20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:天に逆らう人々 作者:勝野 森

第2回   2
 東蝦夷の争い

 当時、蝦夷地の鷹は石狩湾岸と太平洋側に多く棲息しており、種類はオオタカである。この鷹の尾羽を真羽といって矢羽に用いられ高価なものだった。なにせ大きな鷹でもその部分の羽しか使えないのである。また鷹は矢羽に使われただけでなく大名や武士の娯楽としての鷹狩にも必要とされたから需要は多くあり、これも松前藩にとって大きな収入源となっている。だから彼らが棲む森などを鷹打場と称し、そこでは勝手な伐採は許さず、野火を着けることはもとより大声で騒ぐなという制札まで立てて手厚く保護した。猟法としては鳥屋を設けて隠れ待ち(このことから鷹待という職名がついた)数十名で大掛かりな網を用いて獲るものから、穴を穿って身を隠し、目前に餌を置きやって来た鷹の足を手掴みで捕らえて捕獲するという原始的な方法まであった。
庄太夫はこうした大勢で捕まえるやり方を得意としており、そのため多くのアイヌびとを雇って手子に使っていた。彼らは狩猟民族であるから、こうした狩こそその本領を発揮し、音も立てず匂いも無く風が緩やかに吹いて行くように獲物に近付き追い立てる様は何千年と培われたもので、庄太夫はこの技の高さに驚くほど感心した。もともと匠の子として生まれた庄太夫には相手が自分より優れた技を持っているというだけで憧れ尊敬するという気持ちがある。また自らも大自然の中で暮らすことが好きであったので、これがため、やがて異民族同士の垣根を越えて自然と彼らの社会に溶け込んでいったのではなかろうかと思われる。また大勢のアイヌびとを雇うということは、その長とも親しくならなければならない。つまり彼とシャクシャインとの出会いはそうしたことからおきたと推測されるが、シャクシャインにしてみれば物知りで聡明で謙虚なこの若者に一目ぼれしたといっていい。庄太夫はシャクシャインの家に招かれそのまま居着くようになったのだが、これは独身の庄太夫にすれば狩場のことも上手くいき飯炊きにも困らないという一石二鳥のありがたさだった。しかしそれは甘い考えというものだ。世の中自分の都合通りには出来ていない。後に全蝦夷軍の軍師となる庄太夫もこの頃はただの若造でしかなく、つまるところ彼はアイヌの風習を知らなかったのである。年頃の娘がいる家に居着けばその娘と結婚することになると言うことを、しかしシャクシャインの娘は気立ての良いコタンでも評判のピルカメノコだったから庄太夫は逆に運のいい男と言えるかもしれない。そこにシャクシャインの庄太夫を見込んだ思惑があったのだけれど彼はむしろ喜んでそれを受け入れた。
 若い夫婦にはすぐ男の子が生まれた。シャクシャインにとっては初孫、庄太夫にとっても将来の後継ぎができた。ふたりはこの子供を溺愛したが十三年後に悲劇が待っているとはその時、露ほども思わなかったろう。
 ともかくこの庄太夫という身内ができてシャクシャインのメナシウンクル族は強化されたといっていい。
「兵法を用いるのです」という彼の効率的な猟の仕方によって多くの鷹が手に入り部族の収入もあがった。
 これと同じようにシャクシャインらが長い間対立しているシュムウンクル族の側にも庄太夫と同じ和人が付いていた。名を文四郎という。砂金取りの頭であった。彼は庄太夫と違ってアイヌ文化に自ら溶け込もうとはせず、松前藩の威光を嵩にきてシュムウンクル族の若き大酋長オニビシらをその傘下に入れていたのである。
 当時、蝦夷の砂金は粒が大きくて質が良く、高く売れたので松前藩にとっては鷹などにくらべようもないほど大きな収入源となっていた。まだ綿花栽培による鰊の魚肥の需要が爆発的に増える以前の話しで、この頃の松前藩の収入源の多くが砂金や鷹であり、次いで鮭、昆布などの海産物である。砂金はクンヌイなどの内浦アイヌ族の縄張りに多く産出し、鷹は日高アイヌ族の勢力内でよく捕れた。しかし砂金はやがて東蝦夷にも多くあることがわかり和人の進出はこの方面にもおよんだのである。だから文四郎が縄張りとした砂金採りの主な河川が慶能舞川と静内川というこの日高アイヌ族の暮らす東蝦夷にあった。しかもこの河川は対立する二部族の中をそれぞれ流れていた。すなわちシュムウンクル族に流れる宝川は酋長オニビシが跋扈するハエの慶能舞川、それに対してシャクシャインのメナシウンクル族の方はその根城がある静内川である。砂金はアイヌ民族にとってはさほど宝の砂とはいえず、むしろ血眼になって探す和人が川を荒らすため迷惑な存在といえるだろう。ただシュムウンクルは早くに西から波及してきた松前藩の商業資本の影響を受けており、彼らの生活はもはや和人の協力なくしては成り立たない。だから河川の漁労に多大な悪影響を与える金堀にも眼をつぶり、むしろそれに協力して利益の一部を得ることを得策としたが、メナシウンクルの方はまだ自立自尊の風があって、彼らは和人と同じような生活様式を取り入れているシュムウンクルとは違い本来の生活の基盤を昔ながらの狩猟採取に於いている以上、こうした漁場が荒らされることに不満を持たないわけがない。互いに西の者、東の者と呼び合っている同族だが、これを親和人派の新部族と古典的なアイヌらしい古部族と呼び合えば彼らの対立がハエに展開する猟場の争いばかりとは言えない事が一目瞭然にわかるであろう。
 だから庄太夫のように鷹を捕獲することには彼らの生活環境にとって何の影響もなかった。彼らは別に鷹を獲って食べていたわけではないし、むしろ鷹打場が自然保護されていたことなども同じ自然界を生活の場とする以上むしろ望むべきことであった。だが文四郎は違う。彼のすることにはメナシウンクルに害はあっても利益はひとつもなかった。彼らは静内川の上流に金脈を発見し、やがて河川の沿岸の山を崩し土砂を河水で洗い流して砂金を求めたがため、上流から流れる泥水は中流をも濁させ魚介類の生息を脅かすことも甚だしく、ついにこの河川でそれを獲り生業としていたものは生活できなくなった。こうして上・中流川沿いのコタンは滅びていった。流民となった彼らはみなシャクシャインの居る下流のシブチャリ砦に集まり現状を訴えた。コタンの悩みを解決出来ない者は酋長とは言えない。シャクシャインの大きな胃袋は今、ふつふつと怒りで煮えたぎっており、彼の目から見ればすなわち、カムイの聖なる土地を侵す者とは、松前藩士よりもこうした金堀人達であったろう。長い間、民族に語り継がれたカムイと魔神との戦いは自然を護る者と破壊する者の物語であって、だからアイヌ民族にとっては自然を破壊する彼らこそカムイに背く魔人であると決め付けてもおかしくはなく、今こそ彼ら魔人に鉄槌をくらわしカムイとその僕らのために正義を守らなければならないとシャクシャインは信じた。
アイヌ民族の文化には正義を愛しそれを持って物事の是非を問うということが色濃く反映しており、これをして平安末期の武士の勃興に於いて彼らの精神文化に大きな影響を与えたといえるだろう。それまでの貴族の築いた穏やかな文化に比べれば武士の思想は一寸の土地を守るためには血族でさえも殺しあった。土地を正義とし、それを侵すものは断じて許さなかった。この時代の正義とはそうした一族の命と財産を守るといういたって狭義なものであって、それ故にその荒ぶる行動は平安貴族にすれば唐書に出てくる北狄の異民族を見るように恐ろしかったに違いない。
 当に異民族が律令制度の箍が緩んだ隙をこじ開けて新しい時代へと弾いたのだ。平安末期の東方に興った新勢力武家文化こそ、その提供者がアイヌ文化であり、この目鼻立ちも険しく髭も豊かに逞しき人々こそもののふと言われたアイヌ人と和人の混血種であったろう。なぜなら彼らは今もそれを色濃くもっているからだ。
庄太夫はこの文化が好きだった。彼らは仲間を敬い、部族内の揉め事も全員で協議して善悪を確かめて、それでも埒があかない場合はカムイに採決を仰いだ。たとえば熱湯に腕を入れて火傷をしなければカムイがその男の言い分を正しいと認めたことなど奇習ではあるが、こうした単純で原始的な社会制度を庄太夫は何よりも愛した。彼が生まれ育った国の封建制度の理不尽さはそこにはなく、ただ男が男らしく仲間を気遣い、それが正義であれば平然として仲間のために命を捨てたり、また森羅万象すべてに神がやどり、大自然の力を謙虚に受け止めて逆らわずその意に添って生きることを善しとしたことなど、その生き方が彼は好きだった。シャクシャインもメナシウンクルの長を世襲したわけではない。彼の正義感を部族みんなが愛し、推挙されて長となったのである。庄太夫も彼のそうした仲間への思いやりの強さに引かれ、自ら進んでこの民族の一員になろうとした。
 だから今、シャクシャインはその正義をもって言う、
「文四郎めを殺す」
 シャクシャインは砦の望楼から対岸にある文四郎のさほど大きくもない屋敷を杖で示し、次いで望楼の手すりをバシリと叩いた。手摺には一羽の鷹がとまっていた。庄太夫の愛鷹アムルイである。鷹はシャクシャインの杖で驚き、ふわりと飛び上がった。
「それはなりませぬ」そばに立つ庄太夫は静かに言った。
 彼は怒る岳父よりもその向うピポクの海へ張り出た岬に沈む夕日を眺めている。何と言う自然の技か、この世にこの夕日より美しいものがあるだろうか、と思うばかりである。その真っ赤な沈む太陽の中を黒い影となってアムルイは旋回していた。
「なぜか、奴こそはわが一族を苦しめる魔人ぞ、」
 庄太夫はシャクシャインに振り向いた。岳父の顔は夕日に映えて赤鬼のようである。この顔で今の言葉を文四郎にそのまま聞かせればさすがにあの男でも縮みあがるだろうと、そう想像すると可笑しかった。
「今、文四郎を殺せばオニビシにとってこれほどありがたい事はないと喜ぶでしょう」と庄太夫は意外なことを言った。
「なんと、あの小僧が喜ぶとな?」
「そうです。文四郎は松前の殿に金をもたらす無くてはならない者なれば、奴を殺せば松前の殿が仇と怒ってここを攻めてくるは必定ではありませぬか、その時はシュムウンクルの連中も加勢してきますから両軍相手ではとてもじゃないが吾らは太刀打ちできぬでしょうね。だから吾らは滅びるしかありませぬ」
「なるほど、さすれば小僧めが喜ぶわなあ、」
「文四郎など、どれほどのものか。しかし金山は松前の殿には変えがたき宝なのです。それを取り上げれば必ずや吾らを滅ぼし取り返す。だから文四郎を殺さず勝手にさせておけば松前の殿も我らに手出しはできないでしょう。この金山の地で争いが起こればその間松前の殿には金が入らなくなりまする。それは困るから今のままで何事もなければそれに越したことはないと松前の殿はおもうているのです。だから文四郎はいわばこちらの人質でもあると思し召され」そう言いながら庄太夫は砦の崖下を流れる大河静内川の緩やかな水面に映える夕日の煌びやかさに見とれていた。
「言われてみればそのとおりだが、しかしこのまま文四郎に勝手させれば吾らは生きていけぬではないか。実際こうして難渋しているものらを前になにもせねとなればわしは長(おさ)として能無しと言われてしまうだろう」
 落陽は早く、時を急ぐように水面に映える黄金色に散りばめて流星の残光の瞬きのように輝いていた。その煌煌たるやあるいはここが本当に黄金の川なのかもしれないと欲高き人々に一夜の夢を見せて虚しく消えていくのだろうか、時も流れ、美川も流れ、人の性も流れ、それでも人は今だけを生きていかなければならない。
「まさに、長は常にみなの心配りこそ肝心です」
「ならばどうすればいいのか、」
 ついに陽が落ちて辺りは暗むわずかの間青白い光陰の中にあれば、庄太夫は凄んだ瞳でシャクシャインの顔を見ると血の気も薄く、
「オニビシを殺すのです。しかも文四郎の前で、」蒼ざめた殺戮者の声でそう言った。
「…」
「オニビシが目の前で殺されれば、文四郎め、次は自分だと思うでしょう。そうなれば死にたくないから奴は自分のしたことを省みて川を汚さぬよう気を付けることになるのです」
「そうか、長年の仇オニビシを殺し文四郎に脅しをかける。まさに一石二鳥の謀なれど、如何せん」とシャクシャインは腕を組んでうなった。「オニビシこそ先の長の仇、何度付け狙っても今だ奴の首を見ること叶わず。それをどうして今殺せるというのか、無理な話じゃのう」シャクシャインは長い溜息をついた。
 本来、日高アイヌ族は他の部族のようにひとりの大酋長によって統一されるべきであった。しかしイプツ(勇払)など大きな交易地を抱えていた西の日高アイヌたちは早くから松前藩とは近しくその恩恵もあって豊かになり東の者との間に貧富の差が出来てしまって、これが新勢力を生み、東の者など頑なに昔のままでいる田舎者にすぎないという差別を生んでしまった。しかもこの地方の地形がその差別にいっそう拍車をかけているのである。背後に高大な日高山脈を持つ此処は冬になると深い雪に埋もれてしまい、このため山中に棲息する鹿は細い足が取られる深雪の山では、軽がると雪を掻き走る大型のタイリクオオカミの亜種であるエゾオオカミの群れに襲われる危険があって、それを恐れて鹿の群れは逃げ走ることの出来る降雪の少ないハエのあたりを目指してみな秋になると降りて来ていたのである。なだらかなハエの野のすべてを覆うほど鹿は集まり、彼らが移動するときは野そのものが動いているように錯覚するほどの数が集まって、こうしたことは逆に近隣の奥山からは一頭の鹿もいなくなるという其処に棲む人間に不都合な現象が起きたのである。また悪いことにハエはシュムウンクルの縄張りでもあったのだ。だから冬場の食料を得るためしばしばメナシウンクルの者はシュムウンクルの縄張りを侵さなければならず、鹿はあり余るほどいるのに財を成した者たちは性格が歪になるのだろうか、共に分け合う狩猟民族本来の心を忘れてしまったのである。このため越境行為が発覚するたびに揉め事となり、正義はいつもシュムウンクル側にあったから、メナシウンクルの方はその度に貢物を渡して事を収めざる負えなく、それをまだ副酋長であった頃のシャクシャインがこの不愉快な交渉にあたりチャランケをつけるのだが、のちに北海道に棲む大半の人々を巻き込んだ大きな事件となる発端は、実にこのつまらぬ揉め事に彼が口出ししたことで起こったと言えるだろう。
「今、ハエにいる鹿は吾らが棲む山からここへ来ているだけにすぎない。もともとは吾らの鹿である。それを射殺して何が悪いか吾にはわからぬ」とシャクシャインは言いながら首を傾げる。
「しからば、」とシュムウンクルの者が立ち上がってやり返す。「シブチャリの者は花の種がそっちからこっちへ飛んで来て根を生やしても吾のものと言いはるか、なんと呆けたことよ。鹿が何処から来ようが行こうが吾らの預かり知らぬことなれば、我らの土地にいる限りは我らのものぞ」
 まあ、チャランケと言われる議論などは大体がこのような屁理屈の言合いになるのだが、どうもこの時だけは相手の言った言葉の中の一言がシャクシャインには気に喰わず彼を怒らせた。
「うぬらの土地だと、ふざけたことをぬかせ。この地も山も誰が創りたもうた。すべてはコタンカラカムイが創ったものではないか。それを何んぞ血迷うたか勝手におのれの物などと言うわ、カムイを恐れぬ言葉なり。うぬはいつからカムイになったのじゃあ」シャクシャインはカッと眼を見開き、「しかるに同じ仲間で有るべき者同士がなぜここに縄張りを作るか、そのシサムのごとき有り様あまりに情けなし。まったくもって泣きたいほど腹が立つわ。少しくらい物持ちになっただけで己惚れるうぬらの腐った根性が気に入らぬ」と叫ぶなりこの和解の席で血迷ったのはシャクシャインの方で、なんとそう云うなり相手のシュムウンクルの弁士の襟を掴み上げ殴り殺してしまった。
狩猟民族であるアイヌにはもともと土地に執着するということはない。しかし和人の影響を受けているシュムウンクルにはそういう考えもあったのだろう。それゆえこの縄張りが土地であるという考えは彼らだけのものだったかもしれなく、メナシウンクルにすれば曖昧なはずの縄張りの境界線がこの土地から、といわれる意味がよくわからなかったに違いないのであって、だからこの場合シャクシャインの言い分が正しい。しかし暴力はいけない。(この事件の記録は松前藩側にのみ残っており、文字を持たないメナシ側には当然記録は無い。しかも大乱後は風聞にさえ規制が厳しくかけられて伝説も絶えてしまい、だから古文書はどうみてもシャクシャインを最初から悪党と印象づけるかのようにみられる。人を殴り殺すことはだいたい簡単なことではない。ただ腕力のある彼なら可能かもしれないが、それでも死者の怨霊を何よりも恐れる彼らは簡単に人を殺さず、だから真実は相手が殴り倒されただけだったのではなかろうか、)アイヌ民族はすべての揉め事を互いに協議することで解決するのが基本なのだが、それをいきなりシャクシャインは話し相手を殺してしまったのであって、これは有り得ないルール違反であり珍しい事件であった。まあシャクシャインにすれば仲間の死活問題を屁理屈で決めるいい加減差にうんざりし憎しみをも重ねて持っていたのだろうが、両者はこのときから六年余り敵対し、猟場では鹿を追うよりも互いに傷付け合うことの方が多かった。こうした折りの事、再び大きな事件が起きたのでる。
 この事件によって今度は、若き酋長オニビシが、シャクシャインに仲間を殺されたためその復讐を成し遂げなければ仲間から無能と呼ばれコタンを去らなければならないことになった。しかし腕力では到底シャクシャインには勝てない。何か方法はないのかと日々オニビシはあせるように考え込んでいたが、人間どんなに頭が悪いといわれる人でも時間を掛ければ知恵も湧くというもので、
彼があれこれ考えているうちになんと機会は向こうからやって来た。かねてよりシブチャリを監視させていた者が駆けつけてくるなり、シャクシャインが祝事のため、同族のトカプチアイヌのところへ出かけたというのである。どうも庄太夫も一緒らしい、とはこれは幸いなり、しめたと、オニビシは膝をうって喜び勇み、
「豪の者と智の者とが一緒に出かけるとはなめた話よ。それほど我らを虚仮にするなら目に物みせてくれむ。まさにこのカムイのくれし恵み逃すことなかれ」とオニビシは笑いも止まらぬほど嬉しくてしょうがなく手を叩いて喜んだ。
急ぎ仲間内にふれを出すと、シャクシャインの留守のその隙に彼は一族を伴ないシブチャリ砦を襲うも早く、ついでメナシウンクルの酋長カモクタインを殺して砦を乗っ取ってしまったのである。このためシャクシャインはトカプチ(浦幌)にあって帰る家を失い途方にくれてしまった。そのとき同行していた庄太夫が、
「取られたものは同じ方法で取り返せばいいのです」と笑いながら言ってくれた。
 シブチャリ砦は難攻不落の砦として近郊に名を知らしめている、だから如何に豪の者のシャクシャインでもわずかな手勢では取返すことが無理であることは熟知しているから、ここは知恵者の庄太夫に任せるしかない。
 庄太夫はわずかな仲間を連れシブチャリ砦の森に潜むとオニビシが本拠地のハエの砦に戻るのをじっと待っているなどという呑気なことはしない。一人の気の利く若者をハエまで山中を迂回させ、こっそり夜を待ってオニビシの屋敷に火を着けさせた。ご存知のように民族のチセは葦を重ねて出来ているから火はよく燃えるのだ。高台にあるシブチャリ砦からハエの方角が真っ赤に燃えている様子がよくわかる。オニビシにすれば、シャクシャインがハエに夜襲を掛けたに違いないと悟り、臍をかむ思いで多くの仲間を連れると夜道を駆けてハエの救援に向かったのである。こうしてオニビシは庄太夫が潜んでいるとも知らずシブチャリの砦を空けてしまった。庄太夫はそろりと砦に近付くと音もなく残っていたシュムウンクルの者をこっそり次々と矢で射殺してしまった。リーダーのいない軍など他愛のないもので、砦は難なくシャクシャインの手に戻り彼はみんなから新しいメナシウンクルの酋長に迎えられたのである。その後両者は事あるごとに戦ったが勝敗は見なかった。それを今、庄太夫は一気に片を付けようというのである。そんな簡単にいくものでないことは庄太夫も知っているはずなのに、シャクシャインは疑うようにして彼を見ていた。
「方法はあるのです」
「本当に小僧を屠り、文四郎を諌める方などあるのかえ?」
「ええ、」
「どんな?」
 川面では魚の群れが盛んに空中を漂う虫に向って飛び跳ねている。それらもまた陽も落ちてわずかに明るいなかで影絵の魚のように見えた。パシャ、パシャと水音を立て、またキラリと鱗が残影に光った一瞬、音もなく飛んで来たアムルイは空中の影絵の魚を鋭い爪で捕らえて去った。
「まず長はもう一度シュムウンクルの縄張りに出向き鹿を獲るなり鮭を突くなりなさりませ。奴らが咎めに来るまで続けてほしい。そしてやって来たシュムウンクルの者にチャランケするヒマも与えず出来れば頭に瘤のひとつでも作るのがよろしいかとおもいまする」
「ようは、奴らと揉め事を起こせということじゃな」
「そうです。出来るだけ騒がしいほうがいいのです」
「それは易き事、」
「そこで今度はそれがしが文四郎のところへ行って話をしてきまする」
「ほう、」
「こうも蝦夷どもが揉め事ばかり起こしていては鷹待も金堀もおちおちやっておられぬではないか、と言いまする。当然普段から蝦夷同士の争いに頭を痛めている文四郎ですから話に乗ってくるでしょう。奴にとってシブチャリの奥の金堀場は何としても手放せないでしょうからね。そこがこの争いで行けなくなるとなればどんなことでもするはずです。そこで文四郎に仲裁役を頼んできまする。シャクシャインはそれがしが説得するからお手前にもご足労ながらオニビシに和睦に応じるよう話してみてくれと言いまする。オニビシは文四郎の手下に成り下がっておりますからこれは問題なく承知すると思います。特にこちら側は詫びの貢物も沢山用意しているとも言いましょう。これでオニビシも間違いなく乗ってくると思いますね。そこでもうひとつオニビシを安心させなければならない。それは和睦を何処で行うか、です」庄太夫はそう言いながら眼下遥かな文四郎の屋敷のほうへ顎をしゃくった。「これをそれがしは文四郎の屋敷がオニビシにとっても安心できるのではないかと進言しますれば、文四郎もオニビシも納得するでしょう」
「まさに、」
「オニビシは文四郎の屋敷ならまさかシャクシャインも手出しは出来ないだろうとおもって少ない供の者だけ連れてくるはずです。こちらもそうなさいませ」
「ふむ、読めましたぞ」
「そうです。長らが酒宴をはじめてのち酔いつぶれている頃、夜陰に乗じてわれら一同此処を出て文四郎の屋敷を取り囲みまする。あとはオニビシの首を刎ね、その血の付いた刀で文四郎を威せばいいのです。以後シブチャリ川を汚せば己もこの首と同じになると」
 謀はこうした誰にも聞かれない望楼の上が一番いい。庄太夫はそう思って二コリと岳父に微笑んだ。
「ふふふ」シャクシャインは如何にも愉快に笑い出し「面白きかな、そうしましょう」彼は癖なのか鼻の下を指で擦った。「但し、如何に吾とてカムイに和睦の誓詞を出した後では奴を殺せぬ。殺せば約を違えた卑怯者となる」
「そうですね、それは良くない。話がその事に及べば誓詞は後日カムイの祭壇の前で正式にやろうと言いなされ。取りあえず固目の盃こそ一番と、瓶子をとればみな酒好きですからきっとそうなるでしょう」
 結局、そうなった。が、事はこのままでは終わらない。オニビシの姉がサル(富川)にいて、名をサポというのだが風神の如く元気な人であり、また美人でもあって、そのこともあり実年齢よりも遥かに若く見えた。娘時代は長い髪を風になびかせ鋭い目付きで野を駆ける姿に、多くの若者が憧れ、中には恋焦がれて死ぬ者もいたという。そのことについてだがこんな話が日高南部地方に伝わっている。昔々と言いたいところだがそんなに古い話では無い。気の弱い男がよりによって美しいサポに憧れた。どんなに恋焦がれたところで想いだけでは相手に届かないと、男はある日意を決するとやっとの思いでサポに胸の内を開けた。ところがサポにとってはこのような気弱な男が目の前をウロウロするだけでも腹が立つ、男は潔く強くなければならないのが民族の男たる者であれば、父も祖父も皆そう生きて来た。彼女はそれを見て育ったから当然男とはそういうものだと思っている。しかし大半の男というものは、本当は気の弱い痩せ我慢だけで生きている生き物なのだという真実を知るのは彼女にとってもずっと後のことであった。だからこの時点でのサポはこのような男を相手にしないのが普通であって、それでも男は諦めきれずよせばいいのにサポへ、
「どうすれば貴方を振り向かせることができるのでしょうか?」と訊いた。
 男はきっと、
「戦で手柄を立ててみよ。あるいは大羆を仕留めて来よ」と言うであろうと思った。それなら死ぬ気でやれば何とかなるかもしれないではないかと、男にはその言葉のひとつに希望が見えてきたように思えた。
 ところがサポは、
「死んで見せよ、」と冷たく言った。
 翌日男は首をくくって死んでいた。これにはさすがにサポも懲りてしばらくは大人しくしていたというのだが、その話はまた皆に伝わってサポの美しさを伝説のようにした。だから男どもはどうすればサポを振り向かせるかと努力したのである。彼女は弓を得意とし、コタンのどの男にも負けなくて、こうして若い頃より男どもの取り巻に囲まれて女王のような雰囲気を持った人であった。サポは戦も好きである。彼女が戦場に立つと、男どもは女に負けることを恥じていつも以上に奮い立つのだった。夫はサルの長ウトウである。また弟がさきに述べたようにシュムウンクル族全体の酋長だったオニビシにあたるから彼女は名門の出というところか、このため実際にはこのサポがサルを仕切っていたといっていい、ウトウは尻に敷かれるのが似合う男で、それはオニビシの姉というよりも実力を持ってしてであって、時にはオニビシすらこの気性の激しい姉に逆らえなかった。ということはサポはシュムウンクル族の本当の長だったかもしれない。これゆえに彼女が、弟オニビシがだまし討ちにあったことを聞くと怒りを露わにして、
「あの田舎者どもめが、狐の如きことをしくさってっ、」と唾を吐きながら夫のウトウにわめいた。
 そしてウトウをシュムウンクルの総大将にすると弟の仇を討つため全軍に出動を命じたのである。すなわち全軍とはオニビシの直轄地ハエを継いだチクナシ、ピポク(新冠)のハロウ、そしてサルのウトウである。当然、シャクシャイン側もこれを迎え撃とうする。同じメナシウンクルのウラカワ(浦河)、トカプチ、クスル(釧路)の者も駆けつけてきた。ついに日高アイヌ族の全面戦争となった。しかし何度戦ってもシュムウンクル軍は庄太夫の巧みな用兵によるメナシウンクル軍には勝てなかった。だからシャクシャインは笑いが止まらない。
「物持ちほど戦は弱いものだ」と訳のわからぬことをウラカワの長に言って腹をゆすっていた。
 すでにシャクシャインには、何度戦っても負けることはなくその身にかすり傷も負わないという伝説はあった。が、それはこの戦いでもさらに高かまり百度戦っても身にかすり傷も負わないという伝説はすべてのウタリに広まっていった。
「あれはアイヌラックルの生まれ変わりよ。それが証拠にウェンペクルの矢はみなそれてひとつも当たらぬ」
 庄太夫は密かに人を使い、そうした噂を触れ廻るようにしていった。
 どうしても勝てない。このままでは一族は離散してしまう。危機を感じたサポは自らも弓を取って戦ったところ、アツガ(厚賀)で庄太夫の『足長蜘蛛作戦』に会い危うく命を落とすところであった。彼女すらこうではもうどうにもならず、ついに夫ウトウの尻を叩くと、
「今から直にシラウォイ(白老)のシサムのところへ行き助太刀を頼むのじゃ」と急かした。
 ウトウはすぐシラウォイへ向った。
 この戦いで一番驚いたのは文四郎であったろう。両者が全面戦争になったため静内川どころか慶能舞川の金堀場までも採掘出来なくなってしまったのである。
「庄太夫の倅めに騙された」
 文四郎は思いつくだけのあらゆる汚い言葉をもって庄太夫を罵ったが後の祭りである。だがこのままでは自分も干上がってしまうではないか、彼は急いでサルのウトウのところへ行った。しかしすでにウトウはシラウォイへ行った後でサルには妻のサポしかおらあず、しかたなく文四郎はサポのやかましい愚痴に耐えながらウトウが帰ってくるまでじっと待っていた。尻が落ち着かないと言うことはこういうことか、どうも以前からこの家は鬼門で近付きたくなかったのだと文四郎は思うのだが、特にサポは彼ですら苦手で、せめてウトウでもいればサポなど気にせずにすむのに逆にサポひとりだけだとこの愚痴の大雨にあたる運の悪さには我ながらうんざりするのだとぼやいていると、それから頃もなくウトウはしょぼくれた顔をして帰ってきた。文四郎はサポと二人きりから開放されてホッとした。しかしことはそんな呑気な気分ではないのであって、厳しい顔に戻るなり、
「首尾はどうか?」と急かすように尋ねた。
 ウトウは無言で首を横に振った。
「だめか、」文四郎は簾の上に蓙を敷き詰めた床にペタンと力なく座ってしまった。
「なんで駄目なのさ、あんた」サポは床から飛び降りると夫の胸倉を掴んで唾を飛ばしながら言った。
 ウトウは顔にかかった飛沫を拭いもせず、
「兵が駄目ならせめて鉄砲だけも貸してもらえぬだろうか、と頼んじゃがのう」とサポの眼をそらして言う。
「それで?」
「百姓ごときの争いになぜ武士が加勢しなければならんのじゃ、とケンもホロロに怒鳴られてしもうた」
「おのれ腐れシサムが、さんざ袖の下を受け取っておきながらいざと言う時に頼りにならぬとは、」
「木っ端役人などあてにするからじゃ」文四郎は再び立ち上がると何かを決心したのか、「あやつらに何がわかるか。オラはこれから福山に行って来るわ。帰ってくまで何とか持ち堪えていよ」と言うなりぷいっとそこを出てまっすぐ福山に行ってしまった。
 福山にやって来た文四郎はまっすぐ寺社町奉行の下国安季のところへ行き東蝦夷の騒動を訴えた。
「このままでは金が採れませぬ」
 文四郎の言うこの一言が安季を動かした。金の採取は松前藩の財源の最たる物であって、これが一粒でも留こうれば勘定奉行に嫌味を言われるだけではすまない。
「文四郎、おのれはただちに東蝦夷に戻り、シャクシャインなる者とウトウに福山まで出頭するよう申してこい。その騒動、この安季が裁いてみせるわ」と言うことになった。
 シャクシャインにすれば松前藩など毛色の違った一部族に過ぎないと見ている。だから強引な出頭命令も何をほざくか、と思っていたが、しかし次々と渡海してくる和人の群れが遠く各地に移住してくる現在これらを保護するため松前藩が蝦夷地全体の管理にこの先五月蝿くなってくるだろうと庄太夫は見ていた。先はどうなるか、それを考えるとここは向うの言い分を聞いて来るのもいいのではないか、とそうシャクシャインに進言した。ただしこの福山行には庄太夫は供をしなかった。彼はカモクタインの例もあり留守の間後方を守ることもあったが、松前藩に部族間の争いに和人が係わっていることを知られたくもなかったのである。シャクシャインは庄太夫の意見を容れ、屈強の部下を数人連れると大きくシュムウンクルの縄張りを迂回して蝦夷地の最果て(シャクシャインから見れば)にある福山へ向った。こうして東蝦夷で長い間続いていた小さな部族間の争いごとが松前藩都福山で取り上げられることによって解決するかに見えたが、しかし世の中皮肉なもので一寸先に何が起こるかわからないときている。むしろこのふたりが福山へ行ったため事件は大掛かりになり、松前藩はその後、藩そのものが存亡の危機に立たされるのである。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 3973