老体をすぐにも殺しましょう」と筑前に対し己が先走っていえば、のちのちそういう事実が出たとして、有り得ぬ話しだが、そのときは、自分が本当の主殺しになるのではないのかという懸念がでる。まことに肝の小さい話なれど策士としては考慮の範囲でなければならない。となれば先走るは拙いことになる。ならばこそ、ここは何としても筑前の口からそれを言わすべきだ。なにせ、右大臣家の後釜を狙っているのは己ではない、この筑前なのだから。当然そういう事どもも含めて何もかも彼がここで背負うべきであろう。そこまで出来なくて何の天下取りか、 「しかし不思議ですなあ。あの者、いったい何を目当てに、上様を名乗るのでござりますかの。そんなことをして損こそあれ、得などあり得ましょうや」と官兵衛はこっそり誘いの言葉を入れて筑前に殺しの責任を負わせようとした。 「あれ何とも可笑しなことをおみゃあ言いなさる。上様を名乗って通れば天下人になれるではないか」と筑前が官兵衛の腹の中など考えもせずまともに当り前の事を言い出し話しへ乗って来た。 まったく容易いものだと内心知恵者官兵衛はほくそ笑んだ。 「さてもそうなら、あの者は痴れ者でござるな。本当の上様を知らぬゆえ、老け過ぎて化けましたようですなあ」官兵衛は腹の中でしたりとしてまた舌をだして喜んだのである。 「しかし声は似ておりゃあでえ。ありゃあやっぱし上様を知っておるのではないのきゃのう?」 「声など、先の馬揃えを拝謁しておれば、御ん声くらいは聞こえましょうほどに」 「然り、まさに馬揃えなあ、然りしかり」筑前ははたと膝を打ったまま無理に笑い「お姿は甲冑で覆われて見えにゃあども声は知れたはずだわ、また大軍の御大将と思えば年寄りかなと間違えてもおかしゅうはなきゃあのう」と言いながらも彼は官兵衛を見つめ「で、どうすりゃあよか」とまた訊いてきた。 筑前もそう簡単に官兵衛の策には乗らない。 官兵衛は答えずただじっと筑前を見つめ返すのみであった。腹の中ではここが肝心なのだと思っているのだけれど、この時の眼力が勝負の分れ目であろうとも考えていた。残念ながら筑前は官兵衛のようにぎょろ目はしていなかった。 だから筑前はやや引くような気持ちで官兵衛をまた見つめ、いい加減にそんな目で言われなくともわかっておるわい、と思うのである。ここでの主は誰にもあらず己ぞ、と自らに言い聞かせ、たとえあの老人が本物の右大臣家であっても、もう彼の時代は終わったのだとこれまでの様に何度も自分に問いきかせて頷き、今こそ、天下取りが手を伸せば届くところにこの筑前はいると信じるなら、もう二度とない千載一遇の機会であればこそ、中国地方から必死で引き返し、右大臣家の仇を討ち、次世の天下人の権利をいち早く、誰よりも先に手に入れたのだ。故にこそもう元には戻れない。このまま一気に頂点まで駆け昇るしかないではないか、と成れば、あの老人が誰であろうと、今は排除するしか他に方法はない、と筑前は考え、官兵衛に負けず冷たい視線を向け、どうせお主の心など読めているわと思い、知恵を頼みとしてそのような小さなこだわりに囚われているからこそ、自分のように天下取りに加われないのだと吐き捨てるように、この瘡頭の小心者へ言ってやりたいほどに思った。 そうなれば筑前の決断は早い。わだかまりはわだかまり、欲は欲。 脳みその茹具合は官兵衛に劣るとも、元々頭で生きてはいないのだ。筑前こそは、と己を鑑見ればこの口と手と足でここまで駆け昇ってきた自覚は常にある。たかが年寄り一人に何の躊躇があるか。 そうか、それでいいのか、後悔はないのか筑前よ、恩ある父とも兄とも師匠とも慕ったお方を殺すのだぞ。そのように簡単に決断してもいいものなのか。短絡すぎてはいないのか、もっと慎重になっても遅くはないはず、こんなことではいつか必ず悔やむことになりはしないのか。ああやかましいわい。だからなんだというか。ええい、ままよ、 「官兵衛よ、おまさんの手の者で気の置ける奴、四五人であの爺っさを人目のつかぬ竹薮にでも引き込み密かに始末して埋めてしまえ」と言い、云ってしまってから筑前の頭の中が真っ白になった。 塵でも捨てるが如く筑前は官兵衛に命じて、あとはさっさと立ち上がって、この奥の部屋を出ると美しい女が待っている己の部屋の方へと歩いて行ってしまった。その後ろ姿を厭きれるように官兵衛は見詰めていた。筑前はまるで酔った人のようにふらついて歩いているように見えた。 あの爺が本物の右大臣家であろうとなかろうと、最早時代は急加速している時に、ここで上様が再登場するなどという台本は誰の目から見ても成り立たない。となればこの忙しい時に曖昧な者は消えてもらうしかないのであり、二人は戦国の世の人であるから、人の命など虫の命ほどにもみたないと知り、だからこの老人殺しに何のわだかまりもなかった。という気分には如何に筑前でもやはり成りきれなかった。女を抱いても立たず酒を呑んでも酔わず、どうにも官兵衛からの報告が気になって仕方ない。ところが、とうとう翌日になっても官兵衛は報告してこなかった。と同時に爺さんのことも誰も話さなかった。あれほど老人は門中で騒いでいたのだから少しくらい話題に上ってもいいはずなのにそれも無い。いったいどうなっているのか筑前にはわからない。知りたかったが時流は多忙を極めてついそのことはうやむやになってしまった。それにしても官兵衛はなぜ報告しないのか、こうなるとこちらから切り出すのも何とはなしにおこまれた。 もしやあれは無かった話なのか、それとも己が見た悪夢だったのか、いや違うな、と筑前は思った。なぜなら主殺しという気分の悪さがどうにも頭にまとわりついて離れないのである。それはまるで昆虫を素手で押しつぶしたような後味の悪さがいつまで経っても胃の底にねばり着いて離れない気分。まるで胃癌にでもなったようにいつまでも腹のあたりに重苦しいものがどしっとある。無名の老爺を一人殺したくらいで何時までも気になるのはやはりそれが現実にあったからなのだ。 この時期、時代は秒単位で回っている。しかもすべて筑前のために回っていると言ってもよかった。やることなすことみな彼の思惑通りに進むのだ。人生最高に面白いときに彼はいる。さぞや痛快な日々だろうと誰もが思うのだが、ふと筑前は小憩のときなど己の手を見てしまう。何やら潰した虫の体液がそこにべったり着いているようで、思わず着物の脇で汚れてもいない手を拭うのだった。この悪夢のような気分はしばらく続いた。それを忘れるように筑前は天下取りに必死になって励んだと言ってもいい。
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