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作品名:占師は笑う 作者:勝野 森

第2回   2
 6

午後の一時も過ぎてから僕らは戻ってきた。
結局占師は僕が一番向いているからと言って、ふたりは僕にテントの中へ入るように懇願したので、もちろんマミさんも虚ろな目で僕を見ていてまあ、こうしてある程度の時間が経つと僕も落着きを取戻し、この二日間は何としても部のために頑張ろうかと目覚めたのであるが、慣れとは恐ろしいもので、僕は今日の半日で人の何処を見ればその人がいま幸せなのか、または不幸なのかわかるようになったような気がする。
ようは相手の会話に沈んだような声の湿りがあればその人はきっといま不幸なのだろうし、逆に弾むような暖か味があれば幸せなのに違いないし、これは大して難しいことではなく、あとは会話の中から兄弟がいるのか、親は元気かを巧みに探れば話は乗ってくると、そして不幸な人であれば、この先はいい展開になると手相を見ながらいえばいいし、また幸せな人も、この先もっと良いことが起きるだろうとそれは多分三ヶ月ほど先になるだろうけれどなど、勿体付けて話せば立派な占師に僕はなる。
あとは女学生に目を奪われないことだ。
彼女らは冷静にみれば飯の種にすぎない、と思うことにすれば、第一彼女らだって僕と同じ年頃であり、普通に育った子供の延長にすぎないではないか、僕のほうが生まれてこのかたよほど辛くて大きな経験を積んでいるのだから、そう思えば恐れるものは何もなく、僕は占いの本に書いてあったことを思い出していて、人の運命など元々無いのに、にもかかわらず人生にはひとつの流れがあると本は書いている。
それが科学的と言えば言えるけれど非科学的とも取れるのだ。
たとえば月の引力は人の気に影響し、その年齢によって気の出入の配分が違うという、なるほどと頷ける話ではないか、ついで占いは経済と同じように波があることを本は言っているがそれも肯けるよ、バイオリズムか、誰も最初から最後まで幸わせな訳には行かないのさ、こうしたことをわきまえてあとは如何に相手に合わせた話ができるかなのだそうだが、なるほどなあ、そう思い出しながら僕はテントの入口に貼られた「休憩中」の札をはずして中に入った。
中はぼんやりと薄暗く、机の上にアールデコ風のランプ型の照明が置いてあって、周りはアラビア模様の衝立(ダンボールで作ったもの)で囲ってあり、天井から、何処で手に入れたのか中華風のすだれ玉が垂れているが、そこに和装の僕が座るのだからいったいどうなっているのだろう、と常識ある人なら思うに違いない。
まるでアメリカ人が作った寿司屋だよ。
それで、僕はなんの心構えもなく中に入ってしまったが、まさか中の客用の椅子に人が座っているとは思わなくて、誰だって「休憩中」と札が入口に下がっていれば中に入らず帰ると思うに違いないのに、だからそのつもりで入ったら人が居た。
その人は、目に鮮やかな赤いワンピースを着ていた。
こういう時は誰でも、一瞬自分は違うテントに入ったのかと錯角してしまうに違いなく、そうではないと気付くには0,5秒ほど時間を要してしまい、ここは僕の店だ、と、そう、このぼんやりとした照明の中で相手はわずかに存在しているかのように見えて、陽炎というよりも幽霊のように影が薄い、焦点の定まらない揺らいだようにその瘠せた女性が、椅子に背を向けて座っており、思わず僕はぎょっとして声を出すところであった。
「いらっしゃいませ」と僕は相手の背中に向かってかろうじて間の抜けた挨拶をした。
相手は振り返らず、僕はバツの悪い気持ちのまま彼女のそばを回り込むようにして自分の席について、コホンと間合いをとるため咳をわざとしてみてから、そしてゆっくりと頭をあげると相手の顔を見たら、なんと驚くべきことに彼女の顔には目も鼻も口も付いてなくて白い鶏卵のようにのっぺらぼう、僕は自分の身体の血液がみな足の爪先まで下がってしまい目眩がして倒れそうになった、ってな訳はないか、向かいの女性は美しい人で、まるでモデルのような整った顔だちには、息を飲むほどであり、むしろ紀ノ国坂のむじなの悪戯よりもこっちのほうが驚かされるだろう。
陰を含んで憂いのある瞳は空ろに僕を見ていた。
その女性の歳は、と日本人はすぐ見知らぬ人の年令を知りたがるが、これはおそらく儒教の影響ではなかろうかと僕は思う。
Once upon a timeいわゆる「長幼の序」として礼節を重んじるためまず相手の年令を知ってのち言葉使いに気を置くという習慣があって、故に今も年令にこだわるということではなかろうか、日本語の多様さはこうしたことからも進歩したと僕は勝手に思うのであるが、だから僕は見た目で人の年令を決めることにし、精神年令の若い御老人とは十分友情を結べるし、また年令より大人びて見える人も尊敬出来ると、こうしたローマ文明の延長線上にあるアメリカ文明に浸されている現代ではこのほうがいいのではなかろうか、年令は年数ではなくその人の人格形成の積み重ねであると見る方が今は実用的であろう、もちろん昔気質にこだわる人はまだ多いが、それは善き面を残しつつ滅び行く文化なのだ。
僕はそう語った教授の歳より薄い頭を思い浮かべた。
さてその女性だが僕より年上に見えて、それは少しだけ、とこの際言っておこうか、その整った顔だちは憂いを含んで確かに美しいのだが、何処か別世界からやって来た人のようにも思えてならず、最初に幽霊と見間違ったことは正しいのではないかと考えてしまうのであって、これはテントの中の雰囲気のせいとばかりは言えないのかもしれない、つまりその女性は何か大きな問題を抱えてここへやって来たように思えてならず、SHならここでワトソン博士にその大きな問題を彼女が言う前に言い当てるのだろうけど、残念ながら僕には無理な話で、でも占い本が言うようにここは観察が大事なのであり、まずどうすればいいのだったけッ、さっき思いついてもう忘れているとは、ええと顔から色々な情報を読むんだったよね、そう顔、この人の顔にはマミさんのような高い教育を受けたという教養がある風には見られないなあ、だからと言って白痴的な美人というわけでもなく、これらを足し引きしてゆけば高校くらいは出ているに違いないというところか、うむこれでいいのかな、次に身なりを見るとしようか、えーとこれは胸の豊かさを強調する服装で、薄くて中の下着が見えそうでみえないワンピース、と、それに色合いも赤で少し派手な感じがするし、化粧も濃いかもしれないか、こうしたものを総合すれば彼女の職業は自ずと想像できるってわけか
「何を観ればよいのでしょうか?」僕はいつまでもただ眺めているわけにもいかないので取りあえず占いの基本どおりに話し掛けてみた。
「私の年令を当ててみて下さいな」と彼女は唐突に言った。
「二十二歳です」と僕は即座に答えた。
「当たっているわ」彼女は驚いたように微笑み、この美しい女性の微笑みは見ているこちらも楽しくなって、今漂うなんとも暗い雰囲気がわずかに和んだように思える。「えっ、どうしてわかるの?」と続けて彼女は訊いてきた。
「神が僕の頭の上に降りて来て教えてくれました。本当です」
「ええ、嘘よ。嘘でしょう」
僕は表情を変えずに首をただ横に振ったが、でもこれは当然神様が教えてくれた訳ではない、と言って当てずっぽうに言ったわけでもなくて、根拠は彼女のネックレスにあり、小さなウサギが付いているので、それがいかにも干支を現しているというような作りなものだから今年の丑年に見かけの年令を考え合わせて二を引いただけのことである。
僕はこのときやっと占師でやって行ける自信がついたのだった。
「さて、次は何を観ましょうか」こんな美人を相手にしても僕はすっかり余裕の気分でおれた。
「私が本当に知りたいのは自分の未来よ。でも…」と言って彼女は言葉を切ったが、僕はそれに気付かず
「そうですよね。誰だって自分の未来が知りたい。未来を知れば不幸を避けることが出来る?そうですか」と言ってしまった。
「そうじゃないの?」
「残念ながら未来を知っても運命を変えることは出来ないんです」僕は知ったかぶりでそう言ってみたけれど本当は未来も運命も決められたものではないのだが、職業上こうでも言わなければならないのである。
「そうなの」彼女は寂しそうにつぶやいた。「じゃあ未来を知っても意味ないのね」と彼女は心にない言葉で話しているのだが、僕がそれに気付くのはまだ先のことである。
「でもよい未来なら分かった方が楽しい気分で過ごせるんじゃあないんですか、これから先も」ここで彼女に帰られたら僕らの部活費が稼げなくなるのだ。
「そうね。でもきっと私には幸せな未来なんて出ないわ」
「そりゃあ占ってみなければわかりませんよ」
「私って生まれてこのかたずっと善いことなかったの、それが突然今日から善くなるなんてあるわけないでしょう」
「さあそうでしょうか。突然転機が訪れることってままあることですよ」僕は何とか食い下がろうとしていた。
 部活費はともかく、もっと彼女と話してみたくて、何か僕には想像も着かないような過去がきっとこの人にはあるような気がしてならない、マミさんと同じように暗い陰を背負っているのはなぜなのか、マミさんには出来ないけれどこの人なら訊き出せるかも、なぜなら僕が占師で彼女はその客だから、だが思うにそれはおぞましい話かも、きっとそうだという気がして、聞いても楽しい話でないことはこれまでの彼女の少ない言動でも想像がつくけれど、しかし人の不幸ほど他人にとって興味をそそるものはない。
「そんなのないわよ。私って一度もないの、いままでで善いことって、こんなのってあり、だからきっと最後まで不幸は私の場合続くのよ」
「夜の明けない朝はないって言うじゃないですか。きっと大丈夫ですって」
こんな古めかしい言葉を僕は何処で知ったのだろうか、ともかく彼女にはこのまま話を続けてほしいのだ。
彼女は小首を傾げた。
「あなたが占師じゃなく魔法使いならよかったのに」
「ハリーのように?」
「そうね」と言って彼女は初めて笑った。「でも似てないわね」
「僕はイケメンじゃないもんね」
「そうじゃなくって日本人だからよ」
「それって単純すぎないですか、日本人でも似ている人はいると思うけど、まあ僕は一重だし、丸い眼鏡じゃないしね」
「でも髪型は似ているわ」
「この世代はみんな同じ髪型ですよ」
「あら、言われてみればみんなそうよね」彼女は再び笑った。「ふうん、どうしてみんな同じなの?私もみんなと同じ」
「みんなと同じほうが気分的に楽だからじゃないのかな。その方が安心出来るんじゃないですか、人って群れで生きているから、こういうの社会性ってとこかな、みんなと同じでないと恐いじゃあないですか、きっと、昔読んだ本に、一匹の猿が怪我して群れに帰って来たらですね。周りにいた猿たちが拠ってたかって、その猿の傷をいじくるんですって、珍しいんでしょうね、他の猿にとって傷が、だからいじる。人間もきっと違った格好してたら、なんだあいつ、ださいって周りは思うんじゃあないですか。まったくススキノなんか行ったらさあね、女の人なんてみんな同じ髪型に同じ色の黒い服で、ブーツも同じじゃあないですか」
「男だって黒じゃない」
「そう、そうですよね。もし違う時代の人がタイムマシンかなんかで来たら、それ見てきっとみんな葬儀の帰りだと思うでしょうね」
「それってすごく大きな葬儀よね」
「ススキノ葬儀場じゃあないですか」
「そうね」と言って女はまたクスリと笑った。
ああ、これで商売になるとこのとき僕は確信した。
「ところで、」っと僕はそろそろ仕事にかかろうと思った。「いったいあなたは僕に何を占ってほしいのですか?」とここで本筋へと切り出した。
「そうね、」と言いながら彼女はふたりを隔てるテーブルの上にあるアールデコ風のランプの笠の花模様を見つめていたが、やがて「占うってことは坊やには私の未来が見えるってことよね」と言った。
やっぱり未来なのですか。
どうもこれは避けようがないのかもしれない、人は未来に憧れ興味を持ち、期待するがまた過去にも郷愁を持つのだろう、まあ未来を占うことが占師なのだから当り前と言えば当り前の話ではあるが、しかし午前中の女子大生の時のようにいい加減な、“貴女の未来は輝いている”なんておベッカはこの人には通じないだろうし、だけど何度も言うが未来は決まっていないから未来なのであって、だからそれを聞いて僕はそんなことできる訳ないじゃないかと腹の中で呟いたが、
「ええ、そういうことになりますがあ」と語尾が間の抜けたように延びてしまい、口では反対に言ってしまって、オレってバカかよ、まったくそんなこと誰にも分かる訳がないじゃないか、だから「実は占いって未来が見えるというよりも過去の統計によって振出されたトランプの札目と占う人の生まれた星を合わせて未来を予測するのです。ですから、当てはまらない人だって中にはいます」とあやふやに、しかも気弱に言った。
「あら、ずいぶんと弱気ね」彼女は見すかしたように笑った。
僕はむっとして「でも僕の占いは良く当たるんです」と思わず嘘を付いてしまった。
「そうなの?」
僕は何とか強気になって頷いた。
「じゃあ、私の金運はどう?」
「金運ですか、わかりました。ところで貴女様の生まれた月日はいつです」
「星座なら魚座よ」
「魚座、ですか」うーんと僕は考えた。今日の新聞に載っていた『星 美鶴の星占い』の魚座の金運は何て書いてあったっけ、えーと「遠からずして思わぬ収入あり、ですかね」僕はテーブルの上に適当に並べたトランプを見ながらそう言った。
「晴れ時々曇り、場合によっては雨も降るかもしれませんってとこね」と言いながら彼女はいかにも嬉しそうに笑った。
僕はキョトンとして彼女を見つめ、すっかり素人だということを見抜かれていることにやっと気付き、まったく馬鹿らしいと思えば、だからこんなことやりたくなかったのにと後悔するのだった。
「ええ、まあ、」と今度は僕が彼女から視線を外し、アールデコ風のランプを見つめていた。
「運命なんて元々ないのよ、って君は信じているんでしょう。そういう顔をしているわ、坊やの顔は」僕は思わず自分の顔を右手でつるりとなぜた。「学園祭だからっていい加減にやっちゃあダメよ。トランプをいじる手付きを見ればそんなことすぐバレるわよ。女はね、みんな占いが好きなの、だから何度も本物の占師を見ているのよ。手付きがね、まるで君はなっていないわ。男ってみんなそう、端っから女を見下しているの。だからいい加減にあしらっても大丈夫となめてかかるのね。バカは男の方、女の方がずっと忍耐強くて頭が良いってこと知らないし、知ろうともしない。そうでしょう?」
「はあ、」と僕はいかにも間の抜けた返事しか出来ず、ここは学生のお祭りの遊びの場で、これは愛嬌なんだから、そのように真剣に怒らなくてもいいと思うし、それに何か男全部に恨みでもあるのだろうか、このひとは、と僕は考えた。
「坊や、残念ながら運命はあるのよ。それ、今にわかるわ」彼女はうす気味悪く微笑んで僕を見つめた。
それは何か背筋の寒い思いをする嫌な感じであった。
しかも彼女は“運命はある”どうしてそう言えるのか?僕はないと思うけれど、運命はあくまでも己の力で切り開くものだと、父はいつもそう言っていたが、振り返れば父ほど運命に翻弄された人も僕の周りにはいないと思う、母の病、そして追い詰めるように会社が不景気になってリストラを受けて、これは父個人の力ではどうすることも出来なかったろうに、だからこの人の言うこともそうした意味なのだろうか、外側からやって来るどうしようもない時代の波動や目に見ない人体内の病気はどの程度ひとは予測できるのだろうか、その予測をよくよく考えてみれば、その結論はまさに今そこにある未来ではないか、となれば科学的には未来はすでに存在し見えていることになる。
これには僕も覚醒するしかない。
「僕は若い、二十歳にもなっていないんです。だから運命は自分で造るものだと信じているのです」と僕は今頭に閃いた事とは違うことを言った。
「そうね、それってカッコいいわ」彼女は赤いエルメスのバックからラークを一本取り出すとデュポンのライターで火を着けて、ひと息吐くと紫煙が僕の頬を掠めていった。「タバコ吸ってもいい?」とそれから彼女は思い出したように僕に言った。
 完全になめられていると思う、あんな青臭いことをいったから
「一応テントですから禁煙なんですけど」とは言い返したのだけれど彼女は全く無視していた。



「私ね、ヤクザの娘なの」ええ、それマジッスか、メチャやばいじゃないですか、こんなの、ヤクザなんて裏の世界に関わりたく無いなと僕はわずかに心の底で思ったが、逆にそのような世界に興味が無いとも言えない「父はヤクザといっても日高一円を仕切る香具師の親分なんだけどさ」彼女は身の上話しをするのだろうか、そう言いはじめた「娘ったてね、正妻の子じゃなく妾の子、それも四番目の妾の子よ。江戸時代じゃあるまいし世間もはばからず何人も妻を持つなんて、男ってほんと嫌らしいわ。母も母だけど、まあヤクザなんて獣の世界だからそんなものかしら」そう言いながら彼女はタバコを吸ってゆっくり吐いた「ねえ坊や、女いる?」
僕は驚いて首を横に振って、
「いませんよ」と、念を押すようにそう言った。
「じゃあ好きな人は?」
一瞬外で受付をしているマミさんの顔が浮かんだけれど、僕にとって彼女は憧れの人であって恋人ではない。
「も、いません」
「まさか坊や、女を知らないってんじゃないでしょうね?」
僕は思わず下を向いて赤面すると、彼女は可笑しそうに笑っているのが下げた頭のてっぺんに感じるのだった。
「そんなことどうでもいいでしょう」僕は火照りの残る頬をあげてそう言った。
「そうね、でも坊やも、もう少し歳をとれば女の尻を追回すようになるわ、きっと、嫌らしい男になって」
「なりませんよ」僕は本当にむっとして叫ぶように言った。
「男なんて」と彼女はまたランプを見た「もう、うんざり」
こんなに美しい人なら、金持ちとでも、あるいは誠実に彼女を幸せにしようとする男だって、どっちもこの人なら選ぶことが出来るだろうに、でも人生ってそんなに単純で巧くいくとは限らないのだろうか、だから
「貴女ほどの美人なら幸せにしてくれる男を自分から自由に選んで結婚できるでしょう?」と言ってみた。
「バカねあなたって、逆なのよ、美人だからみんなは敬遠して、最初から“こんないい女がオレみたいのなんかとつき会ってくれる訳がない”ってあきらめて、そして女たらしの自信過剰の見た目だけのイケメン男が子娘なんかころっと騙す手管で言い寄って来るだけなんだから」
「そうなんですか」確かに理屈は合っていると思う。
 そうするとあのマミさんもこの人と同じような人生を歩むのだろうか、先輩達もみなマミさんのことを好きなんだろうけれど今のところ誰も彼女にアタックした様子はなくて、そう思うとこれからも彼女の憂いを含んだ顔は一層深い陰影を刻んで行くのかもしれないと思えば、不思議な気持ちが僕の中を過っていく、美人ってそうなのか、それにしてもふつう知らない人間に“自分は美人”何てだれも言わないと思うけれど、これって、おそらく彼女は僕が年下だからと見くびって本音を言っているに違いなく、相手が無防備に本音を言ってくれるってことは占師には好都合であるが、しかしこれがお金になるのかなあ、それともただ話を聞かされるだけで終わり?
 また彼女は言った。
「最悪、私ね19で子供生んだの、くっだらない最低の男の、そいつはね父のとこに出入りするチンピラの女たらしで、キンタマでしかものを考えられない阿呆、あいつって喧嘩と競馬と車と女とやることしか脳ミソが動かない奴なんだから、そんなのに簡単に騙される私も阿呆だけどさ。ガキだったのよ私って、あんたみたいにね」彼女はそこまで話すとバックから携帯灰皿を出して吸い終えたタバコの吸い殻を入れた「ねえ坊や、何か飲み物ないの?」
「ええっ?」僕は突然のオーダーに驚いた「ないっスよ」と慌ててつい仲間内の言葉を使ってしまった。
「そう?ここは長話をするところじゃないものね」と言いながらも彼女は辺りをぐるっと見回してのちバックの中から小さなピュータのスキットルを出すと栓を回して開け、クイっとあおるように中のウイスキーを一口飲んで、それから「坊やもどう?」と言って僕に勧めた。
「僕はまだ未成年です」
「あらまあ、でもコンパなんかで本当は飲んでいるんでしょう?未成年さん」
「そんなこと断じてありません」と僕は赤面しながら嘘を言った。
彼女は鼻でふんっと笑ってみせただけで、そしてタバコにまた火を着けようと斜に顔を傾けると、その長い髪は垂直に揺れて鮮やかな朱の口紅を差した唇から突き出た白いタバコの先を見つめる姿はまったく一枚のロートレックの絵のようであり、テーブルの向こうに腰掛ける彼女の下半身は見えないけれどきっと長く細い足を組んでいるに違いないと、すべてが完璧なまでに決まっている様に、もしこの世に美人というものがいなければなんと味気ないことだろうとこの“未成年”は今ふと思う。
「妊娠がわかって、私ねそのこと母に言ったの。だってどうしようもないでしょう、18歳も終わるような頃だったけどまだ子供よ、そんときの私はさ、坊やと同じ年頃よね、君は今の自分を大人だと感じているの?」
「貴女が僕を“坊や”って呼ぶンですから多分僕は子供でしょ」と半ばふて腐って言い返した。
彼女はくすりと笑った。
「あらごめんね、気に触っていたの。だって君って可愛いからそう呼んだのよ。バカにしている訳じゃないのよ、本当は」
「いいですよ、別に気にしてませんってば、子供であることには違いないですから」
「君、それって随分気にしているように聞こえるわね」
「そうですか」
 彼女は答える代りにキッとウインクしてみせたので、僕はドキリとして胸の高鳴りがしばらく止らなくなってしまい、まったくいい気なもんだ年上の女ってやつはいいように子供だと思ってなぶってくるんだから
「えーとさっきは」彼女がタバコの煙りをゆっくりと吐くと薄暗い照明の中で煙りは魂が彷徨うように怪しく光の中を揺れている「母に18歳の私が妊娠したってことを話したわよね」僕は頷いた。「そうしたら母ったら随分自分をなじったわ、母だってくだらないヤクザの親分の妾のくせによく言うわよ、そう思ったから生意気盛りの私は言い返してやったわ。“あんただって妾じゃない、それも四番目じゃん、人に説教出来る身分か”って。母ったらそしたらわっと、うっぷして泣き出したの」彼女はそこまで言うとまたタバコを吸った「私ね、本当は母が好きなの。こんな環境だから女手ひとつで私を育てたようなものでしょう。父なんて思い出した頃にただやりに来るだけだったわ。サカリのついた種馬よ。そんなときには決まって私は子分の誰かに映画かゲーセンへ連れてかれた。返って来たら父はもういないのよ。自分の子供の頭くらいなぜていっても罰はあたらないでしょうに、あんなやつが親父かよっていつも思ってた。普通の子なら誰だって父親を誇りに思うはずよ。それなのに今だってわたし父を憎んでいるわ。私まで極道の女にしやがって」
“極道の妻”か、古い映画だよね。
 それにしても彼女は本当に父親を憎んでいるのだろうか、僕には想像も出来ないことで、父なしでは僕はきっとここまでやってこれなかったろうと思うし、大学へいってこうして気楽に占師などに変装して見たこともない世界で生きて来た人の話を興味津々と聴いているのものんびり屋の僕を励まして勉強させてくれた父のお陰なんだ。
「極道の娘じゃなくて極道の女ですか」と僕は疑問に思って口を挟んだ。
「そう。母はね優しい人だけど、ヤクザであろうがなんであろうが人に寄り添ってかなければ生きていけない昔タイプの女なのよ。だからこんな問題さえも決められず父にすぐ相談したの、私のこと。父は行動が早かった。有無も云わさず私達を結婚させたの。あんなろくでも無い男、父ならちょっと調べればわかったろうにさ、バカ親父ったら体裁ばかりを気にしてそれだけよ。どうせ妾の子なんてどうでもいいんでしょう。おまけにあのバカ亭主ったらこれで自分は親分の身内になれるって喜んで私と結婚したわ。私は正直、子供なんて産みたく無かったし結婚なんて十年も早いと思ってた。そうでしょ世間知らずの遊び歩いてばかりいる不良少女に突然人妻になれ母親になれといわれたって出来る訳ないじゃ無い」
 僕はすぐ肯いた。
まったくその通りではないか、今の僕に結婚すれと云われても戸惑うばかりで、だいたい結婚って何なだかもよくわからないし、毎晩セックスが出来ることと食事を作ってくれる人がいるってことが結婚のイメージとしか今の僕には浮かんでこないのも情けなく、子供を育てることや家庭を共に築いていくなんてことはまったく想像できないけれど、でもマミさんがいま結婚しようと云って来たら僕はきっと“はい”と云ってしまうだろうなんてことは、ま、ありえない話だが、でもそうなったらどんなに素晴らしいだろうと僕の空想は取り留めも無いほうへ進んで行って、所詮若者の結婚観などこの程度のものなのだ。
僕の呆けた空想はすぐ現実に戻された。
「坊や…と呼んじゃダメね。君、ちゃんと私の話を聞いてる?」
「ええ」僕はぼんやりしていたのだろうか、「聞いてます。ちゃんとね」と答えた。
「ふん」彼女は見すかしたように笑った。「でも私さあ、ちゃんとやったと思う。御飯を作ったりお掃除したり洗濯したり立派とはいえないけれどそれなりに主婦になったわ。わからないことは母に訊きに行ったりもしたし、でも夫はバカよ。ろくに働きもしないし、そこいらのスナックの女に手を出してヒモみたいな真似して小遣いもらっては競馬やパチンコに使ってばかり。あちこちのお祭りの香具師で稼いだ金だって家になんか一銭も入れてくれないから私は母から生活費を貰ってたのよ。あのバカったら女に不自由してないくせに、つわりで苦しんでる私を介護するどころから雄犬みたいに乗っかかってくる始末なんだからさ。それで終わればそっぽを向いてテレビを見ているか、タンスの中の生活費を持って飲みに行って朝まで帰ってこないの。まったく絵に書いた様な悪ってのはあいつのことよ。私みたいなバカな女は他にもいるなんて笑ちゃうよね。顔ばっかりカッコばっかりの男に惚れるなんてさ」
「それは男も同じだと思いますけれど」
「そうよね、男も女も見てくれなんだから。君は頭が良さそうだけどやっぱそうなの?」
僕は顔がいいからだけでマミさんを好きだとは思って無い、と自信をもっては確かに言えないかも、やはりマミさんに魅せられるのはあの憂いを含んだ美しい横顔だろうからと思うし、そう云われてみるといったいマミさんはどういう性格なのだろうか、こんなことをあまり考えたこともなくて、いつかマミさんが云ってたっけ、父親が転勤になってこの札幌から釧路へ行った時、誰も友達がいなくて一日中博物館の石段に座って目の前の通りを行く人々をただ眺めていたという、この事から彼女の性格を知ることは出来ないだろうか
いや、やっぱり無理だと思う。
「わかりませんね。人はまず目から入ってくる情報で考えますから」僕は現実に戻ってそう言った。
 マミさんのことは考えても詮無いことだろうけれど今はあと三年彼女とバンドを組めれば僕はそれで幸せなんだと思うし、きっともっと大人になったら告白するのかもしれないが、その時は僕が振られる時で、父がよく言ってたっけ“男は振られて何んぼの者さ”と、ようは女性に振られて始めて心の痛みを知るのだそうで、だから痛みに耐えれる者こそ男であり、その積み重ねが人格を形成し男を磨くのだと父は言っていたが、父は“おれは千回も女性に振られたんだぜ”とよく豪語していたがそれって嘘に違いなく、なぜなら母さんは綺麗な人だったから
 父は嘘が巧いのだ。
「君の言うことが本当なら目なんかなきゃあいい。そうすればあんなバカに私の人生を言い様にされなかったのに」彼女は口惜しそうであった。
彼女はまたスキットルのウイスキーを飲んで、そのためか顔が紅潮しだした。
山川先輩があまり長いのでテントの戸を少しそっと開いて僕を見たので、僕は少しだけ手を挙げて合図すると、間もなくテントの帆布を通して多田さんの声とマミさんの「まあ」という驚いたような声が聞こえて来て、外の連中は初め昼飯から戻って来た時中に客が待っていたなんて知らなかったので、もっとも僕らはぼそぼそと小さな声で話していたから余計に分らなかったと思う。
「子供が産まれても」と彼女はまた話し始めた。「あいつはちっとも変わらなかったわ、いえ、かえって悪くなったのよ。子供が泣くとうるさいってよく怒鳴ってたわ。赤ちゃんが泣くのは当り前じゃない。それをあいつときたらどやしつけてバカじゃないの。赤ちゃんはかえって泣き声を大きくしちゃって、バカはついに切れて自分の子供を殴ろうとするんだから、そしたら思わずかばった私を思いっきり蹴ったのよ。信じられない、かばう私も赤ちゃんもあいつは蹴った。あのときの痛みは今でも残っている気がする。それでもあいつも少しは人間味があったのか睨み付ける私の目を避けてバツ悪そうな顔してそのまま出てったわ。私もまっすぐ母の所へ行ってお金を貰うとそのまま赤ちゃんを抱いて家出したの。札幌に母の妹—叔母—がいたからそこを頼って行ったわ。叔母はススキノでスナックやっていたからお願いして使って貰えるようにしてもらったの。叔母は独身だったし子供好きの優しい人だったから私の赤ちゃんをとても可愛がってくれたのよ。叔母との三人暮らしは今までで一番幸せだった。こん時、普通の人の生活を私は生まれて始めて味わったのよ。さっきは善いことなど一度もなかったって言っていたけれど本当はあったのね。ちょっと思い出しちゃたわね。ほんとに善かった。君たちにとって何でもない日が私には最高の日々。やがて何ヶ月か過ぎて店にも慣れて、ススキノくらいになると私ていどの美人なら掃くほどいるから、誰でも私を口説いてくるようになったわ、これってけっこう気分いいのよね。もてるってさ。でも男って何処もおなじね。最初からセックスしたいってむき出しで迫ってくるんだから、酔ってるから本能さらけだしよ、みんな、それがみっともないってわかんないのかしら。私は亭主も子供がいるからと言ったって、関係ないさ、わからなければいいじゃないかって言うのよ。その人たちだって奥さんいるのに何が不満なの、沢山の雌とやるのが雄の権利なの、そんな不公平って大昔からあったのかしら。だから私ね、亭主はヤクザよっていったらみんな引いたけどね。まああのバカ亭主が役立ったのはこんなときくらいかしら。それでもヤクザの妻、ヤクザの娘ってことはお店に迷惑かけるから、なんぼ叔母さんの店でもね、だから使うのは最後の最後にね。最終兵器ってとこかしら、よっぽどしつこい嫌な客だけ。それでも客の中にはね、本気で私の事想ってくれる人もいたの。彼は言葉ではなにも言わないけれど会社帰りに必ずよって、冗談ばかり言って私を笑わせて、でもピエロみたいに必死だったわ。わかるのよ、女は勘がいいから、私のこと本気で好きなんだって、こんな普通のサラリーマンの人と結婚できたら私もどんなにか幸せだろうって思ったわ。これって大それた望みじゃないよね、君」
「はい」とだけ僕は答えた。
「でもね、やくざの娘はやくざの娘よ、その人がいくら私を好きでも、その人の両親や親戚は嫌がるだろうし、あるいはうちの馬鹿親父もそうなったら何するかわからないし、あのアホだって素直に離婚するわけ無いし、そうなればその人を脅すことだってやりかねない男だから、やっぱり私はあきらめるしかないのよね」
これって、18歳の僕には余りにも刺激的な話だと思う。


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