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作品名:天に逆らう人々 作者:勝野 森

第16回   東へ
  東へ

 北の大草原に吹く夕暮れの夏風は江戸とは違って乾いた涼やかもので、まことに心持のいい気分にさせてくれるものであった。
 その爽やかな風を頬に受けながら泰広は床几に腰掛け、盾を台にした机の前に主だった者たちを集めて次の作戦会議を開いていた。篝火が照らす盾の上にはこの辺りの事を記した簡単な地図が置かれていた。
さて彼らがいる場所は陣幕の外で、幕内は、今は野戦病院になっており、多くの怪我人とそれを介護する者らで埋め尽くされているのだった。これがために泰広他怪我の軽いものや無事な者、亀田から来たわずかな侍らと多くの町人は草原の風通しのいい場所にそれぞれが勝手に身分ごとに集まって、戦の跡片付けも終わってか、まずは焚火を明かりとしながら休憩していた。ただ泰広のいるところ、集団のほぼ真ん中あたりだけ特別明るくなっているのであった。
 これらは一見のんびりとした風景だが、しかし誰もがひと戦が終わって安堵していると言うわけにも行かず、アイヌ軍がこの夜陰に乗じて攻めてくることは十分考えられるので、見張りに怠りは無く、休憩する者も具足を解くものは一人もなくて傍に武器を置いて油断はなかったのである。誰にもアイヌ軍は負けて引き上げたのでは無く海から突然やって来た援軍に挟撃されることを嫌って退いたことがわかっていて、現在でも実戦闘員の数からみれば敵軍の方が有利な立場にいることは変わりないのである。それをどうするのかが、泰広の作戦会議の課題であった。
「明日、早朝に」と泰広は矢立で地図の一点、オシャマンベ砦を指した。「ここを攻め入る」
 今度は形成が逆であり、数はいまも向こうが勝るとなれば、しかも今度は砦という大きな防御施設に閉じ籠る相手をどう攻めるのかという難解な課題が出来た。彼は声を潜めるようにして、ぼそぼそと具体的な戦略を説明し、誰がどの部隊を引き連れてどう行動するのか、一人一人に細かく説明した。次いで、彼は広林を見た。
「御見方アイヌで知恵と勇気に優れたる者を数名、今すぐ此処へ連れてこれまするかな?」
「砦には金堀の手子となって働いていたアイヌが数名おり、これが中々の悪党でござります」
「悪党ですか」
「いえいえ悪党というのは肝が据わっているという意味でござれば、まこと今朝の戦いでも敵に寝返らず、我等と共に討死覚悟で働いておりました。身形も和服など着て敵に間違われぬよう気を付けていたくらいですから知恵も確かでござりまする」
 広林に言わせれば、蛮人でも猿より知恵があるということなのだろう。
「ほう、それは善き人々也。あの戦況で裏切らなかったとは心強い。まずはここへそれらを連れて来てくれぬかの」
 広林は肯くと振り返り、後ろに控える従者へ御見方アイヌ全員を連れてくるように言った。
 やがて時を得ずして数名の体躯の優れた荒々しい蓬髪を後ろに束ね草紐で結んだ髯だらけの眼もぎょろりとした精悍な男たちがやって来て広林の後ろにかしこまって座りだした。
「なんぞ御用でござりますや」と中の一人がアイヌ語でそう尋ねた。
 通詞の若者がこれもアイヌびとなのか目鼻立ちくっきりとしていたが髭は無く癖毛の髪を引っ吊るように髷も結っており、それなのに綺麗な発音の和語に直して泰広に伝えた。泰広は床几から腰を上げるとつかつかとその青年に歩み寄り顎で側に来るように指示してから、さらにアイヌびとの中でさきほど声を発した者の前でかがむと通詞へ誰にも聞き取れないほどの小声で囁いた。男らは黙って通詞がいう泰広の言葉に聞き入り最後に肯いていたのだった。
 翌朝、陽の上がる前青く空が東に開け始めた頃、泰広は鉄砲方で傷を負ってない者百名と自分が連れて来た新手の軍勢の中から老人と子供を除き合わせた約七百名を連れてシャクシャインが立て籠るオシャマンベの砦に兵を進めた。
 この時、オシャマンベの砦に籠るアイヌ軍は五百名に満たなかった。すでに前夜、泰広は味方についていた内浦アイヌ族を使って反乱軍に対し工作していたのである。彼の命を受けた内浦アイヌ族はその足でシャクシャイン軍の兵卒がたむろする中を夜陰にまぎれて訪ね、
「まあまあ皆の衆、聞いてくだされや、俺らがよお、松前の殿様に言われたことだがよ、これがまったく持っていい話なんだが、何とこれより先、戦に加わらぬ者は罪を問わないそうじゃ。昨日までの己らがしでかしたことは松前様にも落度はあるゆえこれはなかった事にしようと言われなさってな、まことに松前様は心広き殿様じゃあ、そればかりかまだ不満のある者はその言い分を聞き是正出来るものはそれを善処するであろうともおっしゃる。しかしこの申し出を聞かずあくまでもまだお殿様に逆らう者は、頭たる者は打ち首とし、ただその者らに従っただけであっても髯を斬りおとす罰を与えるもの也と言うておったぞ、これは恐ろしきことぞ、どうだい考えてもみい、皆の衆が立ち上がったお蔭で殿様も目覚めて、悪いのは木っ端役人や商人どもじゃ、とおっしゃりこれより先はキチンとあれらを懲らしめてやるからと、こうもおっしゃっておる。なあだから皆も、もう許してやりなされ、これより先は無駄な争いじゃあないのかい」と巧みに話せばそれに乗らぬ者はいなかった。
 さらに間者は知恵を与え、こっちの大将に知られたら、裏切り者と棒で殴られることもあるかも知れないから今の内に闇にまぎれてみんなは逃げた方が良いと説得させていたのであった。このためクンヌイの戦で敵が倍増したと思って希望を失ったヨイチアイヌ族が戦線から一夜の内にみな消えてしまったのである。
 この戦の起きる前、和人から一番被害を受けていたのがその余市族であって、だから彼らが一番反乱を望んでいたはずなのである。それがなぜいち早く離脱したのか、実はこの時点では、すでにヨイチの長チクラケはクンヌイの戦いで銃弾を受けて死んでいたのだった。彼はその死の間際にシャクシャインを呼び、
「シブチャリの長のお陰でいい夢を見させてもろうた。わが生涯でこれほど溜飲を下げたことはなし。まことにこの戦、楽しうござった。本当にありがとう、ありがとう。もう吾には何も思い遺すものは無し、」と感謝しながら息を引きとったのである。
長を亡くしたヨイチアイヌ族はこのため動揺が激しく、内浦アイヌの誘いに簡単に乗ってしまったという事情があったのだ。
 クンヌイの戦いが如何に厳しいものであったか、それはアイヌ軍のほうがより多く感じたであろう。なぜなら此処での脱落者はヨイチ族ばかりではなかったからである。
こうして泰広の謀略によって形勢は逆転し、反乱軍の方が少数になってしまったのであった。これ以後シャクシャインは数で鎮圧軍に勝ることはなかった。
振り返れば、クンヌイの戦いまでがアイヌ民族の和人に対してその精神も実力も対等であったといえる。これ以後彼らは三年もかけられて泰広の指揮のもと松前藩によって幕府のため隷属されてしまうのである。
 思えば、和人とアイヌ民族とが交流を始めたときから差別は行われていたのである。それでも彼らは交易を友情の証として蝦夷地は彼らの自由の天地と信じていた。だからこそシャクシャインが不満も露わに兵を興したとき、大勢のアイヌ民族がそれに呼応したのだ。今その時代が終わろうとしている。民族は他民族の支配下におかれようとしている。彼らの誇りを守る最後の戦いこそがクンヌイ砦の攻撃であったろう。この砦を踏み潰せば自由は開け、負ければ他民族の恥辱を受けなければならず、戦いの激しさはそのことを現していたが、戦の神は敗者の札をアイヌ民族に投げ捨てて去っていった。そうしたことからいってもヨイチの長は民族の自由を信じて死んで逝った最後の酋長だったといえるだろう。
 今日クンヌイ砦の跡は長い間の風雪に曝され、形を留めるものはまったく何も無い。ここが民族の自由と差別の分岐点であったことを標す碑も後世の人は建てなかった。砦は荒野の中で地に覆し人々の想いも埋めていった。歳月はすべてを自然に帰す。このことこそが敗者を語る最大の碑なのかもしれない。
ともあれ、今、幕府連合軍は七百の軍勢をもってオシャマンベ砦を攻めている。籠るアイヌ軍は五百。しかもこの砦はクンヌイ砦のように対射撃戦のために作られたものではない。内浦アイヌ族の古い砦であって、土塁は低く柵は貧弱で所々に楯を置き銃弾の防御としていた。砦側は一夜のうちに大勢の脱落者を出したため士気は完全に落ちていた。それでも果敢に弓を射てきたが、心なしか勢いがないように見えるのだった。
泰広はそれでも警戒して八十間も離れたところで盾を並べて簡易な柵とし、鉄砲隊を横二列に配置して交互に射撃を開始した。このことは、当時の六匁銃の最大射程距離は百間だったからかろうじて敵に弾が届き、逆に向こうの弓矢を避けるというところに陣立てしたことになる。はたしてここから砦の敵を殺傷出来るかというと覚束ないだろう。が、泰広にすればそれでよかった。なにせ、今彼がここに引き連れて来ている軍勢のほとんどが、鉄砲隊を除けば昨日まで槍も持ったことの無い素人なのである。それでいいのだと泰広は思っている。
 彼はこのあともエドモ、ピポク、シブチャリと転戦して行くのだが彼が直接指揮を取った戦いでは決して無理強いはしてない。人が殺し合う戦いなど好んでするのは馬鹿者で、やらずに済むならそれにこした事は無いというのが彼の持論であり常に諜略を重視して自軍の損失を恐れた。これはもともとの彼の性格からきている面もあったろうし、戦後の幕閣への立場も考えてのことでもあった。自軍に一人も戦死者がなく、敵を壊滅させれば後世まで戦上手の者よと語られても、自軍の損害大にして勝ったとなれば、敵こそ強者揃いであったと言われ、自らの功績は誰も認めてくれないだろう。世間とはそういうものだと泰広は十分知っていて慎重であった。
「撃てっ、撃てっ、撃ちまくれっ、」泰広は鉄砲隊の後ろから折弓の馬鞭を振り回し豊富な弾薬を湯水のように使うのが面白いのか楽しそうに叫んでいた。
その後ろでは歩卒が鶴翼の陣を布いているが、泰広はさきほどもいったように、はなっからこの見せ掛けの歩兵を使う気はないのである。彼らには陣太鼓を叩いたり奇声をあげさせて鉄砲隊を鼓舞し敵を威嚇しているだけで泰広は間違っても彼らを前進させることはしなかったし、また砦を包囲することもしなかった。
やがて夜が来た。
 その夜は月も星もなく砦の周りの山野は原始のままで不気味な静粛と漆黒の闇に包まれているのだが、俯瞰すると砦とそれを攻める鎮圧軍のところだけが闇に切り抜いた光の矩形が別物のように存在していた。もっと千里も高い処から見ればこの広大な大地の一点だけに光があるだけなのだ。それだけこの地に棲む人の数は少ないのである。まったく大自然の中で、ほんの小さな場所で人々はちまちまとした争いを繰り広げているだけなのだ。
 鎮圧軍は相変わらず同じ陣立てのままアイヌ軍の夜襲を恐れて必要以上にかがり火を焚き、散発的に鉄砲を撃ちこみ見張りを怠らなかった。火は赤々と燃えて満月の夜を思わせるほどで、とても夜襲をかけてこれる状態ではなかった。
 ところが砦の方でも夜が深くなるとどういう訳か松明の数が増え始めた。向うでも夜襲を恐れているのかと鎮圧軍の誰もが思ったのだが、ただ尋常でない数の松明のあまりの明るさに中の様子が逆に見えなくなっているのが何とも不気味で、これから計り知れない新たな攻撃の準備があるようで不安が砦外の誰もが感じていたのだが、ひとり泰広だけは陣幕を持ち上げてその様子を見ると笑うようにうなずいていた。
 翌朝、どういうわけか砦からは物音ひとつしないのであった。まるで人の気配を感じられないのである。が、鎮圧軍は誰も近付いて中を確認しようとはしなかったのである。近付けば待ってましたとばかりに毒矢の雨が降ってくるに違いない。人の気配を消すのは狩猟民族の得意とするところであり、まったく誰もそのような簡単な罠にはまるわけがないでないか、匹夫の知恵などその程度のものさと当直の兵卒らは笑い合っていたのだが、目覚めた泰広だけは、陣笠もかぶらず、刀も持たず鞭ひとつをぶらぶらさせて砦に平然と近付いて行った。それを見た幹部将校があわてて後を追ったのである。追いついた武士のひとりが泰広を押しとどめ、
「まずは拙者らが見てまいりまするゆえ、殿はここにてしばしお待ちくだされ」と言った。
 武士はさらに家来の三人ほどを斥候として放ってみた。自らも後を追うように砦に近付くと斥候は恐る恐る門の上を見て仕掛けのないことを確かめてからその前にへばりつき、銃弾だらけになった厚い板戸の小さな節穴から中を覗いて見るとまるでそこに人は見えなかった。今度は裏へ回って中に入って見たが、やはりそこにアイヌ兵はひとりも居なかった。アイヌ兵は夜の内に地面に染み込む水のように背後の山中に消えてしまったらしいのである。
泰広は報告を聞くと、
「それでいいのです」と静かに言った。
 そのあとすべて思惑どおりさと付け足すことは避け、代わりに、
「直ちに砦に火を放ちなされ」と命令した。
 子供の火遊びのような命令は実行されるのが早いもので、松明を持った数十名の兵卒は嬉々として走り廻りながら破壊することが悪餓鬼の楽しみとばかりに葦葺きの家々に次々と松明を投げ込み急いでその場から立ち去った。火はすぐに、めらめらと音を立てながらやがて風を誘うとゴウっと唸りをあげて燃え出し天に向って昇り始めた。
 まるで砦は山火事でも起きたのかと思われるほどよく燃えた。それは山中を行くシャクシャインたちにもクンヌイで連合軍の帰りを待っている広林たちにもよく見えた。
「砦が陥ちたのでしょうか?」外記はそばの広林に尋ねた。広林は、
「そうでしょうな」といったまま目だけは山の向うに立ち昇る黒い煙を見つめていた。
 シャクシャインも同じように振り返って黒煙を見つめていた。彼の仲間らもみな振り返った。庄太夫を木の枝を井桁にした担架でかつぐ者らも振り返った。庄太夫はまだ夢の中にいる。今は誰もあの黒煙とともに果たせぬ夢が竜のようにカムイの国へ昇って行くことを知るところであったがシャクシャインは何も言わず仲間を促すと東へ向けて山を越えていった。
 天をも突き抜けるほどの怒りを持った人々の想いは多くの犠牲とともにわずかな時の間に流れ消え去っていった。あの和人の商場を次々と襲い始めた頃、野火が広がるように各地の同志たちは怒りの矛を挙げて集いやがて一匹の竜のような軍団に膨れ上がると、ついに和人が大きな砦を築いて待ち構えるクンヌイに迫った。あの輝かしい闘志を燃焼させたのが一昨日のこととは今は誰もが信じられないことであった。過ぎ去る栄光はもう遥かな彼方へ行ってしまったのだろうか、戻らぬものは闇の世界へ旅立った仲間らと同じようにけして二度と帰ってはこないのだろうか。どんなに現世が厳しく哀しい処であっても過ぎ去ればただ空蝉の如し、時の足音は消えてしまえば栄光も挫折もみな同じくして無に帰す、残るのは目に見えない記憶のみではないのか、と、敗者は打ち萎れていても勝者にその心の一欠片もわからないのだろう。
 泰広は砦を焼き払うと全軍をクンヌイへ引き揚げるよう命じた。将校の中には追撃すべきだという者もいたが、山中に入れば圧倒的にアイヌ軍は強いということを彼はよく知っているので無謀な追撃は決してしないのである。ましてこの軍ではどうにもなるまい。すでに勝つための作戦は江戸の屋敷で出来ているのだ。まがりなりにもクンヌイの戦いさえ乗り越えたのであるから、以後は当然こちらが有利になり、そうなれば先手、先手と打ち込み、ただ慎重に何事も気お付けてそれを一つづつ確実に塗り潰して行くだけでよいのである。
 クンヌイに戻ると泰広は、亀田から連れて来た見せ掛けの軍勢を返し、幕府鉄砲方と松前藩兵の無傷の者達で軍を再編成した。
「それがしはこの軍勢を引き連れてこのまま船で絵鞆へ向う」と広林に言い、「後を頼みまする」と後事を彼に託した。
 船団の半分は帰る者達に使われたが乗船したのはほとんど怪我人である。乗り切れない健康な者は陸路を帰還した。
 外記も泰広に、共に絵鞆へ出陣したいと頼んだが断られた。自分は組頭だから責任があるといってみたが、歩けない者は足手まといになるだけだと言われてしまったのである。行軍に支障をきたすとまで言われれば、外記もそれ以上は何も言えない。
「江戸へ帰りなされ。そこもとはもう十分働きなされた。この国縫を守ったことで御身の役目は果たされたのじゃ。あとは心配ることは何も無し、これより先は誰にでも出来ることですよ」泰広は優しい目でそう語ると眉間の皺が消えない外記の肩をたたいた。
 外記は黙ってうなだれていた。不満であったが取り合えず亀田まで下がり、傷を治してから再び戦線に復帰すればいいだろうと考えを変えたのである。
 泰広にすれば外記には江戸へ帰って貰いたかった。この好青年が前の明るい屈託のない姿に戻れるとしたら元の世界に戻すしかないのだ。それに何よりも使えぬ駒はいらぬのである。
 泰広は来たときと同じように忙しないクンヌイの浜辺から兵と人足など四百余りの鎮圧隊を再び船に乗せ、船団を組んでエトモを目指した。
広林はクンヌイに留まり、燃え残った砦を簡単に再整備して泰広の後方支援部隊とし、余市アイヌと内浦アイヌが再び反乱を起こさないようけん制と懐柔を行うことになっていたのである。
 外記は左武衛に付き添われて海路大勢の怪我人と一緒に亀田まで引いたのであった。
 彼らがそれぞれの目的を持って去り、戦の終わったこのクンヌイの原野には夏の温かい風が優しく吹いていた。その地はあれほどの異民族どうしが激しく衝突したことなどまるで歴史の中の一点の染みさえも見せず、何百年前と代わり無く雲雀が高く飛び上がっては天に留まりながらいつもどおり忙しなく鳴いているだけだった。
「絵鞆へ、」泰広は旗船に乗り込むと馬鞭を東に向け船頭に合図した。
 船団はシズカリの山々を神がカケヤで殴り壊したような断崖がどこまでも深く青い海に切り立っている美しい風景を横目に見ながら穏やかな夏の海をすべるように走った。泰広は艫に座り野点でもしているかのように景色に見とれ、干し鮭と握り飯だけの遅い朝食をとっていた。そこへ松前藩の上士新井田瀬兵衛がやって来て、
「このまま船舟を直に渋舎利の浜に着けて敵の空の本城を奪い、挟み撃ちにして一気に蝦夷を倒しましょうではありませぬか」と進言したが、
「それはいけませぬ。釈舎院の帰るすべを無くし、この広い蝦夷地に逃がせば奴を捕らえるのに幾年かかることか、へたをすれば北蝦夷まで追いかけねばなりませぬな。まこと熊は穴に追い込み仕留めることこそ肝心なのです」と泰広は取り合わない。
 まずは何が何でもシャクシャインを捕らえその首を刎ねなければこの戦は勝ったとはいえないのであって、そんなこともこの男はわからないのかと泰広は白ける思いだった。いかに有利になったとはいえ敵は強く味方が愚鈍ではこの先どうなるのかと情けなくなる気がするばかりで、泰広は固い干し鮭を奥歯でかみ締め柔らかくしてからゆっくりとかじり取った。
「なるほど、御大将の申されるとおりでござりますな。敵の大将の首を挙げてこそわが軍の勝ち。帰る根城を奪ってしまえば蝦夷は何処へ也とも逃げましょう。拙者が浅はかでございました」と瀬兵衛は自分を恥じてそそくさとその場を辞した。
 船団はシズカリからさらに東に、やがてなだらかな平野を左に見ながら再び小高い山々をまわり、幾時も経ないうち彼らは鉤爪のような形をしたエドモ湾に入ったのである。
 湾の中にはさほど広くもない砂浜があり、そこへ全員小船に乗り換えて上陸した。
目前の会所はアイヌ軍に破壊された後で使い物にならなかったため、追撃隊は上陸すると一番仕事としてその砂浜から上がった場所に陣幕を張って本陣としたのである。泰広は寸時を惜しむように動き回りあれこれと指図していながらも常に思考を巡らし敵の現在の位置を予想しては、もしやの焦りもあってか、本陣が出来あがるとすぐ幕内に幹部将校を集めてこれからの作戦を言い渡し、その実行を急がせた。彼らはその命に従いきびきびとして五十人単位で分隊を組織すると出動したのである。
 間もなくすると彼らは近隣に住んでいるアイヌびとを大勢捕らえてきた。 捕らえられエドモの本陣に連れてこられたアイヌびとは最初ひどくおびえていたのだが、なんともここへ連れてこられると彼らは驚くほど親切に扱われたのだった。そしてコタンごとに幕府連合軍の将校から説明を受けたのである。それはオシャマンベでお味方アイヌを使ってやったと同じようにシャクシャイン軍に付けば厳しい罰を受けるが幕軍に味方するものは罪を問わずこれからも無事に済むだろうと言うものである。ただしコタンの者が反乱兵を匿うことは元より食料を提供しただけでも反乱兵に加担したと見なされるとも付け加えた。そのあとすぐ彼らは解放され十分に納得してコタンに戻っていったのである。
 シズカリの厳しい山岳を越えて一旦東に逃れたシャクシャインのアイヌ軍は何も知らずにこうしたコタンを通過したのだったが、そのとき同族の冷たい豹変にみな衝撃を受けたのである。時代は間違いなく松前方になびいてしまったと誰もが思い知らされたでろうか、四面楚歌、昨日までともに蜂起に賛同した仲間から今日は厄介者のように見られるという孤立感が強い風となって敗走する誰もの胸を突き抜けていく。このため、ここでも脱落者が増えていったのである。冬に道端で凍える人に水をかけて追い出すような仕打ちが続き、裸足で雪道を行くような敗走軍と今はシャクシャインも成り果てたことを実感しつつあったが、彼はこの程度の逆境は何度も会っていて、一向に意に介さないのだが、他のものは違っていた。脱落する者には彼は何も言わなかった。所詮最後は身内だけが頼りなのであって彼はまだ何も諦めていない、シブチャリに戻れば再びこちらが有利になると信じていた。そうシブチャリこそが本当の決戦場なのだ。彼は深く息を吸い、それを丹田に落としながら、力は山を抜き気は世を蓋う、と自ら励まし一歩一歩と故郷へ向うシャクシャインだったが、庄太夫に教えられたその項羽本紀には次に司馬遷が、時に利あらず、と続けるのであった。知るか、運命など、
 しかし利を得た泰広はそれでも慎重でアイヌ軍がエドモを通過するとき彼はこれを迎え撃とうとはしなかったのである。泰広には常に自軍の損傷を少なくして勝利を得ようと言う思いがある。
 アイヌ軍もまた隊列の後ろからひとりづつ抜けていくのを感じながら、村人の疎遠な態度からエドモに和人軍が待ち構えていると悟り、大きく迂回するようにしてそこを抜けて東を目指して行った。
 このエドモの山中を抜けシコツに至るとついにシャクシャインとは蜂起のとき最初から加担していた同じ日高アイヌ族のシュムウンクル族も反乱軍から離脱したのだった。が、これもしかたないことではあるか、彼らはもともと松前藩に近しく、シャクシャインのメナシウンクル族とは長い間猟場をめぐって対立していた仲である。それでもサポは黙って消える女ではない。
「わしは、」とサポは前を行くシャクシャインにシコツの舟渡し場の辺りで声を掛けた。
「何も言うな、わかっておるわ」とシャクシャインは歩行を止めず、後姿のままそう答えた。
「そうはいかぬて、」サポはややいらだった声で言い返した「わしは抜けるのではないぞ、今はこれにて身を引くが、それはわしら一族のためなり。が、わしはシブチャリの長を見捨てはしない。この先きっといい手があるはずじゃ、わしらは腐れシサムの手に落ちるが、それはそれで長らの生きる道も探れると思うのじゃ、そうだろが」
「サポよ、」シャクシャインは足を止めた「これ以後何もするな、おぬしは己の一族を護ることのみ考えよ。吾もそうするでよ。これまではこれまで、なあそうだろうが」
「しかしこの戦、夫のあだ討ちとわしが長に助っ人を頼んだのが始まりじゃ。これでは義理をかくばかり、このままでは世間に顔が立たぬわ」
「サポよ、おごるなかれ、この戦、すべてのウタリの望みで起きたことぞ。だから誰にも義理などないて、おぬしが気にするなど何処にもなし」
「…」
 サポらは泣くような顔をしてシャクシャインらと道を分かった。
やっとシャクシャインが本拠地のシブチャリ砦に戻った時は本来の仲間であるメナシウンクル族の百人に満たない兵だけだった。
これで敵の逃避行における泰広の作戦はことごとく成功したといっていい。後は詰めの駒を進めるだけとなった。エドモでも戦うことなく諜略でシャクシャイン軍を解体寸前まで追い詰め遠路を選ばせ、心も体も疲れさせた。こうした工作が十分の効力を発揮してシャクシャインが手勢だけでシブチャリの砦に入ったという情報もやがてエドモの本陣にいる彼の耳に届いたのである。
「そうか、」と泰広はわざわざ遠くから報告しに来たメナシウンクルの男を冷ややかな目で見詰めながら「褒美が望みか、」と言った。
 男は卑屈な笑みを浮かべてうなずいた。すると泰広は床机から立ち上がるなり、腰の刀を左手で強く握りぐいと鞘を下げるとそろりと右手で真一文字に刀を抜いたが早く両手でそれを高く持ち上げると、弧を描くように男の右肩から左乳首下にかけて袈裟に振り下ろした。ヅンという肉と骨を斬るにぶい音がして刃が男の身体から抜き出ると真っ赤な血が追うように地面にさっと斜めに走りその赤い太い線に沿うように男は驚いたままの顔で倒れていった。
「蛮人とて、仲間を裏切るとは何事か、恥をしれ」といいながら刀を片手で右耳の辺りから下へ振ってのちぐっと止め、付いている血をはらってからゆっくり鞘の鯉口を握る左手の上に峰を添えるとそれを半回転するようにして音もなくすっと納めた。
 そばにいる誰もがこの予想もしない鮮やかな一瞬の出来事に驚いたが、ただ怖れて皆口を閉ざしたままでいた。クンヌイの砦に立て篭もらなかった者らは初めて人が殺されるところを見たのである。自らの心臓も止まったかのような驚きで、まるで身体が固まってしまっている。その目の先の死体からは、人間にはこれほど血液が必要だったのかと思われるほど血が流れて止まなかった。
 泰広の殺戮はこの場の緊張を一気に高めた。そうした中に津軽藩が二百三十名ほどを連れて大船三隻でエドモにやってきたのである。これで十分の兵力になったと同時にひとりの哀れな犠牲者を使って戦への張詰めた気分を彼は全員に示したのであった。血祭りはけして古の慣習ではなく今もおこなわれているのである。敵の血こそ味方のアドレナリンを上げる最高のものであった。戦の場は狂気の場でもあるのだ。そして狂った者だけが生き残る場でもある。
 幕府連合軍はこれより先は日高アイヌ族の縄張りであることを考え陸路から東を目指した。如何にシュムウンクル族が寝返って元どおり松前藩に味方すると言ってもまた情勢を見てシャクシャイン側へ付くかもしれず蛮族など信に足りない。そうなると幕府連合軍は挟み撃ちになってしまうことになるのではないかと、泰広はそれを恐れて陸路敵地内をゆっくりと通過し各コタンの長などを捕らえては彼らの真意を確かめた。彼らはほんの少し前までクンヌイ砦へ向けて弓を引いていた者たちだった。だから中には捕らえられたことに不快感を表す者もいたものだから、またも泰広は見せしめも必要としていたからそうした者には容赦なく首を刎ねたり磔にするという強行手段に出たのである。但し、いざ刑を執行するときに命乞いした者だけは髯を切り落とし松前の牢まで護送させた。また素直に服従する者に対してはいつもどおり寛容だった。こうして泰広は百名単位の分隊を何班か先駆けさせ、日高アイヌ族の縄張りである内陸のシコツ、アツマ(厚真)、遠くユウフリ(夕張)までこの飴と鞭をもって部族を服従させつつ東進して行ったのである。本隊もホロベツ、シラウォイ、イプツ、ハエ、ピポクとシュムウンクルたちを確実に味方にさせていった。彼らを仲間にさせなければ最終的な戦いの作戦は成り立たない。泰広はゆっくりと慎重に確実に日高アイヌ族シュムウンクル部族の各コタンを配下に置いていったのである。これで後方は十分に安全が確保されたのではないのか、時は瞬く暇も無く両軍の立場を反転させてしまった。
 わずか百名足らずのアイヌ軍を討伐するため幕軍は六百二十八名で今、シブチャリに迫ろうとしている。やがて行軍はピポクで止まった。泰広はピポクの長ハロウの砦を没収し、ここを対シブチャリの本陣としたのである。砦は海にわずかにはみ出た岬にある。そこは東側と海岸である南側が断崖になっており、断崖を洗うように新冠川が流れており、川は青く澄み大きくて深い。断崖は垂直に切り立ってとても登れるものではない。もしシャクシャインが反撃に出てきたとしてもこの自然の要害だけでも十分に耐えられるだろう。しかも敵が川を挟んで対峙したならば北側の緩やかな斜面から兵を廻して横を衝く事もできる。まさに理想の砦だった。そしてシブチャリとは三里も離れていない目と鼻の先にある。泰広はここに多くの仮小屋を建設させた。六百名を収容させるものほか、乱平定後ここを、東蝦夷を鎮める要とするつもりなのか会所も建てさせた。そうとも知らず瀬兵衛はまた泰広に質問した。
「長き戦になるのでしょうか?」
「そう、冬を越える覚悟も必要でしょうね」
「そうですか、冬も戦いまするか」瀬兵衛は首を傾げ「冬は寒うござりますな」と当たり前のことをいった。
「相手も寒うござりましょうな」と言いながら泰広は東の海の彼方に突き出る黒い陰影の岬を睨んだ。あそこには見えないけれど夷敵の砦がある。
「ここもあっちも岬は寒風がよう走りまする」
 他国の人が聞けばふざけた会話をしていると思うかもしれないが、ふたりは共に北国の厳しい寒さは骨身にしみて知っており、だからこの会話には真の重みがあって願わくばそうならない内にけりが着けばいいがと思っているのであった。冬になれば雪中を走ることに慣れているアイヌ軍が断然有利になるのとしても、しかし木々の葉が枯れて見通しがよくなればゲリラ戦を怖れる幕軍には逆に都合がいいともいえるのだが、これを深く考慮すればそのため冬にはアイヌ軍が砦を捨てて奥地へ散ってしまう可能性も考えられるのだった。オシャマンベ砦ではいとも簡単に彼らは砦を捨てているのだ。泰広はその前に手を打たなければならないと思ったがあせる気持ちはない。
「ところで、」と泰広は瀬兵衛の伸びた月代を見ながら言った。「百名ほど連れて渋舎利の砦の様子を見て来てもらえぬでしょうか、」
 泰広は瀬兵衛に威力偵察をしてこいというのである。嬉しそうにすぐにも出かけようとする瀬兵衛を引き止めると彼は耳打ちした。それを訊くと、
「はは、かしこまって候」と言うなり瀬兵衛は勇んで自分の部下のところへ飛んでいった。
 瀬兵衛は声が大きい。その大声で部下に急ぎ支度せよと命じている。そばには砦建設に狩り出されている大勢のアイヌびとがいる。泰広は渋い顔をしてそれを見ていた。毎朝の月代の手入れも怠る者に神経を使えと言うのも無理な話か、と心の中でぼやいた。願わくば怪我だけですめばいいのだが、それでも泰広は、
「気を付けて行きなされ。決して夷を侮ってはなりませぬ。ただ様子を見て来るだけでいいのですからね。くれぐれも油断めさるな。途中でも何か異変を感じるようならば、躊躇せず引き揚げるのです。わかりましたか、」と瀬兵衛に言った。
「心得て候、」と瀬兵衛は素直に答えながらも、いったい御大将は何を心配なさるのか、蝦夷などどれほどのものにもあらず、匹夫の群れでは無いかと嘗めてかかっているのだった。
 威力偵察隊は泰広に言われた準備に半刻ほどかかった。まもなく仕度は整った。
瀬兵衛は松前軍の鉄砲隊十名と槍組、弓組など九十名を引きつれ自らは騎乗して軍の中央にたち勇みシブチャリへ軍を進めて行った。この地方にすればその軍勢は初めて見る武士団の威風堂々として如何にも藩都から来た近代装備の優れたきらびやかさを放って眩しく見えるのだった。
泰広は瀬兵衛を見送ると将校を集めて、彼らに軽く戦支度をして待機するように命じた。次に何が起きるのか泰広には読めている。瀬兵衛が捨駒にならなければいいのだが、と彼はわずかながら味方の不幸を案じたのであった。


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