クンヌイの戦い
絵鞆と亀田、のちの室蘭と箱館は、良港としてこの先も栄えていくだけあってこの時点でも多くの船を集結させ易い湊である。 シャクシャインが絵鞆で無駄に時を費やしているわけではない、ということは泰広にもわかっていた。他の和人のように、彼はアイヌ民族を単なる蛮族などとは思っていないのだ。ならば考えられることはふたつある。まずは良港である絵鞆で船を集め、一機に亀田を突く、という作戦に出ることであった。で、もうひとつの作戦は西蝦夷の梟雄(といっては悪いかもしれないが)ハウカセを懐柔してこの一揆に参戦させようと説得しているのではないだろうかと思われる。大河石狩を牛耳るハウカセは、蝦夷のアイヌの間では交通の便のよさから早くに和人文化を取り入れ、ある意味松前藩とも近しい、だからと云ってシャクシャインが彼のプライドを考えれば、松前藩に味方して卑怯にも背後から襲って来るという心配はないのだが、ただ彼の兵は一千はいるだろうし、また鉄砲を持っているという噂もある。これらが参加してくれればその員数以上の強力な味方となり、この戦いの勝利は不動のものとなる。それを思えば、少しの時間を費やしても説得すべきであると考えていた。しかしハウカセは頑として動こうとはしない、なぜか、今結束して立ち上がれば往時のわが民族だけの大地を回復出来るというのに、ハウカセの気持ちがシャクシャインにはわからなかった。ハウカセにすれば和人を怖れているわけではないが、また戦う理由も無い、そういうことか、何度目かの使者の言葉を聞けばその一点張りである。根性の狭い男め、いずれ和人をこの地から駆逐すれば、返す刀で頑固者とも戦わなければならないだろう、シャクシャインは庄太夫と共にもはや腹を決めたのだった。もうこれ以上時間は無駄に使えない。和人はなにやら吾らの行く手に大きな砦を築き始めているのだ。 泰広は絵鞆と西蝦夷に物見を放っていたが、絵鞆に船は集結されていなかった。となれば西蝦夷の石狩族のハウカセを口説いているのか、しかし彼は松前藩を通してハウカセを逆にこちらからも説得仕様とは思わなかった。あの男のプライドをうっかり松前藩が脅して傷つければ、奴は喜んでシャクシャインに付くだろう。現在に至っても動かないということは、奴はもう一揆に参戦する気はないだろう、触らぬ神に祟り無しと泰広は判断した。馬鹿なハウカセ奴と内心ほくそ笑んだが、これが動けば大変なことになる。現在無策のままでいる自分を本当にこれでいいのか疑っていたが、それはハウカセの性格を見抜いての事で、薄氷を踏むような気分で大丈夫だろうと勝手に信じていただけである。が、なんでも手を出せばいいというものでもないのだ。じっと見ぬ振りも辛いが、知恵者ぶるほうが危険を招くこともある。それは正しかった。シャクシャインはハウカセの説得に失敗し、ついに急いているクケシケの要請に応じ、山越えへしてクルマツナイへと向うため西に軍を進めたのである。 これで反乱軍と制圧軍の決戦の場所は、クンヌイに決まったといっていいだろう。もしハウカセが加われば、戦場はクンヌイと亀田に分かれたもしれない。石狩アイヌと余市アイヌの西蝦夷軍、そして日高アイヌと一部の内浦アイヌを含んだ東蝦夷軍、どちらも一枚岩の如き強軍であった。それにかえれば、西蝦夷軍を迎え撃つのは、初めて戦の場で顔を合わせる幕府松前連合軍であり、東蝦夷を迎え撃つのは、しぶしぶ凶作の国からやって来る東北各藩である。どうみてもどっちが有利か子供でもわかるというものだ。それが一本化された。シャクシャインはハウカセを諦めて西に動いた。つまり決戦場は一箇所であると決まったとき、泰広はほっとした。まだ勝機はこちらにあるかもしれない、と彼はほくそ笑んだが、だからといって難局が小さくなったわけではないのだ。彼はこのことをくどいくらい広林や井上に話した。油断めされるな。大きな鉄槌を生身で受け止めるほどの衝撃が一機にやって来ますよ、彼らを甘く見た時点でこちらは負けるでしょう。そういい含めた。広林はこれに対し深刻に受け止めたが、井上は若者らしく陽気に肯いていた。 井上外記はまだ三十代の若い士官であった。彼は役人というよりも技術者というべきほうが似合う男である。常に鉄砲のことが好きで頭から離れない人で、このクンヌイでの戦いの経験から、後に六連発の火縄銃を発明している。だから彼は、亀田からここへ来るまでも馬を並べて行軍する蛎崎広林を相手に鉄砲の技術的な話ばかりしていて、広林を退屈させた。 「鉄砲はですね。いくらしっかり構えていても決して銃身を止めることはできないんですね。いつもこうグラグラ揺れている。息をしているから動くのかと思って止めて構えてもやっぱり止まらんのです。だから普通の人はそれを何とか止めて狙おうとするので、これでは中々的には当たりません。しかも困ったことに鉄砲は止めて狙わなければ的には当たらん理屈になっています。絶対動くものを絶対止めて撃つ、相反する理屈が鉄砲というやつにはあるんですね。そこで昔の名人は考えたんでしょうな。いっそ動くままにして狙ったらどうだろうかってね。こういう風に銃口をですね、」と言いながら興味の無い広林に、いつも脇差代わりに腰に差している黒檀の長い短銃を抜いて構えて見せた。「的の上の方からすうっと息をゆっくり吐きながら下ろすんです。そして的に当たる一番いいところ、的の下の部分ですが、ここへ来たときを見計らって息を止めて、そろっと卵を握るように引き金を落とす。こうすると絶対当たりますよ」 「はあ、なるほど、」と広林は気の無い返事をした。「なぜ的の下なんです?」とそれでも愛想の質問だけはした。 「撃った反動で銃口が跳ね上がるからなんですね。それも計算に入れるわけなんです」 「ようわかり申した。それにしても変わった短筒ですな」 「ああこれですか。これは馬上筒と言われるたぐいのものです。名の通り馬の上から撃つために短筒より長く、普通の鉄砲より短く造られています。長さは二尺一寸、筒が一尺五寸あります。玉は三匁九分で、」と細かく説明してから「腰に差すには丁度良い」と言って笑って見せた。 「それがしはね、連発出来る鉄砲も考えているんですが、」と言っているうちに草原の彼方に土塁と矢倉からなる細長い砦が見えて来た。 砦は急いで造られたので見た目の美しさは無い。一度の戦いに保てば良いという泰広の考えから造られたから掘建て小屋の、野武士の砦のようにも見える。 飯でも炊いているのか、砦から幾筋も煙が立ち昇っていた。広林も外記も他の兵士もそれを見るとみな空腹を覚えた。それでも好奇心の強い外記は馬上爪先だつように立ち上がった。少しでもはっきり砦を見ようと思うのだろう。 「ついに来ましたね。江戸より遠く遥か千里の彼方、北の大草原に砦はある。うーん、こんな広い野原見たことがありませぬなあ」と言って広林を見ながら「それにしても小さな砦ですね」造った本人が横にいるというのに井上は遠慮なく初めての感想を正直に述べた。 「実際には砦は小さくありませぬ。周りが広すぎるのでござるよ」広林はむっとしてそう言った。 北の大地はそれほど大きいのだ。しかしそんなことは子供のように目を輝かしている外記の耳には届かない。 「ここで戦うのかあ、」外記の血は激しく騒ぐ。 そして嬉しそうに両手を掲げると大きく息を吸った。 井上はクンヌイの砦に入るとさっそく矢倉に登り全体を上から見てみた。元々ここには大きな集落があってその一部、会所を中心とした建造物を囲うようにして土塁が築かれたようだ。土塁からはみ出た建造物は敵の隠れ家とならないように破壊され土塁の柵や矢倉の壁に使われている。それでも余る家々は燃やされたのだろう。焼け跡が点在していた。ただ砦の中で全員が暮らすのには狭すぎるのか、何十人かはまだ砦の外の家で寝泊りしているらしい。そうした家が何軒か残っているのが見える。砦は二百間四方の緩慢な矩形で西にだけ出入りの門がある。その上も矢倉になって鉄砲隊が潜めるようになっていた。西の正門の向うは心細くなるほど広大な草原が駒ヶ岳を望む地平線まで続いている。草原の南側は海まで続き、北側も遥かな長万部岳の山脈まで遠い。まさに平原の中にぽつんと砦はある。なぜ泰広はこんな平らな何もないところに砦を築かせたのか、外記にすれば戦闘用の城は山の上に造り敵に攻めずらくするのが常識だと思うのだが、これならば敵は一気に攻め込んで来るのではないか、しかしあの八左衛門様がそんなことも考えずに城を造るはずがない。なぜだろう、わからぬ?外記にそれがわかるのは戦も始まって中ほども過ぎた頃だろうか。 それはともかく外記の観察は続く。矢倉は一辺に三箇所、門の上も入れて八箇所作られていた。矢倉と矢倉の間は互いの射程距離を外れないぎりぎりの距離で造られている。高さは四丈。その上では二人の射手と弾込めの助手が四人、十分に仕事ができる広さはある。矢倉の周りはさきほどいったように廃屋の板を張り付けて敵の矢を防ぐようになっていた。銃眼もある。屋根もある。井上はまずまずだろうと思った。下に見える土塁の高さは二丈くらいか、前方には土砂を掻き揚げたため自然と掘ができている。この辺りは元々のっぺりとした平野に国縫川が流れているため湿地帯であった。それが寛永十七年に駒ケ岳が大噴火を起こしたため湿原は荒野となり年を得ずして草原に変わった。しかしこうしてわずかでも掘り下げると水が湧き出てくる。堀は丁度良い水掘になっていた。さすがに金堀人どもは土工職人である。この水の出るところで格も高々と土を盛ったものだと感心した。ただそれが高いのか低いのかはアイヌ軍の働きを見てみなければわからない。願わくば彼らにとって困難な高さであってほしいと外記は思った。彼は土塁から目を上げた。その向うには幅六間ほどの小川としかいえないような国縫川が頼りなさそうに北から南に向かって流れていた。川の向うは森となりさらに小高い山並が続いている。その遠くには北の大地を思わせる静狩の高い山脈が霞むように見えていた。この川を挟んで二千の敵軍が押し寄せてくる。まだ一度も戦の経験の無い井上外記は想像するだけで身震いした。しかも相手は同じ侍ではない。船中泰広から聞かされた話では、蝦夷とは髪は蓬髪で目は天狗のように大きくしかもランランと輝やき、大きな鼻から出る息は銅銭をひっくり返すほど強いらしく、手足は仁王のように太く逞しくて、また顔中針のような髯を蓄え熊の肝を喰らい火を吐くような大声で相手と話す、という。いかなる者か、井上は見たことも無い辺境の異教徒を想像し、まさに酒呑童子と戦う源頼光か坂田公時にでもなったような気分だった。 井上外記が矢倉から下りると、すでに蛎崎広林は全員を集めて演説をしていた。 「すでに蝦夷どもは二日ほど前に絵鞆から消えたという報せが入っている。海を渡ったという形跡はないようだから、恐らく礼文華山を廻って黒松内に出て今ごろ余市の蝦夷と合流しているに違いない。となれば明日にでもここへ押し寄せて来てもおかしくは無いであろう」 そのとおりなのだ。彼らはすでにクルマッナイで合流し、長万部川の上流を流れる谷合を南下していた。 ヨイチの長チクラケも老骨に鞭打って参戦していた。彼は再びシャクシャインに会うと嬉しさのあまり鼻水を垂らして泣きじゃくり、抱きつくと何度も感謝の言葉を辞した。 「よう立ちなされた。まことによう立ちなされた。もう嬉しゅうて嬉しゅうて、踊りだしたき気持ちなり。幾度も幾度も辛さを耐え凌ぎ、どんなにか我等はこの日を待ち望んでいたろうか。やっとあれらに思い知らせてやるときが来申した。最早わしが生きている間にこんなことは起こらぬとおもうておうたのに、しかしそうじゃなかった。おぬしこそ民族の英雄じゃ、わしらは百年千年と時を経ようともおぬしが為したことを忘れず語り継ごうではないか。この地はカムイがわれ等に授けてくれた自由の天地じゃ、それをあのシサムどもがいつの間にか土足で入り来て我が物顔でいる。わしらはいつだってあれらの神さえも敬ってここまで共にやって来たのにあれらは一度だってわしらの神を敬うたことがあろうか。ここまでがわれらの堪忍の際であろう。もはや決別の時は来たり。ここはカムイの棲まわす聖なる地ぞ、それを汚す侵入者はこの先断じて許すまじ。思うにあれらこそは魔神じゃ、魔神を倒すにはカムイが地上に降ろしたアイヌラックルでなければならぬ。まさに今まで百度戦ってかすり傷も負わなかったシブチャリの長、おぬしこそアイヌラックルの化身なり」ヨイチの長は思いのたけを伝えると再びシャクシャインの手を握り、「これこそがカムイの戦いぞ。もはやこの場で死んでも何の後悔もなし」と興奮しながら言った。 アイヌ民族は交易民族であるから他宗教に対しても寛大であった。宗教が違うと選り好みしてしまえば何処の国とも交易は出来ない。だから彼らは自らの神々に畏敬しながらも他国の神も真剣に敬ってきた。そうでなければ信用だけが頼みの商売は成り立たないだろう。ところが和人にはそんな考えはなかった。それをチクラケは憤るのである。シャクシャインはヨイチの長を抱きしめその背を優しく撫ぜながら、 「わしは長のため、すべてのアイヌウタリのため、そしてカムイの名誉のためにシサムの仕打ちに対し恨みを晴らす。きっと晴らす。そのためならばこの命など惜しむべくは無し。そして二度とシサムが吾等にひどいことをせぬよう懲らしめてやる。たとえ死んで魂だけになろうとも必ずやこの恨みはらさずにおくべきか、」とみんなに聞こえるよう叫ぶようにいった。シャクシャインのその言葉は全アイヌ軍に伝わって全軍奮い立ったのである。 同じ頃クンヌイでは、蛎崎広林らがクンヌイに着く少し前のこと、十日ほど前に先着していた佐藤権左衛門が三十名ほどの兵士を連れてオシャマンベまで偵察に出かけた。彼もすでにシャクシャインがエトモから動いたことは知っていた。というのも物見がこのクンヌイを通過して亀田へ向ったからだった。佐藤は情報を得てから二三日も考えていたが、しかしまだ敵はクルマツナイあたりにいるだろうと思っていた。それで亀田の指図をまたずに、偵察方々敵の動きを知ろうとして出かけたのである。ところがクルマッナイのアイヌ軍も同じように考えてオシャマンベまで偵察を出していたのである。庄太夫は百名ほどのアイヌ兵を連れてエドモから休むことなくまっすぐオシャマンベの砦に向かった。アイヌ軍がクルマッナイに集結した噂は和人軍にも届いているに違いない。さすればオシャマンベにある砦を急ぎ抑えておく必要がある。そこは山間部と海岸へ出る平野部との境目であり重要な地点であった。だから彼らより先にオシャマンベへ行くことが必至である。まだ彼らが油断している間にオシャマンベを先に奪る。ところが砦には内浦アイヌの人々が立て篭もっていて庄太夫らを見ると戦うことなく開門し共に戦うことを誓ってくれた。これに気を良くした庄太夫は内浦アイヌの人に案内されてさらにクンヌイに向かったのであった。そこに大きな砦が築かれていることは風聞で知っていた。攻めればきっと大きな戦いになるだろう。その前にぜひ砦の構造などを見ておきたいのだ。 途中山中で先を行く物見が急ぎ戻ってきた。侍軍が三十名ほどこちらへ向かってやってくるという。庄太夫は嬉々としてみんなを峠道から山の中へ半分づつ両側に散開させた。 佐藤権左衛門も、もっと用心すべきであった。少なくとも庄太夫のように先駆けの物見をおけばこんなことにはならなかったろう。敵はまだクルマッナイにいるという思い込みが彼を油断させた。庄太夫らと違ってここには誰も戦の経験者がいないというのが不幸であったかもしれない。 峠道は静かだった。 小鳥はさえずり蝉は土砂降りの雨に出くわしたような唸るように鳴く、風は無く木々の梢を抜けて見える空は真っ青でカッと日差しを降り注いでくる。佐藤隊の誰もが汗を吹き出し、辛そうに歩いていた。重い具足にうんざりして兜を脱ぐ者も多かった。戦の場に足を踏み入れた以上危険はすぐそこにあるというのに、誰もそれを想像しようとはしないのである。わずか十間も離れていないところに息を止め木々の一部となって潜んでいる敵がいる。弓を満月のように絞り今か今かと合図を待つ敵がいる。三十名の松前兵は誰一人それに気付こうとはしないのだ。 庄太夫は下の峠道をだらしなく歩いてくる松前軍が自分達の隠れている真ん中辺りまで来たとき、そばに居るヘカチのわき腹を小突いた。それから手に持っていた竹の長い杖で無言のまま敵の列の先頭者を示した。ヘカチはこれも黙って頷くと強弓に矢を番えるなりギリギリと音をたてながら絞り込んだ。その矢には鉄の鏃が付いていた。普通アイヌの鏃は動物の骨か柘植のような堅い木などで作られている。動物の骨には空洞があり木なら穴を穿つことができる。この穴へ毒草を液状になるまで擦り込み粘土に混ぜて押し込んである。これを獲物に打ち込むのである(鏃は射付節と紐で軽く結んであるため獲物の体内に食い込むと箆の部分が落ちる。このため毒鏃はいつまでも身体に付いているという工夫がされている)ところが庄太夫の参加によってメナシウンクルに鉄の鏃が普及された。なにせ彼の実家は矢師なのだ。メナシウンクルがシュムウンクルより強かったのはこうした強力な鏃を持っていたことにもある。ヘカチは弓が折れるほどに引くなり躊躇わずブンっと放った。矢は高い位置から斜め下に向って飛び、先頭を行く者の喉に留まることなく射抜いた。矢はそのまま走って路肩に生えているエゾマツの大木にグサリと刺さった。先頭者は大木に刺さった矢に驚きついで自分の喉に手を当てた。その指の間から血が吹き出た。男はそのまま倒れた。その後に付いていた者は突然の相棒の死に、喉も裂けるほどの悲鳴をあげ、松前兵全員がこの異変に気付いた時はもう遅い。庄太夫は素早く杖を振り下ろした。竹の杖はヒュッと鋭い音を発てる。音は向山に潜む連中にも十分届いた。それが合図となって十分に絞り込んでいた百のアイヌ弓は満月から一気に三日月へと変わる。矢は両山腹から風を切り唸りながら下の哀れな松前兵に向かって一斉に飛んでいった。まさに矢は、夏の逃げ場の無い暑い空気を切り裂く。今度放たれたほとんどの矢の鏃は骨製である。空洞からヒュルヒュルと肝を冷やす恐ろしい音が鋭く鳴った。矢が蜂の群となって一直線に飛んでくるのである。あっという間に半数の十五名が声も出さずにその場へどっと倒れた。矢は全員に当たった。しかし具足を着けていたのでその部分に当たった矢は鋭い音と共にはじかれたのみで、具足以外の生身が出ているところに当たった者だけが倒れたのである。そのほとんどが暑さのため兜を脱いでいた者たちであった。当世の具足は弓矢よりも対鉄砲に備えて作られている。それは一枚鉄板をたたき出したものであり、骨や木の鏃ではいかにアイヌ弓が強弓でも及ばない。 佐藤は両脇から飛んで来た矢数を見て敵がこちらより多い上に迎え撃つ場所もないと悟ると一気に元来た道を逃げ出した。それに続いて歩ける者はみな逃げ出した。 この時代になれば武士の倫理観というものは確立されている。すでに鎌倉時代から武士の心得というものはあった。しかしそれは上級武士の教訓であって、得宗家末期に登場する悪党といわれた人々や室町時代の足軽のように下級層から這い上がってきた戦闘員には倫理観などという上品なものは端からない。彼らは稼ぐために戦場へ来たのであって、だから当然彼らは主家を護るために命を掛けるなんてことはしない。形成が不利になれば雪崩をうって逃げる。誰も死にたくはないのだ。逃げることに何の躊躇も恥じもない。生きてまた違う主君に就いて稼げばいいという考えしかないのである。そのためにも負けると決まった処に柔な命を曝していられないのだ。だから逃げる。しかし戦国時代も終わり、儒教の啓蒙が行届くと貧しい武士でも侍の誇りを持つようになった。今の時代がそうである。ただしまだそれは始まったばかりといっていい。川の流れも本流は清く流れても曲がりくねった奥は淀んでいる。江戸の武士は端々まで侍らしく生きていた。ただ蝦夷は余りにも遠い。まさに川の奥の曲部であった。当然、戦国の足軽の気風はまだ残っている。だから佐藤らは何のためらいもない。一瞬、これは戦にならぬ、と悟って足は自動的に西へ向かってさっさと動いた。 庄太夫たちは二の矢を放たず彼らを見送ったあと峠道に降りてきた。十五人ほどが道に転がっていた。まさにゴミのように彼らは転がっていた。死んでいる者はまるで丸太のようだった。堅く固まりさきほどまで生きていた面影もない。木偶を転がしてあるように見える。生きている者はもがき苦しんでいた。アイヌ軍が放ったこの骨鏃には当然トリカブトの毒が塗込んである。真ともに当たった者は紫色に顔を染めて震えながらやがて死んでいった。まだ生きている者も庄太夫たちは哀れに思ってとどめを刺してやった。血が飛び散り峠道は見る間もなく赤く染まり、血の匂いをかぎつけて庄太夫の見えない山の上で狼たちがじっと見ていた。また山中の枝には多くのカラスがいつの間にか枝に止まっていた。アイヌ軍は死体から武器と武具をはずしてそれぞれが勝手に自分のものとしたのである。クンヌイの戦いの緒戦はこうしてあっけなく終わった。庄太夫たちは略奪が終わると、佐藤らを追うようにさらへと西の砦を目指した。 山中の蝉はまた何事もなかったように鳴き始めた。 クンヌイの砦の中で広林の演説がまだ終わらないうち、佐藤権左衛門らが転がるように逃げ込んできた。 「蝦夷は長万部の山まで来ている」権左衛門は差し入れの水をかぶりと飲むとあえぎながら必死になって報告した。 足はふらつき誰かに抱えてもらはなければ立ってもいれないほどである。広林は演説を途中で止めると権左衛門のそばに駆け寄り詳しく話を聞いた。井上も含め他の主だった将校は皆そばに走ってきた。このため埃が舞い上がりあわてて話す権左衛門を余計に咳き込ませた。 「敵は長万部まで迫っているのか?」と広林。 佐藤権左衛門は咳き込みながら大きくうなずいた。 「数は如何ほどでしたか?」と今度は井上が訊いた。 「わかりませぬ。突然山中から射込まれました。凄ましい数の矢が飛んできて、千は居たのではないでしょうか、矢はことごとくわれ等に当たりましたが具足を着けていたものだけ無事で、後は顔や首、脇の開いたところに当たった者はその場で倒れ死んだように思われまする。ともかく逃げるのが精一杯でした」 「千か、」と広林は叫ぶと立ち上がった。近くにいた将校を睨むと、 「急ぎ亀田へ向え、敵は今宵にもクンヌイに迫ると御大将に伝えるのだ」と叫んだ。 将校は一礼するなりそのまま馬小屋へかけた。再び広林の前に戻ってきた時には騎乗しており、予備の鞍つきの馬も一頭連れていた。広林はその轡を掴まえると仰ぎ見るように馬上の武士に怒鳴った。 「死に物狂いで走れ。お主の如何で我等の命も決まる。わかったかっ」 「心得て候。ご免っ」と言うなりまだ轡を離していない広林を轢き殺すかのように鞭を入れた。 わっと広林は仰け反り悪態をついて飛びのいた。伝令将校は凄まじい土煙と馬蹄の響きを轟かせながら大手門を駆け抜けた。その胴丸の背には行って戻るという意味の『伍』の旗が勢いよくはためいていた。広林はその旗を見送りながら大きく溜息をついた。そして振り返ると全員に配置に着くよう命じた。 「方々、敵は長万部を越えて今迫りつつあり。お支度抜かりなきよう急ぎなされっ、」 敵はすぐそこまで来ている。このため砦内は騒然となった。銃を持って駆け出し土塁にへばりつく者、小屋へ戻って具足をつけてくるもの。槍を担いで自分の部署がわからず、ただうろうろしている者など様々である。砦の中は埃がモウモウとたち、向うが見えないほどであった。この中にいる千名ほどの者誰もが戦の経験がない。その慌てようは無理も無かった。ただ井上外記だけは考え込むようにして権左衛門の乗ってきた馬の傍に立っていた。彼は鞍壷の金具に偶然絡んでいたアイヌ軍の矢に気付いたのだ。粗末な矢だ。と頭の中の目は見ている。それを引き抜いて手に取ると彼はアッと思った。 「これは、」そうか、と次の言葉は腹の中で言った。 アイヌの弓は強弓だと聞いていたのになぜこうも佐藤軍は被害が少なかったのか、なるほどこれでわかったと外記はひとり肯いた。つまりオシャマンベの小競り合いで、これから起きる戦に勝つヒントをこれで得たと彼は確信したのだ。外記は慌しく指揮しながら兎のように忙しい蛎崎広林に駆け寄った。いきなり肩を鷲づかみにすると広林を驚かせた。 「砦の者全員に具足を着けさせなければなりませぬ」 「ん?当たり前のことではないか」この忙しき時に何を血迷うているかと腹立たしかった。 「そうです」外記にすれば蛎崎の心情などどうでもいい。「ただそれがしが言うのは雑兵はもとより金掘りも商人もここに居るものすべてです。具足がなければ鎖帷子でもいい。兜も重要です。兜の無い者は鍋釜でもかまわない。ともかく頭を守ることこそ大事です」 「どういうことか、戦わぬ者はどうでもいいではないか」 「そうではありませぬ。この度は全員で戦わねば勝ちはおぼつかないでしょう。しかも敵が一兵でも土手を越えて中に入られたら我らの負けになります。蝦夷はあなどれないと八左衛門様もおっしゃっていたでしょう」 「確かに向うは数が多い。切り結んで勝ちを争えばこちらが勝てるとはいえないかもしれない」 「そうです。この戦、あくまでも砦の外で決着をつける。それには鉄砲が如何なく使われなければならない、そうでしょう」 「如何にも」 「そのためには雑賀者が考えた三人交換式でやらねばなりませぬ。鉄砲はわれ等、公儀鉄砲方が請け負いますが、二人の従卒は金掘りや商人を使わなければ人が足りませぬ」 「なるほど」 「その従卒が敵に射殺されれば、鉄砲方も思うように働けない。これを見なされ、」外記は手に持つアイヌ軍の矢を広林の両目の間に翳した。「鏃は鉄では有りませぬ」 それがどうした?という顔を広林はした。そんなことはこの地に住む者なら子どものときから知っているではないか。外記はその骨鏃を広林の鼻面で振り回しながら、 「オシャマンベで完全に具足を着けていた者は無傷で帰ってきた。これは鏃が骨であればこそです。鏃が同じ鉄ならば金具の継目をこじるように突き刺さってくることもあるが軟い骨ならばそうはいかない。ということは奴らの矢は装備さえしていれば何の役にもたたないということです」と夢中で説明した。 鏃は外れやすいのだ。振り回す矢先の毒が飛んできて顔にはりつくのではないか、と広林は嫌な顔をしながらも外記の話に納得した。 「なるほどよくわかり申した」彼はよそ者で初めて敵の鏃を見たからこそ、そこに気付いたのかと広林は思った。 子どもの頃から知識があった自分らにはこうした大事なことが見過ごされてしまうということがままある。人は幾ら知識があっても実戦を経験しなければ本当のことはわからないのかもしれない。だからと言ってなるほどなあと感心ばかりもしていられない現実が息つく間もなく目前に迫っているのだった。広林は幼君を出し抜いて藩政を牛耳ったと思われた男であるだけに頭の回転は速い。すぐに配下を集めるとすでに装備の終わった者は土塁に配置しその他の者は一箇所に集めて井上の案を説明した。外記も自分の部下と民兵を全員集めると同じ事を説明した。誰もがこの話を聞いて勇気だった。なにせ矢が当たっても死なないということは大きな希望であった。誰も死にたくはないのだ。だが戦はどちらかの死を求める。それが一方的に死ぬことが無いとわかればこれほど有利なことはない。砦の千人は誰もがこれでこの戦は勝てると思った。勢いは一気に砦側に上がった。全員はそれぞれがそれなりに装備しアイヌ軍を待ったのである。明日にもアイヌ軍は此処へ来るか。それまで砦の外で暮らしていた者達も広林の命令により簡易な住居に火を放って燃やすと砦内に避難してきた。家々は黒煙をあげてよく燃えた。誰もがその火を見つめながら緊張を高めていった。いったいどうなるのだろうか、不安もまた高められた。夜になると土塁の上に必要以上にかがり火が炊かれた。夜襲を恐れたためである。中に入られれば戦は負ける。具足は組み合いになれば刺し殺される箇所は幾らでもある、必ずしも完璧とはいかないのである。夜は鉄砲も利かないとなれば、井上は祈るようにして彼らが夜襲をかけて来ないことを願って北の角の、矢倉の上から国縫川の向うの黒い森を一晩中睨んでいた。彼の部下も土塁の各部署にへばりついてそこで眠っていた。従卒の義勇兵も並んで寝そべっていたが中には本当に鍋を頭にかぶっている者もいた。上から見ている外記には不思議とそれが可笑しな格好には見えず悲壮感すら感じたのである。その下には槍組と松前藩の兵士たちも待機しているのが見える。多くはその場所で装備したまま地べたに寝転んでいた。しかしその他の兵は砦中央の長屋に装備したまま寝ている。北国の夏の夜は零れ落ちてくるのではないかとおもえるほどの満天の星が煌き、寒かった。かがり火は暖房の役も兼ねてモウモウと白煙を夜空に吹き上げている。砦内はそのため十分明るく、夜食の握り飯を運んで歩く商人たちの立てる砂埃まではっきりと白く浮き上がらせていた。まさに不夜城であった。 やがて長い夜は明けた。 国縫川の東、森の向う遥かな山並みに一点陽が指すと、見る見るうちに空はしらみ初めていった。それは淡い朱色が白くかわり、やがて鮮やかな青に染まるという自然が見せる見事な光景であったが、光の変化ははするすると巻き上がるように天に迫り、これから起きる壮絶な戦いの幕開けとした。 陽が昇ると気温が変化し、川面にわずかに風が走り霧がゆっくりと舞い上がっていた。空気はヒンヤリとして頬を冷やすようであり、土塁の上のかがり火はまだ燃え残っていて白い煙をたなびかせていたのである。 井上外記はいつの間にか寝入ってしまったのか、北国の夏の寒い朝の空気で目が開いた。彼は矢倉の上でだるそうに起き上がるとゆっくりと伸びをし、大きくあくびをした。矢倉の上にいる仲間はまだだらしなく寝ている。下を見てみると、砦はまるで全員が寝入っているかのように誰も動いていなかった。見張りも寝てしまったのだろうか、誰も戦の経験が無いということはこんなにものんびりしたことになるのだろうか。井上はこんなとき敵に朝駆けされたらひとたまりもないなあ、とぼんやりした頭で考えていた。しかし恐れていた夜襲もなかった。戦は大きく運が作用すると聞くのだが、運はわれ等にあるのかもしれない。願わくば朝食を食べ脱糞して茶を一杯飲み部署に戻ってから戦が始まらないだろうか、と江戸で勤めに出るときのように勝手なことを思った。 国縫川の向うは靄がかかりよく見えない。 敵はまっすぐあちらから来るのだろうか、それとも迂回して川を渡り北から攻めて来るだろうか。寝ぼけている思考がやっと動き始めた。森は静粛としている。小鳥たちが何羽かさえずっているだけだった。やがて陽も昇りきれば蝉もやかましく鳴くだろう。 あれは?ふと、靄の中ひとりふたりの人影が動いたように見えた。井上は公儀鉄砲方の組頭を勤めるだけあって射撃の腕は一番いい。当然目もいい。彼はもしや敵の斥候でも現れたのでは、と目をこすりもう一度よく見直してみた。目の上の皺が砕けるくらいに目をこらして見た。確かに人が動いたはずだ。そのとき靄がわずかに晴れて森の、木々の下のほうまでよく見えてきた。 「あっつ、」と井上は息を呑んだ。 矢倉の囲いに乗せていた手がガタガタと震え出した。それは武者ぶるいではない、あきらかに恐怖のためだった。井上の目に飛び込んだのは、国縫川の東岸、四十間離れた森の木が切られたあたりにおびただしいほどの数のアイヌ兵が手に弓を持ち、一斉に並んでこちらを睨みつけている姿だった。その軍勢は千、いや二千か、驚く井上には万の数にも見えた。彼らは南北に立ったまま並んでいる。その端が見えないほどいる。下のみんなに報せなければ、外記は立てかけていた鉄砲を取ると壊れるのではないかというくらい思いっきり火鋏を起こした。そしてそばにある火種壷を覗いた。残り火があるのか白い炭が見える。彼はそれを取ると息を吹き掛け火を起こそうとした。しかし喉が渇いていて息が出ない。やっと口中につばを溜め飲み込んだ。息が出た。炭は白い灰を飛ばして赤みを帯びた。外記は腰に付けていた火縄をはずし先端に火をつけた。それを銃の火鋏に差し込もうとしたが手が震えてなかなか上手く行かない。恐怖とあせりで手はべっとりと汗をかいている。具足の草摺りにその汗を拭ってもう一度やってみても上手くいかない。クソッ、 「ナムアミダブツ、南無阿弥陀仏、」と彼は自分を落ち着かせようとして今度は自家の宗旨とは関係ない念仏を何度も唱えた。 阿弥陀仏は慈悲深い、似非信者の外記でも救ってくれるのだろう火鋏にすうっと火縄が入った。彼は急ぎ立ち上がると国縫川のむこうへ銃口を向け引き金を落とした。カッチっと火鋏は平バネの反発で火皿に落ちた。が虚しく、手ごたえを感じない。発火薬は爆発しなかった。 「ん?」 外記は慌てていて銃の安全装置でもある火蓋を開いていなかったのだ。いままで子供の時から何万回も銃を撃ってきてこんなことは一度も無かった。代々幕府鉄砲方組頭の家に生まれ箸より先に銃を持たされ厳しく教えられてきた。それがどうだ、初めての実戦でその基本中の基本、身に染み込んでいるはずの銃の操作を忘れてしまっているとは何と言うことか、厳しい父の叱責の声が聞こえた。外記はそれでも落ち着きを取り戻せなかった。火鋏を起こし火縄の火を確かめ鉄砲を構え直し改めて火蓋を切ると森を狙った。銃身は震えで大きく揺れ、的が定まらない。それでも外記はかまわず引き金を落とした。 太古のような、この世に人など一人も居ないと思われるほど静かだったこのクンヌイに、天を裂くように一発の銃声が響き渡った。黒色火薬は現代の無煙火薬と違ってパンという乾いた音はしない。大太鼓を叩いたようなドーンという重い音は山々に響き渡って唸るように何時までも尾を引くようにコダマした。それまで小枝に止まって眠っていた森の小鳥たちはこれに驚いて一斉に飛び立った。その数数千羽、ザーッという夕立のような羽音は外記の一発の銃声どころではなく朝の冷たい空気を沸騰させたかのように響き渡った。それが合図となって土塁で呆けるように寝ていた者たちは夢の中から一気に現実に引き戻された。森の一部に溶け込んでいるようなアイヌ軍もざわめき始めた。この銃声を機に歴代の松前藩士がこの地で今だかつて経験したことの無い大掛かりな戦が始まろうとしている。それはアイヌ軍も同じだった。両軍合わせて三千名。彼らが会い戦うには、守る側にはあまりにも貧弱な砦であり攻める側には広大過ぎる原野がそこにある。これまでの日本戦史上類を見ない地形でのこの戦いは後世なぜか注目されることは無かった。が、それは大西部における荒野の砦に籠る騎兵隊を襲う無数のインディアンを想像すれば当時の現場を想定できるのではなかろうか。泰広は最初からこうした平坦で広大な原野に敵を誘い込み鉄砲で狙い撃ちして壊滅させることを目論んでいた。敵には隠れる場所がない。だからこちらは敵の突撃を防げるほどの防備があればいい。あとは今までの武器とは比較にならないほど威力のある鉄砲が片を付けてくれるはずなのだ。こうした平坦な地での射撃戦は相手よりも遠くまで飛ぶ武器を持った方が勝つ。こうしたことは作戦も何も無いも同じで子供でも理解できるであろう。そうした条件に適った地がクンヌイであった。しかし現実の戦場はそんな机上の思惑どおりにはいかない… 「敵じゃ、敵が来たっ、敵がおるっ」外記は身を乗り出すようにして腕を東に差し出し下の仲間に叫んだ。 堤の上にいる部下のひとりは外記の叫びを聞くと慌てて国縫川の方を確認した。それから広林に知らせるべく土手を転がり落ち起き上がると飛ぶように駆け出した。白い埃が一直線に後を追いかけていく。そのあとからあわただしく人々が意味も無く駈けずり回っているのが、巣を荒された蜘蛛の子のように外記には見えた。やがて落ち着きを取り戻したのか、砦の中の味方は桶の泥をかき混ぜたようにゆっくりと動き始めた。兵の多くは砦の中にある会所屋敷か長屋で具足を着けたまま寝ていた。彼らは一発の射撃音と外記からの伝令で起き上がると鉄砲を持って土塁に駆けつけ這い上がってきた。そして仕度の出来た者から次々と二間間隔で腹ばいになり鉄砲だけを前に突き出していった。槍組も駆けつけてきた。これで前夜から夜襲に備えて布陣していた者らの空いている隙間が埋まった。泰広の立案した陣立ては完了したのである。それでもあたりは具足の擦り合う音や鉄砲の操作する音、駆けつける無数の足音などで騒然となり、クンヌイ平原の澄んだ空気の静かな朝はあっという間に埃立つ喧騒の中にあった。 「戦じゃ、戦じゃ、各々方急ぎ持場に付きなされっ」 具足の上に朱の陣羽織を羽織った広林が叫びながら指揮棒の馬鞭を振りかざしている。その彼が埃を舞い上げながらこちらに駆けて来るのが外記にも見えた。広林も矢倉からこちらを心配そうに見つめている外記を確認した。彼は兜の中から白い歯をニッと笑って見せながら馬鞭を持つコブシを高く掲げて外記に合図した。外記も持っている鉄砲を掲げた。さすがに蛎崎殿は侍だ。落ち着いていると外記は思った。しかし高い矢倉の上からは広林の足が小刻みに震えていることは確認できない。広林はそれを悟られないように堤へ駆け出した。 外記が颯爽と駆け行く広林に目をうばわれているとき、アイヌ軍に人よりふたつ頭が飛び出た大男が遠く櫓から身を乗り出している外記を見つけた。ヘカチである。北の矢倉の上に見たことも無い奇妙な兜かぶった男がいる。盛んに叫んでいるところを見れば大将に間違いなし、ヘカチは嬉々とした。これを仕留めればシャクシャインがどれだけ喜ぶか、この戦の一番手柄はヘカチなりと言ってくれるかも知れない。彼は愛用の強弓を満月のように絞ると北の隅の矢倉に向かってピュッと放った。矢はもちろん鉄の鏃である。これなら先端に充分な重さもあってバランスもいい。御矢師である庄太夫の兄が作ったもので名品と言っていいものだ。それにヘカチの強力、名人の技を伴って矢は五十間も離れているというのに一分の狂いもなく一直線に外記の頭を目がけて飛んでいった。
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