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作品名:小説☆脊髄 作者:中野 一司

第2回   2



翌日。
火曜日の放課後。

普段なら友人とカラオケに行ってるだろうと思うその時間、僕は美術室の前に来ていた。扉の脇の郵便ボックスには生徒会からのどうでもいいマナーのチラシが入っていたり、弱小同好会のチラシが入ったままだから、今日は部員はだれも来ていないんだと思う。
しかし、扉は三ミリほど隙間が開いていて、中の蛍光灯の光がうす暗い廊下に漏れている。
微かなる違和感を感じた。
僕にとっては部員がいないのに扉が施錠されていない美術室は、まるで住人がいないのに伝統がつけっぱなしの一軒家の様に思えて、奇妙な感じがした。

何か、僕の思いもよらないようなことが中で起こってるのだろうか?


…つーか、何考えてるんだ俺?
はっと我に返った。
あたりまえじゃないか、美術室が開いてて、電灯がついているのなんて。

だって、三隅さんという人が中では絵を描いているんだろう?

本当俺の脳内って無駄なイメージばっかり浮かぶよな。我ながら呆れる。そう思いつつ、僕は美術室の扉をそっと音をたてないように引きあけた。



なんてことのない、いつもの美術室だ。
美術室の奥の方に座ってひっそりと油絵を描いている一人の人間を除いて。


この人があの絵の作者か。


壁際に身を寄せるように絵を描いていたその人は、絵に熱中しすぎていて、僕の存在にまだ気付いてないらしい。さらさらとした髪の長い女性で、一瞬部員の誰かかとも思ったが、すぐに別人だと分かった。だってあんなにスカートの丈の短い部員はうちの美術部にはいやしないから。

なんか思ってたのと雰囲気が違うな…もっと、とっつきにくそうで暗めな人かと思っていた。情熱的だけれども凄く不器用な感じの芸術家。けれども、目の前の彼女はむしろ、何でもそつなくこなすフツウの女の子に見えた。長く伸びた前髪をピンクの光沢のあるピンで横にまとめ、小奇麗な着こなしとワンポイントの入った清潔感あるソックス。綺麗にそろえられた爪。やっぱりうっすら色が付いている。

ちょっと驚いたというか、拍子抜けした感じ。透っていう名前だから男だと思っていたのもあるけれど、それ以前にも雰囲気が、芸術家のそれとは違いすぎるな…って。

 僕が、美術室に入って扉を閉めている時になって、やっと彼女は僕の存在に気づいたらしい。彼女はこちらを向いて少し怯えたような目を僕に目を向ける。え…誰っ?何しに来たの?とでも言いたげに。
 「あ、こんちわっす。俺、美術部一年の北原っす。」
 「え…美術部員…?ホントに…。」
 彼女は、ちょっと信じられないっていう目付きで僕を見る。逆に僕の方が戸惑うよ。なんでだ。
 「ホントっすよ、ほら。」
 そういって僕は、鞄から昨日帰りに買ったばかりの絵具を取り出して彼女に見せる。
 「へえ……本当だ。」
 ようやく信じてくれたらしい。そして、呟いた。
 「美術部にもギャル男っているんだねー…。」
 そういうことかー。どうりで、怪訝な眼で見られたわけだ。しっかし、そんなに俺が美術部員なのって部長の言ってたように『しゅうる』なのかな。そう思って自分の足元を見る。裾が破れたダボダボのジャージ。ああ、やっぱ美術部っぽくないかも。

 「あの、ギャル男っぽい奴、苦手っすか?」
 「え…いや、そんなこと言ったつもりじゃ…。そういえば、クラスメイトの原口さんが、凄く熱心な一年生の部員がいるって言ってたけど、それ、もしかして君?」
 「…多分。」
 僕がうなずいた。
 「へぇ〜…。意外。」
 「よく言われます。えっと、こんな金パの俺でも一緒にこの部屋で絵描いてていいですか?」
 「もちろん。そもそも、あなたの方が部員なんだからあたしに聞くの変じゃないー。」
 そういってほほ笑む三隅さん。つられて僕も笑ってしまう。



 そうこうして、僕も絵の制作に取り掛かることにした。
 僕の座るのはもちろん、僕の座るのは普段からの特等席だ。すると、今日の三隅さんのいる場所の都合上、広い美術室の空間の中で、三隅さんと妙に近い位置になってしまい、広々と使えなくなってしまった。でも、まあいいや。この窓から差す光の加減は譲れない。


 ふと、僕は三隅さんの制作台の上に、キャンバスのほかに別のものも乗っているのに気づいた。鏡だ。教科書ぐらいの大きさの。それが、台の右端に置かれている。

 そうか、あの肖像画は自画像だったのか。

 しかし、自画像をああいう風に描く人は珍しい。僕は純粋にこの人の人となりに興味が湧いた。
 大抵自画像は本人の姿より美化して描かれてるものだが、珍しいことに彼女の場合は絵の中の像よりも本物の方が数段整った目鼻立ちをていた。おそらくクラスのなかでは顔面偏差値上位数パーセントだろう。
 少なくとも中学時代の俺の元カノよりはずっと美人だ。

 でも、僕には魅力的だとは思えなかった。画面の中の『彼女』の瞳の方が、より深い情感を有するようで、目の前にたつ彼女=三隅さんの瞳は、そんな奥行きのある世界は湛えていなかった。なんかプラスチックのように一見きれいで、つるつるしてて、周り皆に好印象を与えるんだけど、厚みがなくて、からからと乾いたような音しかたてられない感じの瞳だった。音楽はとても奏でられそうにない感じのからから。

 僕は一瞬戸惑った。こんな目のひとがあんな眼を描けるものなのか。

そうして、ふと、自分の眼って相手からはどういう風に見えてるのだろうと思った。そういえば今まで16年も生きて来て考えもしなかったなそんなこと。…やっぱり俺もプラスチックな目にみえるんかな。

 うん、そうだな。人間みな目はプラスチック。それでいい。

 きっとこの人にはすごい深みがあって、ただ初対面の僕には隠してるだけさ。


 気付いたらまた僕の筆の動きはとまっていた。ああ、だめだ。 

 肩を回すついでに彼女の方を見やると、彼女は一心不乱に絵を描いているようだ
った。

 洗面台に向かいがてら彼女の側をあえて通り過ぎて、そのキャンバスを盗み見る。

 ああ、やっぱすごい。

 彼女の瞳をプラスチックみたいだなんて形容した自分を殴りたくなった。多分、あのとき彼女が薄っぺらく見えたのは、初対面だからただ他人行儀スマイルを作ってただけだからだと思う。
 ほんとに薄ぺらい人間にこんな作品が生み出せるわけないんだ。

 僕を弟子にしてください。そう思った。



 「あの…。」
 僕はためらいがちに口を開いた。

 美術室にいるのはただ二人。丸椅子に座ってキャンバスに向き合う三隅さん。その右斜め後ろから声をかける僕。
 三隅さんの筆の動きが止まった。
 「あの、センパイってすごい絵上手いっスよねー。」
ちょっと肩をすくめながら振り向く三隅さん。一瞬僕と目が合った。
 「……。」
 変質者って思われてやしないか。いや、誠意を持って話せばきっと伝わるさ。
そう思い直して僕は三隅さんのほうを真っ直ぐみつめ、言葉を続ける。

 「実は僕、昨日先輩のその絵ラックから見つけちゃいまして、ちょ―ビビったんすよ。なんか惚れるっつーか、スゲーっスよね。俺とてもじゃないけどそんなの描けないっす!」
 三隅さんは戸惑ったように、いや実際戸惑って、「ええ…どうも」と一声うなずく。
 「そんなぁ謙遜しすぎっすよ〜!」
 「……。」
 思い切り視線を逸らされた。

 うわ〜〜〜〜〜〜。
 だめだ、変なチャラいバカから新手のナンパでもされたとでも思われたのかもしれない。
 そう。僕の日本語力は絵にも劣らず貧弱極まりないのだ。頭ではこういろいろと考えも巡るんだけど、いざ言葉として発すると思ってることが適切なボキャブラリーで発せられないというか、なんかダメなんだ。内側のものを上手く外側に表現できなくて悔しかったりもどかしかったりするのは絵と同じなんだけど、喋る場合は相手にさらにバカだという印象まで与えてしまうからさらにタチがわるいんだ。

 けど、僕はこの残念なボキャブラリしか表現する手立てを持ってないのだから、しょうがない。特に、俺のしゃべり方はこの手のきちんとしてそう、な黒髪清楚系女子から一番敬遠される類いのものだった。うん、嫌われて、さげずまれてもともとだ。
 僕は開き直った。言葉を続ける。

 「先輩、絵の弟子入りさせてください。」

 おそるおそる彼女の顔に視線をやった。  

 三隅さんはなにこのウスラバカ、という眼でみてるのかと思いきやむしろその目は大きく丸く広がり、

 「…うん。いいよ。」

 快くオーケーしてくれた。

 これで晴れて僕は絵の大天才の弟子である。ま、だからって僕の才能が飛躍的に伸びたってわけでもないんだけど。

 気のせいだろうか、一瞬三隅さんの頬はうっすらピンクにそまっているかに見えた。…いや、まさかそんなことはないだろう。


 まさか…な。



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