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作品名:占師は笑う 作者:勝野 森

第1回   1

.占師は笑う

      勝 野 森 ka tsu no shin



 1

僕は占師になった。
といっても本当は占いのことなどさっぱりわからないのだけれど、まあ自分の星座くらいはわかる、が、それがどのような運命を背負って星空を渡り行くなんてことはとんと知らなくて、実はそうした胡散臭い統計学には何の興味もないし、僕は無神論者というほど大げさじゃあないけれど、血液型がどうの、進む足先の方位がどうのなんてことで人の性格や自分の人生の進路を決めるなんてことはしないのであって、とまあ見栄を切るほどのこともないか、占いなどはたかが遊びにすぎないじゃあないか、しかも運命は初めから決まっているわけではないし、などと偉そうなことを言っても時として弱い自分の心は何か大きなストレスに見舞われるとつい、在りもしないパワーにすがろうとしてしまうのは誰もと同じではあって、キリストや釈尊とて天を仰いだ時はあったのだから、まして大凡夫の僕が弱気になったからとて恥じるほどのこともないだろうさ、そうだよね、俗人のそうした心理を軽蔑しながらも自らは時として迷信に肯いてしまう、だから人の世は面白いなどと嘯く哀れな学生が今の自分である。
これってまことに情けない。
 さてと、なぜそんな僕が占師なんぞになったのかということからまず話さなければならないだろうが、これも大した理由はなくて、だいいちテレビに出ている傲慢なおばさんのように本当の占師になった訳ではないのさ、つまりは学園祭の出店の遊びの占師にすぎない、それも進んで自分からやったのではなく先輩から強引に頼まれてのことであって、先輩は以前から辻占いのアルバイトをしていたというのだが、これも本当かどうかわからないんだよ、なぜなら彼は学園祭の三日前、狸小路の老舗の楽器屋へ向かう途中車道を自転車で走っていて車に撥ねられたのだから、つまり彼は自分の運命を予知出来なかったのさ、アホらしい、まったくもって、このような先輩に出会ったことがそもそも厄介な運命を背負ってしまったと言えなくも無いか、すなわち運命は質量を持たないある空間に於いて実存するということになるのかもしれない、なんてね、ともかく僕の憧れの大学生活はこの先輩との出合いから始まり、そして悲惨な目に会ったと言っていい。
僕はこの大学のバンドのメンバーになった。
あれは入学した日であったろうか、この先輩と数人の学生が門の近くで盛んに入ってくる新入生に向かってバンドクラブへの勧誘を行っていて、そこにはあまた各部の先輩学生らが大勢繰り出していて、彼らの新メンバー勧誘はすさましく、このような、縁日の賑わいのような中を無事に通過することなどほとんど不可能に近いことを僕ら新入生には見えたと思う、僕らは襲いくる荒波のような先輩諸氏の恐るべき寅さんもどきの講釈入りのだみ声の中を果敢ない愛想笑いを浮かべながらこの試練を乗り越えようとして進んで行ったが、いまや新入生にとって正門からレンガ造りの古い講堂までは遥かに遠く感じられて、なだらかな上がり坂の緩やかな曲がりをもった石畳の古道は今、クライマーがへばりつく断崖のようにも見えてくる、実は僕にとってこうした喧騒とした状況下に自分が置かれるのはとっても苦手で、それには人に話したく無い思い出があるからなのだ。
僕は中学生のとき、大好きな叔母を亡くしてから高校生頃にかけて鬱になった。
また母は僕が物心のつかない頃に精神病になっており、なぜ若い母が精神病になったのか?その原因は脳の病だからである、と僕が言うと人はふざけているのかと思うかも知れないけれど、父も僕も随分と母の病を人々は面白そうに興味を示すことに悩まされたのだが、思うに、どうして人は精神病に限りその病因を尋ねるのだろうか、たとえば癌になった人には「どうして癌になったの?」とはあまり訊かないだろう、が精神病に限り人々はそこの家庭で何が起きたのかを詮索したがる、他人の不幸は自分には関係ない、誰かの失敗はおのれの人生の教訓にでもなるというのか、それとも人間は好奇心を食べて生きているのか、母は単に精神を病んでいるだけで、これまで特別大きなストレスに見回れた訳でもなく、普通の主婦として生きていて病になっており、それはよほど神経質に病院で検査を受けない限り、病気は誰にも気付かれずいつも静かに身体を侵して来る。
病気の母は長い間入院していた。
退院後も家族とは離れて奥の客間で、病床に臥していたが病に治る徴候が現れると不思議な事に、やがて父と僕を捨てて家出をするのであるが、ずっと後から分かった事だが母はなぜか極端に再入院を恐れており、彼女はやがて二年ほど経ってから警察に保護されたが、それから現在に至るまでこうした繰り返しが多く、精神病院の冷たい黒い鉄の扉の向こうで生んだ子も忘れ、かつて愛したであろう父のことも忘れ静かに暮らしている様にみせて周りが油断すると、ふと思いたったようにそこから脱走し、また警察に保護されるということが続き、時々父と面会に行っても母は虚ろな眼で他人のように僕らを見つめていているだけで、その目は子供心にも正常な人間の目には見えず、だから僕は小学生の中頃から父と病院へ行くことを拒否するようになって、それから僕はずっと父に育てられたが、そのような生活、母親の居ないことがやがて当たり前なのだと思うようになっていったような気がするのだが、それはかつてアフリカ人がアメリカに連れてこられ奴隷とされてもその地に根ざしジャズのような独自の優れた文化を生んだように、つまり環境に人は必ず順応するように出来ているのだと僕は思う、それでも子供の僕はみんなのように母親を恋しいと想わなかった訳では無い、だから僕は父の妹である叔母や母の姉である伯母によって世間並みに母親の愛情を知ったといっていい、特に叔母は生涯独身で、長い間野幌にある養護施設の保育士をやっていたから子供目線で僕を優しく扱うのが上手くて、僕らいつも対等だった。
僕は少なくとも心は不幸ではなかった。
やがて母はその病院から何度も脱走する度に警察沙汰になり、病院側もこれ以上の治療管理は無理だと判断され、江別の私立病院の隔離施設のある精神病棟へ送られて、父は大きく落胆しても江別は苫小牧から遠いのだが、毎日曜日は僕を連れて見舞いに行き、黒く大きな鉄の扉の前のインターホンで家族であることを告げると、鉄扉は開き刑務所見たいな中へ僕らは案内され、鉄格子の付いた窓のある小さな面会室に待っているとやがて母はやって来て微笑みもせず、父が与えたお菓子に夢中になっていた。
その頃、僕は小四のときだったが友達から苛めを受けたことがある。
いつも僕を苛めて喜ぶ嫌なやつらからある日ついに「おめえ母親いねえべ」と言われて僕は切れてしまい、母は遠くの病院へ入ったから、家に長期間帰らず、彼らも時々遊びに来ていたから、いつ彼らがきても他所の家のように母はいない、日曜日も居ないとなれば、彼らもおかしいと気付いたのだろうがそれは事実であって、反論の出来ない僕は失意のまま家に戻ると父に置手紙を書き、豚やロケット型などの貯金箱四個をリュックに詰めてバスに乗り札幌のモウちゃん(叔母のニックネーム)のマンションを目指したが、僕は記憶力がよかったのか、一度だけしか父に連れて行ってもらっていないのにモウちゃんのマンションの道順をちゃんと覚えており(このことが中学なったとき父に偉く信用されて、結果は最悪になるのだが)、ところがあいにくモウちゃんは中番(彼女は知的障害者の学園の保母だったのだが、のち保母の仕事は新人に譲り、彼らが社会復帰のために作る小さな家具などの工作物を展示販売する札幌駅中のお店に勤めていた)で夜まで帰ってこなくて、僕はロックキーのマンションの中に入れず仕方なく外で待っていると、そのときマンションに住む中学生の女の子がやって来て僕を一目見て家出して来たと悟ったらしくて、事情を訊かれたので子供の僕は素直に説明すると、そうしたら彼女も以前家出した経験があると言って僕に同情しマンションの中へ入れてくれた。
その頃、苫小牧では大騒ぎになっていた。
仕事から帰って来た父が食卓に置いてある僕の手紙を見て驚き(何せこましゃくれた僕は父に長いこと世話になったという感謝のことだけを書いておいたので、これは読みようによっては世をはかなんで自殺するようにも取れる)彼は学校に相談すると、学校は警察に連絡して事は大きくなっていき、あとから父に聞いた話では苫小牧のパトカーの数が足りず千歳や室蘭からも応援のパトカーも来たらしくて、学校の先生たちは総動員され、ゲームセンターなどを隈なく探し回ったという、そのころ僕は助けてもらった中学のお姉さんの母親がモウちゃんの職場に電話してくれたので彼女と連絡がとれて、モウちゃんは職場を出る前に苫小牧に電話をしたのであっちの騒ぎは収まったようで、父が警察署へ謝意をのべにいったときには夜の十時になっていて、警察は札幌のパトカーで僕を迎えに行かすと言ってくれたそうだが、父は僕の気持ちを察して、「一晩妹のマンションに泊まらせて落ち着かせてから戻ってきてもらったほうがいいのではないか」と警察の生活安全課の課長さんに頼んでくれたので、そうなって、モウちゃんとこんな事で再会した僕はふたりで近所のすし屋へ行くと、僕はそのとき偉そうに、
「ここの店の支払いは僕がもつから」と言ってリュックの中の貯金箱を見せた。
するとモウちゃんは目を丸くしていきなり腹を抱えて笑いだして、モウちゃんってそういう心の大きな人だったから僕は楽しい一夜を過ごし、苛めの惨めさも忘れた。
そのモウちゃんが癌になった。
僕は中学校が休みになると父と札幌の病院へ見舞いに行ったり、またひとりで行った時もあるのだが、そんな時はいろんなことを話したけど、モウちゃんは病気で苦しかったのだと思う、あとから父に聞いた話だが、あまりの苦痛に惟なら早く死んだほうが楽だと言ってお祖母ちゃんを困らせていたらしい、だけど僕が行くときはいつもニコニコ微笑み、学校のことや子供っぽい悩み話などを真剣に訊いてくれたりして、僕はまるでもウちゃんの苦しみをわかっていなくて、ただ自分が楽しくて心も和やかになるのいいことに、本当に今思えばもっとモウちゃんの苦しみや痛みを理解すべきであったとおもうのだが、モウちゃんは誰にでも、たとえば看護師さんが病室に入ってきても同じように頬笑んでおり時に彼女らの人生相談にも乗っていたと言う、「もうすぐ死ぬ人間に相談もないだろうに」とお祖母ちゃんに言って笑っていて、これってモウちゃんは良き患者でいようと苦しみの中から決めたのだろうか、だから医師にも看護師にも人気があったことは、モウちゃんの遺体が病院を出るとき大勢の医師や看護師さんらが見送ってくれたとを父はのちに言っていたことでも分る気がする、今考えればモウちゃんは癌だとわかったときからこの病気と闘おう決めていたのに違い無い、死の恐怖を背負いながらもモウちゃんはいつも僕に色んなアドバイスをしてくれたのは、もうすぐ僕と別れるため彼女は僕がひとりでもこの先大丈夫なようにとあれこれ言ってくれたのだろう。
でも僕は駄目だった。
病院で父が携帯電話から悲痛な声でモウちゃんが亡くなったと知らされたとき、僕は悲鳴をあげ、突然目の前が真っ暗になり、人生の指針を失った難破船に僕はなってしまい、そして大きな後悔をしたのだが、それは少し前、父は病院へ見舞いに行こうと誘ってくれたが僕はそのとき断ってしまい、実は、僕はモウちゃんと二人っきりで話したいことがあって、だから後で一人で行くからとあの時、僕は父に言ったが、それはもう叶わないことになってしまい、告別式のとき棺の中にそっと手紙を入れ、それにはこれまでの感謝の気持ちと本当は話したかった最後の内容を書いておいた。
父はモウちゃんが癌になる以前から鬱病になっていた。
その原因は母の長い家出にあり、母は病気で人格が変わると、家出するとき我が家の現金と通帳のすべて、僕の毎年親戚からもらったお年玉を貯めた郵便局の通帳さえも持ち出し、それを家出中に全部パチンコに使い果たし、挙句にそれが無くなると今度は免許証を使って無人のサラ金コーナーからお金を引き出していたりして、これらは後に我が家の生活を圧迫することになっていく、それでも父は母が帰って来る事を待望んでいたが、しかし母は保護されたのちも、二三が月するとまた家出して、それが病院に入院されることが嫌でする行動だとわかってから父は自宅で通院もさせれないまま、母の望み通りそのまま家に置いておき、父にすれば時間が病気を治してくれかも知れないという一縷の望みを託していたのだろうが、逆に母はまるで悪魔に取り憑かれたみたいにしたたかで、まるでいたわる僕らをあざ笑うように家族の気持ちをあざ笑うように翻弄して止まず、それは実際には人格障害によりまるで別人となっただけなのだけれど、それがわかっていても僕らには悪魔としか見えず、彼女は父をさらに悩まし続け、冷蔵庫の物は誰も居なくなる日中になるとみな食い付くし、残りの食べ物は押入れの布団の間に隠すという獣のような習性が続き、やがてその食べ物が、異臭を放つまで何ヶ月もわからず、発見しても父はただ子供を叱るみたいに罵ると、あとは諦めたようにぼやくだけ、ついに母は腹部だけが張り出す精神障害者独特の奇形となり、まるで腹部に悪魔の子を宿しているようで、それは実際そうだった。
悪いことはさらに続くものだ。
父は不景気な世の中で長い間務めた会社から突然リストラにあっってしまう、父の精神力もここまでが限界だったのだろうか、彼はやがて家に篭ったまま何かまるで気力を失っており、朝になっても布団から出てこようとはせず、それでも僕や母に食事を作らなければという義務感だけが辛うじて父を動かしているらしく、僕が学校へ行くまでは普通の人のように見えるのだが、こうして両親が精神病で、僕が無事で入れるわけがない、やがて僕も高校受験が近付くと塾でのプレッシャーもあった。
その年の2月に突然父は川崎の友人に頼まれて神奈川県へ仕事に行くことになった。
経済的に追詰めれていた父は僕に何度も「ひとりでやっていけるか」と言って安じていたが、僕は「大丈夫さ、だから行っておいでよ」と鬱病の父が自ら動くなんて、これで父の病気も治ればという気持ちもあって言ったけれど、父が実際いなくなれば、時々母の姉である伯母さんが来てくれるけれど、僕はだんだん悲観的に何事も考えるようになってしまい、ある日そうした自分がおかしく思え、これは父と同じではないか、これって鬱に違いないとそう思ったが、母は二人きりになっても自分の食べるものだけ作って食べ、僕の面倒を見る気等まるでなく、僕はどんどん瘠せて学校も行かなくなり、もちろん塾にも行かなかったさ、やがて2ヶ月後に父が帰って来て僕を一目見てわかったのだろう、愕然として父もまた落ち込んでしまい、おそらく自分が金のために家を空けたことに後悔していたに違いない、父は何度もその取り返しの付かない失敗を嘆き、ついに僕は自分のわずかな理性を絞って、両親の惨じめさからこの病気の恐さを知っていればこそ、だから父に精神病院へ連れて行ってくれと頼んだ。
これでも僕のほうが父よりまだマシな症状だったのだ。
川崎から帰ってからの父は病院どころか、僕が付いていなければ買い物にも行けなくなっていて、これって逆に僕が病院へ行くなら父も行けることで、こうして父も僕も精神科医に診てもらえるようになり、投薬のお陰で見た目だけは普通の人と変わらなくなったが、それは紙一重にすぎないし、いまも僕らはほんの少しのストレスでも簡単に壊れてしまうガラスのハートを持っているだけなのだ。
だから僕はこのような人ごみや喧騒の中が大嫌いだ。
僕は早足で祭り騒ぎの中を縫うように進んだのだが、もうすぐ講堂にたどり着くというところで一反木綿のような長身で酷く痩せた足の長い、それが途中で折れ曲がったように不恰好で、長髪でレンズに黄色の入ったレノン眼鏡をかけた男が立塞がって、彼は唐突に、
「あんたはピアノを弾けるかね」と言ってきた。
「五歳くらいから十二歳まで習っていたけど」僕もぶっきらぼうに答えた。
「うちにはシンセサイザーを弾ける者がおらんのだよ。なあ、あんたやらんか」
男は頼むような調子だが声は尊大なように聞こえたので、
「ピアノとシンセサイザーを一緒にしないでください。それにもう何年も弾いていないので、」と冷たく言って僕は男の側を通り抜けようとした。
「そうか、あんたは、どうせネコフンジャッタくらいしか弾けんのだろう」
 僕はむっとしてしまい、ほんとはここは無視してすり抜けるべきだったのに
「ラフマニノフのピアノ協奏曲第二楽章作品十八第二楽章だって弾けますよ」と言ってしまった。
 これが向こうの新入生攻略の手であったことはのちに知ったのだが、つまりこのように答えてしまったことで僕は敵の術中にはまったのだった。
「へえ!知らねえなあ、そんなラフマニアなんて奴はさあね」と言いながら先輩は腹の中でヤッタゼと笑っていたに違いない。
「ラフマニノフです。先輩っとこはジャズバンドなんですか」
「ジャズとは古いね。今時バンドといえばロックじゃろが」
「それじゃ絶対無理です、僕には。あれは騒音としか思えません」
「おいおい、言うね。今時の若もんがよ。ロックをけなすか、信じられん奴だなあんたは」
「あのですねいいですか、僕には絶対音感があるとピアノの先生が言っていました。一度聴いただけでその曲が弾けるんです。それに子供のとき、父とPMFを聴きに行った時だって父のスヌーピーのゼンマイ仕掛けの腕時計の音ですら気になってしかたなかったんですからね。」
「おいおい、いい大人が何でスヌーピーなんだよ」
「父は鬱病で、家に閉じこもり僕が傍にいなければ外にも出れなかったんです。それでもどうしてもひとりで外へ出る時は僕の子ども時計をして行けば、それが僕と一緒という暗示がかかって一人でも出ていかれたんです」
「所謂同行二人ってやつだな」
 僕はなんで初対面の人間に家庭の暗い事情を話してしまったのか後悔し、田舎者の自分を呪った。
「だから、そんな耳に騒音を聴かせたらどうなると思います。ボンッとこうですよ」僕は大げさに爆発するパントマイムをして見せた。
「大丈夫だって、俺らのロックバンドはロックという名が付いているけどやっているのはポップロックなんだからさあね。青春の子守唄ってやつさ、赤ンぼだって寝ちまうぜ。それによおヘッドホーンで調整すりゃおたくのデリケートな耳だって何ともなかろうがさあね」
「やっぱ、ポップでも無理っスよ、やったことないし」
「何を言うかってよ。ポップスくらい今時のワカモンは聴いてんだろ。それにクラッシクをやれりゃ何だって出来るさ。クラッシクから見りゃロックなんてよ、空き缶叩いて遊んでるようなもんさあね。なっ、そうだろうが。よお頼むってブラザー」
「無理っスよ」
「あんたなあ、最初から決め付けるなって。ちょっとやって見てからそれ言ってくんない。矢理もしないで無理ってのはないでしょ。それにさあ、ホントにさあ、その絶対何とかであったとしても上手いかどうかわかったもんじゃないし、やって見てこっちだって断るかもしれないしさあ、なっそうだろうが」
僕はこういう時っていつもガキで、ついむっとして「それなら、仮に入部する」ということでと話は終わった。
そうだよ、仮にだぜブラザー、と僕は心で叫んでともかくこの場から逃げたかっただけ、ところが翌日、先輩はどう探したのか、僕のいる教室を見つけて、隣に座ると、
「勉強なんていつでも出来る、ようちょっとおれんちに行こうぜ」と言いながら教室から強引に僕を連れ出し、彼のアパートへ連れて行くとkid rockやMJのDVDやビデオを観せたのである。
そして三ヶ月が過ぎようとした。
シンセサイザーは思ったより面白く、この多機能性は素晴らしくて、まさに科学が生んだ楽器だと思う、僕は理系だからこいつを見ただけで、つまりパソコンと相性がいいというだけで惹かれてしまい、ともかく色々な音を造りだせるのがいい、この前、寮の食堂にあるテレビでNНKのアーカイブを観ていたら坂本龍一が五インチのフロッピーでシンセサイザーから色んな音を出して見せていたが、それはまるで僕が生まれる遥かな昔話なので、こうした楽器の進歩はやはり凄いなあといまは感じるわ、僕は時々思うのだが、あの時小六で、なぜ中野ピアノ教室をやめたのだろうと、おそらく学校の勉強と同じで教え込まれるというのが子供だからこそ嫌だったのかもしれない、ピアノをやめると父に言ったとき、父は「せめて中学が終わるまでは続けたほうがいい。おまえには才能がある」と言った。
中野先生も同じ事を言ってくれた。
なのに僕は聞く耳を持っておらず、モウちゃんも「嫌なものはやめたほうがいいよ。やれるようになったらまた始めればいいさ」と父に言ってくれたので、父はなぜかモウちゃんの言うことには逆らわないので、しかし、父の言うことはいつも正しくて、いま新たにキーボードに触れるとつくづく後悔するのだが、バンマスの持っているDVDを観てから、俺って本当はもっと巧く弾けるのだと、MJのように子供の時からずっと続けていればね、やっぱり生きて行くことはまさに後悔の連続なんだろうな、だから占師が儲かるわけか。
「占師は儲かるぜ」と先輩は言った。
 彼は包帯だらけの痛々しい身体と天井から下がっているベルトにギブスの足を支えられている状態でベットに横たえて苦しそうに笑っていた。
「僕には無理っスよ。占いのウの字も知らないんですから」
 報せを聞いて急ぎ先輩の交通事故の見舞いに来ると、突然彼は学園祭の占師の役を僕に頼んできたのだが、それまで懸命に学園祭に向けてロックを練習して来たことは、どうも先輩の自転車と共に吹っ飛んでしまったらしい、今、新たにこの時期先輩の代りのメンバーを加えることはとてもじゃないが時間も無く、僕らに付き合ってくれるアーティストも知らずこれは無理であって、だからと言ってロックバンドが占師かよ。
「なんも大丈夫だってば。たいして難しくないってばさ、占いなんてよお」
 先輩はきっと天才なのかバカなのかどっちかに違いない、いつも発想が滅茶苦茶なのだ。
「なら世慣れした山川先輩や多田さんなんかがいいんじゃないっスか」
「ちゃっちゃっ」先輩は動かない手を顔の横で振る真似をした。「あれらはよお、文系じゃん。ここが」と言って自分の頭を指す振りをした。「駄目なん」
「占師は理系がいいんですか?」
「そうよ。角野さあ知ってるか、優れた文学者は皆理系から出ているんだぜ」
「まじっスか?聞いたことありませんねえ。たとえば誰っスか?」
「あんなあ」と先輩は考えているようだったが思い出せないでいる「どうも頭を打ったせいか脳がキチンと動いてくんないなあ」と、とぼけるしかないのだろう。
確かに物理学者のアインシュタインからホーキング博士まで魅力的な文章を書く人はいるのだから先輩のいうことはあながち嘘とは言えまい、漱石の弟子にも寺田寅彦博士がいるし、漱石自身も物理が好きだったと聞いたことがある。
「しかしそれで、理系がどう占師と繋がるんです」
「子曰く、古代から培われた統計によって占術は成り立っていることくらい角野だって知ってんだろう。良き占師ってのはさ、後は客の人格を見抜く勘を持っていることだね。おしゃれで隙の無い格好しているものは、神経質で周りの目を気にしすぎる人で、おしゃれでも、どこか一本抜けている人は少し悩みを持っているかもしれないと考えればいい、おしゃれだけれど、無精ひげをはやしている男は本格的悩みを持っているとか、こういうのって、それは日頃から観察することの好きな連中に向いているんだよ。つまり理系の己と俺らさあね」
「ふうむ、確かに理屈はそうっスね」
「なあ、だから俺がこんな様じゃあ、バンドの資金集めもよお、角野よ、進さんよ、あんたが頼みなのよ。わかるっしょブラザー」
「へえ理系でいいんだら僕なんかよりマミさんじゃないですか。彼女も理系っスよ」
「バカ言ってんじゃないよ。あいつがこんな茶番に乗ると思うか」
「そうっスねえ。でもマミさんって物静かで理知的で神秘的でもありますよね。これってさあねぜったい占師向きじゃあないですか」
「オレもさあね、同じことをあいつに言ったん。だけどあいつときたらこうだぜ『素敵な思いつきよねえ、でも私にそれって出来ると思って』だと、この“出来ると思って”が語尾に付けばあいつは絶対やりませんってことなのさ」
「そういう意味っスかあ」
「そういう意味っスよお」
マミさんは僕の一年先輩で、子供のときからフルートを習っていたと聞く、だから彼女はクラシックの方へ行くはずだと誰もが思うのになぜか、大学ではロックバンドに入って、ある意味では僕だってそうだろうけど、子供の時からクラシックピアノを習っていて現在はロックをやっているんだから、まあロックは若者の音楽で若者しか理解できないなんてのは嘘だと思う、ロックは音楽のひとつのジャンルにすぎないのであって、老人だって赤ちゃんだって理解しようとさえしなければ理解できるだろう、それがミュージックってもんさ、ただ、おそらくロックには多くの若者を惹き付けるもの、それは激しい内面の叫びを引き出す魂を揺さぶるリズムが折り重なって歯切れよく奏でるから魅了されるという説明しずらい何かがあるのだろう、でなければ良家の令嬢然としたマミさんがどうしてロックなどやるだろうか、彼女には不思議な品のいい好奇心を持っているように僕は感じており、静かな女性こそ真の野生のソウルを持っているのだとバンマスはいうのだが、きっとそれって本当だろう、女は恐いぞ、とバンマスが脅すようにマミさんは近付きがたい存在ではあるが、こんな彼女はフルートとボーカルの担当だから、僕らの演目はいつもハンナ・モンタナのカヴァーが多い、が、マミさんはこれが不満で時として子どもっぽい”桜高軽音部”や”YUI”のなんかを突然演ろうよ、なんて言ってくるので、そんなときは皆も大賛成さ、なにせ僕らはロッカーなんだから、ノリがよくなきゃね、僕らはマミさんの軽やかで品のいい流れるようなフルートの音色とそれを真っ向から切り裂くような高音の品のない叫びのようなバンマスのトランペットが逃げまどうアルテミスを追い掛けるゼウスのように交叉する中を取り持つように山川先輩のベースと多田さんのリードのエレキギターそして僕のシンセサイザーが色んな楽曲でまとめて行く、時に激しく、さらに激しく、もっと激しく燃え上がってそしてふと優しく奏でてロックは成り立つのさ、ロック、ロック、ロックって最高なんだよ、特にマミさんのボーカルは泣かせるんだわ、沈んだ黄昏れに似た清楚な声はロックに合わないように見えて不思議な調和を醸すのだ。
彼女は本当に神秘に満ちた魅力的な人であった。
そう、この淑やかなマミさんはなぜか暗い陰のようなものを背負っているように見えるのは、噂では両親が彼女の子供の時に離婚したからだろうという人もいるんだけどさ、なら僕だって暗い陰があってもいいはずなのに誰も僕を怪しまない、これってありかよね、まあ、そのような雰囲気をもったマミさんが占師をやれば絶対受けると思うのだが、彼女はこうしたふざけた遊びには乗ってこない人なのだ。
ま、常識的に当り前だよね。
だから「おまえっきゃいない」と言われてしまえば僕としてはやるしかないのだが、バンマスにはいつでもこうして言い様に扱われてしまう、まったく全損の自転車同様に乗ってる人間も全損すればよかったのに、というのは冗談だけれども、
「わかりましたけど、後はどうすりゃいいんスか」
「なんもよ、準備は山川や多田がやっからさ、角野は占いの本でも図書館から借りて読んでなよ。あと二日もあっからさ、何ンとか成るべさ」
「二日もじゃありませんよ。二日しか無いってことじゃないですか」
「まあまあ、あせるなって。進ちゃんならなんとか成るって。こんなの遊びだぜ」
「遊びったって、客からお金とる以上ちゃんとやらなきゃならんと思うんスけど」
「そうさ、その根性が角野にあるからよお、俺も安心して頼めるってもんさ」
「あんねえいまねえ、バンマスのその吊るされた足を叩きたい気分スよ」
「ああいいよ、やんな。俺の退院が遅くなって困るのは跳ねた車の保険屋と角野だけだもんな」
「まったく」と言ったまま僕はバンマスの足を見ていた。
折れているのだろうか、ギブスが厚く覆っているのだ。
「角野さあ、今おまえ俺が時速何キロの車に跳ねられて何メーター飛んだか計算したろう」
「そんなこと計算しなくったって新聞に載ってましたよ」まったく気楽なんだからバンマスは、本当に車に跳ねられた時くたばっていれば善かったのにとこの時僕は思った。
「そうか、じゃあいっそくたばれいいとは今思ったろう」
僕は黙ってしまってあきれるしかなく、手の内を読まれているのでは勝負にならないので、ここを早く出てコーヒーを飲みたいとなぜか思う、実は、僕はコーヒー中毒で一日に十杯は飲む、それはインスタントだけれども、これって身体に悪いのかな。
でもタバコよりましさ。

 2

 学園祭の占師の打ち合わせとただで昼飯にありつくことを兼ねて僕は多田さんのアパートへ行った。
 部屋へ入ると、何か独特の匂いがして、それはタバコとも違って、どうも多田さんは大麻を吸っていたらしく、訊いてみるとあっさり彼はそうだといった。
「それってやばいじゃないですか、退学になりますよ。いや警察に逮捕されちゃうじゃあないですか」
「進ちゃんよ、なにボケたこと云ってんの、大麻やっているのなんて、ざらだぜ、ここの学生の半分はやってるさ、覚醒剤とかよ、ひでえのは、抗鬱剤をがっぱり飲んでボーっとして喜んでるのもいるんだからな」
 この国立大学に半分も薬物使用者がいるなんて絶対嘘だと思う。
「抗鬱剤はいっぺんに何錠飲むんですか」と僕は自分も持っているので思わず訊いてしまった。
「二百だってよ」
「嘘でしょう、そんなに手に入るわけが無い」
「それが入るんだってばさ」
「それにしても多田さん、薬はよくないっすよ。身体も心もぼろぼろになっちゃうじゃないですかあ」
「なに厚生省の役人みたいな事云ってんだよ。こんな世の中さあ、ええ今時、大学出たって就職もないんだぜ。どうしてだと思うってんだよ。坊ちゃん首相はころころ途中で仕事投げ出して辞めるしさあ、二世議員ばかりだからいくら交代したってやっぱりおぼっちゃま首相でさあね、ちょっと難しい問題にぶつかればもうあたふたしちゃって、見てられないぜ、まったくいったいこの先日本はどうなるんだよ。トップの誰も苦労知らずで、本当に苦しんでいる人、仕事が無くて不安に怯えてる人の心を真にわかる者は一人もいないんだ。なあ進ちゃん、ちゃんと考えてんのかよ、学生ってのはよ、こういつの世でも政治を憂いてなきゃならんのよ、何処の国だって革命起こすのは学生なんだからさあね」と嘆くように話す多田さんの顔色は蒼ざめていた。
「それはそうですけれど、それと大麻とどう関係あるんですか」
「あんね、進ちゃんね、あんたみたいな学生が多いからオレは大麻を吸わざる負えんの」
「なして、」
「ばっか、みんな昔の学生みたいによお、憂国の士となれば、オレも張り切って革命だって騒ぐさ、そうなりゃあ大麻どころじゃあないぜ、ところがどうだい今の連中は就職ないから体制に媚びるしかないんだ。ん?あれは何年前だっけ、高度成長期の頃は就職の心配などないほど仕事口があったからみんな平気で無茶したんだなあ、あれが学生らしい最後だったんだわあと、この話は他人の受け売りなんだけどさ。まあ、オレは現代史が専門だろ、なんでかっていうとな2年の時によ、教授が言ってたんだけどさ、今の話をね、そんでよ、その教授は60年代末に起きた学園紛争の闘士だったらしいもんで、だから自慢たらたらで、おまえらは当時の学生と比べたらまったく覇気がないって言うんだな。確かになあ、あの時代チェコのプラハの春やパリの五月革命そして文化大革命など、世界中の学生が暴れてたんだ。しかしそれらはちゃんと大義名分があって起きたのに、日本の大学紛争の始まりは授業料の値上げに反対するっていう、その辺の労働組合と同じレベルだったんだぜ。こんなん恥ずかしくて世界の他の国の学生に言えるかよ、教授は偉そうに理屈付けしているけれど、オレから見りゃあ単にマスかいてただけさ、何が闘士だってんだよ。それが証拠によ、70年代に入ると内ゲバなどと言って仲間同士でいがみ合い挙句は殺し合ってまるで当時流行ったやくざ映画となんも変わらん、ついには浅間山荘事件や海外へ逃げて色んな事件を起こしているのが、最後まで残った過激派と言われた連中さ。あれらは馬鹿よ、馬鹿が馬鹿なことをして自慢している。オレはあの教授のおかげで現代史を専攻してそれがわかって、そしてじゃあ今の学生はどうだって自分で自分に問うたら、今のオレたちがあいつたちよりマシなのか、どうも違う気がする、だいたいな学生ってのはなんなんだって進ちゃん考えたことあるか、単にいい会社へ入るためにオレたちは学問を学んでいるのか、まず今の世界を見てみなよ、みんなが平等に平和に暮らせると謳って理想とされた共産主義の国はみな資本主義に代わって行った、その資本主義ってのはな、欠点だらけで、儲けることばかりが優先されて、そのためには地球さえも壊れたってかまわないという鉄腕アトムに出てくる話レベルの馬鹿ばかりが得する仕組みになってる思想さ。見てみなよ、アマゾンやインドネシアのジャングルもシベリアのタイガもアフリカの草原も次々と資本家とそれに追従する連中によって当然のように破壊されてるのに、それでも人類は目先の欲にかられてる、まあ誰も貧しくはいたくないからなあ、発展途上国がよ、みんな裕福になって草原やジャングルをビルだけの街に変えてしまったら地球はどうなる、だからといって発展途上の国の子供が金さえあれば治る病気で次々と死んでいってもいいのかっていう問題もあるだろう。じゃあどうすればいいのか、今のままでは全人類が幸せになるというわけにはいかないのか、なあ進ちゃんよ、資本主義はもうはっきり言って限界にきているんだよ。じゃあ次は何がいいかったら、今は何もないんだな次の手が、これが、だから人類はこのまま滅びに向かって行くしかないってか、この矛盾をどうするのか、それを考えられるのは馬鹿なことが平気で出来る学生しかいないんだよ、ところが今時の学生は教授の言うように資本主義の毒にあたった足下しか見えない連中ばかりさ、そう思わないかね」
「僕は理系ですからね、科学の力で地球を救えると思ってます」
「甘いなあ、それじゃあ、一部分だけじゃないか、第一時間が掛かりすぎて間に合わないなあ」
「じゃあどうするですか?」
「わからんよ、わからんから葉っぱ吸って、この恐怖を忘れるのさ」
「恐怖ですか」
「この今の世を本気で考えれば、結果は滅びしかないだろう、それがわかっていてどうして漫然と生をむさぼることが出来るってんだよ」
「そりゃあそうですが、これって大きすぎてひとりの人間が考えることでないっしょ」
「そうだよ、もう誰にも止められない、世界は滅びる。地球を救う手立てはもうひとつもないんだよ。だから怖いのさ、ほんとにさ、あとは目をつぶって死を受け入れるしかないんだよ、せめて葉っぱで頭を空っぽにしてさあね」
「多田さんそれは違うと思います。僕はまだどこかに助かる方法が、誰かが見つける、あるいは僕らが見つけるかもしれない。考えて考えていつか間に合うって」
「そうだろうなあ、進ちゃんは科学者になるんだもんなあ、科学者が希望を失っては進歩もおぼつかないか、楽観者はいいなあ」
「何を言っているんですか、学生は自由な思考が出来るから学生なんじゃあないんですか」
 文字に書くと何やら学生同志が激しく議論しているように見えるが、実際は多田さんの声は元気が無くて囁くほどに小さくて良く聞き取れない、これってなんだか霧の中で議論しているような気がして僕は嫌になって、多田さんを見たら、多田さんの青白い顔はいっそう血の気もなくなり、こんな子供じみた地球の未来などに関して言っているとすべてが彼の大麻による幻想なのか、本当の現実なのか、この北の果ての寒い地の大学生が考え悩まなければならない問題なのかと僕は思ってしまうしかなく、第一多田さんが言う地球滅亡はまだまだ先の話で、それは百年後かもしれない、その頃には僕らは生きてはいない、だからと言って放っておいてもいい話ではないことはわかるけれど、しかし今なんともならないからと言って恐怖に震えるのはいかがなものか、それこそが多田さんは精神的な恐怖症になっているのではなかろうかと思え、これって多田さんが葉っぱを吸ってそうなったのか、あるいは精神が先に侵されて大麻を吸うようになったのかは、僕にはわからない。
「まあ進ちゃんも屁理屈こねてないで葉っぱ吸えよ」
 屁理屈こねているのはどっちですか、とホントは言いたかった。
「僕はいいです」
「なにカッコ付けてんだよ、こんなもん吸えなくて学生っていえるか、何せオレたちはロッカーなんだぜ、葉っぱ吸わないロッカーがいるかよ」
 多田さんはどんどん理性を無くして行くように見え、きっと彼の頭の中は自分でも何を言っているのか考えているのかわからなくなっているのだろう。
「そうじゃなくて」と言いながら、大麻は犯罪だといってもこの人には通じないだろう、こんなことをして傷つくのは自分自身なのに、今がよければ明日はどうでもいいのだろうか、彼は本当に世界の未来を憂いているのか、それはともかく今の僕はそうはいかない「僕は貧乏だから、大麻どころか、タバコだって吸えないんです」実際十八歳なんだから当り前か
「へえ、貧乏と葉っぱにどんな三段話があるのさ?」
「ただ買う金がないってだけ」
「じゃあ、あげるよ」
「そんなもの、タバコもそうだけど、依存症になるじゃあないですか、今は貰っても一生貰うって訳にいかないでしょう。だったら最初から吸わないのがベターしゃないですか、何せ今日の昼飯だって買う金なくて多田さんところへ昼めがけて来たんですよ、今の僕にも未来の僕にも余分なものを買う金なんて一円もないんですから」
「へえ、すげえな進ちゃんは、昼飯したってさ、インスタントラーメンしかないぞ、オレんとこは」
「かまわんですよ、腹さえふくれれば、葉っぱじゃあ、腹は膨れませんからね」
父はリストラされ、さらに母の悲惨な病気と重なったため鬱病になってからは仕事に就いてもうまく行かずフリーターみたいなことをしながら、わずかな日銭を稼ぐのがやっとで、僕が大学へ行けたのは、僕が生まれた時は父も生活が安定していてだから十七歳になったら満期になる学資保険入っていたからであって、ところが途中で人生のアクシデントってやつが起きて月々の支払いに支障をきたすことがあったけれども、父はそれでも借金しながらも払い続けてくれて、でも満期になったとき父は喉から手が出るほどその金を生活費に使いたかったに違いなく、その気持ちが痛いほどわかって、僕はだから、年収の低い親を持つ学生が受けられる授業料免除の資格を得るため一所懸命勉強して、何とか資格を得たのだが、安い寮にいても生活費はかかるので足りない分はアルバイトして喰いつなごうとしたが、アルバイト先では小学生以来のいじめにあって、何しろいい大学に入って将来偉くなる連中なら居るだけで腹が立つとばかりに、自分の怠けた人生を放って逆恨みして、何もしていないのに学生というだけで言い掛かりを付けていたぶれるってなもんで奴らは僕をストレスのはけ口に丁度いいのか異常にこき使いちょっとでも失敗すれば待っていたかのように罵り蔑む、そんなチビた考えしかもてない連中が大半の世の中は、まったく僕には理解不能の社会に、その群れの貧弱な妬みにはうんざりするのだが、こっちはそれどころではなく生きることに精一杯で、腹が減っていれば道に落ちているクッキーだって拾って喰えるさ、ともかくこの大学の四年間は試練で、本当はロックバンドどころじゃないんだけれど、結局今にも爆発しそうな欝を抑えてくれるのはロックだと知って、これはこれでいいと思うようになり、またロックをやるようになって何か自信がつき、逆にもう鬱病から抜け出た様な気がする、アルバイトのいじめに対しても何か不良気分で「なんか文句あんのかよ」って睨み返せば向こうも黙ってしまう、後は何とかここでの四年間を乗切り、何としても大きな会社に就職して、父を楽にさせてやることだと思っていたが、どうも世情は厳しく、国立大学を出たからといって、特に僕のような理系は本来就職率が高いはずなのだが、先輩諸氏にはまだ内定して無い人が一杯いる現状を思うと先行き不安になるのも確かで、多田さんが薬に走るのもそんな事だからだろうか
「葉っぱ吸って何かいいことあるんですかね?」とだから僕は訊いてみた。
「なあんもない、ただ頭が空っぽになる。それがたまらなくいい、出来ればこのままくたばればさらに文句なしってとこか」
「頭を空っぽにするなら禅寺へ行って瞑想すれば」
「あほ、座禅は修行しなければ頭を空っぽには出来ん。薬は飲めばすぐなる」
「そうっすねえ、お釈迦様って偉いですよね、瞑想し頭を空っぽにすればすべての悩み苦痛から人間は解放されってこと発見したんですからね。確かに空っぽがいいんだわ」
「なら、進ちゃんも葉っぱ吸いな」
「いや、僕はまだ悩み足りんのです」
「小人閑居して不善を為す、とはよく言えたりってか、悩んで悩んで辿り着くのは葉っぱかよ、」
「多田さん、せっかく大学に入って葉っぱでいいんですか」
「進ちゃん、親みたいなこというんじゃないよ。この間々なあ、卒業してよ、国家公務員か地方公務員の上級試験を取って役人なるか、それともどっかの大会社に就職するか、単純によう、そう考えて大学入って、そしたらこの不景気だろ、先輩らはろくに就職出来ず、あったって零細企業だぜ、ガキの頃から一所懸命勉強して結果はこれかよ、農家の人が精魂込めて作った野菜がさあ原価以下で叩かれて売られるようなもんだろが、こんなのありか、もう嫌んなった、先の読めない世の中なんて誰がしたんだ。これが資本主義の弊害ってやつか、うんざりだぜ、考えても悩んでも、自分じゃしょうがない世の中なら、あとは葉っぱ吸って頭からっぽにするしかないべ」
「だっていつまでもこんな世の中でないっしょ、せっかく大学入って勿体無いですよ」
「カッコ付けて言えば、いい世の中にしたいから大学へ入ったんだろが、だけど今はその場所へ行く道がない、アメリカにも日本にも当分優れたリーダーは出ないだろう、この先は見えないんだよ」そう言って多田さんは葉っぱを思いっきり吸って吐いた「そういえばあんたは苦学生だもんなあ、そんなの流行らんぜ、青春は短い、もっと悪たれになれってば、無茶が出来るのは今しか無い、自分を徹底的に落としめて、さらに落としめてもっと落としめてその先に何にもなくなって、それでお仕舞い、グッドバイってね」
「太宰ですか、それ。でも僕はそうも如何のです、親を思えば」
「進ちゃんは江戸時代の人かよ、至極は孝なりってか」
「親孝行っていうほど生温い話じゃ無いんです、僕ら親子は、崖っぷちなんですよ、ずうっとね。僕が大学へ行くまで父は必死になって僕を育ててくれた。今度は老いた父を僕が面倒みる番です、それだけです」
「そうか、でもなあ人生ってそれほど単純じゃあないってなあ。進ちゃんのお父さんだって最初から貧乏だった訳じゃあないだろう」
 どうも多田さんのぼそぼそ声は聞きずらくて、こっちまで声が小さくなってしまうのだが、これって暗い話をしているのだからいいのか
「まあ父も僕が生まれるまでは普通の幸せな家庭だったと言ってましたね、母が無茶苦茶に壊すまでは」僕はあまり母の悪口は言いたく無いのだが事実は重すぎて黙っているのもまた辛い話だった。
「ほう、あんたの母さんってあばずれかい?おっと失言だったわ、進ちゃんには何であれ実の親だもんな」と多田さんは少しだけ気を使ってくれた。
「いいんです。母は気が狂って、破壊神が取り憑いたみたいに自分の家庭を壊して楽しんでいるとしかいえない病気に突然なったんですから」
「へえ、で病名はなんていうの?」
「狐憑きですよ」そういうと、多田さんはしばらく黙ってしまった。
「まあ、なんだなラーメンでも煮るか」と彼はふら付くように立ち上がって、台所らしき所へいくと、カセットコンロに水を入れた鍋を乗せてカチッとノブを捻りボワッと青白い火を着けて、「狐火みたいだろ」とつまらない冗談を言ったが、自分でもそう思ったのか「すまん」と付け足した。
「人間の脳っていったいどうなってるんですかね」と僕は少し落ち込んで多田さんに訊いた。
「そんなの文系のオレに訊くなよ」と言いながら多田さんはインスタントラーメンの袋を裂いて中味を煮立った鍋に放り込んだ。



次に僕は山川先輩のアパートを訪ねた。
「飯くったか、」と彼は鉄製の扉を半分ほど開けて僕に言った。
「多田さんところでインスタントラーメンいただきました」
「そう、まあ上がれや、明日の打ち合わせに来たんだろう」
「はい」そう行って僕は中へ入った。
アパートの狭い玄関には先輩の靴の他にハイヒールがきちんと並べて置いてあった。
「いいんですか?」僕はハイヒールと山川先輩の顔を交互に見た。
「おう、気にすんなって、これさ」と言って彼は小指を立てて見せた。
「ええ、じゃあ出直しますよ」
「バカ言ってじゃ無いよ。そんなことしたらいつまで経ったってオレの部屋には入れないぜ」
そうかなるほど一理ありか、先輩は背が高くてすらりとした体型で、顔も俳優の誰だったけ、忘れたけれどそいつに似ていて、女性との噂も絶えなくて、やっぱり部屋の中に入ると背のすらりとした美形の化粧も濃い若い女がソファにふかぶかと座り長い足を組んでいて、立ったままの僕には短い薄い生地のスカートの奥が見えそうでドキリとした。
「こんにちは」と僕はぎこちなく言った。
女は目で挨拶を返しただけだった。
「それじゃあ、私帰るわ」女はいきなり立ち上がると先輩にそう言って頬笑み、僕には手を振っただけで、さっと風が通り過ぎるように、去って行った。
「やっぱ、まずかったですよね」と僕は気まずそうに山川先輩に云った。
「なにが?どうせ夕べ、ススキノで知った女なんだ。何か昼なっても帰らないから家出でもするんかと思ってたんだ。角野が来て正解さ」
「家出って何ですか?」
「あいつああ見えても高校生なんだよ」
「ええ?」
「何驚いてるんだよ、こんなの常識だろが、」
「なんで、何処が常識なんですか」
「今時女とやるの当たり前だろうが、ススキノへ行けばよ、うちの大学の名前出しただけで、いくらでも女なんて手に入るって、オレなんて一晩に三人やったことだってあるんだぜ」
 大学の名前を出せば女が手に入るだって、冗談じゃない、僕はアルバイト先でその大学の名前でどれだけ虐められたか、こんなの不公平じゃないか、何がもてるだよ、もう、うんざりだ。まったく
「なんで大学の名前で女性にもてるんですか?」
 大学は山川先輩にはブランド品と代わらないのか、ローレックスでもしていれば靡く女性も多いって、いうのが世間ってことで、僕は多田さんの資本主義の矛盾を感じて、自分が特権階級だとは思ったことはないが、ただ勉強することしか出来ない学生になんの力があるのか、この人と自分の格差は時代を意味して余りある。
「あのなあ、角野、おまえまさか童貞なんてじゃあないよな?」
「童貞とか処女とか話の次元が違うでしょう」
「違うのは角野の次元だろう、おまえって大正時代かよ。暗き紅燈の巷に勤めく女性に恋するを不浄の恋とは誰が言おうぞ、月下の酒場に媚びを売る女性に睡蓮の如き純情可憐なるものありってか、なあ角野よ、今夜ススキノ行くか、女子高生紹介すっからよ」
「紹介してもらってどうすんですか?」
「やれば、」
「何処で?」
「角野の住んでるアパートは」
「僕は寮生ですから」
「じゃあホテルいけば、」
「そんな金ないっすよ」
「貸してやるよ、それくらい」
「それじゃあ多田さんと同じじゃあないですか」
「多田がどうかしたのか」
「いやもういいですよ、先輩、生意気なこというようですが、女性だって同じ人間でしょう、それをアダルト人形みたいにしか見れないなんてそれでいいんですか」
「角野はなあ、」と先輩は溜息をつくように言った。「育ちがいいんだなあ、と言ってもこれは皮肉じゃないぞ、きっといい両親に育てられたって事さ。俺も中小企業の社長の息子に育ってさ、親は俺がガキの頃から塾にやり、いつも学年トップでなければ許されなかった。それも小学校からだぜ、家に帰れば勉強せ、勉強せしか言わない、他の同級生のように家に帰ってゲームやってテレビ観るなんてもっての他で、だから高校では授業なんかろくに聴かず、家で予習させられていたからな、ゲームやったり小説読んだりして親の見えないところで逆らっていたんだ。それでも親が怖いから成績は落とさないようにしてさ、情けないけどね、このストレスが大学に入って爆発したんだろうな、おまえには悪いこといったかもしれん、おまえもストレス溜まってるような気がしてよお、俺と同じかと思って余計な事言ってしまったな、すまんな」
「いいえ」と言って山川先輩に同情する気持ちが少しわいて「それより学園祭の打合わせをしましょうよ」と僕は言った。
 人はみな不幸なのか。
 この二人、多田さんも山川先輩も何処か心に歪みがあり、彼らがなぜロックでなければならないのか僕も含めてだがわかるような気がする。

 4

 今度は学祭の打ち合せの最後、マミさんのマンションだ。
 山川先輩は「マミは絶対部屋に入れないぞ、打ち合せは廊下か、公園だろうな」と云っていたがマミさんは素直に部屋へ入れてくれた。
 若い女性の部屋は何か華やいで、僕には落着かなく、出来るだけ早く用事を済ませて帰ろうと想像してドアをノックしたのだが、実際に部屋へ入って唖然としてしまい、それは引越し後か引越し前の部屋のようで、家具というものは一切なく、窓にもカーテンすら掛けてない、これって何を意味しているのだろう、人の棲んでいる気配を何も感じさせない部屋は閑散として何も語らず、僕はマミさんがなぜクラシックじゃなくこれもロックなのかわかるような気がする、などとそっちにばかり囚われて、彼女が
「コーヒー、それとも紅茶?」って云ったのに僕は
「お茶で結構です」と云ってしまい、本当はコーヒーだったのに、僕の馬鹿
「ねえ、カクノシン」と彼女はいつも僕をフルネームで呼ぶのだが、僕の名前の進はススムでシンではないのだが、何か侍のたとえば渥美格之進のように呼ばれているようで、変な気持ちであるが、これも悪くはない。
「はい」
「ロシア文学読んだことある?」とキッチンからどのようにして持ってきたのか彼女はぺたんと磨かれた木目の床に座り急須に入れた緑茶をマグカップに注ぎながら質問した。
「ペレルマンなら」と僕も床に正座して答えた。
「ばかね、ペレルマンは数学者じゃない」
そうかマミさんも理系だった。
「ポアンカレ予想好きなんですけれど」
「だめ、文学よ」
「えーとツルゲーネフの猟人日記を高校のとき読んだ気がします」
「どうだった、ねえどの話が好き?」
「覚えているのは、ホーリと何とかさんの」
「それって一番初めのじゃない」
「だって、古典は長くてだらだらと退屈でよく覚えられませんよ。ただ文章の美しさと農民の哀しみを感じたのは何となく、ほら裕福な娘たちに何度も求婚してそこの親に出入禁止になっても果物贈ったりとか、ああ云うのって自分の初恋もそうだったから」
「それ、私、カクノシンの初恋に興味あり、話して」
「嫌ですよ、それって、世間知らずの子供が相手に嫌われているのもわからず、何度も何度もラブレターを出してたんです。そして修学旅行のとき、その子の両親が学校まで送って来て、その子が親にすがって僕を指差していました。それで自分も嫌われているってやっとわかったんです。子供って誰かが教えてくれなきゃわからないでしょう。こっちは生まれて初めて異性に胸がときめいて、これって何だって感じで一所懸命手紙出したのに、恋愛ってちっとも本に書いてあるようにはいかないじゃないですか、恋愛映画だって嘘だ、現実は返って相手に迷惑ばかり掛けていたなんてショックですよ。恋ってのは片思いが多くてうんざりですよね、へたすりゃストーカーで訴えられる。相対性ってのは僕はやっぱり苦手です、絶対性でいい」
「ばかね、絶対性の恋なんて存在しないわよ」
「そうですよ、男と女、油と水、似て非なるものどうし、どうすればいいんですか」
「それはカクノシンの問題ね、あなた物理学者になるんでしょ、それとも数学者、どっちにせよ恋の数式はあるのよ、ねえ発見したら」
「ポアンカレ予想より難問ですよね、それって」僕は出されたお茶を飲んだ。
 それからマミさんがまるで手品のように何にも無いキッチンで焼いてくれたクッキーを食べながら、やっとコーヒーも飲んで、学園祭の話をした。

 5

学園祭が始まった。
その日の朝、目覚めると僕は掛け布団が持ち上がるほどあれが勃起しており、これはどうも小便でもすれば納まると思って屈むようにして寮の臭いトイレにいって小水を出したのだが、どういう訳かそれでも納まらず、仕方なくみんながやっているように、大の方へ移って、僕はマミさんの裸を想像しながらマスターベーションをはじめ、やがて手も疲れるほどになってから極端な快楽と虚しさに襲われて青春のひと時が終われば、恋の数式が解けたような気がして、つまりWの十乗かけるMのマイナス十乗でイコール、ゼロのマイナス十乗が答えであるなどと呑気に下をみれば、亀頭に垂れている精子の哀れなるものがあり、これをトイレットペーパーで拭取ったまではよかったのだが、それが以外と痛くてあわてて立ち上がると睾丸を思いっきり便座の縁にぶつけてしまった。
僕は寮中に響き渡るほどの悲鳴をあげた。
股間のしびれる様なこの世の終わりを感じる痛みは余韻を残して治まらず、これって今日やる占師へのプレッシャーから来ているに違いないと大学付属病院にいるバンマスを呪った。
演劇部や落研、我々以外のミュージック関係はそれぞれ人気があった。
なにせうちらのロックバンドはこんな時以外には盛り上がるチャンスはないのに肝心のバンマスがあれでは急きょ惨めな辻占に変身するしかないと言う訳なので、僕が怪し気なテントの中で中島誠之助みたいな姿でいる間、他の先輩たちは呼び込みなどの裏方を勤めてくれており、マミさんだって会計のほうを担当してくれているけれど、ただ美しい彼女が占師でないため、店の前まで来てくれる男子学生も多いが、そういう連中は中まで入ってくれず、だいたい本来占いなどに興味をもつのは御存じのように女性が多い、しかも若い女性であろうか、そしてここは大学の学園祭会場なのだから、他校からも学生が来るし、我々の身内や一般の人々も多くはいるが、やはりわが校の女学生が辻占の客としては圧倒的にやってくるので、これは男子として嬉しいことに思われようが、若い僕にとっては輝くように薄い衣服で着飾った女学生のたおやかな姿を前にしてしまうと、冷静に占術を使えといってもとてもじゃないが無理な話しで、声はしどろもどろになるし、眼前に迫るさほど大きくない胸の膨らみについ見とれて赤面するし、冷や汗はたらたらと四六のガマのように流れて止まず、なにせテントの中は女性と二人っきりで、先輩らは雰囲気を出すため中を薄暗くして怪し気なランプ風の照明を付けているものだから、きっと客はお化け屋敷にでも入ってしまったかと思ったに違い無い、つまり付焼き刃のその場しのぎなので、リーダーのいないチームとはこんなものだろうと情けなく、これではやがて客が減って行くのは目に見えており、外の先輩たちも(マミさんを除いてだが)最初は「おまえが羨ましい」などと言っていたが客足の減りに不安を感じて来たのだろう。
多田さんが、
「交代しよう。進ちゃんも疲れたろう、少し休めよ。おトイレタイムにしようぜ」と言ってくれた。
正直僕は喉がカラカラで、ドリンクバーの出店に早く行きたくて、客足も途絶えたところで素早くTシャツの上に羽織っていた道服を脱ぐと多田さんへ渡して僕は外に出ると、何かに解放されたように嬉しくて、まだ二十歳にもならない少年といってもいいような僕にとって同世代の女性と対面することは大いに困難なことなのだ。
外には細長い小さな机を前に椅子に腰掛けたマミさんが心配そうに僕を見つめていたがなにも声を掛けてくれなくて、僕は熱気を帯びた身体のままふらりとテントを後にした。
それからドリンクバーでコーラのラージサイズを買って一気に飲み干したら、喉がギッと病むように痛くなり、炭酸が胃袋の中でグルグル回ってついに逆行したのか、ふっと吐きでた炭酸の残りは気持ちよくて、身体がぶつかるほどの人込みでのゲップはいただけないが今の僕にはショウが無いだろう。
北の学舎を抜ける風はまだ涼しく頬をかすめて通り過ぎて行き、空が青く高くて、夏でもないのに爽やかな気分である。
最早テントの中には戻りたくなかったがそうも行くまい、なにせ占いのことなどまったく知らない多田さんは四苦八苦の様だったから、僕が戻った時にはもう山川さんと交代していて、幽気漂うような雰囲気の多田さんと、生臭い感じの山川先輩とではどうも占師に向いていないと思う。
「こりゃあエレキを弾いているほうがなんぼ楽かわかりゃあせんな」
多田さんは帰って来た僕を見ると額に汗して嬉しそうにそう言った。
「やっぱ餅は餅屋でしょう。こんなんロックバンドには無理っスよ」僕はニヤリと笑った。
 その声を聞いたのか、山川先輩も出てきて、中には客はいなかった。
「もうイカンわ、本見ながらやったんじゃ客も信用しないもんなあ。これじゃあ金取れんわ」彼は大きく伸びをしながらそうぼやいたのである。「もう店閉めて昼飯でも食いに行こう。やっとられんよなあ、こんなん。バンマスも何考えてんか訳わからん」
「女に得意のあんたでも駄目かい、信じられんなあ」と多田さんは日頃モテる山川先輩を羨んでいたので、嬉しそうに言った。
「やっぱみんなで飯にしますかね。本当は交代で召し食いにいく予定でしたけど」
「いいって、いいって、バンマスもこんなんで儲かるなんて最初から思っていないって、俺達がバンマス無しでなにも出来んことは重々承知で任せたんだから、自分が怪我したもんで取りあえずってなもんさ」
「でも店に誰も居ないってまずいんじゃないっスか」
「なんもだって、金さへ持って行けばあとは盗られて惜しいもんはないんよ」
「そうですよね」
「そうなんです」
三人はケタケタと虚しく笑った。
「ダメよ」それまで黙っていたマミさんが僕らを軽蔑するように見上げて言った。
「ねえマミちゃんさあ、そうお堅くなるなって」多田さんが悲しそうな目をして訴えた。
 僕らも乞うように彼女を見つめれば、するとマミさんは黙って立ち上がり小さな手提げ金庫の蓋を静かに閉めてのち取り上げると、
「仕方ないわね。カクノシンも可哀想だし、」そう言うなり後は黙って歩き出した。
僕らは互いに見つめ合うと追い掛けるようにマミさんの後に付いて、カルガモ親子のように歩いた。
僕らの端っこの店から先には大勢の人々がいた。
その中へ溶け込むように僕らは入っていったのが、このとき僕は人込みの中で印象に残る香水の匂いを嗅いだような気がする、ふとみんなの後から付いている僕は振り返ったが、通りには多くの女性がいるので、大半は香水を付けているに違いなく、それなのになぜかその匂いだけが心に残っているのだった。
僕は茫然として今来た道を振り返って見ると、モノクロトーンの景色の中を赤いドレスの女性の後ろ姿が見えたような気がした。


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