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作品名:天に逆らう人々 作者:勝野 森

第15回    クンヌイの戦い終わる
 クンヌイの戦い終わる
 
 戻るか、という考えが泰広の心の片隅に膠でもってへばりついたように強くある。どう見ても戻ってアイヌ軍を亀田で迎え撃つのが定法だろう。
彼らはクンヌイ砦を陥落させたからにはまっすぐ亀田を目指すに違いなく、その間にこの勝利軍に参加しようとする内浦アイヌ族は山水が小川となり、小川が集まって大河になる如く当然急増するに違いない。へたをすれば石狩アイヌ族も遠く噂を聞いて時代に後れまいとして早駆けしてくることも有り得るのではないのか、それが時の勢いというもので、となれば現在の倍以上に反乱軍は増員されるだろう。しかもここで勝利したやつ等は二百丁の鉄砲を手に入れたのだ。これは逆に言えば二百丁の鉄砲を幕府松前連合軍は失ったことになる。鉄砲がもうない、まさにこれからは素手で大熊と戦うことになった。まったく、と泰広は息を飲み、深く大きく吐きながら最早自分の裁量をこえたのだ。何ということか、とんでもないことになるぞこれからは、と寒気がするほどに思った。これにて、老中の御方皆々様も、もっと蝦夷地のこと本気で考えねばならぬことになるだろう。あの世間知らずの連中にこれまた様も無しとは、だからあれほど言ったのに、と今更愚痴も無しか、うむと考え込む時はすべて悪い方に捉える、と言うのが泰広式であった。となれば、と泰広はいつまで愚痴っている男ではない。また心の中で先のことを考えた。
 見上げれば、五百石船の大きな一枚帆は風をまともに溜め込んでバンと破れるほどに張ってこの重い船の低い舳先が波を豪快に割り裂きしぶきを掛けて安全速度を越えて走っているためこのまま海中に突っ込みそうで、それでなくとも高々とした艫を大きく反り上げて逞しくクンヌイを目指して早い。僚船も遅れまじと必死に着いてくる。早すぎるわ、と泰広は思い、決断のつかぬままこれではクンヌイの砂浜に乗り上げてしまうではないか、もう迷っている余地は無しという意味か、今すぐ決断しなければ、ともかく帰りは逆風だ。それでも亀田に行くには陸路より遥かに早いのだが、かといって向こうで奴らを迎え撃つにはかなりの準備がいるだろう。
 まず亀田の洲の一番細いところで陣を布くとして、これには山を後ろに構えているから後顧の憂いはないとしてもやはり相手を思えば砦並みの堀と柵を急ごしらえでも築かなければならぬ。そして洲の両岸の海に船を浮かべ、どんなに敵が大勢でも洲に近づくは縦列にしか攻めれない工夫をする。こうしてあれらを陸と海から取囲むように迎え討てば、そうこちらにも勝機がないとはいえないのではないか、古来よりいわれる鶴翼の陣で守る。が、そのためには大勢の人がいるのだが、松前にいる津軽藩の本隊が移動してきてからでは、この策も間に合わず、また津軽藩にはどうしても本家を護ってもらいたいという、最後の願いもあってこれをた易くはどちらにしても使えないだろう。つまりは王より飛車を大事にするわけにはいかないのだ。まさに泰広の脳中はへぼ将棋の駒を動かすような雪隠詰めなのである。亀田とて果たして敵に二百丁の鉄砲があれば鶴翼の陣も何の効果もないかもしれない。でも引き返そう。現在舟に居る見せ掛けの軍団で敵の殿を襲っても逆にやられるだけだろう。しかし待てよ、とここで泰広は逆の発想をしてみた。まさか奴等は殿を襲ってくるとは思っていないだろう。敵の殿は軍団の最弱点だ。あれらがもうクンヌイを去ったとなればわしらがここにいるのも知ってはいまい。後ろに敵が上陸したのはわかっていないはずだ。となれば弱い軍団でも最初の案のような効果があるかもしれない。そうか、うふふと泰広は笑った。
 先頭を行く泰広の旗艦にやがてクンヌイの海岸が見えてきた。なだらかな砂浜が続いてその向うにオシャマンベの低い山々が、さらに遠くに大平山や幌別岳の高い山並みも雲に浮いているかのように見える。
 船団はさらに海岸へ近付いた。国縫川の河口より草原の向うに砦が見える。砦からは黒煙がもくもくとあがり、矢倉が火を放ちながら崩れているのが誰の目にもわかった。それらは夏の陽に照らされて揺れる陽炎の中にあった。船団では、最初に黒煙を見たときもしや間違いならばという期待が誰もにあったのだが、しかしここまで近付けば砦が燃えているのが今度ははっきりと確認出来きて、やはり遅かったか、泰広だけでなく船団の誰もが思った。ざわめきは波の音だけではない。おおきな溜息を誰もがつき、船べりにしゃがみこんで泣いている者もいた。せっかく来たのに間に合わなかったか、と互いに言い合う者もいれば、もっと早く駆けつける方法はなかったろうかと後悔する者もいた。どんなに誰もが後悔しても現実に目の前にある景色は変わらない。哀れにも黒煙を上げて燃え落ちようとしているクンヌイ砦が余りにも広いのどかな原始からの荒野にポツンとそこだけが異様な姿で、天に届くほどもうもうと燃え上がっているのだった。
泰広は悔しさに涙が浮かぶ目でその砦を睨みつけ、アイヌ軍め、そう思って見ると今あそこで起きている事が早いコマ送りのように巡りて、なぜかこの世の景色に見えなくて、陽炎は地獄の業火なのか、彼の脳裏をいま恐るべきことが写し出されていくと、それは怪我をして逃げ遅れた人々がアイヌ兵によって惨殺されている光景が翳めり、彼らには棒で殴りあう風習あるからしても、和人の誰もがすでに撲殺されてしまっただろうと思うのである。陽炎がより一層その地獄絵を曖昧に見せようとしているのだ。何百という首が斬られて土手の天端に晒され、逃げ遅れて命乞いをする者に容赦なく棍棒が振り下ろされ頭を砕く、血や脳漿が激しく飛び散っていったに違いない。泰広はあの陽炎の向こうで少し前まで行われていた勝利者の凄惨な生贄の宴を想像し自分の無力さを痛感した。江戸から連れて来た多くの仲間もあの中にいたのではないか、自分がわずかな時を作ることが出来なかったために皆を失ったのであった。駄目だった、遅かったかと泰広は改めて臍をかんだ。もう海岸に上陸することも出来ない。総て苦労して準備したことも徒労に終わり、彼は将としての判断、責任の重さを痛感した。この見せ掛けの軍勢ではあのアイヌ軍とは戦えない。これより虚しく亀田に戻り、急ぎ松前から割いて応援に来ているわずかな津軽兵らを励まして攻めあがって来るアイヌ軍を迎え撃つ準備をしなければならないだろう。鶴翼の陣か。身体から抜けていく気力を何とか不安定に揺れる船の上で泰広は失うまいとした。もう追撃戦も頭から消えていた。しかしこのままで終わるわけにはいかない、幕府の威信にかけても、何としてもやり返さなければ、それでも、はたしてもう一度大掛かりにあれらと戦えるだろうかと思うのだが、鶴翼の陣といっても、亀田の両海岸を漁民の舟で囲っても、戦闘員でもない連中が彼らに鉄砲を撃ち込まれればどうにもならず、たちまち怯えて取り乱せばかえって敵に侮られてしまうばかりだ。漁師や農民など、それでなくても松前藩の後ろ盾があっての強気の連中で、本当はアイヌびとを恐れて今まで暮らしていたのだ。そんな連中に本戦となればいったい何が出来るというのだ。
 それでも、とここで泰広は冷静になった。もしや海岸まで落ちのびた者もいるかもしれないのではないのか、それらを救出しなければ、あるいは最悪でも殺されて波に漂う遺体があれば拾って帰らなければ人の情に欠けるといわれるだけでなく、必死に戦って死んで逝った者達に申し訳がないとも思うのであった。
船をさらに寄せなければ、と気を取り戻したのだが、ふとまた何を自分は考えているのか、とまたも新たに考えを変えた。今はまだ戦は終わっていないのである。あれらは亀田を目指していると知ればそんな悠長な時間はもう何処にも無いではないのか、アイヌ軍がクンヌイを後にしたとなれば一刻も早く亀田に戻らなければならないのが常識で、生きている怪我人がいたとして、今は戻る我らの足手まといとなり、返ってそのために人力も時も無駄に使ってしまうばかりで、これは敵軍を有利にし、味方は不利になるだけだ。
 そうなのだ、と泰広は思う。やはり時間が惜しい。いまここで引き返さなければ間に合わないことになるかもしれないと思えば、二度も時を失することはもう許されないのだ。
しかもアイヌ軍はクンヌイを抜いたのだからそのまま急遽亀田を襲うとしても勝ちの噂を聞いて駆けつける各地からの援軍の参加に手間取り、あれらは儀式を重んじるから早くとも三日もかかって来るだろう。さすれば迎え撃つ準備は二日半しかない。彼は船頭を鬼のような顔で睨み付けた。死んだ者らには申し訳ないが、これが戦の非情なのだ。勝ってこその思いやりで、今は情のひとかけらも邪魔になるばかりだと思い、自らを叱咤して
「全船、これより亀田へ戻る。急ぎ船を回せいっ、」と号令を掛けた。
 船団は留った。何ともいきなりここまで来て帰るとは、それにただ旋回しようとしても今度は逆風になるため簡単にはいかず、かえってあずってしまうのだった。ちっと船頭は口を噛んだ。
 そこへ天を叩く射撃音が激しく何度も響き渡ってくるのが混乱する泰広の耳にも入って来た。
嘘だろう?
 発射音は天の壁に跳ね返り、それがなんとも信じられないと鼓膜を震わせて脳に伝われば、あれは雷神が太鼓を叩くように力強い音ではないか、まさに船上の誰にも大按心を与える信号なのであった。
 彼らはまだ生きている。
 これはどういうことなのか、どう見ても炎上も激しい落城した砦でにしか見えない処において彼らはまだ戦っているのだ。
泰広は痛いほど右手の折弓の鞭を握りしめ、その手甲に覆われている指は細かく震えていた。彼にしてみれば、暗い夜空からいきなり朝陽が顔にあたった様に安堵したばかりか、これで胸の重苦しさが一気に吹っ飛んだ。身体が軽くなって、まことに生涯で味わったことのない嬉しさがこみ上げてきて、感慨も新たに、ついに思惑どおり、これでこの戦も山を越えるのだと確信したのだった。その決着を自分は持って今クンヌイの砂浜に迫っており、まさに希望の海風を泰広は胸いっぱいに吸い込んで、先ほどまでのあせりなど何処へふっ飛んだのやら、
船頭は思わず御大将のほうへ振り向いた。泰広も船頭を見つめて静かに肯いた。
「船を元に戻せ、」とやや方向を変えようとしている舵手に向って船頭はあわてる様にどなった。
 舵手にも銃声は聞こえていたから、船頭の命令が何を意味するのかすぐに飲み込め、嬉々として従ったのである。
泰広は陸も近いとなれば、さらに船頭や他の水手を見渡し乗船の似非兵士にも目を配り、鞭を持ち上げその目と同じように振ると興奮気味に大声で言った。
「皆のもの、勝ち鬨を挙げよ。あのめん面こくもねえかたき敵の者どもや鬼神の如き命知らずの御ん味方に届くよう、あらん限りに叫べ。声も枯れよ、喉もつぶれよ、血を吐け、今日の戦いはそれで終わりじゃあ、」そばを走る供舟に向かっても同じく叫んだ。
 船団の誰もが狂喜した。
 互いに手を取り万歳をする者、嬉しくて泣き叫ぶ者、勝ち鬨は船から船へと伝わり、ついに全船の兵士は船べりを叩き天も海も割れよとばかりに叫んでいた。
 その雄叫びは海から陸へと響き渡りやがて草原を走る風に乗って野にいるアイヌ軍にも聞こえてきた。
 彼らは海の方を見た。
 そこには海岸を埋め尽くす船団が迫っており、クンヌイのアイヌ軍は天を轟かすこの異変に誰もが気付いたのである。
 包囲軍の誰もが唖然として海の方を見つめ、戦う手を止めていた。こういうこともあるのか、と言わんばかりに彼らは一応に驚いていた。
 一般にこの時代の人は時刻を朝、昼、夜という一日を三等分にして暮らしていたのだが、それで十分足りたのである。アイヌ民族もそうであった。しかし泰広や外記のように江戸から来た者は違っており、まだ細かく十二単位で一日を見ていた。特に泰広は常に頭の中に座敷時計を思い浮かべて時の流れを二十四単位で見ていたのである。もし彼が明治人なら忙しなくふところから懐中時計を出して四十八単位でながめていただろう。一日を三等分か、あるいは十二等分かのこの認識の違いがクンヌイの戦いの勝敗を決めたと言っていいのではないか。シャクシャインも庄太夫もクンヌイから亀田や福山に援軍の要請が行ったとしてもどんなに早く駆けても半日、一日はかかるであろう、それからこちらへ援軍が駆けつけても一日で来れば奇跡であり、つまりその奇跡を考慮してもやつらがここへ攻め上がるには二日や三日かかるのが当たり前だと思った。その間に十分砦を落とせる時間はあると彼は読んでいたのだが、しかし泰広は違う、一刻一刻という時間を使い、その短さを嘆きながら下準備をしていたのである。かつて信長が殺された時もそうであった。秀吉だけが泰広と同じように時を十二分の一あるいは分刻みで見ていたのに、しかしそれ以外の織田軍団の武将、柴田や滝川など光秀も含めて皆庄太夫のように一日を三分の一で見ていたのである。結果は誰もが知るところとなった。勝敗の分かれ目は時を味方につけたものにある。孫子は遥か昔にこの事をわかっていて彼の兵法書に記した。それは心得のあるもの誰もが読んでいたのだが、時間をどのようにして見るかは育った環境にもよるのでむずかしいというほかになし。
「何と言うおびただしい数の軍船か、百か二百か、あれにどれほどのシサムが乗っているのだろう。千か二千か。それにしても何処からあの軍勢は来たのか?」
 父のそばに仕えているカンリリカは海岸を埋め尽くしている数の船舶を見ていながらもまだ信じられなかった。いったいどうなっているのだ。
「もはやこれまでか、」シャクシャインも海を眺めて言った。「それにしてもこんな小城ひとつなぜに陥ちぬのか、火が出るほどに攻め立てているというに、」と不思議そうに、そばでしかめっ面をしながらまだ海を睨んでいるカンリリカに問うた。
「父上、義兄様が言うとりました。われらは恨みを持って兵を興しました。われらの目指すところは和人の砦をひとつひとつ踏み潰しその恨みを晴らしながら最後に福山をも攻め潰すことありまする。だからこの砦も見過ごすわけにはいかなかった。兵法によれば城を囲むとき、必ず一箇所は開けておかなければなりませぬ。そうしなければ城に籠る者は絶望から必死になって戦うからなのです。ところが一箇所開けておけばそこからいつでも逃がれられると知り気も緩むものなのです。これで城は損害を少なくして陥せると兵法はいいます。だがわれらはこの砦の者すべてを皆殺しにするときめ、全部を囲って攻めました。砦側にすれば背水の陣を自ら望むべきもなく布かされたことになったのです」
「そう婿殿は言うておったのか、」
「はい。」
「よく覚えていたの、忘れるでないぞ」
「心得て候」
「それでやつらは鉄砲が利かなくなっても、槍が折れても必死になって戦っておったというわけか、ならば簡単には陥ちぬわけよ」と髯をしごきながら「戦は喧嘩のようにはいかぬものよのう」と言いながらシャクシャインは腹から笑ったのだが、眼だけは寂しそうだった。
「すべては拙者の見込み違いでありました。と義兄様は言うておりました」
「何を言うか、婿殿はようやられた。ただこの戦いはヨイチの長のいうようにカムイの聖なる地を侵しカムイの子である吾らを辱めた和人を懲らしめるにある。この砦を陥としても中のものが逃げれば何処まで追いかけて行かねばならぬ。吾等が望むのはこんな砦ではない。中いるあれらの命じゃ。これが叶わぬなら最初から砦を見過ごしたも同じであろう。それが成されなかったことはカムイに何ぞ他の考えがあるのでござろうとしかいえぬわ。もはや是非もなしというところであろうかのう、あれが来れば、」そう言ってシャクシャインは再び海のほうを見た。
 あの新手が上陸し、挟み込むように攻められればこちらに勝ち目は万にひとつもない。ここは損害を最小限に抑えるためにも撤退するしかない。そして何よりも軍師の負傷がアイヌ軍すべてにやる気を無くさせた。この先どう戦うか、方向が見えなくなったのである。
 まもなく、すべての部族の長がシャクシャインの前に集まった。
「大変な新手が来ましたのう、」誰もが海を見ながら同じような言葉をシャクシャインに掛けた。
「あれが最初からやつらの手だったのかも知れませぬ。ここで足止めさせて新手を送り挟み撃ちにする。そうでなければこうも早くやってはこれない」
「わが軍師どのはそれを読めませんでしたかの?」
「斯くもあれらに大勢の援軍がいるということは吾にもわかりませなんだ」
「然り、海の向うから次々と来たのかもしれぬ。してシサムとはどれほどおるのかの?」
「うむ、わからぬ?津軽の向こうは途方もなく大きな島じゃ」誰もが沈黙してしまった。
 汲めども尽きぬ海水を枯らそうとするようなものだと、そんな虚しさを誰もが感じた。
「ところで軍師殿の容態は如何に?」シリフカ(岩内)の長カンニシコルが聞いてきた。
「婿殿は今だ意識が戻りませぬ。しかし解毒の薬も効きますればやがて治りましよう」
「そうあれと願いまする。」と言いながらも彼は途方にくれた顔をした。
「まったく今は先が見えなくなり申した。ここは皆の衆の意見を訊きとうござる」
「吾等はシブチャリの長に呼応して馳せ集まったのじゃ、しかればシブチャリの長こそどう考えておるのかの?」
「今新手をも相手にし、しかもこの広い平野で前後に敵を迎えて戦うは余りにも不利。たとえここで勝とうとも味方を失うこと限りなき数なり。それを思えばここは一時オシャマンベの砦まで引き下がり我らに有利な山岳戦に持ち込む。このように陣を立て直してはどうであろうかの?」
「まさにこのままでは敵の思う壺である。あの新手によって我らは逆に攻められる立場になってしまった。このまま味方不利の形では戦えませぬ」
「そのとおり、無理して不利な態勢のまま戦う必要も無し。みなの衆よカラ国の英雄は各語りぬ、力は山を抜き、気は世を蓋うと、この心得まだ誰しも失うものではない。その気概あらば手札はまだ我等の手中に残っており申す」
 ということで酋長会議は終わったのだが、実際には海からやって来た新手を見てアイヌ軍の誰もが意気消沈しており、これを感じたシャクシャインはこのままでは戦えないと知り庄太夫に教わった垓下の歌の前句を詠んだのだか、すでに朝からの戦いで我軍は皆疲れきっているのだった。指導者たちの誰もがそう思っており、このことの裏を返せばそれほど砦の攻略は梃子摺ったともいえる。
「項羽本記」は次に言う、時に利あらず、と
 退却の振れは全軍に伝えられた。
 庄太夫は毒のせいで唇はブス青くなり震えている。身体から玉のような汗をかきながら死生の境を彷徨っている。その彼を盾に乗せると静かに四人の屈強の者らによって運ばれた。他の同じような怪我をしている者、死者すらもこうして担がれた。準備が整う順番にオシャマンベを目指しアイヌ軍は序々に撤退し始めたのだった。
彼らは風のように音も無くやって来たが、その撤退も水が引くように静かに消えていった。それを見ると砦側は誰もが涙しており、苦しい戦いは終わったと知った。自分らは生き残ったのだという実感も湧かないまま、もう誰も引き上げるアイヌ軍に向かって鉄砲を放つ者もいないままであった。ひたすら放心したようにその場に座り天に感謝したまま、彼らは燃える矢倉の熱と真夏の天日に晒されながら、アイヌ軍が一秒でも早く去って行くことを千回も万回もただひたすら願って耐えていたのである。彼らは何かの作戦で引いたふりをしながらこちらを油断させまた戻って来るのではないかと疑心暗鬼の心も消えず、激しい煙の中で誰も海からの援軍に気付かずにいたのだった。だから乾ききった喉に一滴の水が与えられたようにしてその願いは叶ったにもかかわらず、今は誰もが翳む目でアイヌ軍が引き揚げていく姿を信じられない面持ちで見ているだけである。当然彼らの誰もに勝利した喜びはなく狂気の中の静粛に慕っているという実感だけを味わっているだけだった。
 泰広が船を下り、七百余名の新手の軍勢を連れてクンヌイの砦に着いたとき、もはやアイヌ軍は一兵もいなかった。広林らは門の中の燃える廃材を取り除き、堀に投げ込んで道を開け彼らを迎え入れた。泰広は門前で馬を降りると待っている広林のところへ歩み寄っていった。
「よう、頑張りましたなあ、」と言いながらその手を取って労った。
「よくぞ来てくれました。もはやこれまでかと何度も思いましてござります」広林は煤で真っ黒くなった顔の中から抜け出ている目をうるませていた。
 頬には返り血を浴びたのか、それが夏の日差しで乾燥して黒くカサブタのようになっている様があまりにひどく、砦の大将自らが槍を振るって戦ったということだろうと泰広は思った。それを見ただけでも激戦だったことが想像出来る。
 泰広は砦に入って見て初めて彼らがここまで持ち堪えた理由がわかったのだ。アイヌ軍は矢倉を嫌い、それを排除するため火矢を放ったのだが、それが外面の柱に多くは当たりそこの炎上が激しかったため、矢倉はみな外側へ倒れたのである。結果、中の建物は無事で、砦内はさほど運動に支障なかったのである。逆に外側に炎上した矢倉は攻める側には大きな支障となり、この戦いを長引かせる結果となったのだろうと泰広は思った。
「ともかく、まず全員を外に非難させよ。ここは危ない、いつ火が廻るとも限らぬ。あれらももう攻めてはこぬて、連れて来たのは百姓どもだが、この際にはかえって約に立つというものだわ」
「拙者もそう思うておりました。しかしまずは人よりも薬を出さねば、いつこの熱で爆発するとも限りませぬ」
「しかり」と言いながら泰広は蔵のほうを見た。
 すでに井上外記がまだ元気な者を集め、指示して倉庫から大八車に火薬を積んでいた。
 泰広はすぐ外記のところへも行った。外記は鉄砲を杖にしてやっと立っていた。
「負傷なされたか」
 頬の傷も痛々しい。顔も青ざめている。具足も汚れがひどい。
「不覚にも後ろから槍を入れられました」
「なんということを、まずは座りなされ。亀田からは医者も来ているゆえ、手当てこそ肝心でありますぞ」と優しくいってくれた。
「拙者などはかすり傷でござる。外の者こそ急ぎ手当てせねば手遅れになりましょう」と言って後ろを振り返った。
 泰広もつられるようにして視線を砦の中全般にそそいだ。砦の中では大勢の民兵である町人たちが怪我人を日陰に運んだりしており、そこでは簡易な手当てが行われているのだった。ただ数が多すぎて何もされないまま放置されて地面に寝かせられている者たちもいて、彼らは毒がまわっているのか、一応にうめき苦しんでいた。
「大変な数ではないか、」
「一度大手門が破られましたが、あの者たちが何とか追い返したのでございます」
「それがしも外記殿に助けられました」と広林も横から話に加わった。
「まこと大変なことでござりましたなあ。ご苦労さまです。とにもかくにも皆々に手当てさせましょう。ここは熱くて危険ゆえ、外に幕など張り準備させまするからそちらに順次移ろうではないか」と言うなり泰広は連れてきた兵らに手伝うよううながした。
 砦の中は死体もあちこちに散乱していた。炎天下に放置されたものの中にはすでに異臭を放っているものもあり、新たに海から来たもの達が手際よくそれらを集めて死体は砦の外に大八車で運ばれると急ぎ腐敗する前に大きな穴を掘り敵味方無く一緒くたに埋葬された。
 砦方の死者は百に近かった。アイヌ軍も百を超えたと推測される。ただ和人軍の死者はほとんどが平民軍である町人たちであり、このため公式の報告書には彼らの数は伏されてしまったのである。戦は武家が行うという建前があったから、まして町人が砦を実際には守ったと泰広も広林も流石に幕府へは言えなかった。泰広にとって相手が忠清であればこそ少しでも負の部分は隠したかったのである。だから『津軽一統誌』でも「味方は具足や鎖などを着込みこのため蝦夷の矢は誰も通らなかった」と記されている。これは当時津軽藩は福山などの後方に待機していて、もしもクンヌイが破られた時の最終決戦に備えていた。このためクンヌイの戦いの様子は泰広の報告書のみで知るだけだった。しかしその話をよく聞けば、半日もの長い間を戦い、ひとりも味方は死ななかったなど有り得る話ではないと気付くはずである。また二百丁の鉄砲で蝦夷は散々に撃たれ壊走したというが、そうだろうか。設楽ヶ原の合戦でもそうだが、銃は連射すれば熱を持つ、そこに火薬をつめれば暴発の怖れは十分にあった。これは雑賀衆の三人交換式でやっても同じだったろう。熱せられた鉄はこの炎天下ではそう簡単には冷めない。さらに当時の黒色火薬は燃焼率が悪くて煤がべったりと銃腔に付着する。このため本来なら一発撃つ毎に掃除しなければすぐに詰まってしまうのだ。だから設楽ヶ原でもクンヌイでも鉄砲が合戦の主力兵器には成得なかったのであってしかもこの二つの合戦はともに半日の時を費やしている。後世この二つの戦いは鉄砲で敵を一掃したように語られているが、半日の時を費やしたというものが決してそうではなかった事を如実に語っているのではないのか。公式記録は蝦夷側に百人ほどの死者が出たとのみしか語っていない。だが砦側も同じだった。設楽ヶ原でも双方同じく千人づつの死者がでていると聞けば敵味方合わせて三千のうち二百という死者の数にはさすがに指揮官である泰広も胸を痛めた。作戦に何か見落としがあったのだろうか、砦といい鉄砲といい味方の有利な立場を思えば、死者は敵にこそあって、こちらは怪我人程度で終わると計算していたのに、
「鉄砲を用いた戦は相手方に深手を負わせ死ぬもの多々出るとは聞いていたが、わが軍にもこれほどとはのう」
「毒矢は当たれば鉄砲並に死ぬ確立が高こうござりますな。また蝦夷は強うござりました」と広林は正直に答えた。「いくら撃ち込んでも、ひるむことなく攻めて来るのです」
「まことに、」それは本当のことだろうと泰広は思う。「あの砦の様子をみてもわかると言うものだ。おびただしい夷敵の打ち込んだ矢がいたるところに落ちているし、地面に染み込んだ血の痕はここが赤土の土間かと見間違うほどじゃ。それにあの門の破れようはどうだろう。なまじのものにあらず、まるでだいだら法師が大きな拳で殴りつけたようじゃ。ここがいかに激しい戦の場であったか、これらを見ても知るに余りある」
「しかり、」
「もはや報告はあとで聞きましょう。さあもう休みなされ、手当てをうけなされ。飯も水もこちらで世話するゆえ何もせずともよい。わしは各々方の手当ての指図にあたるゆえそこもとらは幕の内に行きなされ」と言うなり、連れてきた配下の武官を伴なって泰広はテキパキと指図しながら再び砦へ向かいその中の様子を見て歩いた。
 それにしてもよく持ち堪えたものだ。砦の八つの矢倉は全部が焼け落ちているといっていい。外側にみな倒れているとはいえ、その燃え残っている火の熱だけでもまだかなり熱くて、この火の熱と夏の暑さの中でみんなよく耐えたものだと泰広は思った。
 火炎地獄の中で戦ったようなものだろう。辛抱の限界だったに違いないと彼は想像した。それにしても蝦夷が火矢を使ってくるとはそこまで考え付かなかった。思えば蝦夷は祭事に火矢を使うということを聞いたことがある。失敗だった。知恵がまわらなかった。心の何処かで敵を侮っていた。戦は全知全能を振り絞ってもまだ足らぬ。そのため味方に想像を絶する過酷な籠城を強いらさせたのである。あげく死ななくてもいい者まで殺してしまったのだ。所詮自分の知恵などこの程度なのかと泰広は自らを恥じた。しかし幸運なこともあったのではないのか、矢倉はみな外側に倒れてため、砦内の陣屋など主だった家屋がそれほど延焼していないのである。なぜアイヌ軍はそこを攻撃目標にしなかったのか、理由はいろいろあるのだがひとつに彼らはみな弓矢の名手だったということもある。名手は無駄矢を撃たない。庄太夫はまず何よりも砦の矢倉に注目した。あれを沈黙させなければ味方は高所からいいように鉄砲で狙われたし、土塁に待機する鉄砲隊もよく見える位置から指揮を受けて機敏に動いて来る。当初の火矢攻めはそれを沈黙させるのが目的だった。攻めるアイヌ軍はその意味をよく理解した。彼らは山中猟をしてよく焚き火をする。矢倉の何処に火矢を放てばよく燃えるかを心得ていた。だから延焼効率の悪い屋根や壁には打ち込まなかった。彼らが狙ったのは矢倉を支える柱や床板だった。そこなら敵が火を消すことも出来ないうえ、火は下から上へ燃え上がっていくのである。弓の名手である彼らはそこへ的確に火矢を射込んではずさなかった。と、ここまではよかったのだが、面白いことにこうした名手は目に見えないところへ闇雲に矢を射込むことを嫌う。なにせ鉄製の鏃が少ない。これを無駄に使うことは絶対ゆるされないのだ。このため土塁の中の見えない家屋へ向って火矢を打ち込むことはなかったのである。しかも矢倉から外れて中まで火矢が飛んでいくということもほとんどなかった。まさにアイヌ側にとって弓の名手が多すぎた事が逆に災いしたといえる。とはいえ現実には何本かは稀に飛んだ。それは民兵らが屋根に昇って消していた。そのほか燃える矢倉から飛び火したものが家屋の屋根に降りそそぎ出火したことも多々あった。だがこれらの消火もすべて民兵が処理した。砦に籠る千人のうちの半数ほどがこの町人からなる民兵である。戦は前線で敵と戦う兵士のみが華々しく語られるが、実際にはこうした後方部隊の活躍こそが勝敗を決める。その点この砦には十分すぎるほどの後方部隊がいた。しかしこれは泰広の深慮遠謀ではなかった。彼が兵員の数にこだわったことは確かである。また素人でも必死になれば意外な力を発揮するだろうということも期待していた。しかし砦の火災まで想像してはいないのである。泰広は事件後幕府の報告書に一切町人のことは記さなかったが、そのため今となっては彼の思惑を知ることはできない。ただ事実として、沢山の足手まといになるはずだった町人が活躍したのである。そのほか火矢は建物に向って放つためその間籠城兵に向って矢が射ち込まれないということもあった。このため逆に思うように狙い撃ちにされる危険がアイヌ側にある。このことでも何度も火矢攻めは出来ない。しかも短時間にしか行えなかったこともこの作戦の欠点としてある。こうした諸々の事柄から中の家屋の炎上はまぬがれた。もしこの砦内の家屋まで炎上したならばこの夏の暑さと火炎熱で誰もここに留まることは出来なかったろう。そうなったとしたら籠城軍は穴の中の熊のように燻りだされて逃げ出したに違いない。こうした作戦を練ってきたアイヌ軍ただひとりの軍師である庄太夫が自ら突撃隊長となって最前線で戦い、運悪く井上外記の捨鉢に投げた毒矢で負傷したことも砦側には幸いした。振り返れば外記の怪我の功名が砦を救ったといっていい。しかし外記も泰広も生涯それに気付くことはなかった。泰広にしても庄太夫にしても運などという不可解なものは信じていなかった。運がどうのこうのと言うのは敗者の慰めの言葉でしかない。二人はそう思っている。しかし戦にはどうしてもその言葉で決め付けなければ納得出来ないものがある。近くは関が原、遠くは壇ノ浦と兵士たちは紙一重の運命に絆されて興亡の光と闇を見たのである。
 やがて一回りしてくると泰広はもとの門の前に来た。なんとは為しにその門を見てハテと気付いたことがある。それはなぜここだけが内側に倒れているのか?どう見ても外側には焼跡は無いのだ。ん?と彼はもう一度考えを改めてみた。
 彼らは本来矢倉の内側を狙いたかったのだと思う。中へ倒れればその損害は矢倉ひとつですまないことは誰にもわかることで、それを阻止したのが鉄砲であったろう。鉄砲の威力を避けれるギリギリで射ち込める距離が外側の柱だったに違いない。なのになぜ門だけは内側へ倒れたのか、あれらはここから侵入するため何としても門を内側へ倒したかったのだろう。しかしどのようにすればそれが出来るというのだ。いくら泰広が考えてもそれは思いつかなかった。わかったことは、敵にも優れた軍師がいることだけだった。
「わからぬ」ということに苛立ち彼は折弓でバッシっと袴を叩いた。
 泰広は砦を出て本陣へ向って歩いて行くと、遠くに遺体を穴に入れている辺りで外記の姿を見た。外記はひとつの遺体の傍に佇んでいた。あの男をかばった少年の死体だ。こんな子供を、何が鉄砲で人を殺すのが楽しいだと。くそっ、俺って奴は。外記は小柄を出すと少年の髪を一掴み、それを震える手で切った。
「大丈夫かな?」屈んでいる外記の顔を覗き込むようにして微笑みながら泰広は言った。
「これほどの傷、蚊が刺したようなものでござる」と言葉では強気だったが声に元気がなかった。
 うなずきながらもそうではないのだ、と泰広は言いたかった。あの亀田を出立するまでの外記はそれこそ何の苦労も無く育った町侍の屈託の無い明るい青年だったのに、今は深く顔に翳を落としている。わずか半日の間にこの若者に何があったのだろうかと泰広は心配して声をかけたのである。この少年兵の遺体にも何か謂れがあるのか、いま外記にすれば夏目が軽率な自分をかばって死んだことに何よりも自責の念を抱く。そして夏目と同じく子供の時から一緒だった五平を自分の不注意で殺されてしまったことにもなにより悲しかった。土塁では仲間が次々と死んで逝った。組頭として迂闊にも足をやられて動けぬままいったい何を指揮したのか、なぜそんな自分が生き残ってしまったのか、友や仲間の死は生き残った者には絶望だけしか与えないとは余りにも戦は過酷過ぎるのではないか、ほんのさっきまで元気に話をしていたのに彼らは一瞬の内に去っていった。二度と戻らない世界に。戦が終わった後の虚脱感は外記の身体の血液の流れを止めてしまうようだった。すべての気力をうばい頭の中は真っ白になりだるくて呼吸さえもしたくないくらいである。生まれて初めて経験するこの辛さは、人はもっと強いはずなのにと思う。もっと強いはずだ。めげるなと心で何度反芻しても胃の中に鉛を入れられたようで深淵に沈んでいく自分を止められないまま痴呆のように彼は泰広を見上げていた。
 泰広はしばらく黙っていたがかける言葉も思いつかないまま外記の肩を軽く叩き、
「養生なされ、」とだけ優しく言って立ち去った。
 外記にすれば泰広にわずかながらも不満はある。もっと早く来てくれれば、
「拙者は死神を見ました」去り行く泰広に外記はうなだれたまま独り言のようにつぶやいた。
 泰広はその言葉に立ち止まったが、振り返ることなくゆっくりと歩いて行った。所詮若造なのだ、この子は、と外記を思った。なんの苦労もなくただ素直にここまで育ってきたに違いない。組頭の跡取りとして生まれ両親の愛情を一身に集め、学問も武術もそれなりに良くできて近所からも良い子だとほめられ、誰からも好かれて大きくなったのだろう。やがて美しく優しい嫁を貰い子も出来て楽しい家庭生活も送っていただろう。彼の人生はこの年までわずかな不満はあったにしても押しなべて幸せな人生だったに違いない。そんなところか、それに引き換え自分はどうだ。十四歳で江戸に行き、小姓組に勤めた。周りはみんな本当の大名の子で自分はただの格付の家の子でしかない。親の格が物言う時代、泰広はいいだけ苛められた。時には年下の子に命令されることもしばしばあった。それでもじっと我慢した。自分には大人になってからやらねばならぬ使命があると何年も歯を食い縛って耐えた。それをなんぞや外記などはわずか半日の修羅場を見ただけで音をあげている。わしなどは上司から苛められ何度も切腹した死体の片付けをさせられたものだ。本来非人がやるべき事なのに、死んだ者が貴人だという理由をつけられて自分にやらされた。これほどの苛めがあるのか、おびただしく流れた血を拭き取り腹からはみ出た内臓をもとに戻して遺族へ渡した。そのときはわしが殺したのではないかという目で遺族らに睨まれ、決して感謝されることはなかった。それでも身分ある自分がなぜここまでしなければならぬのか、悔しさと遺体に触るおぞましさに耐えて、この辛いいじめに何年も忍んだ。それなのにこの若者は半日の苦行でへたっている。若者などみなそうだ。城中でも溜りの間で改革がどうの、年寄りのやり方がどうのと、自分ほど頭がいい者はいないと世間をあなどり得意になって叫んでいる大名の子倅がうんざりするほどいる。あれらに外記の今日の思いを味合わせてみたいものだ。さすれば何人が正気でいようか、大人になるには幾重の修羅場を通り抜けねばならぬ。こんなことでどうするのだ、外記よ。泰広は思わず下腹に力をいれる成バシリとまた馬鞭で自分の袴を叩いた。埃が白く飛んだ。


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