彼女を乗せたエアーフランス航空の機内では、それぞれパッセンジャーが仮眠を取ったり、ビデオを見たりして楽しんでいた。この季節はイースター祭が近いからか、ビジネスマンよりも帰省をするための客のほうが圧倒的に多い。飛行機の後部座席に位置するコーチ席では、時折幼い子供がくずったり走り回ったりと、相変わらずの状況が見て取れる。
そんなコーチ席よりも、前部席に当たるビジネスクラスは、比較的静かで座席にはまだ余裕があった。その一番前の通路側に座ったサラは、誰もいない窓側席にバックパックを置き、テーブルにコンピューターを広げて何かに読みふけっていた。 開いているサイトは「フォイオン」国公式HP その画面に映し出されている国王は、ひげ面で年老いた老人の姿だった。
『フォイオン国王 アンドレ スタインベック4世・・・この男のボディガードか・・・』 そう思った瞬間、通路を挟んで右隣にいる恰幅のいい女性が、彼女に話しかけてきた。 「あ、この人・・・病気で倒れて・・・」 「病気?」 「ええ、それからどうなったか知らないけれど、病院に運ばれたってところまで、ニュースで聞いたわよ。あれ?もしかしたら息子が即位したかしらね?ま、どっちにしても南欧の小さい島国のことだから、私たちのような観光客には関係ないけど・・・。」 「そういえば、この頃ろくにニュースも見てなかったっけ・・」 「主人が仕事でフォイオンに単身赴任してるのよ。だから私もビサをとって1年くらい滞在する予定なの。久しぶりの海外よ!!しっかり羽根伸ばさなくっちゃ!あなたは?」 「私は・・・仕事で・・」 こういう女性はサラにとって苦手だった。しかし、この飛行機の中では他に逃げる手段もない。 「あら、あなたは彼氏とかいないの?」 「ええ、まあ」 「じゃ、向こうでかっこいい男見つけて楽しまなくっちゃ!主人の会社にそういえば・・・確か彼は独身だったわ!紹介してあげましょうか!?」 「い・・いえ、結構です。」 「向こうではアパートに住むの?それともホテル?主人が空港まで迎えに来てくれるので、そこまで送っていってあげるわ!大丈夫よ!安心して!怪しいものなんかじゃないから!!」 「ちょっと・・・トイレに・・」これしか手段はない。行きたくもないトイレに行く羽目になったサラは、少し苦笑いをしていた。 『フランスまでならともかく、フォイオンまで一緒だとは・・・』
南欧の島国 フォイオン国では、この国の状態がやや危機的な状況だというのにもかかわらず、観光客の入国数は変わってはいなかった。この国にとって観光は大きな収入源であることは間違いない。おいそれと観光を制限しては経済的な大打撃を受けること必須だ。 これといって諸外国の渡航制限も特別されてはいなかった。というのも、3X新エネルギー鉱石に伴う、国王拉致の危惧は観光客とは切り離されて考えられ、また内容もコンシールされた最高のトップシークレットであるという理由が考えられる。
しかしながらアンドレ国王の周辺では、比較的穏やかな毎日が続いていた。 宮殿の彼のベッドに差し込む、穏やかな太陽の光がゆっくりと彼の瞳を開花させた。 「おはようございます、アンドレ様」 「ん・・・あ、おはよう・・・」いつもこの時間になると、この女性がアンドレ国王を起こしてくれる。黒いメイド服に白いエプロン、やや赤茶けた髪が肩越しまで伸びている。 「よく眠れましたか?」 「ええ・・・あの・・私が寝ている間にあの携帯は鳴りませんでしたか?」 「そのようなことはありませんでした。」 「そうですか・・・・」がっかりした様子でうなだれるアンドレだった。もしかしたらアメリカとフォイオンとの時差のせいで、夜中に彼女からの電話があったかもしれない・・・そう期待するのは当然だ。 「シャワーの準備が整っています」ベッドに入ったままがっかりしていたアンドレ王に、いつもの調子で彼女が声をかけた。 「はい。いつもありがとう。」このメイドの声の持ち主が、サラだったらどんなに幸せだろうか・・。まだ彼女に一度も会ったことがない彼だったが、全く別世界の傭兵という世界にいた彼女の話をベンから聞き、勝手に恋心を持ってしまった自分に、何のためらいを持つことはなかった。好きになったのだから、だから私のそばに来てほしい、純粋な彼の気持ちはまったくそれをおかしいとは感じてはいなかった。
彼はベッドから抜けて、部屋から続きになっている浴室へ向かっていった。 全面大理石でできた広い浴場には、シャワーブースとジャグジーバス、そして大きな噴水が真ん中に取り付けられていた。全面ガラス張りの窓に取り囲まれ、その向こうには森と、地中海の青い海が見える。
「10時から、イスラエル駐在武官がお見えになる予定です。」 「そうだったね。」 大きな鏡が取り付けられた洗面台を前に、アンドレは自分のブロンドの髪を整えていると、その鏡に映りこんできた男が疲れて様子で彼の名を呼んだ。少し体が震えている。 「アンドレ王・・・おはようございます。」 「おはようございます、フランツ・・どうかしましたか?顔色が悪いようですが・・」 「今夜のイタリア領事館長との夕食会の件ですが・・・場所が変更になりました・・・・18時からホテルラッジーナで行われるそうです。」 「急に変更だなんてめずらしいですね。」 「なにやら料理長が急病だそうで・・・・車の手配等済ませておきました。」 「ありがとう」そう言うとフランツは急ぎ足でその場から去っていった。 フランツは少し震えながら部屋の外に出ると、大きくため息をついた。そして廊下を急ぎ足で歩きながら、人目につかないようトイレに飛び込むと、携帯電話を取り出した。 「私だ・・・全部言われたとおりやった・・・18時にホテルラッジーナに到着予定だ・・・・だから・・・」 電話から流れてきたその声は、昨日の男ジョルジュだ。 「わかった。車の運転手には例のルートを走らせるよう伝えておけ」 「妻と子供は・・・」 「心配するな。すべてが上手くいけば今夜には家に戻っているはずだ」 そういって電話が切れると、彼はトイレのドアを思い切り殴った。 「ちくしょう!!あんな・・・あんな石っころさえ出なければ・・こんなことには・・・」
フランス シャルルドゴール空港 ここからフォイオンに行くには次のフライトを確認し、ゲートを探さなければならない。細かい字が映し出されるそのモニター画面を見ていると、不意にどこかで自分を呼ぶ声が聞こえてきた。 「サラ!!」彼女の背後から茶色の髪をした男性がにこやかに笑って現れる。 「ああ・・久しぶり、ホウィ。」白いスーツに紫色の襟の高いインナーシャツ 黒いスラックスを着たこのなんともいえない少年のような男は、サラに会うなり抱きつき、腰に手を回しキスをしてきた。まるで恋人同士の久しぶりの再会のようだ・・・。 「やめな・・・」 「このくらいフランスじゃ普通さ。だから・・・」そういったきり、しつこく口元によってくるホウィだったが、ふと気づくとホウィの事をじっと見ているおばさんがいた。しかも至近距離で・・・。 「あら、サラちゃん・・この人は?」 「あ・・昔の同僚です。・・・ただそれだけです。」 「・・同僚・・・そんな・・・」その台詞を聞いてホウィはがっかりした表情を見せた。 「いくよ。次の飛行機に遅れる。」 そういってサラは次のゲートへ向かうべく歩き出した。その後ろをがっかりした様子で付いていくホウィを、これまたジロジロと、二人の関係を探るように見ているおばさんが付いてくる。 「ああ、そういえばさ。フォイオン国の王、フィアンセがいるんだって。なにやら国王がぞっこんでさ。寝ても冷めてもその女のこと考えてるそうだ。知ってた?」 「知らない。」 そんな情報まで持ち合わせているホウィに苦笑して笑いながら答えるサラ。 「いいよなーあんな金持ちの仲間になったら、カジノで散々金使いまくって、女をはべらかして、高級な酒飲んで・・・」 「そういうやつは王室に選ばれないわよ」 「だよね。しかし自分が狙われてるってのに、婚約も何もないような気がするんですがねー。彼女まで危険な目にあわせちまう。もしかしてサラ、婚約者のボディガードを任されたんじゃないの?」 「かもしれないが、どっちみちやることは一緒だ」 「どんな子かおしえてちょーね」 「ここでは、あんまり話すな。誰に聞かれているかわからん」 「Yes ma’am」そんなサラとホウィの歩くスピードに、必死になってついていくおばさんが、二人を見失わないように急ぎ足で、後ろから付いて来る姿が滑稽だった。
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