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作品名:占師は笑う 作者:勝野 森

最終回   4
 9

長い間意識を失っていたのか、あるいはわずかの間だったのか、記憶は何も語ってはくれず、僕は漆黒の闇の中からまぶたを開けると、目の前には多田さんの薄ら汚い青白い顔がぼやけているのが幽霊のようであり、僕を見ているから僕はてっきり死んで三途の河原にいるのかと思った。
「進ちゃんっ、気付いたか」彼は嬉しそうだった。「大丈夫かおまえ」
僕はゆっくり頷いて、そして月が地球を回るほどの早さで周りを見渡したが、彼女はいなくて、僕は大学付属病院のベットに寝ているらしい。
「女はよ、俺がぶっ飛ばした。危なかったなあ、外で聞いていてヤバいと思って一気に飛び込んだんだよ。体当たりしたからなあ、おまえまでぶっ飛ばしちゃって悪かったワ」
「やっぱり盗み聞きしてたんですね」僕はやっと声を出してたどたどしくそう言った。
「ははは、いい女だったモンでついな、やってるのも見たぞ」
「いきなりキスされただけですよ」おそらく僕は赤面していたろう。
「クッソ、オレが代わって入ってたらなあ、めったにねえ、いい女だよな」
「多田さん、どうして後ろ姿だけでいい女ってわかったんですか」僕はまだ皮肉を言う元気があるのか
「山川がいい女は後ろもいい女さって言ったもんで、そんでちょっと見たいなあなんてな」
僕は頭の中が割れそうに痛かったが多田さんに助けてもらったことが本当に嬉しく思い、けれど、それにしても彼女はどうしたのだろうか、
「あのひとは」と僕は言った。
「大丈夫、警察に引き渡したよ。もう学校中が大騒ぎだぜ。さてと、おまえが気付いたから先生に報せてくるワ」と言って彼はわずかに微笑むと出て行った。
それを目だけで見送るとドアのところにマミさんが腕を組んでもたれる様に立っているのが見え、僕はぎょっとしてもしかしてマミさんもキスシーンを見ていたのだろうか、と一瞬想像したら、マミさんは多田さんと入れ替えに僕のところへつかつかとやって来て、そしていきなりバシッと平手で僕の頬を叩いた。
「バカ」という声が後から聞こえて、あの大人しいマミさんが何をするのかと僕は面喰らったが、やっぱり見ていたんだと思って、謝ろうと思って彼女の顔を見たら、マミさんの瞳は濡れていて、それなのにマミさんは、今度は僕の頭を自分の胸に優しく包み込んでくれて何も言わず、柔らかなマミさんの胸はいい匂いがするものだから、僕は何か込み上げてくるものを感じ、初めて生きている実感が伝わって、
「すみません」っていいながらマミさんの白いブラウスを濡らした。
 その後退院した僕はマミさんの何にもない部屋で同棲し、やがて大学を卒業後就職してから結婚した、なんてことはないよね、このとき、ドアにもたれていたマミさんは僕のベッドまで来ると
「このカクノシン、もう、心配させて」と言いながら僕の髪の毛を両手で無茶苦茶にかき回して笑った。
 僕は頭も打っていて痛かったのに、かき回されるとそれが余計にひびいて、メチャ痛くてこれこそが現実の生きている実感なのかと思った。

 10

 翌年の学園祭こそは僕らのロックバンド「ブロークンポプラ」は健在だった。
 この年はMJの一周忌も間近であったから、僕らは彼の曲ばかりを演奏し、出だしは“THRILLER”で行こうと思ったのだけれど、去年の事件も考慮してこの曲ははぶき、まずは純な学生らしく“HEAL THE WORLD”から始まり、次は軽い乗りで“SMOOTH CRIMINAL”や“BEAT IT”など何曲かこなしてから、最後は“BLACK OR WHITE”で〆たのだが、こいつは受けたよ、人種なんかクソくらえ、貧しいからって何だと言うんだ、鬱病なんかも飛んでいけ、元々人々には偏見も差別も無いのさ、あるのは個性、MJのメッセージは大半が英語のわかるこの大学の学生にはマジ受けで、聴衆は最高の気分を味わったにちがいない。
 “BLACK OR WHITE”が始まると、大学院へ行っているバンマスは相変わらずラッパが引き裂かれるように高音でのたうち、マミさんは瞳に涙を浮かべながら細い身体を妖しくひねるようにして、やや重くフルートの音色を押さえながら吹きつつ、かつ伸びのあるMJの声は高くて女っぽいから、彼女はそれを真似るようにワイヤレスインカムのマイクを通して歌うと、僕はシンセサイザーの音をドラムに変えてキーボードが壊れるほど叩けば、多田さんは葉っぱを吸ってきたのだろうか、リードギターの弦の根元に指を当てて信じられないほど恐るべき速さでかき鳴らして躍動感のある高音を発しながら後ろに仰け反るように弾けば、マミさんも負け而と高音のフルートで応じてまるで向い合うふたりは抱き合うくらいに迫って競演すると、聴くものを圧倒させ、つられるように山川先輩もベースギターを弾き出せば、会場の聴衆は総立ちになり、稲葉ジャンプが始まり、乗りにのって、これこそがマイケルの死後、彼が世界中にばら蒔いたウイルス“This is it”なのだと誰もが思った。
 ロックは最高、僕はつくづく思う、いつの時代も不条理な世の中に生きる行き場の無い若者の悩みと苦痛を開放する音楽はこれより他にあるのかって、腹のそこから叫び、金属的な超高音の電子音楽という時代の寵児ともいうべき楽器に恵まれ、それを壊れるほど弾けば、そこには解放される心があるのみさ、今は大学の正門から続くあの銀杏並木の古道でバンマスに出合ったことに感謝するよ、だからバンマス見たい黄色のレンズが入ったレノンめがねを掛けて長髪にし、ロッカーを気取ればレノン好きのマミさんはバンマスより似合うって言ってくれて惟には嬉しくて、素敵なマミさんに会えたのもバンマスのおかげだし、だからそうさ運命はあると、占師は常に笑うのさ。
 そしてめちゃ楽しかった僕の生涯に残る学園祭も終わり、この伝統ある大学が本来の佇まいに戻ったとき、迫り来る警察の捜査を知ると多田さんは自分のアパートで「なんもわからねえよ」というメモ書きを残して自殺した。
“深淵を覗けば深淵もまた見返している”そのとき、多田さんがよく口にしていたドイツの哲学者の言葉を僕は思い出し、初夏だというのに身体の震えが止まらなかった。


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