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作品名:天に逆らう人々 作者:勝野 森

第6回   紅き阿修羅の復讐

 紅き阿修羅の復讐

 後に松前半島といわれるこの辺りに大きな山はない。緩やかな丘陵地帯であるかわりに大きな平野もないのだが、当時としては己ら家族が食べていけるだけの畑を耕せればいいだけで、大きな平野はこの時代この地に住む者には何の意味も無い、大体そのような平野は風もよく通り雪神は勝手気儘に走り廻るし、敵にも攻められやすいという欠点しかないのだ。亀田がこの大島一番の良港であるにもかかわらず、松前藩が其処へ根拠地を置くことを嫌ったのはコシャマインの乱のトラウマがあったからだろう。コシャマインがまずここにあった館から襲ったのだが、簡単に陥ちてしまった。ここは広すぎるのだ。だから箱館が発展するためには、この島の人口もそれに見合うほど増えなければ、無理なのである。
 シャクシャインらは海岸伝いに歩き途中さほど高くもない峠を越えたりしてやがてこの亀田に入った。なるほど、御殿山へ這い蹲るように伸びている洲は広く、町らしきものも出来て結構福山と変わらない賑わいで、洲と山で出来た波避けの湾に錨泊する船も松前湊よりも多いかもしれない。あれほど船があるならエドモ(室蘭)行きの船もあるだろう、と思ったが案に相違して東蝦夷へ行く船は出た後で次はいつになるかわからないという。仕方なく彼らは亀田で一泊すると早朝陽の昇る前に町を出ると、駒ヶ岳を迂回してのち内浦湾沿いに北上しようと思った。駒ヶ岳はその名の通り、馬の背のような形をしているから名付けられたのだが、こう呼ばれたのは最近の事で、和名が付いたことでもそれがわかるのだが、由来は後に詳しく語るとして
 駒ヶ岳はその愛らしい名ほど穏やかとはいえない、噴煙を吠えるが如く吐き出す巨大な活火山であり、一行は怖れるように見上げながら獣道のような山道を抜けると、平野が現れそのむこうに、この大きく曲がった湾のなかほどにクンヌイ(国縫)がある。ここは近年砂金が豊富に採れ出し多くの内地からの和人が移住していた。その数、五万人以上は居るのではないだろうかと思われる。人口では遥かに福山を凌いだが集落は掘立小屋が多くそれも散在していたりして野営地を思わせ、福山のような華やいだ都の趣はない。まあマシな建物は運上金を取り立てる役人の会所だけといっていい。にわかに出来た金堀らの臨時の町で雑然としている様であった。それでも山師たちの騒々しさもあって全体に活気はあるだろう。その大路で一行は偶然文四郎に出逢ったのである。文四郎はここでは遅れて来た金堀人と言っていいだろう。だから大採掘場であったクンヌイでは彼の縄張りは持てなかったが、それでも隙を見て割り込もうとしているのか、彼はウトウとシャクシャインをそれぞれ福山に呼び出し自らも行った後、帰りにクンヌイに寄ったのである。ここで旧知を頼り何とかこの地に足場を築こうとしているのだった。当然長居となりそのためこの後東蝦夷で起きる難を逃れたかに見えた。
「やあ、福山での一瞥以来じゃないか、どうだいそこいらで酒でも呑まぬか、」と文四郎はシャクシャイン一行に愛想よく声をかけてきた。
「これは文四郎殿、福山ではお世話になりかたじけない。されど吾ら先を急ぎまするゆえ、ご遠慮し申す」とシャクシャインは連れなく言った。
「おいおい何を急ぐか、まさか帰ったらまたシュムらと争うと言うのではなかろうな?それともおらがまだオニビシのことを恨んで酒に毒でも盛ると思っているつもりかえ?」
「まさか、毒などと思ってもおりませぬ。それに志摩守様との約定、吾らはたがえませぬ」
「そうであろう」
「あれさあ、急ぐのは陽のあるうちに山を越えたいからでござるよ」
「まあなんも急いで帰る用事もあるまいて、今夜はここで泊まって飲み明かせばいいさ。これから仲様するにはあれこれと話もあろうほどに」
「和議の話は帰ってからウトウも交えて話したい。ここで先に二人だけで話したとなれば、ウトウも疑いの目を持つでしょうな。それに泊まるは毒より恐ろしきことなり」とシャクシャインは鋭い目で率直に言った。
 さすがにその一言には文四郎もむっとした。自分がやられたことをやり返すと思われているのだ。
「そうかえ、ならば足は止めぬ。すまなかった」と文四郎は脂ぎった顔で、まんざら仕返しも考えていない訳ではなかったが、安季に揉め事をもうこれ以上起こすなといわれているし、何よりもオニビシが殺された時のあの恐怖がトラウマになっているのでニヤリと卑屈な愛想笑いをしただけだった。
 悪党め、とシャクシャインは胸の内で思いながら軽く会釈をするとそこを去ろうとした。そのとき文四郎が思い出したように
「そういえば、昨日ここをウトウらが通っていったわ」と嬉しそうに言った。
「ああ、そうでしたか、」と言いながら自分は牢屋に居て遅れたとは言わない。
 なるほどウトウが先を歩いているのか、この文四郎が泊まって行け、ということはウトウに早く先に行かせてムカワあたりで吾らを待伏せさせようという魂胆があるのかもしれないとシャクシャインは疑った。文四郎の嬉しそうな目はそのことを意味しているのかも知れない。
「しばらくはシブチャリに行けぬが我の手下のこと頼みまする」と歩きかけているシャクシャインに文四郎はそう言った。
「心得て候」そう言ってシャクシャインは文四郎を見もしないでさっさと別れた。
歩くとぶつかるほど通りに人がいるのは、みな採金場から出て来て生活用品の買出しにきているのだろう。周りはみな文四郎と同じ金の亡者どもだ。クソッタレめがと罵れども、それが四ヶ月ほど後にここで彼らを相手にアイヌ民族史上最大の血みどろの抗戦を展開するとはさすがにシャクシャインも今は露ほども思っていない。
 さらにオシャマンベ(長万部)に至る。ここに内浦アイヌ族の砦があって、一行はここに泊めてもらった。砦の彼らからも和人に対する多くの不満を聞いたが、中には金堀の手子に使われて財を成した者もいるという、金とはそれほどのものか、とシャクシィンは感心したものだ。和人がわが民族を働かせてくれる報酬などたかがしれているではないか、それでも身内の間では物持ちになれるとは、己も文四郎などのシブチャリへ入る山師たちから場所代に金を貰っているのだが、これほど値打ちがあるものだと思わなかった。だいたいシブチャリでは使うこともないもので、こうして福山へ来てから初めて使ってみたといっていいのだ。なるほどシサムの目の色が変わるのもわからぬでもない。
 翌朝早く、砦の長に礼を辞してそこを出た。もう生きている間にここへ再び訪れることもないかもしれませんね、と軽い気持ちでシャクシャインは言ったのだが、ここもやがてアイヌ民族抗争史に残る戦地になるのであった。
ここから長万部川沿いに山中を北上歩行した。やがてクルマッナイ(黒松内)まで来ると今度はそこから東へ朱太川沿いに厳しい峠を越えてエドモへ向った。福山からエドモへと海岸沿いが厳しい断崖であるため大きく迂回しなければならず、この時代は地元の者でなければ太古に続く山中は迷うことも多く、返って大きな川の河原伝いのほうが方向もわかり歩き安さもあったが、まことに遠い道のりでもあったのだ。すでに三泊を費やした。しかしエドモまで来ると大きな山塊はもうなくあとは原野となだらかな丘陵伝いにシブチャリまで行ける。エドモからシラオイに入って一行はやっと故郷に帰ってきた気分になれたのだが、しかしここからでもシブチャリまではまだ遥かに遠く、百キロはあるだろう。
 さらにシャクシャイン一行は白老から丘陵沿いの街道、つまり現在高速道路が造られている辺りを廻るように歩きシコツ(千歳)に出た。まっすぐ海岸沿いに歩いた方が近いのだが、平地は湿原でまた大小の河川も多く、とてもじゃないが歩けたものではないのである。このシコツ(千歳といってもその南、現在の美々)から美々川を船で下ってウトナイ沼に入るとその水流の出口が勇払川になり、下ればやがてイプツに着く。ここで再び海岸に出る。ここでも大きく迂回したことになるだろう。小船を降りたシャクシャイン一行はわずかに緊張した。すでに和解したとはいえ、この前まで敵対していたシュムウンクルの縄張りでも大勢の敵が住んでいるのがここなのだ。イプツは昔からの大きな交易地であった。安平川と勇払川がこの辺りで合流し河口は大きく海にせり出しているため格好の湊になっている。このイプツから逆にシコツには日本海へ流れる石狩川の支流千歳川がある。太古に海で切断されていた此処は水が引けると日本海と太平洋を結ぶ最短の緩やかな交易ルートとなった。こうした地の利がイプツを擦文時代から重要な交易地にしているといえる。シュムウンクルが豊かになり同じ日高族のメナシから独立した形となっていたのもこの地が縄張りに入っていたからでもあったろう。シャクシャインらはここから海に出てシブチャリを目指そうとしたのだが、やはりというか、海路をシュムウンクルの奴らが初めからとらせないつもりらしい、とシャクシャインは胸中安穏としておれないのだ。どう船頭らを脅しても無いものは無いの一点張りで、ついに船は見つからないときた。しかたない陸を行くか、となったのだが、文四郎とウトウが罠を仕掛けていることはこれで見え見えなのだと思うと彼らのわずかな緊張はさらに続くのであった。このあとこそ敵の本拠地を抜けなければならないことになる。が、あのウトウに松前藩介入の約束を反故にして自分を殺すほど度胸は無いだろうとシャクシャインはもう一つ楽観的にも見ているのだが、何も起こりはしないさ、とそう思いながら道中を楽しんでいたが、本当はその反対の思いのほうが強い。喧嘩は負けた方が何倍も恨みを持っているものなのだ。頭に血が昇っている者に冷静な判断など所詮無理な話で、機会さえあれば、殺そうとするのは当然の事で自分にたとえてもやはりチャンスは逃さないだろうと思う。大体、先を走っているウトウに松前藩のことが脳中にあるのかといえばあるわけがない、それよりも長年の仇である俺たちを殺せる好機は今を於いては二度とないだろうとしたりとしているに違いなく、あの頭の悪い奴に、ああいう奴ほど怒りに自分を乗っ取られるものではないのか
 あれもあり、これもあり、どうも来る時のように大きく迂回してもっと慎重に考えて帰ればよかったのだと自分の浅慮が情けなく、ならばこうも心配しないものを、福山の約束事などどうせシサムを交えたことに過ぎないのだから、逆に考えれば反故にしたところで仲間内では誰も卑怯というものはいないだろう。そうこう神経を張詰めて歩いているうちに、ついにシュムウンクルの新しい拠点沙流川の西岸に着いた。川は大河と言っていい。故郷静内川より大きい。川幅は三百米を軽く越えるだろう。この河は水系を日高山脈に求めていたから水量はたっぷりあって力任せにきつい勾配を流れて来たのでこの河口付近に来ても流れは激しい様であった。
 対岸に丸木舟が一艘、杭に艫綱を縛って置いてあるのが見える。流れが速いことを示すように舟は海にあるかのようにゆらゆらと揺れているのがわかる。やはりこちら側にも同じようにして丸木舟が一艘繋いである。この河を渡るとき、二人以上ならば、まず一艘に二人で乗って対岸へ行き、そこでもう一艘を引き連れて二艘で戻り、その一艘を杭に繋ぐと今度は残りの一艘に二人で乗ってまた向う岸へ行くという方法が使われるのだ。こうすると常に対岸に一艘づつの渡し舟が置かれていることになるということで、櫂も二本づつ両方の舟に用意されていた。まあ、さほど時間が細やかでなかった時代ののんびりした方法ではあるのだろうけれども、ところがこれを一人で渡ろうとする場合は困ったことになる。一人ならそのまま乗って着いた岸に舟を置きっぱなしにしてしまうしかないのだが、ところが当時の人は今の人のように自分だけ善ければいいなどという薄情な考えはないのであって、常に両岸に舟があるという規則を守るのだった。だからと言ってたとえば空舟を引き連れて行こうとしてもひとりで二艘を漕ぎ切れるほど水流は優しくないのである。そうなると岸に立ったひとりぼっちの旅人はこの大河を泳いで渡る羽目になるという次第なのだが、この水流の激しい河を泳いで渡るのは至難であった。水も真夏でさえ北国の高い山を源とするため身を切るように冷たいのである。しかもアイヌびとはどこでも裸になることは決してない-カムイに礼を欠くことになる-慣習があって、だから着たまま濡れ鼠で泳ぐとすれば倍の体力が必要となるだろう。まだこの民族には泳法などというものもなかった。もし実際に泳ぐとすれば適当な流木を持ってきてそれに摑まって片手で犬掻きしながら進むという原始的な遣り方しかないのである。それ故に何人もの人が泳ぎきれず海まで流されて魚や海獣の餌になる者も出たこともかつてはあったのだ。人命がさほど尊重されてなかった時代の話といえばそれまでかもしれない。ならば長い紐を渡して空舟を引っ張ってはどうかと考える人もいるかもしれないが、しかし沙流川は川幅が広すぎて幾ら張っても紐は水に浸されてしまい、このままでは水中の紐は弱るかその前に流木などに引っ掛けられて切られてしまうのがおちであった。こうなると貴重な舟までも流されてしまうということなるのだが、そうした考えや方法は古人がやってきて散々失敗を重ねたに違いない。まあ、この河を泳いで渡ろうとする者はよほど若くて体力に自信のある者だけだがそんな無分別な者はまずいないだろう。だから旅人がひとりのとき大抵は両岸のどちらかに誰か来るのをのんびりと待つしかないのであった。それが一番いい。シャクシャイン一行が河の西岸に達したときも、ちゃんと舟は両岸に一艘づつあり、取合えず最初の舟にシャクシャインが乗った。この一艘を三人で漕いだ。櫂は二本だからシャクシャインは持っている杖で水を掻いた。何とか対岸に着くとシャクシャインだけ下りて、東岸にあった舟にも一人が乗って二艘は引き返した。西岸の残り二人を迎えに行ったのである。シャクシャインは東岸に立ってぼんやりと急流に逆らいながら見事に操っていく舟を見ていた。二艘は一旦上流を目指し、力の限りに漕いでからへの字に折れるようにして西岸に向い今度は流れに合わせながらも早手で忙しなく掻きこんでなんとか彼岸にたどり着いたのである。彼らは元々あった一艘を杭に繋ぎ、櫂も戻したので西岸に残っていた二人は三人が行っている間に棒切れを拾って持っていたのだが、そのようなものが櫂の代わりに居なるのやらどうやら、残り一艘に、丸木舟に大男が四人乗り込むのに、もたついている仕草を面白くて笑いながら見ているとき、ほんのりと暖かい春の日なのに、シャクシャインはその背中に突然寒気を感じた。
 彼のような優れた者だけが感じとれる殺気である。
 彼はその殺気、つまり嫌な予感を感じながら、ゆっくりと後ろの河原を振り向いたなら、そこには、誰も居ないはずの葦原にいつの間にか音も出さず気配も感じさせずに五十名ほどの武装したアイヌ兵がシャクシャインを丁度とり囲むようにして立っていた。皆具足を着け背に弓を負い手には槍を持っていて荒々しい精悍なシュムウンクルの戦士であることが一目でわかった。まったく野伏りとはよく言ったもので、彼らの装備は擦り切れたものから新しいものまでマチマチであった。まるで絵に描いたように旅人を襲う野武士の群れがそこにいるから面白い。クソッやはり待ち伏せか、読みがあたったとして嬉しくも無し、冷や汗がゆっくりと脇下を流れて行くのをシャクシャインは感じた。死ぬのは誰でも怖いのだ。ウトウの奴め、何を考えているのだ。ほんの少し前和睦をしたばかりというのに、それを無視してこんなことを、まあ予想しなかった訳ではないが、しかしこのあと松前藩にどのような言い訳をするのか、いや待てよ、このことは、もしかすると松前と組んで最初からだまし討ちにするつもりだったのだろうか、わざわざ吾をおびき出し帰りのシュムウンクルの縄張りで殺せと福山で吾のいないときに密談したに違いない。しかしそのためだけに遠く福山までわざわざ呼ぶだろうか、しかもあの調停のとき、奉行は真剣に吾等の話を聞いていたと確信できたのだが、あの言葉に裏は無いと確かに感じたのだったが、人は何か誤魔化せば必ず言葉の裏に感じるものがあるもので、あの時は何もそのようなことは感じられなかった。とても罠にかけるようには見えなかった。もし最初から殺すつもりなら牢屋に入れたときの方が殺し易かったろう。あそこなら毒を盛るでも槍で突くでも簡単に出来たはずだ。なぜ今此処で、此処なら逃げられることもあるし犠牲者も出るだろうに、いや待てよシサムはずるい、自分らが係わっている事を嫌ってここでウトウに殺すように命じたのかもしれない、それに吾らがどれほど死のうが生きようがあれらには痛くも痒くもないときているではないか、うるさい連中が仲間同士で始末し合えば松前藩にとってこれほどいいことはないと言う事かえ。なればわざわざ牢屋へ入りに行った吾も馬鹿か、嫌、そのような企みならば、吾が行かなくとも何か足止めする方法を考えていたに違いない。シサムは狐のようにずる賢いが、しかしここまでやる理由があの奉行からはどうしても感じられないのだがなあ、わざわざ福山に呼んで和議をさせなくとも、放っておけば互いに殺しあっていずれはどちらか滅び残った者も弱体化したに違いない。うむ、わからぬ。これなどは、やはりウトウが勝手に決めたことであろう。ウトウはただの馬鹿で自分より先に故郷へ帰ったのを幸い待ち伏せしようと突然思いついた。まったくイプツで我らの姿を見られたのが拙かった。たぶんすぐに伝令が走ったに違いないのだ。セガレめ、目前にご馳走が落ちてきたのを見つけ考えもしないで餌に飛びつく野良犬のようにこの待伏せを閃いたに違いない。理由はどうあれ吾を殺す気でいることは確かなのだ。福山で牢屋に居た分出立が遅れた。亀田で船が無かったのも災いした。そのためにウトウによからぬ知恵を授けてしまったということか、まったく災いは何処からでも虫のように湧いて来るのか、
 クソッタレめが五十人はいるぞえ。ちと多すぎるかもしれぬ。しかしまだ向岸から出始めたばかりの吾が供の者もみな歴戦の勇士ではある彼らならば一人で十人を相手にすることは充分出来るに違いないだろう。吾を入れて五人で五十人となればこれは必ずしも負ける数ではないのか、物は考えようとは善く言えたり。ふむ、しかし仲間が此方の岸へたどり着くまでひとりで五十人を相手にすることになるなあ、となればどこまで保つか、敵もあの四人が河を渡って来る前に吾を仕留めるつもりだろうし…まっ考えても詮無いことではあるわなあ。まず、ここはやるしかないか。
 シャクシャインは後ずさりしながら右手に持つ、先が二股に分かれている頑丈な自然木の長く太い杖を強く握り締めた。いままでこの杖で何人のシュムウンクルの頭に瘤をこしらえてやったか、今日も多いに叩きのめしてやるとするか、しかしシュムウンクルの者が味方の損害を恐れて最初から弓矢で吾を仕留めようとしたならどうしよう。五十名に一斉に射込まれれば防ぎようが無いではないか、何せここは隠れ場所のないだだっ広い河原なのだから、うーむ、もし敵がその手来るならあとは河に飛び込むしかないだろう。仲間の舟まで泳ぎさえすればあとは海へも対岸へも逃げられるだろう。そう思って振り返ると向岸の味方は対岸の異変にまだ気付いていないのか、まだ細い丸木舟に大男の四人が乗り込むことに苦労してあれやこれや梃子摺っているのが見えるのだ。とくにヘカチが大きすぎて上手く乗れないらしい。チッ、とシャクシャインは舌打ちした。所詮頼りになるのは己だけかと思った。見れば敵の五十人は誰も弓を負ったままで今使おうとはしないようだ。こんな待伏せをする卑怯な奴らでも男の一分は持っているらしい。堂々と打物で吾を仕留める気か、面白し、ならばこちらも付き合おうではないか、そうと決まればまずは真っ先にウトウの脳天をかち割ってくれるワ。さてと、ウトウは何処にいるか、シャクシャインは改めて敵を見回したが、ウトウの姿は見えないのであった。なるほどのう、あんな男でも恥を知っていると見えるらしい。この民族にとって約束を反故にすることこそ男として恥ずかしいことはないのであって、狩猟という仲間内の微妙な心裏を気遣い相手を信用しなければ狩の成果は得られぬという世界に生きている人々である。また巨大な獲物を前にそれを仕留めるため仲間の見ている前で勇気を示さなければならないことなどもあって、こうしたことから彼らは独特の美意識を磨いてきた。それは物事を複雑にしないことであった。約束は決めたなら最後まで守る。友情は一度結べばたとえ裏切られても生涯義兄弟の契りを変えない。恩は必ず返すが、恨みも一代で晴らせなければ子の代まで追って成就する。そうした頑固な単純差を持った者を仲間から男として尊敬された。だから福山で和人を立会人として結んだ和睦を、カムイに誓詞を出した和議を数日もしない内に反故にするなど、この民族には考えられないことであった。そんなにしてまでウトウは吾を殺したいのか、シャクシャインは彼を哀れに思った。ならばここで殺されてやってもいいかとさえ考えるようになってきた。ウトウの馬鹿め、吾を殺した後どうするつもりなのか、松前の殿様からも仲間からも馬鹿にされ罪を追及されるだろう。そうなればどう言い訳するのだ。下手をすればこの地で生きては行けないではないか、あいつそこまで考えたのだろうか
「ウトウッ、」シャクシャインはあらんかぎりの声を出して怒鳴った。もしや対岸までこの声届かぬだろうかと無駄を承知で叫んでみた。「卑怯者のウトウよ、出て来いっ、」出てくるはずがないのはわかっている。「ウトウよ、吾の前に出でよっ、」さらにそう叫ぶと、囲む五十人の群れの、真ん中辺りの者らが左右に退いて道を開けだした。ん?どうしたのだ、ついにウトウめ恥を知ってでてきたのか、とシャクシャインが訝しげにしていると、その後ろからひとりの武者が進んできた。来たかウトウ?と思えばそうではないのである。その者は、背のスラリと高い武者であった。ウトウは太った男である。武者は淡い朱の具足を着けていた。篭手も脛当てもみな朱い。朱の弓を負い、片鎌の槍を手に持っているがやはり柄も朱い。アイヌにしては珍しく打刀を腰に差していたが、それも朱鞘の長脇差だった。兜はかぶっておらず替わりに鋭い刺繍模様の入った大きな藍染の布で頭部を覆っていた。その布から洩れる髪は長く肩に達していた。それが春の川風になびいて優しく揺れている様はむしろ不気味でこの世の者とは思えなかった。武者はゆっくりとシャクシャインに向って歩いてきた。近付いてきた顔をみれば、なんと細面にある鋭い眉は、眉間に深く刻まれた皺にひきつられて鋭く吊り上がっており、その下の切れ長の目は、怒りに満ちて真っ赤に燃えているようだった。鮮やかな紅の薄い唇も奥歯を強く噛み締めているのか引きつっていた。恐ろしきも呪われし者が地底の闇の奥から現れたようで、その憤怒の情念が全身から陽炎のように沸き立つのが見える様はシャクシャインですら寒気がして来たくらいであった。
 その姿は阿修羅か、あの須弥山の北辺に住み、帝釈天と何度戦っても負け、その度に復活しては永遠に戦うという戦好きの若き荒ぶる神阿修羅。幼いとき寺で育った庄太夫が仏教に馴染めずともこの仏像だけはなぜか惹かれたと語っていた神だ。この異教の神を詳しく庄太夫はシャクシャインに話してくれたため彼にも親しい神ではあったのだが、それが目前に立っている。まさか


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