藩都福山
時は今、事件前夜までひと月半もないほどに迫ろうとしている。 その頃、ヨイチの酋長チクラケは地元で起きた大勢の仲間の不満を一身に背負って福山の役所へと訴えに来ていた。 同じ頃、日高アイヌ族メナシウンクル部族の長シャクシャインも福山に居た。金堀の文四郎の訴えが取り上げられて東蝦夷の争いに松前藩が介入することになり、互いに争う部族のふたりの長は藩都に招集されたのである。庄太夫の勧めもあり、勝っていたからこそ渋々その和解のためシャクシャインは福山に来ているのだった。このとき福山でどのような話が交わされたかは記録にないのだが、松前藩が端からこの民族を見下している以上高圧的に話は進められたと想像しても間違いはないだろう。アイヌのふたりの長にとっては和人の押し付けなど気分のいいものではなかったに違いない。シャクシャインは不愉快な心を押し殺して寺社町奉行のある陣屋を出ると供の者と合流し、港に通じる街道へ向かった。 今、北国は春たけなわである。福山は蝦夷地でもたいそう暖かい処で現代でも桜がこの島では一番最初に咲く処なのだ。陽は柔らかくそそぎ、風は優しく舞うように春の爽やかな匂いを運んで去っていった。 この頃、北前航路はまだ確立されておらず、津軽の三厩と福山が海峡を隔てた海の関所であった。この辺りは緩やかな湾ともいえないような処で、山は海に迫り、決して広い便利な土地柄ではなかったが、安東氏の時代、海峡の潮流が日本海の十三湊から船で出て海峡へ航路をとると丁度この辺りに着く、それでこの地が発展したのだった。街は賑わっていた。大勢の商人や人足、漁師などが行き交う様は江戸の町を彷彿とさせるかもしれない。当時この藩都には一万人近い人々が住んでいた。全島の総人口和夷合わせて四万ほどのこの島にすれば堂々たる都市であるといってよいのではなかろうか。 シャクシャインは連れの者たちを労おうと思い彼らと、大路の茶店にでも入って酒と団子でも食べようか、となんとなく話はそうなってあたりを見渡すと丁度手頃な店が目に入った。まずはあそこへと、みんなは向かいそして道端に置かれた粗末な縁台にめいめいが適当に座った。周りを見渡せば誰もが、通りを行き交う人々の多彩さに驚き、都会の煌びやかさをうれしそうに眺めて楽しんでいた。また道行く人々も驚いたようにシャクシャイン一行を眺めながら足早に茶店の前を通過して行った。福山の和人にすればこの民族は見慣れた存在といっていいのだが、しかし近年規制が厳しくなって中々街中でアイヌびとは見ることが出来なくなった。それ以前は最北の藩都らしく大勢の異民族が大路を歩いていたのである。それでも茶店に座る一行に道行く人が目を引かれたのには訳があった。何ともあれは羆か、人間か、人々はそう思って驚きの目で一行を見ているのである。なぜなら彼らはみな雲をつかむような偉丈夫ばかりだった。シャクシャインは国を出るとき、途中シュムウンクルの縄張りを通ることを危惧し、屈強の者を供に選んでおり、彼らの背丈はシャクシャインと同じように今の計量単位で言えば一八○センチはあったろう。シャクシャインにしても衆を上回るほどの体形がなければ長にはなれなかったにちがいない。当時は屈強なリーダーでなければ部族を統一することは出来なかった。部族の単位が小さくそのため知力より腕力が重視されたのであって、当然敵対したシュムウンクルの酋長オニビシも大男であった。それにしても、とシャクシャイン一行は思うばかり、道行く和人のなんと貧相なことかと。この時代というよりも遥かな昔から日本人は小さかった。和人の語源でもある倭人とは中国の三国時代に初めて朝貢してくる日本人を見た中国人がそのあまりに貧弱な体躯に驚き彼らを「小さき人、倭きひと、倭人」と呼んだ故事にある。遺伝子的にも小さかった彼らはこの時代宗教上からも穀物しか食べない事情もあってなお貧相に見えた。シャクシャインの目前を通る和人のほとんどは胸がえぐれているのではないかと思えるほど痩せていた。それに比べてシャクシャインらはたんぱく質を十分に取っている狩猟民族である。まるで相撲とりが五人つぶれそうな縁台に腰掛けている様にもみえる。彼らは蓬髪に顔面鬚だらけ、目はぎょろりとして大きく口は真っ赤であったから道行く人にはまさに脅威である。そうした雰囲気を供のひとりが感じたのであろうか、ニヤリと顎鬚をしごきながら笑っている。彼は五人の中でも一番上背があった。シャクシャインよりも頭ひとつ出ているだろうか。それなのにシャクシャインは彼を愛でて「へカチ、ヘカチ、」と呼んでいる。これもサポと同じく本名ではなかろう。シャクシャインにしてもそうである。彼の名の意味は「和人の文化を見た人」というような意味になる。それが庄太夫から学んだものであることは想像できよう(シャクシャインは庄太夫に会う以前は違う名を持っていたに違いない)。砕いていえば賢い人という意味で、こう呼ばれることでも彼は人々に尊敬されていたことが想像できるし、先ほど言ったことに補足するが彼は腕力だけで長になったとは言えないのかも知れない。昔は名前から何処の誰それと見ただけわかったもので、ヘカチもシャクシャインも名を持って体を現していたといえるだろう。もともと人には本名などというかしこまったものはなかったろう。国が出来て官僚が増えて身分差を決めるために姓氏がついたのであって、特にこの国ではその証拠がある。つまり天皇には姓が無いのだから、姓はあくまでも天皇の臣下を意味しているのである。ところでヘカチだが、ヘカチとは「小僧」というほどの意味かな、自分よりも大きな者を小僧呼ばわりもなかろうが、酒呑童子やビリー・ザ・キッドなど東西でも強くて素早っこくて素行が良くないくせになぜか民衆に愛された者をそう呼んでいる。ヘカチも悪党というほどではないにしても悪童がそのまま大人になったというところか、彼はよく伝令に出るほど足も早く巨漢に違わず身のこなしがいい、しかも明るい男でいつも冗談を言っては周りを笑わせていたので、それもヘカチと愛称で呼ばれるひとつの理由だったかもしれない。ただ彼には衆に優れた技を持っていたこともその愛称につながるものと思われる。彼はその恵まれた体躯を生かし人の三倍はあるほどの強弓をおもちゃの弓のように使いこなし、また狩猟民族なら誰しもそうであるように遠目が利いたから、たとえば山の向うの斜面を歩いている鹿が見えたという。この才能を活かしヘカチは二百メートル先の谷底にいる鹿を山の上から放物線を描くように矢を放ち命中させることが出来た。まさに神業である。この信じられないような強弓の名手として彼は仲間内でも有名だった。 ヘカチは団子を頬張りながら始めて見る都会の喧騒に驚いている。実に楽しい景色ではないかと、気が高揚として天にも昇るほど彼はまさに子供のように嬉しかった。通行人も五人の中、特にヘカチに注目して去っていく。それが嬉しくて彼は有名な役者にでもなったような気分であった。するとそこへ恐る恐る近付いて来る好奇心の強い子供の群れがあった。ヘカチは彼らを見ないように前を見つめそ知らぬ振りをしているのだが、しかしその姿を注意深く眼の隅にのみ映していた。やがて背中の皮膚に感じる微妙な空気の変化で子ども達が彼の射程内に入って来たことを知った。ヘカチの悪戯心は十分充電されている。まだ口中に団子が入っているというのに、彼は頃合を見ると心の中で合点とばかりに手を打ち、今だとばかりにいきなり立ち上がった。ついで奇声を発すると羆のように両手を挙げて小さな群れに襲いかかろうとした。子供たちはこの奇襲に動転したなどというものではない。突然怪物が降って現れたのだ。これには堪らず、目玉が眼窩から飛び出したまま三尺も飛び上がった者。悲鳴を挙げて犬よりも早く逃げ去る者。その場で小便を漏らして泣き叫ぶ者など大騒ぎになった。何事か、と通行人もあっと言う間に人垣が出来て遠巻きに輪を作りだした。これはまずい事をした。子供を脅したヘカチはさすがに思った以上の周りの反応にあわてたというものではない、もともと人の良い性格なのである。これは何とかしなければならないと彼はあせって周りをみわたすと、ヘカチはそこに腰を抜かして動けない子供を見つけた。この子で何とかしなければと彼はやおら側へ行きその子を軽々と抱き上げた。そのあと頬擦りしながら何とか宥めようとつとめたのが、これが返ってその子は死ぬほど怖がらせたに違いない。子供は目がまん丸に飛び出て呼吸はしていないばかりか、石のように固まって恐怖で泣く事さえ出来ないでいる。これもまずいかとヘカチは考え子供をそっと降ろすと開いたままの口に団子を入れてから、ポンと肩を叩いてやった。それで子供は我に返ったのかヘカチからの団子を咥えたまま矢のように走って逃げた。彼はその後姿に腹を抱えて笑っていた。遠巻きに輪を作って見物している人々も吊られる様に笑い出したのだが、もっとも追従しなければ、この羆のような男に何されるかわかったものじゃないという気分も人々にはあったろう。そんな他人の思いなどつゆともしらず、どうやら上手くいったか、とヘカチは腹の中でつぶやいた。シャクシャインも出された団子を頬張りながらまたヘカチがバカなことをして、まったく呆れて彼を見ているそのむこうへと、なんともなしに群集の輪へ目を移した。と、その中にヨイチアイヌの長チクラケが従者を数人連れて立っているのがわかった。チクラケはヨイチにおける鮭商人のあまりの非道さを訴えに松前までやって来て帰るところだった。その打ち萎れた姿があまりに気の毒でついシャクシャインは声をかけた。 「チクラケ殿。チクラケ殿ではあるまいか、」シャクシャインは立ち上がると見物人の輪に近付いた。突然寄ってくる羆男に和人は驚いてみな逃げ散ったが、そんなことは意に介さずシャクシャインは声をかけられて不信そうに立っているチクラケの側へゆっくりと歩いていくその顔は、旧知に意外なところで会えた喜びも髭の中で笑っていた。 「おう。これはシブチャリのコタンコロニシパ、」チクラケは今気付いた。 と、なつかしい顔に会ってほっとしたのか自らも駆け寄るとすがるようにシャクシャインの腕をとった。 「わしは、わしは、」とこの老人は突然にも泣き出しそうな声でシャクシャインに訴えた。「わしはこれほど口惜しい目におうたことためしも無し」というとその場に膝まづいてしまった。 シャクシャインは話が只ならぬ事と察し、彼の従者らを茶店に入れると、 「まずは、こちらへ来ませい」チクラケひとりを抱えるようにして街道の海側、松並木の人通りの少ない方へ連れて行った。 それからシャクシャインが訳を聞くと、 「藩のお役人に鮭(あち)商人の仕打ちを訴え出たところあの者たちはまるで聴く耳をもたず、かえって怒り出し、勝手に許可なく上在へ来るとは何事か、いつまでも御託を並べているなら関所破りの罪でその首を切り落とすか、さもなければ髯を切ると脅し、けんもほろろにわしを扱った」と涙もこぼれそうにいうのだった。 髯は武士の髷と同じくアイヌびとの誇りである。これを切るといわれることは極刑を言いわたされたも同じ最大の屈辱であった。役人と商人が結託していることはシャクシャインも良く知るところであったから、ヨイチの長の屈辱はシャクシャインが自ら受けたも同然だった。こんなことは余市ばかりでなく日高も内浦のアイヌも皆同じ扱いを受けているのである。シャクシャインはチクラケの嘆きを聞くと、自らも受け、多くの仲間も受けた屈辱を、肌が震えるほどの怒りに変えた。それに加え今少し前に寺社町奉行から高圧的に和睦を強制された腹立たしさがあったことも加えれば突然胃袋の胃液が沸点に、グラグラと音を立てて煮立つの感じたとしてもおかしくはない。男は誇りを持っているが故にすぐ切れる、さきほどのチクラケを見つけた嬉しさは瞬く間に怒りに変わり、フーコーの振子のように人間の脳ミソが怒りと喜びとが常に感情で自転していることを示していた。 「なんぞや、髯を落とすとな」シャクシャインの頭部の血液も膨張し頭皮を張り裂こうとするほど筋立てれば腹立たしくて悔しくて「禿げ部族めら、虚仮もほどほどにせいっ」ついに怒りは喉を突き「吾等を牛馬としてのみあれらは見るや。これなれば犬になろうほどが、まだよけれっ、」と、シャクシャインはそばの松の大木へ向かい憤りにまかせて思いっきり拳も砕けよとばかりに殴りつけた。驚くべきことに木のその部分がへこんでしまった。この歪な松は今も松前にあって『アイヌの怒り松』と呼ばれているのだが、ただしそれはコシャマインの乱のときコシャマインが蹴って曲げたとも言われている。どちらにせよ、人の力で松ノ木が曲がるわけがないのだから伝説とはそのようなもので、当時の福山の人々が如何にアイヌの反乱を恐れたか、その思いが伝わればあれこれ詮索するほどのものではないだろう。 「今にみよ」シャクシャインは拳から流れる血をひと嘗めするとヨイチの長へ、「このままではすませぬ」と落着いて静かに言った。 その一言がヨイチの長の目に光を与えたのだった。 「吾等は今だかつて誰かに頼みいることなし。また吾等が松前の殿様を助けても殿様が我らの面倒を見てくれたことこれ一度も無し。吾等はすべて神代の昔から自らの力のみを頼りてここまで来たり。それでも吾等が松前の殿様を敬わねことはなし。それは畏怖していたからにあらず、飽く迄も同じアイヌモシリに暮らす人間として隣人として敬うた。しかるに彼らは吾等に対し同じように敬うてきたといえようか、」シャクシャインは大きな手でチクラケの肩をガシッと掴むと睨むように大きな目を見開いて「否、」と首を横にゆっくり振った。 「まことに否である」チクラケもうなずく「我らが自らの力で生きて来たこの誇りを松前の殿様が何ぜ今踏みにじるか。我らをそこまで虚仮にして、それでも我らは黙って耐える意味が何処にあろうか。如何に、」と彼は問うた。 「これも無し、」と答えながらシャクシャインはペッと血の混じった唾をかしいだ松に吐き付けた。「まことに無しでありまする」と彼は二度繰り返した。 その言葉にチクラケは目に涙を溢れさせていた。手の先も足の先もぶるぶると震えるように怒りが湧き出てきて胃が重く痛むように身体の組織が崩れていくように感情が二人の中を駆け回っていた。 「では、もう一度訴えに行こう。吾も付いて行こうほどに、」と言いながらも驚くチクラケを尻目にシャクシャインの方が先に歩いてもう一度福山館へ向った。 供の者も彼の勢いに驚いて団子を頬張りながら茶店から飛び出すと後を追いかけた。 「新たに物申すことこれあり、」シャクシャインは先ほど出てきた寺社町奉行の建物前でそう怒鳴るとチクラケだけを連れて再び中に入ろうとした。 「何か?」といぶかしげに門衛の下役人はふたりを咎めた。 「ヨイチの長のことでこのシブチャリの長も御奉行様に物申したい儀これ有り。速やかに取り次がれよ」 「あん、」下役人は話がわからぬという顔をして何ともふたりを見つめていたが、それから、したり顔になると「少しここで待て、」そう言いながら中に入っていった。 するとわずかもしない内に五人ほどの武士がおっとり刀で血相を変えながら現れるとあっと言う間に二人を取り囲んだのである。これを見てシャクシャインの後を追ってきたヘカチら供の者、チクラケの従者らも入れて十人ほどが、分けもわからずその侍らをさらに取り囲んだ。これはとんでもないことになるぞ、斬りあいになるか、当事者の誰もがそう思った。緊迫した真空状況が館の大きくて実践的で古めかしく頑丈な冠木門の周りを異様にしている。侍は刀を抜いたら決してそのまま何事もなく鞘に収めることは出来ない教育を受けているのだ。鯉口を切れば誰かの血が流れるだろう。それはシャクシャイン側も同じだ。最初から人の話を聞く気がないのならここで殴り殺して憂さを晴らすも一興だろうと彼らも思っている。互いが互いの呼吸を計って、足をにじるようにして間合いを詰めていた。この中の誰が死ぬのか、あるいは大怪我をして一生を不自由な暮らしをするのは誰か、この一触即発という緊張した空気の中で侍側の下役の頭らしい者が知恵を巡らし、このまま上役の許可も得ないでたとえ相手が異人でも刃傷沙汰を勝手に犯せばどんな咎めを受けるかわかったものじゃないぞ、へたをすれば出世もおぼつかなくなると考えれば、ここはこんな奴らのせいで怪我でもしておまけに上司に叱られても何の徳もあるまいと考え直した。こやつらを懲らしめるのに何も真っ向から闘うこともあるまいて 「わかった。話は中で訊こう、」と小頭が言い出してきたから両者の危機は去った。 シャクシャインとチクラケはその頭の先導で中に入り、ヘカチたちは門の外で待たされることになった。中に入ったふたりは何の事もない、刀を後ろから突きつけられてそのまま牢屋に入れられてしまった。 「卑怯者。吾を呼んでおきながら閉じ込めるとは如何なる所存か。説明せよ、」とシャクシャインは牢屋から一晩中わめいたので狭い屋敷の中を馬鹿でかい声が走り回ってついに上役の耳に入った。 彼はそれを安季に伝えた。 「どうしましょうか?」 安季は迷った。これは好機かも知れない。シャクシャインは東蝦夷の厄介の元種である。今ここで奴を殺せば以後揉め事もなくなるかも知れない、ならいっそウトウも捕まえて殺せば喧嘩両成敗で話の辻褄もあうというものではないか、しかしそれで事が済むかと、ここで彼はもう少し深く考えてみるべきではないかとふと思い、蝦夷どもは長が殺されればそれで素直になる連中だろうか、まさか一揆もあるまいが、何か騒ぎが起きるのも困るというものだ、またそれが己の早とちりとなれば、藩中での安季も安穏とはしておれなくなるだろう。だが安季よ、やはり今殺すべきであったろう。この後の事を考えれば安季のこの時の考えは正しかったことになるが、それは事件が起きてからのことで、事件が起きなければ彼の判断は誤ったとあるいは広林に咎められるかも知れない。幼君の時代は誰がどう権力を握るのかわかりはしないのである。ここは穏やかにすべきで、物事を荒げるのは大人のすることではないと役人根性で彼は散々迷ったあげくに、ついては目の前の家来にわめいた。 「どうもこうもなかろう。あれらのいざこざをやっと宥めたのに何をお主らはやっているのだ。これ以上揉め事を作るな、たわけが、」とまあ安季が叱ったからシャクシャインらはすぐに釈放された。 チクラケには密入国の罪があったのだけれどこのドサクサで有耶無耶にされ彼も牢屋を出ることが出来たことが何やら役人たちのあたふたとした哀れも悲しい哉。ふたりは屋敷の不浄門からゴミでも投げるように放り出されてしまった。 シャクシャインは振り返るなり門に立つ武士らの足元にペッとつばを吐き、 「禿げめ、」一言悪態をついた。 ずっと門外で待っていた仲間のひとりヘカチも一歩前に出るなりこれを真似て手鼻をかみながら役人のほうへブンと飛ばした。同じく悪態もついた。 「パケトントン!」鼻汁はシャクシャインのつばのとなりに見事にべたりと落ちた。 それでも彼らは何も怒らなかった。ただ睨み付けてシャクシャインらが去るのをじっとまっているのみで、返ってそれが不気味に思えるのだった。 「胸糞悪し、厄払いをせむ」そう言ってシャクシャインは門を離れるとみんなを連れて湊の方にある漁師相手の小料理屋に向った。 福山は北都らしく、夜でも繁華街は明るかった。ドンと一押しすれば崩れて仕舞いそうなひしゃげた楼閣の料理屋はきつい一日の仕事を終えて憂さを晴らすために沢山の雇われ漁師や小商人らが土間に並べられた樽に腰掛けて、もたれれば壊れそうな卓台の上に置かれた木椀に注がれた安酒をふらついた赤銅色の皺も多い手で持ち上げてはあおって愚だをまいていた。さすがにそこへシャクシャイン一行が汚い縄暖簾をくぐって入ってくると、酔客も唖然として押黙って場所を空けたが、彼らは無視して腐って折れそうな階段を上がり二階の小上がりの方へ向った。四つほどある小部屋のどれもがふさがっていたが、階段の手前の部屋をシャクシャインが恐ろしい顔で覗くと、その中に居座っていた連中も猪口と徳利を持ってあわてるようにして部屋を黙ってゆずってくれたのだが、シャクシャインは普段なら礼をいうべきことを心得ていても、今夜は虫の居所が悪い、そのままあがり、やって来た色の黒い赤いホッペの髪形もくずれてだらしなくほころびた柿渋染めの着物を着たまだ小娘に酒を注文した。 彼らにとって酒に酔うことはさもカムイに近づくと信じられていた。それは呪術師がトランス常態になるのに似ているかもしれない。呪術師は自ら酒を呑まなくても勝手に自分自身へ暗示をかけて陶酔する術を心得ているが、素人が酒に酔うのもやはり同じことだろう。己を失うことには違いないのだから、脳は酒に酔って麻痺すれば見えないものが見えてくる不思議な現象が起きるのだ。アイヌ人は慎ましやかに生きながら、こうして神と対話することも大切なことだと思っていたが、アルコール中毒になる者も後の世に増えて酒を呑んでばかりで働かなくなるという悪習にも和人の酒が、この民族にはなったのである。 いま酒場では、これもあり不満もあり牢屋に閉じ込められたストレスもありで、シャクシャインはここで大いに飲んでアイヌ語で悪口雑言を語れば供の何人かは呑みつぶれしまったが、大抵は酒に強くそのまま朝まで飲み明かしてしまい、ついに翌朝早く眠ることもなく、小料理屋の前でチクラケ一行と別れた。 「長も国で今しばらく辛抱なされよ。しかしどうもこのままでは収まらぬ気がしもうす。吾がコタンには知恵者もおりますれば、きっと良き仕業あるやも知れませぬ。あれと相談などし何ぞ手を打ち申そう」 「わかり申した。良き報せ、きっと待ちまするぞ」 そう言い合って手を握り合うと二組は北と東に別れた。 近じかに、もしこのふたりが再び合間見えることになったとしたら、それはこの町の人々を十分震え上がらせることになるだろう。二組の異人たちが町を去ったあと、不気味な雲が現れるも早く、見る間に福山の空を覆っていき、安季は自宅の庭にいて、習慣である木刀の素振りをしながら朝の空を見上げて、何か気ぜわな、丹田から力が抜けて重心が上にあがったような不安になり、嫌な予感してならなかった。
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