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作品名:小説☆脊髄 作者:中野 一司

第4回   4



僕が、三隅さんと同じ部屋で絵を描き始めてはや半月になろうとしている。

彼女と知り合ってから、何かが変わったかと言えば、絵を除いた僕の日常生活に関しては何も変わっていない。多少それに関連して、友達と放課後にゲーセン行く時間が減ったけど。まあ、その程度は、僕の精神にとっては実に些細な変化だけどな。翌週も、そして翌週も、僕の日常は平凡に過ぎて行った。

僕にとって唯一の変化は、美術室に活動日以外も通うことになったこと、すなわち僕の平日の放課後が文字通り「美術付け」になったこと、それも僕が進んでなったことだから毎日が充実してて仕方がない、といったこと、そして、これが重要なことなのだが、三隅さんという素晴らしい才能とセンスの持ち主と一緒に絵を描けるという境遇に恵まれたこと、これから僕の絵に関するなんらかの転機が起こりそうな気がすること、などなど。
…考えてみれば全然、唯一の変化って感じじゃないな。始まりとなる要素は一つでも積もり積もって蔓のように広がって、僕も想像してなかった方に、事は転がりつつある、みたいだな、なーんて。

やっぱり、三隅さんとの出会いはなんだかんだ言って大きい。

 最初はなんか不自然にぎくしゃくしてしまったかなと思ったけど、案外三隅さんとはうまくやっていけそうだ。僕は三隅さんと言うだれかが放課後の美術室の一角に居るという現実に、もう慣れたし、多分、彼女の方だって、僕が絵を描きに来ることは空気のようにあたりまえなことと受け入れてる様子。
 確かに、お互い絵に向き合ってずっと黙りこくっているのが一緒に居る時間の大半だから、師弟っていう感じとは程遠いけど、それでも、僕のモチベーションは三隅さんの存在によって確実に上がった、と思う。普段はたらたら他の部員と菓子食べながらゴロゴロとてきとーにデッサンして、それで、三隅さんとはお互い真剣に作業に取り掛かってる。もはや僕にとっては、この火曜と木曜という第二の活動日の方が、本来の部活にさえ思えてくるほどになった。

 なにしろ、三隅さんはそこに存在しているだけで、僕の刺激になる。
 彼女の筆の動きは、他の人とは違うな、と思わせる何か特有の緊張といったものが漂っているし、真剣に画面の中の一点を見つめて眉をひそめている様子は、もう、画家そのもの。
 その様子を見てると、僕ももっともっと頑張らなくちゃと思う。
 そう思って、がりがりと僕も手を動かすんだけど、描き上がってきた図をあらためて自分の目に映して照合する度に、これでいいのかと不安になる。不満が湧き出る。そして、描く気を失う。自分のセンスのなさに絶望する。
 そんな繰り返し。そんなわけでいつまでたっても悶悶としてるだけで一向に進まない。

 そして、例ももれず今日も、そんな感じで、僕は組んだ膝の上に載ったスケッチブックを睨んでいた。

 こういう時は、誰でもいいから、どこかにいる誰かに僕の絵を見せて、これでいいですよって、嘘でもいいから言ってほしいと思ってしまう。そうでもしないと、僕は前へ進めない。進む勇気が持てないんだ。
 ちらりと横の三隅さんを見やった。一心不乱に絵を描いてる。そしてその筆の先の絵は…すげぇ……。恐れ多すぎて、やっぱり僕なんかの些細なそして主観的でわがままな相談なんか、三隅さんには持ちかけられっこないや。

 描きたいものはある。しかしどの場所にそいつを置けばいいか分からない。
 うーん。
 三隅さんは、僕の脇を通って洗面台に行く際に、そうやって悶々としてる僕に気付いたらしい。
 「どうしたの?」「えと、コレ…どこに描けばいいか分からないんすよ。右か左か…」
 「右。」
 すかさず答えた三隅さん。そのきっぱりした様子に僕は一瞬たじろぐ。「え…なんでっスか?」
 「なんで…って。」
 僕の質問が想定外だったらしく、逆にたじろぐ彼女。
 「そっちのほうがいいと思ったから。絵ってそんなものじゃないの?」
 「どうして分かるんすか?」
 「え……じゃぁさ、北原君は『構図』とか理屈で考えてるの?」
 確かに絵は理屈で描くもんじゃないよな。構図がどうのこうのって言ったって、結局決めるのは直感。そうかもしれない。
 三隅さんは言った。
 「思い付いたまま描けばいいんだと思うよ。あたしはいつもそうしてるし。」
 僕はそんな三隅さんが好きになった。

 もちろん、人として。だ。

 よし、僕も直観に頼って描く訓練をしてみよう。
 …で、直観で描くってどうやるんだ?思い付いたまま配置するってことかな。
 そう考えて、僕も言葉通り思い付くまま手を動かしてスケッチブックにラフな線を書きなぐってみた。なるべく脊髄反射みたくなるように。
 ただの、ほんとうにただの適当な絵が出来上がった。
 ふがいない思いで一杯になった。
 わかっちゃいるけど、自分が絵が下手だという事実を右に視線をずらす度に突き付けられるのだから。下手なだけならいいのだけれど、経験云々じゃなくて、生まれ持ってるセンス―こういう言葉は嫌いだが―の段階で自分が劣っているのではないかと、身にしみて感じる。正直精神的にしんどい。
 もちろん望んでそうなったことなんだが、やはり、改めて自分の絵と彼女の画面を並べるのは、いささか自虐的すぎる行為だった。

 けれども彼女の描く絵は大層魅力的だったので、つい見入ってしまうのだ。筆を止めて。ちょくちょくそんなことしてるから、よけい僕の作品は進まなくなるのだけれども。
…いや、別に僕が見入ってるのは『彼女自身』ではないって。

 しかしあるとき彼女の絵を見やったら、たまたま彼女がこちらに振り向いて、僕と視線が合ってしまった。

 彼女は戸惑ったような表情を見せて、すぐ恥じらうように視線を伏せた。

 僕は困惑した。一瞬、三隅さんがなぜそんな態度をとるのか分からなかった。だって僕は純粋に彼女の作品を観賞してただけだ。別に彼女に対して失礼な行為などこれっぽっちもして無い。

 あ、そうか。
 僕は気付いた。
 完成もしてない作品をじろじろ横から覗き見られてるのにきづいたら、良い思いはしないか、普通。
 それもほぼ初対面のウスラバカなチャラ男からガン見されてたとしたら…。
おそらくじゃなくて確実に良い思いじゃないだろ。
 それどころか…


 なにしろ、彼女の態度がその仮説が正しいことを物語っている。
三隅さんは顔を真っ赤にあからめ、うつむいている。微動だにしない風体で、よく見れば体がこきざみに震えている、よく見なきゃよかった。俺は、最低だ。
なんてことをしてたんだ、俺は。うすらばかのみならず、彼女からみたらもはや変質者の域じゃないか。
 誓っても僕はあなたをそんな目で見たりしてはいないぞ、三隅さん、けどそんなの伝わるわけはないな。多分彼女は僕のこと気持ち悪いと思ってる。もう僕の美術師弟ライフは終わりだ。
 僕は心のうちで慌てふためいた。

 しかし、もう一度張られてしまったレッテルはそう簡単には剥がせない。
 いっそ僕の良いとこ見せて見直させようか……ってそんな考えが一瞬でも頭の中をよぎったことを僕は恥じた。
 だって僕が三隅さんより優れてると誇れるようなことなんて何も無いもの。絵画にしろしゃべり方にしろ態度にしろ人生経験にしろ。
 運動神経?…そんなもの美術室で競ってどうするんだよ。少なくとも筆を持つ指先の交換神経に関しては彼女のほうが優れてるじゃないか。

 何を考えても手詰まり。もう考えんのめんどくせー。どうせ何言っても彼女から切って捨てられるのは目に見えてるのだ。

 「……。」
 「……。」
 重い空気。沈黙。

 とりあえず謝っておこうと思った。

 「サーセン!ジロジロ見ちゃってゴメンナサイ……。でっでも、別に悪気あったわけじゃないっすから、ホントっすよ。その、スゲー絵だなーって、スゲーって、ついつい見惚れちゃったんっすよ…。」
 「見惚れた…?」
 三隅さんは少し顔を上げて聞き返した。前髪のせいで表情はよく読めないが、頬が紅潮しているみたいだ…。
 しまった、勘違いをエスカレートさせるようなことを言ってしまった。俺、マジ馬鹿。ああ、なんでこういっつも余計なことばっか言っちまうんだ?
 「え……いや、そういう変な意味じゃないっすよ!その、先輩の描いてる姿…っていうかちげーし、っその、画家!って感じがスゲーなって!とにかく、スゲー、スゲーっていう方の見惚れたっすからっ!」
 駄目だ俺。自分で言ってて悲しくなるぐらいロクに説明できてない。
 「うん、うん。、そんな必死に弁護しなくていいよ?」
 意外なことに、三隅さんはたしなめるように言った。その妙に冷静な様子に、ぼくはちょっと驚いた。
 気付いたら、三隅さんはもう怒っていないようだった。それどころか、にこやかに微かなほほ笑みさえ浮かべている。ああ、三隅さんって大人なんだなあとつくづく思った。こんなに気持ちを切り替えることができるなんて。
 それに比べて、俺はなんてこんなどうしようもないガキなんだろう……。

 「先輩、許してくれるんっすね。」
 「許す?別に北原君、悪いことしてないよね?」
 何の事だかわからないと言った風に首をかしげる三隅さん。僕は、
 「もしかして、もう、美術室に来るのやめようかなー、とか思ってたりしませんか?」
 「え…なんで?」
 「俺みたいなチャラガキが美術室に居たら、メ―ワクかなって…。」
 「ああ、さっきからいってたの、そういうことだったの!。全然気にしないよー。」
 三隅さんは、うふふとちょっとおかしそうに笑って、続けた。
 「むしろ、一人でずっと描いてると飽きちゃうしね。あたしは一緒に書いてくれる人が一緒に居てくれた方がいいな。」
 「ホントっすか?まじ光栄っす!」
 僕はちょっと調子に乗って声を荒げすぎてしまったらしい。三隅さんは一瞬びっくりしたというよりむしろぎくりという形容詞が合っているような表情をした。
 「光栄だなんて…大げさだよー。……あ、でも今日は、そろそろ帰んなきゃ。」
言うなり、急に立ちあがってそそくさと絵の周りを片づけ始めた。
 時計を見ると、確かにもう5時半になろうとしてる。そろそろ校舎を閉鎖する時刻ではある。
 「また明後日ね。」
 三隅さんは、にっこりそういって、そういうなり、すぐに振り向いて、なぜかちょっとせいた感じで美術室を去った。彼女の美術室の扉を閉める音は、下校を催促する校内放送にかき消されて聞こえなかった。

 やっぱり、怒ってるのだろうか?
 僕は自分の筆を洗いながら自問した。
 けど、さっきの表情はむしろ、面白がっているようだった。
 よくわからない。何を思っているのかよくわからない。

 けど、その未知な感じが、なんか奥深い感じでちょっとイイと思った。


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